「ヌルフフフ。先生との約束ですよ、月見くん」
夕焼け色に染まった教室。
普段の鬱陶しさが嘘のように、殺せんせーは静かに微笑んだ。
『秀知院生の皆さん、こんにちは!
私たちヌルヌル相談教室部は、学園の生徒が日々抱えている悩みを聞き、ヌルヌル解決を目指すボランティア活動をしています。
部活から勉強、恋愛相談様々な相談を受け付け中。
守秘義務はもちろん、安心して相談を受けられるようヌルヌルした部員全員でヌルヌル配慮していきます。
打ち明けたくても相談する相手がいない、こんなこと聞いても大丈夫かなと不安に思っているそこのヌルヌルしてるあなた!
ぜひ【ヌルヌル相談教室部】にヌルヌル来てみてください。
あなたの心に良きヌルヌルを!
ヌルヌル相談教室部 より』
それは表情筋が死んでるとか、笑顔を作るのが苦手だからではない。今まさに手に持っている一枚の紙に書かれている内容に目を通したからだ。
「……なんですか、これ」
「うちの部活の紹介チラシ。結構気に入ってるんだけど、いい感じにできてない?」
「これのどこがいい感じなんですか⁉︎」
顔を青ざめた圭の、心からの叫びがヌルヌル相談教室部の部室に響いた。
白銀圭。私立秀知院学園中等部に通う2年生である。学校では整った容姿と真面目で実直な性格から、中等部でも男女問わずモテている有名人だ。
そんな美少女な彼女も、現在は苦悶の表情を浮かべていた。
「え、待ってくださいよ。……これが紹介文? どうして紹介文でこんなにヌルヌルって単語がでてくるの?」
理解できない。自問自答するようにもう一度、紹介文を見直す圭。
もしかしたら私の見間違いかもしれない。そんな淡い期待は、再度の見直しですぐに崩れてしまう。
けれど狂気とも言える内容は、一文たりとも見間違いではなかったのだ。
(あー、やっぱ理解できないや)
頭が痛くなる。
なんで文章の中に逐一ヌルヌルという単語を入れてくるのか、それが全くわからない。
それなのに内容自体は割とまとまっていて、意味が伝わってくるから余計に腹が立つ。
そこでふと、ある一文の違和感に気づき、羞恥心から顔がパッと赤くなる。
「って、私はヌルヌルしてないですよ⁉︎ セクハラですよ、これ!」
「お、ようやくツッコまれた。というかヌルヌルなんてわりと日常で使わないか?」
「一度たりとも、使わないです!」
圭は机に紙を叩きつけると、キッと目の前の男を睨みつける。
さきほどまで寝ていたのだろう。学ランを脱ぎ捨てて、その下に着ていたパーカーのフードを頭にかぶったままあくびをしている。
「もう!部長はどうして、仕事や勉強はマトモにやるのに、こういう変なところで無駄にふざけるんですか!」
「まぁまぁ、無駄なところってわかるとなんだか余計やりたくなっちゃうじゃん」
部長と呼ばれた男子生徒、
(この人、また私のことからかってるしッ!)
自分はこんなにも振り回されているというのに、どこか悠々とした態度でいる月見。それを見ると圭の怒りゲージがふつふつと湧いてくる。頬も引きつる。
これが兄なら脛を蹴っていたことだろう。
「落ち着け、圭ちゃん」
「落ち着いてます」
「落ち着いてないやん」
額に青筋を浮かべる圭を後目に、被っていたフードを下ろす部長。
前髪には黄色のメッシュが一筋入っていた。
「そいで、どうしてこんな無駄なことするんだって質問だったよな? ……もちろん理由はあるよ」
月見は圭に体ごと視線を向けると、ヘラヘラとした表情をやめて優しく微笑んだ。
「圭が振り回されてるところを見るのが楽しいからだよ。そういうとこ大好き」
「私は部長のそういうところが大っ嫌いです!」
本日2度目の圭の叫びが今度は部室の外にまで響いた。
これが圭と月見のいつも通りのやり取りだったりする。
ヌルヌル相談教室部と前半の単語から卑猥な活動をしてそうに聞こえるが、実際はただの相談教室である。
部長の月見、副部長の圭、そしてあと一名を入れた3人で部を行っていた。
活動内容はシンプル。
学校問わず悩みを抱えた生徒の相談にのり、可能なら解決の手伝いの案出しをしている。
「というわけで、部活動始めようか」
「……ふん」
「悪いって、圭。からかいすぎたのは謝るから機嫌治してくれよ」
「はやく部活を始めてください」
サッと顔を逸らす圭。あの程度の謝罪ではまだ怒りが治まらないのだ。
その様子を見て、後で何か奢ろうと決めた月見は、とりあえず依頼解決を優先するためにスマホを取り出した。
「今日の依頼者は1人。匿名で意見が欲しいみたい」
「わかりました」
相談用に作ったウェブサイトを開くとそこには、ペンネームで送られた相談内容が書かれていた。
「そいじゃいくよ。ペンネームラブ探偵さん女性。……いやこれ、ペンネームの意味ねぇな」
「千花ねぇ……」
聞き覚えのあるワードに圭はなんとも言えない顔をする。仮にも匿名なのに、特定できる言葉を使うとは。
頭の中にはちかっとチカチカしている彼女がアホそうに笑っていた。
「まぁ、うん。とりあえず相談内容言うぞ」
けれど、月見渾身のスルー。
深く考えるだけ意味がないのはわかっている。藤原のことをよく知っている圭もその辺りは理解しているから、素直に頷いた。
「えっと、……最近体重が少しだけ、ほんっとに少しだけ増えっちゃったんですけど大丈夫ですよね? ラーメン巡りやタピるのはやめなくても、若いから大丈夫ですよね? ……だそうです」
「千花ねぇ……」
相談内容にさすがの圭も頭を抱える。
同性ゆえにスタイルの維持や、増えた体重は年頃の女の子なら気にするもの。でも、千花ねぇ。それはない。ラーメン巡りぷらすタピオカはありえない。
カロリーの化け物でしかないのだ。自分なら体重計に乗ることすら躊躇うレベルの怪物的な暴力。
「一応、聞くけどさ。同性の圭的にこれはどうなの? 大丈夫なの?」
「まったく大丈夫じゃないです。即刻止めないと、死にます」
「致死量かよ」
死んだ目で断言する圭。普段圭のことをからかう月見もその辺リのことでいじろうとは思わなかった。
これも中学3年のときに体重のことでからかった経験のおかげだろう。
「まぁ、とは言えその好きを捨てることもできそうにないよなぁ」
「うーん、確かに。千花ねぇですから無理かもしれませんね」
藤原の信用のなさ。むしろ、食べることはやめないだろうという確信的なまでの意見が2人の間で交わされた。
「じゃあ、その辺りの気持ちも考えないといけないなぁ」
それから10分ほど、あーでもないこーでもないと2人でどんな答えを返すか議論を重ねた後。
しばらく考え込んだ月見はスマホに文字を打ち込み始めた。
とりあえずやることを終えた圭は、月見に気づかれないように彼のことを眺めることにした。その様子は真剣そのもので先ほどまで圭を振り回していた人物には見えない。
(なんていうか。部活をやってるときは真面目なんだよなぁ、この人)
兄の白銀御行と同じ高等部からの外部受験者。普段の不真面目なところや振り回されることを除けば、意外としっかりしている。
そもそも放課後の時間を使ってまで他人の相談に乗ろうとしている人だから、意外でもないかもしれない。
圭自身、月見の良いところを知っているからこそ、こうやって1年も部活動に参加しているわけだし。
ゆえに気になった。こんな富豪名家だらけの学校に来てまで相談部をする理由を。
「部長って、なんで相談部なんてやろうと思ったんですか?」
「ヌルヌル相談教室部な」
「そこはいいです」
月見は特に気にした様子もなく、文字を打ち込みながらだが、会話を続けてくれた。
「んー、まぁ、先生との約束だからかな」
「先生?」
「中学最後の担任との約束。それを叶えるためにこの学校に来たってわけ」
「なるほど。……それってどんな約束をしたんですか?」
プライベートなことを聞くのは失礼ということはわかっていても、圭は質問をやめられなかった。1年も月見と関わっているのに意外と彼のことを知らなかったからだ。
それゆえの好奇心。
一瞬、文字を打ち込む手が止まると、ぽつりとこぼした。
「んー、この学校で暗殺するっていう約束、だったかな?」
「……はい?」
言われた意味がわからなかった。学校で、暗殺?
困惑した様子の圭に気付いたのか、スマホから目を離した月見が彼女を見て笑う。
「はは、冗談だよ。半分だけ」
「半分は本気なんですか」
相談部をしている理由を聞いたら、学校を暗殺するという答えが返ってきた。予想外の返答に、また自分はからかわれているのではないか。圭は月見を睨む。
「またからかってるんですか?」
「別にからかったつもりはないぞ?」
「信じられません」
「信用ないなぁ」
散々、振り回されてきたのだ。今度こそからかわれないぞと睨み続けていると、月見はどうしたものかと頭をかいた。
「まぁ、詳しく言うつもりはないけどさ。俺にとって、この学園の生徒たちと向き合うことは、地球の終わりよりも重要なこと。ただそれだけだよ」
「それって——」
「……と脇道にそれちゃったけど、どうかな?」
——どういうことですか?
その言葉を言う前に遮られてしまった。一瞬、聞き直そうか迷ったがこれ以上はやめておこうと決めた。たぶん、聞いたところではぐらかされるだろうし。
気持ちを切り替えた圭は差し出されたスマホの画面を見る。
『このままではあなたは体重という名の暴力に殺されてしまうでしょう。けれど、その好きはあなたにとって大切なもの。
なら、別の方法でカロリーをヤるべきでしょう。
好きなものを食べながら、カロリーを消費する。つまり、運動です。適度な運動をすることでカロリーを燃焼すると良いでしょう。もしひとりで運動するのが苦痛なら、友達と一緒に体を動かすといった遊びをすれば、楽しく継続することができるでしょう。
さぁ、レッツ運動! レッツヌルヌル‼︎』
「最後の文以外は一応大丈夫です」
「なぜだ」
「なんで行けると思ったんですか」
謎のヌルヌル押しに呆れる圭。なぜ、そこまでヌルヌルにこだわるのか。
考えることに疲れた圭はだらりと机に寝そべった。
いつもなら兄や先生の目があるからできないけど、どうせここには月見しかいない。なら、気にする必要もないだろう。
傍らでは月見がスマホを手にうんうん唸っている。未だ最後の文のダメだしについて考えてるみたいだ。
バカみたいだな、なんて思いながらもその様子が微笑ましくてつい口が緩んでしまう。
今だけはなにもしなくていいから、余計な考えばかりが浮かんでしまう。
(先輩って好きな人とかいるのかな? …………もし、私のことが好きなら……まぁ、振り回されるのは嫌だけど、告白してきたら少しぐらい考えても……いいかな?)