「圭ちゃんじゃあね〜」
「うん。萌葉もまた明日」
放課後。友人の藤原萌葉に手を振った圭は、生徒たちで賑やになった廊下を一人カツカツと歩いていた。
今日は生徒会の仕事もない。急いで家に帰ってやることもないので、部長が待っているであろう部室棟に向かう。
「あれ、中等部の子じゃない?」
「わぁ、すっごい綺麗」
先輩であろう女子たちがヒソヒソと話している。中等部の生徒が高等部の部室棟に来るのは珍しい光景なのだろう。圭の白い制服はよく目立つ。それに加えて彼女は美少女だ。四宮かぐやや藤原千花といった美少女たちにも負けないレベル。
当然、歩く度に周りからの視線を集めてしまう。最初の頃はその視線にオドオドしていた圭だったが、今ではもう慣れたものだ。
月見に振り回される度に注目されてしまうから、感覚が麻痺してしまったのかもしれない。
好奇的な視線を無視した圭は、そのまま(ヌルヌル)相談教室部の部室の前にたどり着いた。
一呼吸置いて、ドアノブに手を伸ばす。
「部長。こんにち——」
そして、ドアを開けた圭は挨拶をしようとして目の前の光景に絶句した。
高等部の女子制服を着た生徒。部長の大空月見が、鏡の前でセクシーポーズを取っていたからだ。
「——は?」
困惑するしかなかった。もしかして自分は入る部屋を間違えてしまったのだろうか。
しかし、現実は無情で目の前にいる人間は幻でも幻覚でもない。紛れもなく女装した部長本人だった。
人間というものは予想外の出来事に遭遇すると、強ばって動けなくなると言うが、圭は今まさにそれを体験
固まる圭に気づいたのか、ポージングをやめた月見が圭に話しかけてくる。
「どう、似合ってるだろ?」
今度は鏡ではなく圭に向かってセクシーポーズをしてきた。妙に様になっている。その行為がさらに彼女を混乱のどん底に追い込んだ。
もう狙ってやっているのではないかと考えてしまうぐらいに振り回されている。
とにかく冷静にならないと、この『歩く全自動振り回しマシーン』とまともな会話ができない。
「……え、えぇ。確かに似合ってますけど」
自信満々に尋ねてくる月見に動揺しながらも頷いた。
そこで再度月見の姿を確認する。
着ているのはやはり高等部の女子制服だ。ウィッグを付けているようで、肩まで伸びる黒い髪と本来の中性的な顔が、どこか大和なでしこのようなお淑やかな印象を感じさせる。なんとなく顔を見ればほんのりメイクが施されていた。
月見のことを知らない人が見れば、女子にしか見えない。というか、女子よりもかわいいくらいでなんだか負けた気分になる。
「あの、なんで女子の制服を着てるんですか?」
複雑な気持ちを抑えるように尋ねる。
また何かめんどくさいことをしようとしているのか。これまでに散々振り回されてきた経験から、自然と声が震えてしまう。
「今日、同じクラスの奴から人数足りないからって演劇部の助っ人頼まれてさ。後で衣装合わせに行くんだけど。その前に女装しておかしくないか鏡で確認してたわけ」
「……演劇部の助っ人と女装になんの関係が?」
「頼まれたのが女性役なんだよ」
なるほど。どうやら自分が振り回されるようなことはないらしい。
ほっと安堵した圭は定位置に荷物を下ろした。今回のように月見が部の助っ人に呼ばれることは珍しいことではない。
なんだかんだこの部長は何でもできる。天才……ではないけど、頭脳、身体能力の高さはただの学生にしては飛び抜けており、分野を問わない多芸さも合わさって、相談活動でも存分に活かされていた。
純院、混院という差別意識もある秀知院学園で大胆に部活動ができる理由の一つがこれである。
もう一つは3人目の部員の手を出してはいけないネームバリューの高さだろう。
再度鏡に向けてポージングをしている月見を眺めていると、彼の着ている制服が気になった。
「そういえばその制服どこで手に入れたんですか?」
なぜ月見が女子制服を持っているのだろうか。演劇部の助っ人を頼まれたのが今日ならそんな簡単に用意できないはず。お金持ちならともかく部長も自分と同じ一般家庭だ。そんな突飛なことはできない。
圭の優秀な頭脳が数少ない情報から、答えを導き出そうとする。
「……もしかしてそれ盗んだんですか?」
そして、導き出された答えは
普段からヌルヌル、ヌルヌルという言葉に執着する人だ。言葉では満足できず、欲求不満。ついには女子制服にまで手を出してしまったのではないか。
部長への信頼が地に落ちると同時、警戒するように距離を取った。圭がスマホを手にすると、月見はこれからされることを察したのか慌てたように手をアワアワさせる。
「違うから! ちゃんと眞妃に頼んで借りたヤツだからッ! 110番に掛けようとするのやめてよ⁉︎」
「あぁ、眞妃先輩のですか」
ジト目をしていた圭だったが、聞き慣れた名前が出ると警戒を解いた。信頼も地に落ちないですんだ。
四条眞妃。
頭の中には、つい最近好きな人が幼なじみと付き合ったと報告して、号泣する3人目の部員であり先輩の姿が思い浮かぶ。
ここ最近部活を休んでいる理由も、傷心を癒すためである。
「納得しましたけど。あの人、よく先輩に服貸してくれましたね」
「まぁ、俺そこまで汗かきじゃないし。そこは信頼してくれたんじゃない? まぁ、まさか、今日着てた服を渡してくるとは思わなかったけどさ」
「えっ」
それはいくらなんでも信頼し過ぎでは?
よく部室で口ケンカする2人を見ているとにわかには信じられない。いつもいつも場所を問わずケンカしているから、(ヌルヌル)相談教室部はTG部と共に二大珍獣扱いされているのに。
でも、そんなことはどうでもいい。圭は内心憤慨していた。
(部長も部長で、それを知ってなんで着てるんですか⁉︎)
女性が男性に服を貸すだけでも正直ありえないことなのに、今日一日着ていた服を男子に渡すとか。それを理解して着るのもおかしい。2人の先輩の倫理観が少しだけ心配になる。別に先輩たちだけ仲良くしているから嫉妬しているわけではない。
とはいえ圭自身認めたくはないけど、ありえないとは思わなかった。
なんだかんだ言って月見と眞妃は相性が良い。似た者同士というか、傍から見ていると同族嫌悪しているようにしか見えない。
このことを2人に伝えると物凄い怒ってくるので、心の内に留めておく。
わざわざ虎の尾の上でタップダンスをするような無謀さは持ち合わせていない。
それはともかく今日着ていた制服を男子に貸す懐の広さをどうして好きな人に向けて発揮できないのか。眞妃先輩、哀れ。
「でも、助っ人ならそこまでこだわらくてもいいんじゃないんですか? ウィッグを付けただけでも女性に見えますし」
「まぁ、そうなんだけどさ」
圭の言葉にうーんと唸る月見。腕を組む姿も女の子らしくしているのか、普段と違ってお嬢様のような気品さも感じる。どうやら月見には演技力もあるらしい。
「頼んだのはたまたま俺だったのかもしれないけどさ。やるなら全力で取り組みたいじゃん」
真っ直ぐに圭を見つめる月見。それは女装していても変わらない、圭もよく知る目だった。
負けず嫌いというか、自分の役割は全力で果たそうとするその姿勢。憧れる。あと、できることなら他人を振り回す時まで全力を出さないでほしい。圭の心からの願いだった。
「そんなことよりさ。せっかくだし、圭もメイクしよ」
「え、私は別に」
「大丈夫大丈夫。このメイクも俺がやってるし。マイコさんみたいにはならないからさ」
「それ本当に大丈夫ですか?」
いいからいいからと、近くにあった椅子に渋々座らされた圭。
目の前にいる月見は、どこから持ってきたのか飾り気のないポーチから、いくつかのメイク道具を取り出した。
本当にどこから持ってきたのか。もしかして月見は常時メイク道具を持っているのか、この人といると疑問は尽きない。
そんな圭の考えを他所に、女装した部長は慣れた手つきでメイクを始めた。
(なんか、まじまじと顔見られるの照れる。それに部長の手が私の頬に触れてるし……)
たまに自分の頬に触れる月見の手に、圭の顔は心なしか熱くなった気がする。心臓はゆっくりと鼓動を速めていった。
「ほいできた」
「うわ、すごっ」
待つこと数分。鏡の前に立たされた圭は自分の顔を見て思わず感嘆の声を上げる。
端的に言ってメイクの出来は圭の心に響くものだった。
「どう?」
「本当にメイクできたんですね」
鏡に映る自分を見つめながらつぶやく。圭が好むナチュラルメイクということもあって、ポイントが高い。
圭の感想が概ね良かったからか、月見はドヤ顔しながらふぁさっと長い髪をかきあげた。
「ふふん。なんて言ったってウチのビッ、……中学ん時の英語の先生に、男ウケするメイク術を教えてもらってたからバッチリよ」
「ビッ?」
なぜ男子生徒に男ウケするメイク術を教えたのか。部長の中学時代がすごい気になる。
「部長って本当になんでもできますね」
「別になんでもはできないよ。俺は何でもできる天才じゃないし、みんなみたいに一芸に特化することもできなかったから」
それはいつもと違う雰囲気の月見。
圭は鏡から振り返ったがそれは一瞬の出来事だったようで、彼はいつの間にかスマホを片手に自撮りをし始めていた。
あざとい仕草をいくつかする度に、シャッター音が部室に響き渡る。
「……女子より女子力高い」
そんな普段と見違えた容姿でいつも通りの部長を見て、げんなりする。
「ほらほら、圭も一緒に写真撮って御行に自慢しようよ」
「ちょ、近いですっ! というか兄さんには見せないでくださいよ!」
肩が触れるぐらいに寄ってきた月見にドギマギしてしまう。女装しているからか普段よりも距離感が近い。ふわりと甘い匂いが漂ってきた。近い近い。
「あっ」
そんなことを考えていると月見から間の抜けた声がでる。
普段着慣れない女子制服のスカートが机に引っかかってしまったのだ。引っ張られて仰向けに倒れていく月見。
それを見た圭は頭で判断するよりも速く月見に手を伸ばした。
「危ないっ!」
ガタバタと倒れ込む2人。
先に声を上げたのは圭だった。
「大丈夫ですか、部長」
「あぁ、頭は打ってないよ。巻き込んでごめんな」
部長の言葉の通り、ケガはしてないみたいだ。
よかったぁ。
安心してため息をつく圭。すると、すぐ近くから「くすぐったい」と声が聞こえる。
落ち着いて前を見れば間近に月見の顔があった。
「……ッ⁉︎」
圭は音にすらならない声を出して、状況把握に全神経を回す。
どうやら圭が月見を押し倒しているみたいだ。腕に力を入れて体を支えていなかったら、今頃圭のファーストキスは部長に捧げていたことだろう。
「んぅ……」
月見の吐息が色っぽい。圭の頬に息がかかるのに不思議と嫌悪感はなかった。
それよりも身動ぎする度にお腹や足同士が擦れ合って、熱を帯びて圭の理性をガリガリと削り取っていく。学ランではないから肌の感触が鮮明に感じられてしまう。
速く部長から離れないと。頭ではわかっているのに、圭はなぜか月見の顔をまじまじと見つめていた。
(わぁ、部長ってまつ毛長い。これ化粧してなくてもすごいかわいいやつだ)
冷静を装っているが、圭の内心はパニック寸前だった。
バクバクと高鳴る心臓。それはメイクをしてもらって頬を触られた時よりも大きく激しかった。
このまま重力に抗うのをやめたら部長の唇に触れてしまうのだろうか。
「…………」
魔が差した。
少しだけ、ほんの少しだけ圭はその先が気になってしまった。
ゆっくりと目をつぶる圭。支えていた腕の力を緩めていき、そのまま月見にしなだれかかろうと、
「ねぇ! 2人とも聞いてよー!」
したところでバンッとドアが開け放たれた。ギリギリのところで踏みとどまる圭は、目を見開いて入口に顔を向ける。そこにはジャージ姿の眞妃が立っていた。
「翼くんと渚がまた私の前でイチャイチャして——」
眞妃は続く言葉を止めて、もつれ合う2人の男女の姿を見下ろす。
「あ」
「よう、眞妃」
圭は自分の顔がサーっと青ざめるのを感じた。目の前の先輩から殺意を向けられているからだ。部長は押し倒されている状況なのに呑気に挨拶をしている始末。
とにかく今は誤解を解かなければ。
「……眞妃先輩。これはあの、不慮の事故というか。決して、あの、やましい理由とかではなくて」
ハイライトの落ちた眞妃の瞳が自分たちを射抜いている。何も悪いことはしてないはずなのに圭の背中を冷や汗が伝う。
先程までのドキドキも今や違うドキドキに変わってしまった。
言い訳の言葉も途切れ途切れになってしまい、どこかたどたどしいものになる。最終的には何も言えなくなり、口を閉じた。
「…………」
「…………」
数秒の沈黙。
眞妃の死んだ瞳から、ぶわっと涙が溢れた。
「うわぁあああん! 月見も圭も大っ嫌いよー‼︎ この淫乱カップル〜!」
「眞妃先輩、ちょっと待ってくださいよッ⁉︎」
今回の件で(ヌルヌル)相談教室部はまたひとつ知名度を上げたのだった。