繋ぎ目の光陰   作:蛙野 心

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2.モニアの一日 前編

 

 苦しい。

 

 痛い、怖い、苦しい。体の奥から込み上げるそんな思いに、首を絞められている様で、息が止まってしまいそうだ。

 

 誰かが、こっちを見ている。誰だろう。分からない。ただ、目だけが見える。酷く冷たい視線が、突き刺さる様で、痛い。その目があまりに冷たくて、怖い。見つめられていると、上手く息が吸えなくて、苦しい。

 

 その視線から逃れようと、もがく事すらできなくて。また一つ、強い思いが込み上げてくる。

 

 助けて。

 

 誰か、助けて。

 

 

 

 冷たい物が頬に触れて、モニアは目を覚ました。見上げているのは、自分の部屋の天井。ゆっくりと体を起こすと、ポティーが心配そうにこちらを見詰めていた。ポティーと言うのは、ライオンによく似たモニアのペットだ。どうやら、頬を舐めてモニアを起こしたのはこの子らしい。手を伸ばして、そのふわふわのたてがみを撫でる。

 

「おはよう、ございます」

 

 布団の上で伸びをして、モニアはその目を擦る。そして欠伸を一つすると、いつもよりも更にゆっくりとした仕草で身支度を始めた。その表情は眠たげと言うよりかは、どこか考えこんでいる様子だ。

 

「……ねぇポティー、今日、は、変な夢を、見たんです」

 

 身支度を済ませたモニアは、またポティーのたてがみに手を伸ばす。話しかけられていると理解しているのかいないのか、ポティーは撫でられる感触を楽しむ様に目を細めた。

 

「何だったんでしょう……」

 

 ぎゅっと、服の下の勾玉のペンダントを握り締める。不安になった時の癖だ。深刻な表情で考え込むモニアを急かすように、ポティーは小さく咆えた。そろそろ下に行かないといけない時間だ。今日も、変わらない一日が始まる。

 

 

 

 下のバーに降りて行くと、マスターが朝食の準備を始めていた。モニアもエプロンを付けて、カウンターの中に入る。

 

「おはよう、ございます」

 

「おう、おはようさん」

 

 二人の朝は忙しい。朝食を食べに、アパートの住人が次々とバーにやって来るからだ。住人は皆起きる時間がばらばらだし、食べ終わると仕事や学校に行ってしまう住人も居るので、体感的には夜よりも忙しく感じる。

 そして面白い事に、朝食に来る順番が大体決まっているのだ。やっぱり、仕事なんかに行く住人は比較的早い。神尾や梨香、セツ、ヨツバ、芹奈あたりがそれだ。そしてその後に、特にそういう事が無いネクロやチャド、佑也が姿を現す。逆に、気分屋な天使くんと、生活リズムが乱れまくっているミト博士はあまり規則性が無い。ミト博士なんて、来ない日もあるぐらいだ。

 

 モニアは朝食を載せたお盆と共に忙しく立ち回りながら、他の住人の様子をよく見ていた。会話が得意ではないモニアだが、その分観察眼はピカ一だ。慣れも手伝って、実にタイミングよく配膳をこなしている。

 そして、それが一段落した頃。

 

「おいで、モニアちゃん」

 

 櫛を手に持った梨香にそう声を掛けられて、モニアはぴたりと足を止めた。梨香の方に視線を向けて、次にマスターに向ける。マスターが小さく頷いたのを見ると、モニアは手にお盆を持ったまま、梨香の隣の席にちょこんと腰かけた。

 

「女の子なんだから、綺麗にしないとね」

 

 そう言って、梨香はモニアの髪の毛を梳かし始める。桃色の髪の毛が櫛の動きに合わせて揺れ動いた。それに、モニアは気持ちよさげに目を細める。これが、二人の最近の日課だ。

 

「結構伸びて来たわねぇ。このまま伸ばしたら、結べるくらいになるわよ。お団子とかにしたら可愛いんじゃない?」

 

「お団子、ですか?」

 

「そう、この辺で結んだりしてね。でも、短く切っちゃってもいいかもよ? そっちの方が、モニアちゃんっぽくはあるわね」

 

「どっちが、良いんでしょう……」

 

 髪の毛が伸びた自分なんて想像できないと思いながら、モニアは呟く。

 

「まぁ、伸びるのにはもう少しかかるでしょうし、ゆっくり考えたらいいと思うわ。はい、終わり」

 

 終わりと言われて、モニアは椅子から立ち上がる。櫛を鞄に仕舞うと、梨香も椅子から立ち上がった。もう仕事に行く時間らしい。

 

「じゃ、行ってきます」

 

「行って、らっしゃい」

 

 小さく手を振って、梨香を見送る。それを皮切りに、仕事や学校に行く住人が立て続けに出ていく。それを同じ様に見送り終わった頃には、やる事も殆ど終わっていた。モニアはカウンターの内側に戻る。これから、マスターと二人で朝食を食べるのだ。

 

「……大丈夫そうだな」

 

 卵焼きを頬張っていると、ふとマスターがそう呟いた。何だろうと、モニアは首を傾げる。

 

「いや、朝ちょっと顔色悪そうに見えたから何かあったのかと思ってたんだが、平気そうで良かった」

 

 言われて、思わずぱちくりと瞬いた。ひょっとして、変な夢を見たからだろうか。自分でも調子が悪いとは思わなかったけれど、確かにちょっと気分は沈んでいた。マスターは良く見ているなぁと、モニアは内心でそう呟く。

 

「今日、変な夢、を見た、んです」

 

 卵焼きを飲み込んで、モニアはゆっくりとそう言う。

 

「夢?」

 

「はい。でも、大丈夫です。良く、覚えて、いませんから」

 

 心配そうな表情になるマスターに向かって、モニアはそう言う。それに、ここならきっと大丈夫だから。

 根拠なんて無かったけれど、不思議とそう思えた。

 

 

 

 朝食とその片付けが済むと、それを見計らった様にポティーがやってきた。その口にはボールがくわえられている。どうやら、遊んでほしいらしい。

 

「今日は、外に、行きましょう」

 

 そう言って、ポティーと二人で外へ出る階段を上る。外は随分と良い天気だった。五月らしく、上着が無いのが丁度良いぐらいに暖かい。そこに誰も居ない事を確かめると、ポティーが持って来たボールで二人は遊び始めた。と言っても、モニアが投げたボールをポティーが取って来ると言うだけだけれど。

 

「何してんの?」

 

 そんな風にして暫く二人で遊んでいると、そこへネクロがやってきた。汗びっしょりの様子でパーカーを小脇に抱えている。辺りを走ってきたようだ。

 

「遊んで、ました」

 

 投げようとするのを止めて、モニアはネクロの方に律義に向き直った。ポティーは、少し離れた所でボールを待っている。

 

「ふーん……あ、そうだ」

 

 そう呟くと、ネクロはポケットから袋に包まれた何かを取り出した。『雪の宿』と書かれたそれを差し出されて、モニアはぱちくりとその目を瞬く。

 

「これ、何、ですか?」

 

「せんべい。ジョギング中によく会う婆ちゃんがくれたんだ。やるよ」

 

 そう言うネクロの右手から、モニアはそっとお煎餅を受け取った。

 

「初めて、見ました」

 

「うん、俺も」

 

 ぽつりぽつりと言葉を交わしながら、二人は乾いたアスファルトの地面に座る。モニアは開けようともせず、お煎餅の袋を物珍しげにしげしげと眺めていた。その上を、雲がゆっくりと流れていく。

 穏やかだなぁ、とネクロは思った。良い天気なのも相まって、少し眠くなるくらいのんびりしている。うまく言えないけれど、何と言うか、こういうのはとても良い。

 

 けれど、遠くでずっとボールを待っていたポティーには気に入らなかった様だ。駆け足でこちらに来たかと思えば、バッとネクロに向かって勢いよく飛び掛かった。悲鳴が上がって、思わずモニアは立ち上がる。

 

「ポティー! ダメ、ですよ!」

 

 思い切ってそう大声を上げると、ポティーはぴたりとその動きを止めた。そして直ぐに振り返って、元気良く返事をする。じゃれていただけなのか、ネクロに怪我は無かった様だ。その事にホッとすると同時に、驚いたまま固まっているネクロの表情が不思議とおかしく見えて、思わずモニアは吹き出した。

 

「な、何だよ」

 

「ご、ごめんなさい。でも、ふふっ、ちょっと、面白かった、です」

 

 笑われた事に怒ればいいのか、それとも一緒に笑えばいいのか。その二つで迷ったネクロは、結局どちらも選ばずに、溜息を吐いて地面に座り直した。モニアもまた、その横に腰を下ろす。そしてずっと持っていたお煎餅を食べようと、袋を開けた。

 

「はい、どうぞ」

 

 取り出した一枚の白いお煎餅を、モニアはまずポティーへ差し出した。ポティーはそれを口で器用に受け取ったかと思うと、一口で平らげてしまう。そして、二枚目のお煎餅を取り出すと、モニアはそれを二つに割った。

 

「どうぞ」

 

 そしてその半分を差し出されて、ネクロは思わず目を見開く。けれど、何だか断るのも逆に悪い気がして、半分に割れたお煎餅を受け取った。

 

「ありがとう」

 

「どう、いたしまして」

 

 そう言葉を交わして、二人でお煎餅を齧る。変わらず太陽は元気で、雲は緩やかに流れている。

 白いお煎餅は、思ったよりも甘い味がした。

 

 

 

 





はい、もにちゃん回です。当初は1話の予定でしたが、気づいたら前後編に別れてましたね……ホノボノッテムズカシイ

皆さん、夢は見ますか? 私は普段あんまり見ないんですが、夢は記憶の整理の役割があるそうですよ。だから記憶力弱いんですかね?
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