繋ぎ目の光陰   作:蛙野 心

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閑話 バレンタイン 後編

 

 帰りのHRが終わって騒がしい教室の中で、梨香はバッグのファスナーを勢い良く開けた。隅っこの方に入れて置いたラッピングバッグを見ないようにして、教科書を数冊仕舞う。ジッと音を立ててファスナーを閉じると、バッグを肩にかけ速足で下駄箱へ向かった。

 

 そして唇を固く引き結んだまま、携帯を取り出して芹奈にLINEを送る。口を開けば涙が零れてしまいそうだから、今日は一人で帰りたい。それでも送信ボタンを押すと、少し胸が痛んだ。

 アドバイスをしたり、背中を押してくれたり、本当にいつも芹奈には頼りっぱなしだ。なのに、こんな態度を取って良いんだろうか。良心がそう囁くのを聞くと、苦い自己嫌悪が酷く沁みた。

 

 靴を履き替えて、校門へ向かう。後ろから、自転車のベルが聞こえた。止せばいいのに、梨香はそれに振り返ってしまう。思った通り、後ろから来たのはチャドだった。

 

「梨香ー、一緒に帰ろうぜー」

 

 チャドはいつもの調子で、軽く声をかけてくる。こっちの気も知らないでと、理不尽に腹が立った。断ろうと思って口を開く。そしたら、案の定涙が零れた。ぎょっとチャドが目を見開くのが、ぼやけて見える。

 

「ど、どした!? 怪我でも——」

 

「違う」

 

 溢れてくる涙を両手で押し留めようとしながら、何とかそれだけ絞り出した。それだけで済ませればいいのに、口は勝手に続けようとする。

 

「良いから、放って置いて」

 

 その言葉が酷く自分の耳に突き刺さって、梨香はその場から逃げ出す様に駆けて行った。

 

 

 

 いつも、いつもこうだ。私の周りにいる人は皆優しくて、本当に良い人たちばかり。なのに、私は嫌な事ばかり言ってしまう。その度に、私は私を嫌いになる。皆だって失望しているだろう。でも、馬鹿で、不器用で、自分勝手な私なんて私が一番嫌いだ。自信なんて持てない。こんなんで、チョコなんて渡せる筈が無い。

 

 ぎゅっと目を瞑れば、昼間に見た中庭での光景が鮮明に蘇ってきた。モニアとはたまに話す事がある。優しくて、大人しい彼女は、きっと料理もうまいのだろう。何を作ったのかなんて分からないけれど、少なくとも私が作ったのよりかは上手なはずだ。ラッピングでどうにか誤魔化しては見たけれど、私が作ったガトーショコラはどう見ても焼き過ぎで、焦げてしまっていたから。

 

 何をどれだけ頑張っても、周りと比べて不安になる。不安だからいつも一歩を踏み出せない。今日だって、芹奈がいなければチョコを準備する事すらしようとしなかった筈だ。何でいつもこうなんだろう。誰かが居ないと、何も出来ない。でも、誰かが居たらその誰かと比べてしまう。

 

「もーやだぁ……」

 

 帰りたい。そう思って、梨香はようやく立ち上がった。駅の中のトイレは狭くて、軽く肘をぶつけてしまった。それだけで、更に気分が落ち込んでくる。きっと、顔は涙でぐしゃぐしゃになっているのだろう。折角ちょっとメイクもしてみたのに、全部全部台無しだ。今すぐ、テレポーテーションで家に帰れたら良いのに。

 

 そんなあり得ない事を願いながら、梨香はトイレから出た。下を向いたまま数歩歩いたら、誰かにぶつかりそうになってしまう。慌てて、顔を上げた。すると

 

「「あ」」

 

 そんな間抜けな声が揃った。ぶつかりかけた相手は佑也だ。こんなぐしゃぐしゃな顔でクラスメイトに会うなんて、ついていない。気まずくなって、ついつい視線を逸らす。

 案の定、佑也も大分気まずそうだ。なまじ事情を知っている分、大体の状況が分かってしまったらしい。何を言えば良いのかも分からなくて、梨香は黙ってその場を離れようとする。

 

「あのさ」

 

 しかし、呼び止められて反射的に足を止めた。振り返ることは出来なかったけれど、佑也は特に気に留める事も無く続ける。

 

「別に俺が言うべき事じゃないから、嫌だったら聞き流して良い。でも、渡してやれよ」

 

 梨香は、振り返らないまま「なんで」と小さく呟いた。だって、佑也がそんな事を言う訳が分からない。芹奈みたいに、他人にアドバイスするような性格にも、見えないのに。

 聞かれて、佑也は少し面倒くさそうに溜息を吐いた。

 

「あいつ、ずっと待ってたぞ」

 

 その言葉に、梨香ははっと目を見開いた。

 

「今日一日中ずっと煩かったんだからな。そんなに気になるなら、自分で聞きに行きゃあいいのに」

 

 そう、まるで悪態の様な調子で佑也は言う。梨香は、暫く黙っていたけれど、やがて呟くようにぽつりと呟いた。

 

「……分かった。ありがとう」

 

 テレポーテーションで家に帰らなくて良かったなんて、少し思った。

 

 

 

 日が沈んだ空を見上げて、梨香ははぁと白い息を吐き出した。まだ瞼は少し腫れぼったくて、直したメイクで誤魔化せているのかも分からない。本当は、そんな事せずにあの場で真っ直ぐ行けばよかったかもしれない。でも、どうせなら、出来るだけ可愛くありたいから。好きな人の、前でくらいは。

 

 ぎゅっと、バッグの柄を握り締めた。不安で不安でしょうがない。どれだけ化粧を直しても、ラッピングを頑張っても、それは変わらない。ふとした瞬間に、胸が押しつぶされてしまってもおかしくない。

 

 でも、待ってるって言ってくれたから。芹奈が手伝ってくれたから。それに、捨てるのは勿体無いから。

 そうやって、自分に言い訳を重ねていく。絶対成功するなんて、口が裂けても言えない。最悪の予想なんて、簡単に思いつく。それでもどうやっても、訳の分からない理由を自分に言い聞かせてでも、渡せればいいのだ。多分、きっと、それが一番マシな、筈。

 

 チャドの家の住所は、芹奈がLINEで教えてくれた。全部終わったら、何かお礼をしなくちゃな、と思う。何時も何時も、頼りっぱなしだから。だから、もう逃げることは出来ない。

 

 着いた。住宅街でよく見かけるような、そこそこおしゃれな家だ。インターホンに指を伸ばす。押す、前に深呼吸。胸の中の不安を全部無い事にして、梨香はラッピングされた包みを取り出した。そして、もう一度インターホンに指を伸ばす。今度こそ、押した。

 微かな音が鳴る。でも、それも心臓の音に掻き消されてしまいそうだ。いち、にぃ、さん。数を数えて見ても、心臓の鼓動は収まる気配も無くて、不安で不安で死んでしまいそうで。ようやく、インターホンの向こうから声が聞こえた。

 

『はーい』

 

「あ、えっと」

 

 しまった。何を言えば良いのか考えていなかった。反射的に口から出たのは、間抜けな戸惑いの声だ。どうしよう。返事は無い。心臓が、さっきまでの比にならないくらいに早鐘を打っている。

 

 ガチャリと玄関の開く音に、梨香は飛び上がった。見れば、チャドが慌てたように玄関の扉を押し開けていた。その目は、驚いた様に真ん丸に見開かれている。何を言えば良いのかお互い分からず、数秒奇妙な沈黙が訪れた。

 

「えっと……上がる?」

 

 家の中の方を差しながら言われて、梨香は首を振った。流石に、こんな時間に他人の家に転がり込むのはまずい。動きそうにない口をこじ開けて、何とか声を絞り出した。

 

「きゅ、急にごめん。でも、その——」

 

 あ、そう言えば、部屋着だ。それに気づいたせいで、言おうとしたことが一瞬で脳内から消えた。言わなきゃいけない事、言いたい事、全部がごっちゃになって、順番を無視して我先にへと口から飛び出していこうとする。

 

「────帰りの時は、ごめん!」

 

 その結果、全くこれじゃない台詞が飛び出した。今すぐ頭を抱えてしまいたい。逃げたい、切実に。でも、駄目だ。折角ここまで来たのに。というか、こんな状況で帰ったら変な奴過ぎる! 

 

「そ、それで、これ!」

 

 言いながら、ばっと包みをチャドに押し付けた。ぎゅっと目を瞑ったまま、テンパった口が勝手に動き出す。

 

「あ、違うの、これは、別にお詫びとか、そういうんじゃなくて、その、えっと……」

 

 バレンタイン、だから。

 

 そう言った筈の声は、余りに小さすぎたかもしれない。それでも言い直す勇気も余裕も気力も無い。これ以上は、無理だ。

 

「そ、そういう事だから! じゃあね!」

 

 叫ぶような勢いでそう言って、梨香は踵を返した。走って、最初の曲がり角を曲がる。誰も居ない事を確かめてから、力が抜けた様にその場に座り込んだ。口から安堵のため息が零れる。

 

「わた、せたぁ……!」

 

 作って良かった。ちゃんと、渡しに来て良かった。全部全部、やって良かった。心からそう思えて、少しだけ自分を許せた気がして。それに、何よりも。

 

 部屋着なんて、見ちゃったし。

 

 立ち上がる。スマホを取り出す。芹奈に、一番に報告しなくちゃ。ありがとうって言おう。今度の休みに、何か可愛い小物でもプレゼントしよう。折角だから、佑也にも。あの時背中を押してくれたのは、確かに佑也だし。

 白い息を吐きながら、梨香は何時にない上機嫌で駅までの道を辿って行った。

 

 

 





Happy Valentine !!

と言うことで後編です。これぞチャドリカ回。うちの子を沢山書けて私は満足だ。

あ、感想欄ログインしなくても使えるようになっているのでよろしくお願いします。
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