繋ぎ目の光陰   作:蛙野 心

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5.マンティコア 中

 ネクロは、西洋世界出身の少年だ。従って学校などに行く必要もなく、貯金を切り崩して生活しているので、特にどこかに出かけるという事も無い。そんなネクロが普段何をしているのかと言えば、運動と言うかトレーニングである。とある理由から習慣となっていたそれを、ネクロは毎日続けて居た。特にやめる理由も、やる事も無いからと言って。

 

 トレーニングの内容は日によって様々だ。近所を走り込んでくることもあれば、部屋の中でストレッチをしている事もある。そして今日ネクロがしていたのは、綱渡りの練習だった。

 綱を結んでいるのは一階の空き部屋の窓の桟と、隅の方に一本だけ生えている木との間だ。丁度裏庭を一直線に横切る形となるように張られたロープの高さは、大体人一人分。この高さでは、落ち方が悪ければ怪我をするだろう。

 

 しかしネクロは怖気づく事も無く、その上を行ったり来たりしていた。スキップしてみたり、縄を鉄棒の様にして回って見たり。一つ一つの動作に危な気は無く、随分と慣れた様子だ。

 

 そこへ、突如として轟音が響いた。ミト博士がマンティコア(仮)に吹き飛ばされた音である。しかし、そんな事を知る由もないネクロは、驚いて思わず足を滑らせた。右足がロープを踏み外し、その体が前のめりに滑り落ちる。

 

 しかし、あわや地面に激突する直前、ネクロは右手でロープを掴んだ。地面すれすれのところをつま先が掠める。あーびっくりしたと、思わず一人で安堵のため息をついた。

 ロープの上に再度体を引っ張り上げ、何かあったのだろうかとアパートの方を見やる。けれど特に異常が合ったようには見えない。少し考える素振りを見せながらも、ネクロはまた練習を再開した。

 

 両手を真っすぐ横に伸ばし、すっと立ち上がる。やじろべえの様な格好でバランスを保ちながら、ロープの上をゆっくりと歩いた。足を踏み出す度にロープが揺れ、しなる。

 そんな風にして、木の方の端に辿り着いた。そしてまた同じことを繰り返そうと、木の幹に背を向ける様にして振り返ったその時。ネクロは、その目をぎょっと見開いた。

 

 建物の陰から、異様(……)な姿形をした生物が姿を現したのだ。

 大きさは普通のライオンほど。顔も足もたてがみも、普通のライオンのそれであった。しかしその体毛は所々抜け落ち、皮膚が見える筈の所には黒光りする蠍の鱗が顔を覗かせていた。そして何よりもそれをライオンから一直線に遠ざけていたのは、随分と巨大化した蠍の尻尾である。何かを威嚇する様に高々と持ち上げられたその尻尾の先には、しっかりと毒液の滴る針もついている。

 

 不気味な生物にネクロは思わず顔を引き攣らせ、慌ててロープからそっと降りた。考えずとも対処法は分かる。怪物——マンティコア(仮)はまだこちらには気付いていない。気づかれる前にこの場から離れるべきだ。

 そう考え、ネクロは足音がしないようにゆっくりと道路の方に後退っていく。しかし、道路とアパートの敷地との境界線を越えようとした所で、透明な壁にぶつかってしまった。マスターの張った結界にぶつかったのだ。しかしそんな事情をネクロが知っている訳が無い。いったいこれは何の嫌がらせだと、ネクロが軽いパニックに陥りかけたその時。

 

 マンティコア(仮)がネクロに気付いた。しかも何故か怒ったような咆哮を上げて、こちらに襲い掛かって来る。さして広くない裏庭を数歩で横切って、マンティコア(仮)はあっという間にネクロとの距離を詰めた。振り上げられているのは、鋭い鉤爪が光る前脚だ。避けなければと頭では思う。けれど足は竦んで動かない。もうだめだ、とネクロは意味も無くぎゅっと目を瞑る。

 

 ——しかし、衝撃は何時まで立っても来なかった。棒立ちしたまま、ネクロはその目を恐る恐る開く。

 見れば、マンティコア(仮)はネクロに背を向け、別の誰かに飛び掛かっていた。しかしその相手——チャドはそれを慌てる事も無く避け、手に握ったナイフを投げて攻撃している。ナイフは、不思議な事に突き刺さった途端に消えてしまう。けれど、マンティコア(仮)の体からは確かに血が流れていた。大ダメージと言う感じでは無いが、目に見えて苛々している。そのせいか、ネクロの事はすっかり忘れてしまったらしい。

 

 襲い掛かって来た鉤爪をチャドは軽く避け、大ぶりな尻尾の攻撃をナイフで弾く。よく見ると投げているのは左手のナイフだけで、右手のナイフは少し大振りだ。噛み付いてきたマンティコア(仮)の頭を跳んで避け、まるで踏み台を踏む様に上から蹴る。

 

 その様子を完全に蚊帳の外の状態で眺めていたネクロは、はっと気が付いた。こんな所でぼうっとして居る場合じゃない。しかし、外に逃げることは出来ず、あの中に割って入る事等論外だ。それなら一体どうすれば良いのか。

 

 答えは簡単、地下のバーに逃げるのだ。

 

 

 

 薄暗い階段を滑り落ちるほどの勢いで駆け下り、バーの扉を勢いよく押し開ける。そしてマスターにマンティコア(仮)の事を伝えようと顔を上げ——そこに広がる光景に口を閉ざした。

 

 バーの床の丁度中央に、ミト博士が座り込んでいる。そしてその周りには、ありとあらゆる雑多なものが広げられていた。何かのネジがあっちこっちに散らばり、少し離れた所には一本足の部分を外された椅子が転がっている。何故か食べ物らしきものも見える中、雑多な周囲を全く気にかけることなく、ミト博士は手元の筒を工具でいじっていた。

 

「ミト博士、何やってんの?」

 

 今が緊急事態という事も頭から吹っ飛び、ネクロは思わずそんな質問をする。聞かれて、ミト博士はようやくネクロに気付いたらしい。顔を上げ、手に持った筒を掲げて見せた。

 

「上のマンティコア(仮)を捕らえる為の武器を作っていた」

 

 武器と言う割には、ぶん殴る以外の用途があるようには見えない。ひょっとしてこれは、あの椅子から取り外された脚の部分だろうか? 呆気にとられるネクロをよそに、ミト博士はラップを被せてあるコップを筒の片方の端に押し込んだ。

 

「丁度いい。少々重くなってしまった事だし、これは君に任せる」

 

 そしてそんな事を言いながら、筒をネクロに渡す。渡された筒は妙に重い。

 

「いや待て、何のことだか全く分かんないんだけど? まずこれは何か説明しろよ」

 

 訳が分からず、ネクロは混乱する。無理もない。しかしミト博士は我関せずと言った表情で、周囲に散らばったものを片付け始めた。そうだなぁ、何て呟くその様子は余裕たっぷりと言った感じだ。

 

「これは言うなれば、バズーカ砲だ。ここの穴に火のついたマッチを差し込むと、中の気体が爆発する。するとその爆発の勢いによって、ここに詰め込まれた網が対象に向かって発射される。網にはハエ取り紙が付いている。動きを止めるには十分だろう」

 

 物凄く細かい所を端折った大雑把にも程がある説明を何とか飲み込んで、ネクロはその筒をまじまじと見つめた。そしてまた、質問をする。

 

「ミト博士って、何者なんだ?」

 

「学者だ。専攻は生物学だよ。あぁそれから、マッチはここにある。健闘してくれたまえ」

 

 ポンとその手にマッチ箱を握らされて、ネクロは釈然としない思いを抱えたまま裏庭にとんぼ返りする事になった。

 

 




ちょっとした設定
 西洋世界の人間は大体魔法が使えます。チャドが使っていたのもその一種です。生成魔法と言い、手のひらサイズの物なら大体作れます。衝撃に弱く、魔力が元なので壊れると跡形もなく霧散します。戦闘シーン以外に活用予定がないので覚えなくて良いです。
 チャドの格好良いシーンは戦闘以外に無いのかもしれない。
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