繋ぎ目の光陰   作:蛙野 心

20 / 34
6.マンティコア(仮) 下

 

さっきまでと変わらず薄暗い階段を、ネクロは大急ぎで駆け上っていった。その胸中では、ぐるぐると不安が渦巻いている。

 

チャドは無事だろうか。あの様子を見るに、荒事に慣れていそうではあった。けれど相手は正体不明の怪物だ。大けがなんてことも有り得るかもしれない。あるいは——

ふっと最悪の予想が浮かび、慌てて頭を振ってそれを追い払った。兎に角、一刻も早くこれをチャドに届けなければならない。そう自分に言い聞かせながら、半ば体当たりのような勢いで扉を押し開けた。

 

外に出ると、眩しい陽光に一瞬目が眩んだ。今日寒い割に天気が良い。眩しいのを堪え、裏庭の方へと回る。さっきから聞こえて来る物音は、マンティコア(仮)が暴れている音だろうか。見つかったらまずいと、ネクロは建物の陰からそっと裏庭の様子を窺った。すると

 

「ネクロ! どうした?」

 

そういうチャドの声が上から降ってきた。声の聞こえた方に視線を向ける前に、勢いよくチャドがネクロの真横に着地する。まさか、吹き飛ばされたのだろうか。それにしては、随分高い所から落ちてきたようだけれど。

 

「え、えっと、これ。ミト博士から預かってきた」

 

しかし、土埃にまみれてはいるものの、特に大きな怪我があるようには見えない。その事に少しホッとしながら、ネクロは例のバズーカ砲を見せた。そして目を丸くするチャドに、ミト博士から聞いた説明をそのまま伝える。

 

しかしチャドがバズーカ砲を受け取る前に、マンティコア(仮)がこちらに気付いた。慌ててナイフを構え、チャドはその場から駆け足で離れていってしまう。当然、バズーカ砲は再び建物の陰に逃げ込んだネクロが持ったままだ。

 

「え、ちょ、こ、これ!」

 

「ごめん! それ持って逃げるの多分無理!」

 

そして返ってきたのはそんな言葉。こんな物をどうしろと言うのかと言う顔をするネクロに向かって、チャドは再び声を張り上げた。

 

「とりあえず、それはネクロに任せた!」

 

「は!?」

 

「合図したら撃ってくれるだけで良いから!」

 

「……分かった!」

 

何か考えがあるのだろうかと思い、少し迷いながらもネクロはそう叫び返す。準備だけはしておこうと、ポケットに放り込んでおいたマッチ箱を取り出した。そしてまた、建物の陰から二人(一人と一匹?)の様子を窺う。

 

振り上がったマンティコア(仮)の前脚を、チャドは左手のナイフで薙ぎ払う様にして弾いた。耳障りな金属音に、マンティコア(仮)が苛立つように咆える。思いっきり後ろに引いた右手にはナイフが三本。しならせるように腕を振って、目を狙う。しかしマンティコア(仮)はそれを甲羅に覆われた尻尾で防いだ。当たった端から消えていくナイフに舌打ちをして、飛び退る。

 

段々攻撃が通らなくなってきた。どうやら、こっちの動きを学習しているらしい。トリッキーな動きを長所とするチャドにとってはまずい流れだ。

適当にナイフをばらまきながら考える。とにかく、打開策をネクロが持っている以上、今は自分に意識を集中させた方が良い。防衛戦は苦手なのだ。ネクロの方を狙われるなんてことになったら目も当てられない。

 

考えながらも、手は止めない。しかし、段々と相手の動きは良くなって——いや、こっちが疲れてきているのだ。

 

「クソッ、これだから昼間は嫌なんだよ」

 

思わず、苛立ち混じりに悪態をついた。日の光が差していると言うだけで、いつもより明らかに動きが鈍くなるし、疲れるのも早くなるのだ。吸血鬼と言うのも楽じゃない。半分だけど。

 

余計な事を考えていたせいか、それともやっぱり疲れのせいだろうか。視界の端に、黒い尻尾が映った。ほんの一瞬、避けようとする動きが遅れる。しまったと思うと同時に、衝撃が襲ってくる。思いっきり尻尾に薙ぎ払われて、チャドは吹き飛ばされた。

 

「チャド!」

 

思わず、ネクロがそう叫ぶ。しかし返事は無い。勢い良く木に叩き付けられたチャドの体は、力なく地面に崩れ落ちた。好機と見たのか、マンティコア(仮)は勢い良くチャドに飛び掛かっていく。その尻尾を、まるで興奮を表すかのように高く掲げて。何とかしなければと、ネクロはマッチ箱からマッチ棒を取り出す。けれど、到底間に合いそうには無い。マンティコア(仮)の牙は容赦なくチャドの首を狙っている。予想される惨状に、思わずネクロは目を背けようとした。

 

しかし、ネクロの予想は華麗に裏切られた。

 

鼻面が触れるか触れないかと言う段階になって、チャドの体が突如として動いた。その足は力強く地面を蹴り、高く高く飛び上がる。そして重力を嘲笑う様に、黒い蝙蝠の羽が空中に翻った。

 

突如として目の前から獲物が消え、流石のマンティコア(仮)も一瞬動きを止めた。面白いくらいぴたりと静止したマンティコア(仮)目掛けて、チャドは空中からまたナイフを放つ。今までのよりも少し大振りなそれは、尻尾を覆う甲羅の隙間に突き刺さり、それでも勢いを殆ど失わずに尻尾ごと木に突き刺さった。

 

尻尾を刺された痛みか、それとも動きを止められた怒りか、マンティコア(仮)が咆える。その声に掻き消されないよう、チャドは声を張り上げた。

 

「ネクロ!」

 

呼ばれて、ネクロははっとする。そして、慌てて手に持ったマッチに火を付け、バズーカ砲に点火した。焦りからか、その手付きは若干おぼつか無い。それでも、バズーカ砲は問題なく作動した。

 

バゴン! と言う鈍い音が裏庭に響いた。思ったよりも反動は大きく、思わずネクロはその場に尻もちをつく。バズーカ砲から飛び出したのは、ハエ取り紙が巻き付けられたロープだ。網状に広がったそれに絡め取られ、マンティコア(仮)は動きを止めた。

 

「っし! やった!」

 

何とかロープを解こうともがいてはいる物の、ハエ取り紙が巻き付いて逆に絡まってしまっている様だ。そして自棄になったのか、マンティコア(仮)は絡まった状態のまま逃げ出そうとする。しかし、

 

「逃がすかよ!」

 

そう言うチャドの全体重をかけた踵落としによって、無事気絶させられたのだった。

 

 

 

その後、マンティコア(仮)は再びミト博士の部屋の中に運び込まれて行った。今度は逃げ出さないようにとしっかりぐるぐる巻きにされていたが、何となく哀れみを誘う表情だった。よく考えてみると、あのマンティコア(仮)こそが真の被害者なのかもしれない。

そして黒幕たるミト博士は、チャドとネクロからたっぷりと文句を言われ、マスターからバズーカ砲を作るのに使った物の請求書を突き付けられ、ついでに次は無いとしっかり釘を刺されていた。まぁ、十分に温情のある処置だったと言えるだろう。

 

こうして、このマンティコア(仮)事件は幕を閉じ、アパートには元の日常が戻ってきた。——いや、こんな事件も含めて、これがこのアパートの日常なのだった。

 

 

 

全ての後片付けがようやく終わったのは、太陽が西に傾き出した頃だった。茜色に染まった空を自分の部屋の窓越しに見つめて、ミト博士はぽつりと呟いた。

 

「今日は、疲れたな」

 

部屋の中は静かで、聞こえるのはミト博士の高くも低くも無い中性的な声だけだ。

 

「それにしても、あの結果には驚いた。そもそも、ベースにした生物には無い形質が——」

 

何時もの様な調子で、いや、いつもよりも少し静かな調子で、ミト博士は一人ぶつぶつとそんな事を話し出す。

 

「——ねぇ、先生。私は今回の実験で、一つの仮説を得たんだ」

 

そして、ふと、ミト博士の口調が変化した。部屋の奥に置かれた机に視線を向けて、その上に並んだ標本の筒の中から、一つを摘まみ上げる。筒の中のホルマリンが、ちゃぷりと揺れ動いた。

 

「ひょっとしたら、ここには私の知る法則よりも優先される“何か”があるのかもしれない」

 

ミト博士の視線は机から、摘まみ上げた筒の中の標本へと向く。一人しかいない静かな部屋で、ミト博士は誰かに向かって話し続けた。

 

「それは私の知らない別の法則かな。でも、人の意思かもしれないなんて思ってしまうんだ。少々馬鹿げた仮説に聞こえるかな」

 

丸い標本が、ホルマリンの中でくるりと回転する。標本となった眼球の瞳孔が、ミト博士の視線とかち合った。

 

「でも、それなら、ここで先生を蘇生する事が出来るかもしれない」

 

にんまりと、ミト博士の口が弧を描く。

 

「どう思う? 先生」

 

当然ながら、光を失った眼球は、何も答えない。

 

 

 

「ここまでが俺の知ってる話。でも、何でモニアに懐いたのかは良く知らないんだよな」

 

そう話を締めくくり、チャドはマスターの方を振り返った。マスターは、話の間中キッチンの片づけを進めていたらしい。話を振られ、マスターは大きな鍋をカウンターの下に仕舞ってから、顔を上げた。

 

「ん? あぁ、モニアがあいつに餌やってたんだよ」

 

「だってさ」

 

言われて、あぁと納得した様な声が上がった。

 

「あいつ、食べ物に直ぐ釣られるもんな」

 

そう言ったのは、カウンターの端で居眠りしていた筈の佑也である。そう言えば、佑也もたまにポティーに餌をやっていた。餌と言うか、お菓子を。

 

「佑也、何時から起きてたの?」

 

「丸投げの下りから」

 

「最初っからじゃん」

 

「ポティーって名前にしか反応しなかったのは、そういう事だったのね」

 

軽い調子で言葉を交わす芹奈と佑也を横目に、梨香がそんな事を言った。

当初、住人達は急に現れたポティーの事を好き勝手な名前で呼んでいた。しかし、当の本人がそれには全く反応しなかったのだ。唯一反応したのが、モニアのつけた『ポティー』と言う名前。そんな訳で、いつの間にか皆がその名前で呼ぶようになった。

 

「だろうな……あの見た目にしちゃあ、ちょっと可愛らしすぎる気もするが」

 

そんなマスターの言葉に誰かが反応して、何時もの様にだらだらと会話が続いていく。それを一歩引いた態度で見ていた神尾が、ぽつりと呟いた。

 

「それにしても、一体どうしてミト博士はあんなものを作ろうと思ったんでしょうねぇ……」

 

その答えを知っている者は、ここには居なかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。