ある穏やかな日の昼下がり。暇を持て余したヨツバは、裏庭で一人ボールを相手に遊んでいた。最近、クラスであんたがたどこさが流行っているのだ。上手に出来る様になりたくて、さっきからずっと練習している。が、あまりうまく行ってはいなかった。
「あーんたがーたどーこさー」
歌う、と言うよりも呟く様に言いながら、ボールをバウンドさせる。そしてさ、で足をぱっと上げたが、ボールは足首に当たり、あらぬ方向へ跳ねて行った。
あー、とがっかりした様な声を上げて、ヨツバはそれを追いかける。しかし、ボールはヨツバが追い付く前に、別の誰かによって拾い上げられた。
「おー、天使くん!」
「やっほー♪ 何してるのー?」
ヨツバの前に姿を現した天使くんは、ぽんぽんとボールで遊びながらそう聞く。
「あんたがたどこさ! 天使くんもやろ!」
「そっかー♪」
良いとも悪いとも言わず、天使くんはぽぉんとボールをひときわ高く上空へ打ち上げた。青いボールが、青い空に吸い込まれていく。そのボールにつられて、ヨツバの視線も真上を向いた。受け止めようと、その足が動く。
余りにボールが高くまで上がり過ぎたせいか、それともボールが空色をしていたせいか。一瞬、ボールを見失ってしまった。その拍子にヨツバはバランスを崩して尻もちをつく。ボールが地面に着地した音が聞こえたが、どこに着地したかは分からなかった。
「ボールは!?」
「あっち~♪」
天使くんが適当に指差した方に、ヨツバは走っていく。すると、裏庭に一本だけある木の陰にボールが落ちていた。それを拾い上げ、そしてヨツバはある物に気づいた。
裏庭は、道とアパートに面した二面以外をフェンスに囲まれている。その古びた緑色のフェンスに、穴が開いていた。大きさは、人よりも一回り程小さいぐらい。今まで気づかなかったのは、丁度木の陰になっていたからだ。
その穴を見つめて、ヨツバは違和感に首を傾げた。この穴、向こうに何があるのか全く見えない。まるで、黒いベールで仕切られているかのようだ。けれど、そっと伸ばされたヨツバの手は何にも触れることは無かった。あまりに簡単に手を突っ込めたのが逆に不気味で、ヨツバは慌てて手を引っ込める。
「入らないの~?」
「うわぁっ!」
急に後ろから声を掛けられて、ヨツバは思わず叫んだ。見れば、いつの間にか天使くんもこっちに来ていた。
「これ、なーに?」
「穴だよ」
ヨツバの問いに、天使くんは悩むでも無く簡単に答えた。
「ここはちょ~っと空間が不安定だから~、こーゆーのが出来やすいんだ~♪」
天使くんが何を言っているのか殆ど理解できず、ヨツバの頭上に?マークが浮かぶ。
「じゃあ、この中には何があるの?」
「う~ん、そ~だな~……」
ここで、天使くんはわざとらしく悩む素振りを見せた。しかし、体を左右に揺らすその動作は随分楽しそうだ。
「誰かの秘密、かな?」
そう言って、天使くんは微笑む。ヨツバはそれを不思議そうな表情で見つめ、そして穴の方に視線を向けた。
誰かの、秘密。一体誰の? 分からない。でも、それって、見ても良い物なのだろうか? 何だろう。秘密、か。ちょっとだけ、怖いような気もする。でも、それよりもとっても、ワクワクしてきた!
ヨツバはそぉっと穴に近づいてみた。やっぱり、中に何があるかは分からない。不気味さを飲み込んで、右足をゆっくりと踏み入れた。頭が穴を通り抜ける瞬間、何が見えるのだろう。ふとそんな事が気になったけれど、その瞬間どこからか強い光が差してきて、結局ぎゅっと目を瞑ってしまった。
瞑った拍子にバランスを崩したようだ。ヨツバは、左足を穴の縁に取られてこけてしまう。どべっ、と顔から地面に着地した。ちょっと痛い。涙がほんの少し滲んだのを振り払って、ヨツバは目を開けた。
「……わぁっ!」
思わず口から、驚き混じりの歓声が飛び出した。だって、穴の先は全く知らない場所だったのだ。そこら中に木が生えていて、高く伸びた枝葉が空を覆い尽くしている。そのせいで日光は殆ど地表まで届いておらず、辺りは薄暗い。けれど、葉の隙間から見上げた空は綺麗な水色だ。
踏み締めている足元にはまばらに草が生えている。舗装なんてされて居る訳も無い。さて、どこから探検しようかとヨツバがきょろきょろ辺りを見回していると、鳥の鳴き声に混じって、誰かの声が聞こえた。
その声は、歌っていた。知らない言葉で、知らない歌を歌っていた。その歌が持つ意味も、当然分からない。分からないけれど、ヨツバはその声がとても気になった。だって、どこかで聞いた事がある様な気がしたから。
殆ど無意識に、ヨツバはその声の聞こえる方へ歩き出した。最初はゆっくりと、次第に早足になりながら、歌声の主を探して知らない森の中を進んでいく。森の中は音で溢れていた。鳥が仲間を呼ぶように歌う声、風に揺れた葉が奏でる優しい音、踏み締められた土が立てる微かな音。けれど、ヨツバの耳に届くのはあの歌声一つだけだ。
獣道とも言えない様な道を、進み続けて約十分。ヨツバは、木が無く開けた空き地を数歩先に見つけた。そして、そこにヨツバの探していた人物が、居た。
そこには、何にも遮られずに日光が降り注いでいた。土は柔らかな芝生で覆われ、所々に白い花も咲いている。その芝生の中央に、茶色い髪の少女が座っていた。歌を歌っているのは、その少女——モニアだ。
ヨツバは、慌てて走り出そうとした足を止めた。何故だろう、分からない。でも、いつもそうだ。
ヨツバは基本的に、だれに対しても変わらない態度で接する。それでも、モニアが相手となると、どうしてもいつもの調子で突っ込んでいくことはできなかった。彼女が持つ、独特な空気のせいだろうか。ヨツバは、モニアの事が嫌いな訳でも無いのに。向こうだって、きっとそうだと思うんだけど。
だから、ヨツバはその場に突っ立ったまま、モニアを見ていた。モニアは、まだヨツバに気付いていない。その声を張り上げる事も無く、けれど何時もの様に小さい訳でも無く、心地良い声量で歌っていた。高く澄んだ歌声は、空に昇って、ゆっくりと森中に染みわたっていく。
モニアが歌っている歌は、さっきのからは変わっていた。でも、やっぱりヨツバの知らない曲だ。多分外国の歌なんだろう。どちらかと言えば明るいメロディで、でも、その歌は酷く悲し気に聞こえた。どうしてだろう、とヨツバは声に出さずに呟く。
どうして、あんなにモニアは悲しそうに歌うんだろう。どうして、こんなにこの歌は悲しそうに聞こえるんだろう。
それが分からない内に、曲が終わってしまった。モニアは、ふぅと息を吐いて、そっと握りしめていた右手を解く。胸元で、ペンダントが弾んだ。黄色の、勾玉型のペンダント。そしてまた新たな歌を歌い始めようとしたところで、モニアははっと視線に気づいた。ヨツバの視線と合った目が、驚きに見開かれる。
「ご、ごめんなさ——」
「すごい! すっごいよ、モニアちゃん!!」
反射的に謝ろうとしたモニアの声は、ヨツバの大きな声に遮られた。ヨツバは大はしゃぎの様子で、目をキラキラと輝かせている。モニアの顔に、戸惑いの色が差した。
「歌うのすっっっごい上手だね! なんで教えてくれなかったの? さっきのなんて歌?」
「う、歌。あ、えっと、その、私も、よく、知らなくて……」
ヨツバは怒涛の勢いで喋る。それに目を白黒させながらも、モニアは何とかそう返した。ヨツバが、きょとんとした顔で聞き返す。
「知らないの?」
「は、はい。どこかで、聞いた事が、あるだけで」
多分、もっとずっと昔に聞いた。セツやヨツバ達が来る前。それこそ、マスターと出会うもっと前。
あれ、でも変だな、とモニアは気づく。だって、マスターと出会う前の事なんて、何も覚えていないのに。一体、どこでこの歌を聞い——
「ねぇモニアちゃん! もっと歌ってよ!」
「え?」
モニアの思考は、ヨツバの声に遮られた。思いもよらないヨツバの言葉に、モニアは戸惑ったような声を上げる。
「ねぇ、おねがいおねがいおねがい!!」
「え、えっと……」
押しに弱いモニアが、勢いのあるヨツバの頼みを断るのは難しい。戸惑い、迷いながらも、つい小さく頷いてしまった。やったぁ! と、ヨツバは飛び上がる様なテンションで喜ぶ。
「で、でも、皆、には、内緒に、してください」
「うん、分かった!」
本当に分かっているのか、ヨツバはこくこくと頷く。そして、モニアは一つ、二つと深呼吸をした。目を瞑って、いつもより少し硬い声でゆっくりと歌いだした。でも、歌いだせば、そこに人が居る事など気にならなくて、硬さはすぐに抜けていく。
柔らかくて、暖かくて、でも少しだけ寂しそうな歌声が、ゆっくりと森に沁み込んでいく。ヨツバは、それを静かに聞いて居た。
そんな話を、セツは不意に思い出した。数日前にヨツバが聞かせてくれたのだ。「今日はモニアちゃんと遊んだんだ!」と言って。そう、内緒と言われていた話を、聞かせられたのだ。何とも微妙な気分になったのをよく覚えている。こういう事があると、本当に自分の正体をヨツバが黙っていられるのか不安になるのだが……
そんな訳もあったから、ヨツバにはしっかりと言い聞かせた。幸い、最初に自分に話した様だったから、モニアは約束を破られた事に気付かないだろう。
それにしても、歌か。意外といえば意外な特技だが、何となくモニアと言う少女のイメージによく合っている気がする。少しだけ、自分も聞いてみたいかもしれない。
何て、他愛のない事を考えながら、セツは自分が勤める藤峰軍事基地の廊下を歩いていた。要は出勤中である。何度も辿った道を真っすぐ進んで、見慣れた扉を押し開ける。中では既に数人の部下が仕事を進めていた。一番奥の席に向かって、机の上に置かれている書類に目を通そうと椅子を引いた時。あっ、と、一番扉に近い席に座った部下が声を上げた。
「カンザキ少将、そう言えば、フジモト大将がお呼びでしたよ」
「フジモト大将が、ですか」
小さく呟いて、続きを促す。
「はい。なるべく早く、会議室に来るようにと。用件は、提出された報告書についてだそうです」
セツは、直ぐに席を立ち上がった。提出された報告書とは、恐らくアパートの住人達についての報告書の事だ。この国に害をなす又は益となり得る存在がいないかどうかの確認として求められ、求められた通りに出した。
「分かりました。それでは、少々席を外します。私がいなくても、きちんと業務を進める様に」
最後の言葉だけ、少し厳しめに言って部屋を出る。あの最近入ったばかりの部下——確かナカヤマと言ったか——は、どうもお喋りが多い。仲間意識は大事だが、馴れ合いになって仕事が滞るのは困る。
それはそれとして、と、セツは思考を報告書の方に切り替える。一体、何故呼び出されるのだろう。まさか、不備があったとか? まぁ、こちらから進言したい事もあったし、タイミングが良いと言えば良いのだが。
どうにも不穏なものを感じながら、セツは会議室へと歩いて行った。
イメージは野ばら
ストックマジで足りない