もう、十年も前になってしまったあの日、私——セツ・カンザキは家から何時もの公園までの道を急ぎ足で歩いていた。友達と公園で遊ぶ約束をしていたのに、その前の予定が押してしまって約束の時間に三十分も遅れてしまっていたのだ。
友達との約束、だなんて、八歳の子供が道を急ぐ理由にしてはつまらない程にありきたりで、普通だ。でも、私にも居たのだ。普通の子供の様に遊んで、笑い合える相手が。当然その子は普通の子供だったけれど、私にとっては何よりも掛け替えのない親友、だった。
家から公園までは子供の足で二十分ほどの距離があった。と言っても道はほぼ直線で、車通りの多い大通りだ。迷う訳も無いので、本当なら全力疾走したかった。
でも、その日の道は何時になく混みあっていて、しかも進行方向から来る人が多かったのだ。従って、まだ体の小さかった私は人混みに潜り込む様にして進まなければならなかった。
道行く人は皆、何かを恐れるような小さな声で何かを囁き合っていた。その囁きからは殆ど何も聞き取れなかったけれど、ただ事ではない様子が私を酷く焦らせた。だと言うのに道は進み難いし、時間はどんどん過ぎていくしで、誰に対してか分からない苛立ちを感じた事をよく覚えている。
そうしていつもより大分苦労して公園に向かっていると、一人の女性に声を掛けられた。その人の事は、正直あまりよく覚えていない。ただ覚えているのは、彼女のあっちで事故があった、危ないから近づかない方が良いと言う言葉を聞いて、私はすぐに走り出したという事だ。
事故があったのは事実らしかった。いつの間にか、道にはだれも居なくなっていた。きっとみんな避難したのだろう。希望的に考えるのなら、私と待ち合わせをしていた“あの子”も避難した可能性はあった。でも、何故だろう。私は胸中をざわつかせる嫌な予感を振り払って家に帰る事が出来なかった。この理由は未だ分からない。
どれくらい走ったのか、私は不意に立ち止まった。目の前に奇妙なものが一つあった。道を塞ぐ、大きな瓦礫。私は慌てて辺りを見回した。
辺りはすっかり様変わりしていた。よく知っている筈の道なのに、何一つ以前の記憶と違っている。建物は鉄球でもぶつけられたかのように所々が抉れていて、道の所々に大きなコンクリートの瓦礫が落ちていた。まるで、巨人が気紛れに辺りをちぎって投げ捨てたかのように。そんな光景は、戦場を知らなかった私の目にまるで地獄の様に映った。
ハッと気づいて、私は瓦礫を避けてまた走り出した。“あの子”の所に行かなくちゃ。あの公園に居ない事さえ確認すればいい。もし逃げ遅れていたら最悪だ。そんな事をぐるぐる考えながら様変わりした道を走った。物が燃える匂いがした。きっとどこかで火事が起こっていたのだろう。
私が様変わりしてしまった公園に迷わず辿り着けたのは、奇跡的にブランコが半分残っていたからだった。古い古い、いつもあの子が座って待っていたブランコ。それは、私の背丈ほどの瓦礫にもう半分を押しつぶされていた。鉄の匂いがつんと鼻をついた。
私は慌てて公園の中を見回した。誰も居ない。“あの子”が居るどころか、烏一匹見つけることは出来なかった。
自分の顔から血の気が引いていることを自覚しながら、私はブランコを押しつぶした瓦礫に一歩近づいた。鉄の匂いが強くなる。瓦礫の下が、何かの液体で染まっていた。地面が茶色いせいか、色は良く分からない。
瓦礫に触れるほどに近づいて、それでも不安が拭えなかった私は、瓦礫を回り込む様にまた一歩を踏み出した。
そうしたら、あの子の白い足が見えた。前に、お気に入りだと教えてくれたあの子の花柄のワンピースが赤く染まっているのが見えた。鉄の匂いの正体に、私はようやく気が付いた。
叫びも涙も出なかったのは、その光景に酷く現実味が無かったからだ。何かが欠けた頭で私は考える。この瓦礫を私一人で動かすことは出来ない。第一、この様子では助かりそうにない。もう助けられない。
「……どうしよう」
やけに静かな公園で、私はそう呟いた。思えば、あの時私が呟いたのはその言葉が初めてだった。
私は幼い頃から軍人の何たるかを教えられてきた。何度も何度も、悪をくじき、弱きを助け、民を守る。そう、繰り返し聞かされてきた。私は守らなければならない。民を、皆を、“あの子”を。でも、どうやって? だって、“あの子”はもう死んでしまった。助からない、助けられない、守れない。
「守れ、なかった……?」
誰かに答えてほしかった。でも、その場に生きているのは私一人しかいなかった。一人で考えるしかなく、一人で答えを出すしかなかった。
座る事も立ち去る事も出来ないで、私は考え始めた。
もう、どうしようもない。ゆっくりと時間をかけてその事実を飲み込んだ。だって、死んでしまった。生き物は死ねば全てが終わりだ。助けられる事も、守られる事も、生きる事も、何もかもできなくなってしまう。
鈍く胸が痛んだ。どうして“あの子”は死んでしまった。今更のようにその事を疑問に思った。私はまた考えた。考えて、考えて、考えた挙句……
「私のせい、か」
出たのはそんな結論だった。だってそうだろう? 私が約束に遅れていなかったら、“あの子”を守れた。ただ、遅れさえしなければ、それだけで“あの子”は無事でいられたのに。
民を守るべき軍人が、それを怠った。そのせいで“あの子”は死んだ。
実に単純明快な答えだ。さぁ、最初の質問に戻ろう。奇妙な程に冷静な頭で私は考えた。
私は、どうすれば良い?
答えはそう難しくなかった。罪は、償なわなければならない。
そうしたらきっと、“あの子”は私を許してくれるだろう。
それからの記憶は少し曖昧だ。多分、私はまっすぐ家に帰って、父上に全てを報告した。事故があった事。“あの子”との約束に遅れてしまった事。そのせいで、“あの子”が死んでしまった事。一つも漏らさずに報告したけれど、父上は私に何も罰を与えなかった。母上も、何も言わなかった。
そう、その時点で問題が一つ生まれてしまった。償う方法が分からなくなってしまったのだ。私は初め、事実を全て打ち明ければ父上がそれにふさわしい罰を与えてくれるだろうと思っていた。でも、事はそう甘くなかったのだ。甘ければ、償いにはならないという事だろう。
それから私は考えた。何をすれば償いになるか、どうすれば“あの子”は私を許してくれるか。考えて、考えて、考えた。でも、答えはどうしてもわからなかった。そのまま月日が流れ、もう十年も経ってしまった。私は、昨日の事のようにあの日の事を覚えているのに。
でもようやく、目の前にその答えが現れたのだ。
私は机の上に置かれた一枚の紙に視線を落とす。書かれているのは、さっき聞かされた命令とほぼ変わらない内容。アパートを制圧し、モニアを奪還する事だ。
私はずっと、“あの子”が死んだのは事故だと思っていた。私の過失さえ無ければ防げた、悲しい事故。でも、事実はそうでは無かった。あれはモニアが引き起こした事件だったのだ。“あの子”が死んだ直接的な原因は、モニアだった。
もし私がモニアを確保して、軍に引き渡したら。今度こそ、きちんとモニアを軍の管理下に置いたら。そうしたら、きっと“あの子”の様な不幸な死を迎える子供も居なくなって、そして、“あの子”の敵を討った私は、ようやく——
「——許される」
小さな呟きを掻き消す様に、音を立てて机から立ち上がった。直ぐ近くの席で書類仕事をしていたタカダ軍曹が気付いてこちらに視線を向けてくる。それに、私は短く指示を出した。
「今すぐ第二部隊の隊員を全員集めなさい。この部屋にです。新しい任務に関しての説明をします」
「新しい任務、ですか? 分かりました」
そう返事をして、タカダ軍曹は足早に部屋から出ていく。それを見送って、私はもう一度机の上の紙に目を通した。
命令は遂行する。そうでなければならない。
なんか最近不備が多すぎますね。ごめんなさい