繋ぎ目の光陰   作:蛙野 心

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10.あたしのヒーロー!

 

その一時間ほど後、ヨツバの通う小学校の教室では丁度帰りの会が終わった頃だった。教室の中は、子供たちの話す声でザワザワと騒がしい。

 

「ねーヨツバちゃん、途中まで一緒に帰ろうよ」

 

ランドセルの蓋を閉めて帰る支度の真っ最中だったヨツバは、そう言う友達の声に振り返った。そして満面の笑みで答える。

 

「いーよー、一緒に行こ!」

 

ヨツバはランドセルを背負うと、その友達と連れ立って歩きだした。どこの学年も授業が終わったらしく、学校の廊下は右往左往する小学生達と甲高い声で溢れ返っている。

 

「ヨツバちゃんってお姉ちゃんいたんだね。知らなかった〜」

 

そんな人の群れを掻き分けながら歩いていると、不意に友達がそんな事を言った。身に覚えのない発言に、ヨツバはきょとんと首を傾げる。

 

「え? いないよ?」

 

「そうなの? でも、昨日わたし見たよ。ヨツバちゃんが、知らない人と歩いてるところ。お姉ちゃんじゃないの?」

 

「あ、それセツだ!」

 

多分、昨日は帰る前にセツと一緒に公園に行ったからその事だろう。納得したヨツバは一人で頷いているのだが、友達はセツの事を知らない。当然首を傾げると、不思議そうに

 

「セツってだーれ?」

 

と聞いた。それにヨツバは答えようと口を開く。

 

「セツは……」

 

しかし、すぐに言葉に詰まってしまった。よく考えてみれば、セツとヨツバの関係を一言で表すのは難しい。家族でも無いし、友達と言うのもちょっと違う。でも、間違いなくセツはヨツバにとって信頼できて、憧れで、大切で……

難しい顔をしてヨツバは考えている。すると、やがてゆっくりとぴったりの答えが思い浮かんできた。ヨツバはにんまりと笑うと、そのまま思い浮かんだ言葉を口にした。

 

「……セツはね、ヒーローだよ」

 

「ヒーロー?」

 

「そう! 世界で一番カッコいい、あたしのヒーロー!」

 

 

 

友達と別れて何時もの道を歩いていくと、藤峰軍事基地が見えて来る。その門からちょうど見覚えのある人影が出て来るのを見つけて、ヨツバは慌てて走り出した。

 

「セツ!」

 

名前を呼ばれて、ヨツバに気付いたセツが振り返る。ヨツバが飛び掛かる様にして抱き着くと、セツはそれを危なげなく受け止めた。

 

「ねぇねぇセツ聞いて聞いて! 今日ね今日ね、体育の時間にね——」

 

そして二人は手を繋いで、アパートまでの何時もの道を何時もの様に辿っていく。ヨツバが今日あった事を気ままに話すのも、セツがそれに相槌を打つのも、何時もと同じだ。

 

けれど、ヨツバは話しながらなんとなくセツの反応に違和感を覚えた。何だろう、具体的にこうとは言えない。でも、セツは何かに気を散らしている様で、ヨツバの話をあまり聞いてくれていない気がする。いつもなら、何だかんだきちんと聞いてくれるのに。

 

「セツ、なんかあった?」

 

そんな疑問を、ヨツバは素直に口にした。セツは虚を突かれて、一瞬だけ面食らったような表情を見せる。

 

「……いいえ、何も」

 

しかし、その表情をすぐに打ち消すと、セツは低い声でそう言った。何にも無いのか、とヨツバは心の中だけで呟く。正直違和感はまだ拭い切れていないけれど、セツがそう言うならそうなんだろう。

素直なヨツバはそう納得して、また話を始めた。セツもまたその話を聞きながら、二人で道を歩いていく。

 

 

 

アパートに到着したのは、そんな風にして十分ほど歩き続けた頃だった。薄暗い階段を下り、セツが重い扉を押し開けると、ヨツバは元気良くバーの中へ走って行く。

 

「ただいま!」

 

そう言うヨツバの声に、バーに居た住人達が口々にお帰りと答える。いつもならセツもヨツバに続いていくのだが、今日、セツは扉の近くに黙って佇んでいた。違和感に気付く者は、まだ居ない。

 

小さく息を吸って、短く吐き出す。軽く瞑っていた目を開けて、セツは真っすぐ前に一歩を踏み出した。

 

バーの中を一直線に横切って、セツはカウンターへと歩いていく。その固い雰囲気に何人かが気付いたが、セツは誰かが何かを言う前に口を開いた。

 

「マスター、お話があります」

 

「……どうした、急に」

 

セツの改まった様子に、声を掛けられたマスターは思わず怪訝な顔をする。しかしそれを気にしているのかいないのか、セツは表情も声音も変えないままに続けた。

 

「誠に勝手ながら本日限りで退去させて頂きます。短い間でしたがお世話になりました」

 

息継ぎも無い、はっきりとした言葉にバーの中は一瞬静まり返った。静寂の中、セツは疑問も異議も拒絶する様にきっぱりとカウンターに背を向ける。そして、速足で扉から出て行ってしまった。誰もそれを止める事が出来ないままに。

 

最初に我に返ったのはヨツバだった。セツが出て行った扉をぽかんと見つめていたかと思うと、ハッと気付き、慌てて駆け出した。重い扉を一人でどうにかこじ開けて、階段を駆け上り、少し先の道に居たセツの背中を追いかけて走る。

 

「セツ!」

 

名前を呼ばれても、セツは振り返らなかった。ただ変わらない速度で歩き続けている。ヨツバは今までで一番、体育の授業の時よりも、全力で走った。そして、振り返らないその背に抱き着く。

 

「セツ! なんで行っちゃうの!? たいきょってなに!? ねぇセツ! セツったら!」

 

揺さぶる様にしながら言われて、それでもセツは頑なに振り返らなかった。

 

「ヨツバ」

 

「なに!」

 

静かに名前を呼ぶ声に、ヨツバは大きな声で返す。

 

「私と約束をしてください」

 

「約束? なんの?」

 

「もう、あの場所には、あのアパートには関わらないと」

 

「……なんで?」

 

突拍子もない言葉に、ヨツバはきょとんとした表情になって聞く。セツはまるで準備でもしていたかのように、ヨツバの問いに淀み無く答えた。

 

「危ないからです」

 

「危ない? そんな事無いよ。だって、みんな遊んでくれるし、マスターはおやつくれるし、それにそれに——」

 

ヨツバは必死に言葉を紡ぐ。分からない。どうしてセツが行ってしまうのか、こんな事を言うのか。今日は分からない事ばかりだ。それでも、話すのを止めたら本当にセツがどこかに行ってしまいそうで、怖くて、だから頑張って話し続けた。

 

「約束、出来ますか」

 

けれどセツはヨツバの話を無視して、そう聞いた。今日のセツは変だ。訳の分からない事を言うし、ヨツバの話をちっとも聞いてくれない。

 

「でも、だって、だって、それならあたし、どこに行けばいいの? あそこじゃないの?」

 

「ちゃんと、割り当てられた孤児院があるでしょう。そこに居なさい」

 

「やだ! だって、あそこの人達誰も遊んでくれないんだもん! おやつだって無いし、セツだって居ない! そんなのやだ!! やだやだやだ!!!」

 

首を振って、叫んで、駄々を捏ねる。そうすれば、セツはしょうがないですねと言って少し優しくなるのだ。ヨツバは知っている。だって、ずっとセツと一緒に居たから。お母さんもお父さんも居なくなっちゃったあの日から、ずっと——

 

「……約束、出来ないんですか」

 

「やだ! 約束なんてしない! ずっとあそこにいようよ!」

 

ヨツバは殆ど泣き出しそうになりながら、全力でそう叫んだ。そうであってほしいと、心から思って叫んだ。セツは怒ったら怖いけど、でも、本当はとっても優しくて、セツは、セツは、あたしの——

 

「それなら、もう知りません」

 

冷たい言葉がヨツバの言おうとしたことを封じ込めた。酷い言葉過ぎて、受け入れたくなくて、思わず涙も引っ込んでしまう。

 

「これ以降、私には関わらないで下さい」

 

そう言って、セツはヨツバの手を振り解いた。酷く簡単に、あっさりと。去っていくその後ろ姿を、ヨツバはどうしてか追いかける事が出来ない。

 

「……なんで?」

 

ただ、黙ってそう呟く事しかできなかった。分からない。何も分からない。どうして? なんで? 脳裏を渦巻くのはそんな言葉ばかり。セツは、本当に優しくて、本当にかっこいい、ヨツバのヒーロー。その筈なのに。

 

 

 

ハッと気づいた時、セツはどこにもいなかった。泣きながら、ヨツバはアパートまで初めて一人で帰ったのだった。

 

 

 

今日は新月らしかった。見上げた夜空はただただ暗いばかりで、月も星も見当たらない。物寂しい夜空に向かって吐き出した煙草の煙が、まるで溜息の様に空中に溶け込んでいった。そんな様子を見ていると、何だかますます気分が落ち込んでくる。その原因は、ただ今日が暗い夜だからと言う訳では無い。

 

マスターが今居るのは、アパートの屋上だ。柵も何も無いつまらない場所だが、殆ど誰も来ない事もあって、一服するときはここに来るのが知らない内にマスターの習慣になっていた。他の住人の前では煙草を吸わないから、きっとこの事は誰も知らないだろう。

 

ちゃり、とポケットの中で小さく音を立てたのは、セツの部屋の鍵である。セツは立ち去る前に、カウンターの所に自分の部屋の鍵を置き去りにしていたのだ。それが意味するところはやはり、セツはもう、ここに戻ってくる気は無いという事。

 

「どうしたもんかなぁ……」

 

また煙草の煙を吐きながら、マスターは低い声で呟く。鍵は返されたけれど、まだ部屋をどうこうすると言う段階には至っていない。何て言ったって、あまりに唐突な話だったのだから。だからこそ、まだ納得いっていない事が多い。

 

その最たるものが、部屋にセツの荷物がそのまま残されて居る事だった。普通、退去の手続きと言うのはそれなりに手間がかかる。鍵を返してはい終わり、なんて事にはならないのを、あのセツが分かっていない筈が無い。

予想できる理由は二つ。本当は戻ってくる気があるか、それともそこまで切羽詰まって行動しなければならない理由があったか、と言った所だろう……まぁ、余り前者の可能性が高いとは思えないが。

 

一際冷たい夜風が吹いて、煙草の煙を散らしていく。鬱々とした考えばかりが続いている事に気付いて、マスターは一度思考を切り替える事にした。

 

取り敢えず今自分が決めなければならないのは、セツの部屋をどうするか、だ。しかし、正直片づけは面倒だからやりたくない。それにヨツバは戻ってきたから、きっとあの部屋を使うだろう。

 

セツの問題は自分にはどうにもできないから、本人に頑張ってもらうしかない。従って考えるのは時間の無駄。部屋はそのままで良し。こう考えてみると、思ったより問題は複雑ではない様だ。

 

手に落ちた煙草の灰を軽く払う。さて、そろそろ寝る事にしようか。煙草の吸殻を適当にポケットに突っ込み、マスターは下に向かう階段の方に向き直った。

 

「……何も無いと良いが」

 

その拍子に、思わずそんな呟きが漏れる。そしてそれと同時に、セツが帰って来てくれればとも思ってしまうのだった。

 

 

 

 




実は関係ない短編挟もうかとも思ったんですけど、書いてたらボツになったのでちゃんと本編出すことにしました。
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