繋ぎ目の光陰   作:蛙野 心

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11.吸血鬼

 

 

 それから何も起こらないまま、けれどどこか不穏な空気のまま、一週間が過ぎた。セツの退去についての詳細はその日の内に住人全員の知る所となったが、当然誰もその理由を察することは出来ず、皆未だに戸惑っている様だった。

 

 しかし、一番セツに懐いていた筈のヨツバはと言えば、ひとしきり泣いたかと思うと

 

『ヨツバ、もうセツの言うことなんか聞かないもん! ずっとここに居る!』

 

 と、声高に言い放ったのである。何と言うか、随分と強かなものだ。しかし話を聞いてみると、ヨツバはセツの一連の行動に対して少々怒っているらしい。

 

 そしてヨツバにしては珍しく、その怒りは一朝一夕で消える物では無かった様だ。それをマスターが知ったのは、あの日何があったのかと言う話をそれとなく宿題中のヨツバに振ると、思ったよりも威勢良く話が始まったからだった。

 

「——でもセツはね、ヨツバの話全然聞いてくれなかったんだよ? そんなの酷い! マスターもそう思うでしょ?」

 

 そう同意を求められて、マスターは苦笑気味に頷いた。ヨツバはマスターが出してくれたオレンジジュースと共に宿題を広げながらも、鉛筆を放り出したまま話続けている。

 今は平日の真っ昼間だから、バーの中に居る人は少ない。でも、雨が降りそうだからと何時もなら外に居るチャドやネクロが中に居るから、いつもに比べたら少し多いと、何とも微妙な感じであった。

 

「それにね、最近ヨツバが“きち”の所に行ってもセツに会えないの。セツ、あたしの事避けてるんだ! 何でそんな意地悪するんだろ」

 

「きち?」

 

「うん、きちだよ。セツが毎日お仕事してるところ。だからあたし、毎日そこにセツをお迎えにいってたんだ!」

 

 唐突に知らない情報が出てきて、マスターは思わずその目を見開いた。セツは学生、そう認識していた筈だ。が、数秒考えて誰がそう言った訳でも無い事に気付く。ヨツバはおろか、セツ本人でさえもセツが学生だと言ってはいなかったのだ。ただ、見た目の年齢から周りがそう推測していただけであって。

 

「……ヨツバ、そのセツがしていたお仕事って、何だか分かるか?」

 

 半ば恐る恐る、と言った調子で聞けば、ヨツバは何でもない事のように——いや、若干自慢げに答えた。

 

「うん! セツはね、軍人さんなんだよ!」

 

 カッコいいでしょ、と言うヨツバは無邪気に言い放つ。が、マスターが予想外のその言葉に目を見開き驚いているのを見ると、ヨツバはその表情を一変させた。そしてしまったという思いを隠さず

 

「あ──ー!!!」

 

 と声を上げる。その大声に、別の意味でまたバー中が驚いた。しかし、ヨツバはそれを全く意に介さずに頭を抱えて叫ぶ。

 

「どーしよー! 内緒ですよって言われてたのに!  忘れてた! セツに怒られるー!!」

 

 大袈裟と言えるほどのヨツバの騒ぎ様に、かえってマスターは冷静になった。セツは軍人だった。しかも、ヨツバに口止めをしてまでその事を隠していた。冷静になったおかげで、その二つの事実をすんなりと飲み込む事が出来る。

 

「それにしても、軍か……」

 

 厄介だな、と思わず眉を潜めてしまうのは、ひとえにこのアパートが普通では無いからだ。諸々を法律に照らし合わせれば、グレーゾーンに片足突っ込んでいるどころか、半分くらいはアウトの範疇まで踏み込んでいる事は想像に難くないと思う。その為、政府だの軍だのと言った所謂お偉いさん方とは余り仲良くなれそうにないのだ。

 

 で、と心の内だけで呟いて、マスターは実はその仲良くなれそうにない軍人であったセツの事に思考を戻す。

 セツの性格や諸々を鑑みるに、軍人であったことを隠してまでこのアパートに居たのには何らかの理由があるのだろう。そして勿論、唐突に退去だ何だと言い出した事にも、同じ様にきっと何かある筈だ。どっちにしたって、それが軍がらみである可能性は非常に高い。ああ、面倒だなと、マスターが思わずため息をつきかけたその時。

 

 バンッ

 

 と、鋭い音がその場に響いた。さっきのヨツバの叫び声と同じか、もしくはそれよりも少し大きいその音に、バーの中は一瞬にして静まり返る。そしてバーの中に居た全員の視線が、音の出所——即ち、バーの扉に向いた。

 

「セツ!」

 

 真っ先に動こうとしたのは、やっぱりヨツバだった。セツの名前を呼ぶや否や、慌てて背の高い椅子から飛び降りようとする。マスターがそんなヨツバの首根っこを慌てて掴んだのは、セツが非常にピリピリとした雰囲気を纏っていたからだった。今ヨツバが話に入ってきたら、間違いなくややこしいことになるだろう。そんな予感がして、マスターはヨツバの口を軽く塞ぐ。

 

 ヨツバ以外は、セツの雰囲気に気圧されてしまっている様で、誰も何も言う事が出来ない様だ。ふと左に視線を向ければ、モニアが布巾を握ったまま不安そうにマスターとセツを見比べている。そんなモニアに安心させるように小さく微笑んでから、マスターは話を進めるべく口を開いた。

 

「久しぶりだな」

 

「……えぇ、お久しぶりです」

 

 セツは未だ何か言おうともがいているヨツバから視線を逸らし、静かな声で答える。いつになく静かなその目は、セツの思考を全く窺わせなかった。不穏な空気を緩和しようと、マスターは少しふざけた調子で言う。

 

「なんだ、忘れ物か?」

 

「いいえ。今日は——そうですね、一軍人としてご忠告に参りました」

 

 一軍人、と言うその言葉に、話の不穏さが跳ね上がる。セツはそれを意図しているのかいないのか、入り口から数歩程度の所に留まったまま、マスターを射貫く様に見た。その視線は物でも切れそうなほどに鋭く、真っすぐで、まるで他の物を視界に入れまいとしているようにも取れる。

 

「単刀直入に言います、モニアをこちらに引き渡してください」

 

 左に居るモニアの肩がピクリと跳ねた。その表情に、どうして自分がと分かりやすい動揺が現れる。そんなモニアをさりげなく片手で庇いながら、マスターはセツへと疑問を投げかけた。その表情は、いつになく険しい。

 

「どういうつもりだ? お前らとモニアに何の関係がある?」

 

「貴方がたには関係の無い事です」

 

 しかし、セツはマスターの言葉をたったの一言で切り捨てた。その射貫くような視線は、まるで一挙手一投足を見逃すまいとでもするように、マスターにしっかりと固定されている。

 殺気と見紛うばかりのピリピリとした空気に埋め尽くされて、バーの中は窒息しそうなほど息苦しかった。ヨツバさえ、二人の気迫に押されてもがく事を止めてしまっている。

 

「モニアをこちらに引き渡すのならば、他は全て見逃しましょう」

 

 セツの言葉に、ただでさえ張り詰めていた空気が更に険悪な物になっていく。マスターはもう敵意に近い警戒を隠す気は無いらしく、セツも、それを向けられる事を何とも思っていない様だった。

 

「仮に引き渡したとしたら、どうするつもりだ」

 

「私からはお答えできかねます。それで」

 

 セツの目が、すぅっと細められる。

 

「引き渡していただけるのでしょうか、いただけないのでしょうか」

 

 それに釣られるようにマスターの眉間の皺も深くなり、そして

 

「断る」

 

 その口から端的な答えが飛び出す。

 即座にセツの右手が動いた。ぶれて見えるほどの速度で、軍靴に仕込まれた軍刀を抜き、振りかぶる。殆ど反射の様に、庇おうとマスターの右腕が動いた。しかし今更躊躇う訳も無く、セツは軍刀を振った。

 しかし、感じた手応えは人を切りつけた時の物では無かった。

 見れば、軍刀の切っ先は縫い留められたかのように、虚空に固定されている。前に体重をかけても動かない。しかし、何か硬い物を切りつけている様な手ごたえを感じる。不可解な現象に戸惑い、一瞬セツの動きが止まった、その時。

 

「モニア!」

 

 マスターが大声でモニアを呼んだ。モニアの肩が驚いた様に跳ねる。

 

「ネクロとヨツバと畑の方に逃げろ!」

 

「え、えっと……」

 

「大丈夫だ、俺も後から追いかける」

 

 ここでモニアを行かせる訳には行かない。そう思いセツは刀を引いた。そして追いかけようとカウンターを乗り越えようとする。

 しかし、それは叶わなかった。

 ぐんっと身体が後ろに引かれた。反射的に右手の刀を振るう。切っ先が向いたのは、左斜め後ろ。

 

「あぶねっ」

 

 空振った手応えと、頭を逸らして刀を避けた人影。

 

「……貴方も、邪魔をするのですか」

 

 その人影に視線を向けて、セツは溜息を吐く。面倒な、と言う思いを込めて。

 

「そりゃあ、なぁ?」

 

 そう言ってにやっと笑ったのはチャドだ。そして背後から乱暴な扉の開閉音。しまった、逃がしたとセツは扉の方に駆け出そうとする。しかし、その一歩先をナイフが阻んだ。身を捩る間に、一気に懐に踏み込まれた。迫るナイフを何とか刀で受け止める。

 

 耳障りな金属音が甲高く鳴り響いた。滑らせるようにして弾けば、チャドは壁際まで飛んで大きく間合いを取る。チャドの右手に、新たにナイフが三本。腕を振り被って、今にも投げようとしている。軍刀だけでは分が悪い。

 

 そう判断し、セツはスカートのポケットから銃を取り出した。携帯電話を模したそれはガシャン、と音を立てて自動小銃へと変形する。そんな事をしている内に飛んできたナイフを、身を捩って間一髪で避けた。ブーツの底に仕込まれていた弾倉を抜き取り、勢いよく嵌める。

 

 この距離だ、多少狙いが粗かろうと避けるのは難しい。軍刀を投げ捨てた右手で雑に照準を合わせ、引き金を引く。

 

 狭い室内を連続した銃声が埋め尽くした。雨あられとばかりに襲い来る銃弾の群れに追いかけられて、チャドはバーの中を逃げ回る。その巻き添えを喰ったテーブルや椅子は、あっという間に瓦礫と化して地面に転がった。戦況は、一気に覆ったかに見える。

 

 しかし、銃声はガチッ、と言う異音を立てて唐突に止んだ。弾切れである。この狭い室内で、予想以上に良く逃げ回られたせいだ。勢いよく銃をその場に投げ捨て、セツは転がった軍刀を再び手に取る。そして、チャドが反応する前に勢い良く切りかかった。

 

 斜め上から切り下すがいなされる。横なぎに払った刃は微かに服を引っ掛けただけ。刀を返す前に蹴りが飛んできた。一歩引いて避ける。その隙に距離を取られそうになった。一歩二歩と刀を振るいながら踏み込む。

 

 また遠距離に持っていかれるのは不味い。チャドが気付いているかは分からないが、もう銃弾が無いのだ。ここで引くのは自殺行為である。しかし、このままではジリ貧になっていくだろう。そうなれば、分が悪いのは明らかにこちら。

 

(……こんな早く使うつもりでは無かったのに)

 

 しかし、ここで負けては元も子もない。セツは右手で刀を振るいながら、左手をポケットの中に突っ込んだ。中にあるのは通信機。視線を向ける事も無く手早く操作して、セツは合図を送った。地上に居る、自分の部下達へ。

 

 と、そちらに気を取られていたせいだろう。右手に強い衝撃を感じた。強く弾かれた刀が宙を舞う。しまった、と内心だけで顔を顰めるが、口に出す余裕は無い。追撃は、大きく距離を取ることで回避する。

 

 セツは素早く視線を巡らせて、弾き飛ばされた軍刀の位置を確認した。あった、右斜め前方だ。勢い良く地面を蹴り、回収しようと手を伸ばす。しかし、その手は刀を踏みつけたブーツを見て止まった。

 

「もう反撃の手は無いんだろ? 諦めたら?」

 

 答える代わりに、セツはパーカーの袖口からナイフを抜いて切りかかる。しかし無理のある反撃はあっさりと交わされ、右手首を掴まれてしまった。そしてそれを振り払う間もなく、セツは両手首を捻り上げられる。

 

 悪あがきだと分かっていても、セツは身を捩る事を止めなかった。一番まずいのは、ここで身動きできなくされてチャドがマスター達と合流してしまう事だ。そうなればより一層モニアの奪還が難しくなる。

 

「別に命まで取る訳じゃ無いってのに。意外と諦め悪いんだな」

 

 微かに苦笑しながらチャドがそんな事を言った、その時。

 

 幾人もが階段を駆け下りる重たい足音が聞こえた。それが誰なのかを考える間もなく、乱暴にバーの扉が明けられる。戸口から姿を現した重装備の兵士達に、セツは戸惑う事も無く、ただ一言

 

「撃て」

 

 そう命じた。先頭に立っていた兵士が間髪入れずに手にした銃を構え、引き金を引く。チャドがセツを離して銃弾を避けるには、余りに時間が足りなかった。

 

 一発の銃声。そして、人の体が地面に倒れる音。

 それを聞き届けて、セツは振り返った。チャドが地面に付しているのが見える。それだけを確認して、セツは兵士達の方に視線を向けた。部下である兵士達が、一斉に自分の方に注目する。

 

「予備の銃と軍刀を」

 

 短い命令に即座に反応したのは、さっき銃を撃った兵士だった。鞘に納められた軍刀を腰につけ、銃に弾が込められている事を確かめる。

 

「少将、この男はどうしますか」

 

「生きているのなら縛っておきなさい」

 

「了解しました」

 

 倦怠感が薄く全身を包んでいて、特にさっき強く弾かれた右手が鈍く痛んでいた。しかし、ここからが勝負なのだから、まだ弱音は吐けない。そう自分に言い聞かせて、気を引き締める。そうして鋭敏になったセツの耳へ、ある異音が届いた。

 

 それは、ナイフが何かを切り裂く音と、人の呻き声——それも、自分の部下の。

 

 セツが慌てて振り返ると、他の部下も異変に気付いたようだった。さっき、チャドの生死を確認しようとしていた部下が一人、後ろから羽交い絞めにされている。何人かが慌てて銃を構えるが、丁度部下の体を盾の様にされているせいで引き金を引く事が出来ない。

 軍刀を持っていたセツは、即座に刀を抜いて鞘をその場に投げ捨てた。しかしある事に気付き、思わず切りかかろうとするのを止めてしまう。

 

 部下の、切り裂かれた軍服の首元、そこに牙が突き立てられていた。つぷり、つぷりと赤い滴が零れ落ちて、軍服の上に赤い染みを残していく。趣味の悪い作り話の様な異常な光景に、誰も物音一つ立てる事が出来なかった。

 

 忘れていた。いや、忘れていたと言うよりも、今まで意識する事すらしていなかった。けれど、今はっきりと事実を認識する。確かに、この男は、こいつは——

 

「——吸、血鬼」

 

「悪いね。人間には負けられないんだ」

 

 にやりと笑った口から赤い牙が覗いていた。

 

 

 

 




テストの野郎のせいで一月近く更新が途絶えてしまいました。それの贖罪というわけではありませんが、今回5000字以上あります。ぶっちぎりの長さです。

そしてオマケに、セツさんの普段の装備
・右のブーツ側面に軍刀
・左のブーツの底に弾倉
・パーカーの左の袖口にナイフ
・ポケットに携帯電話から変形する自動小銃と無線機
・左のブーツの底に携帯食料
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