繋ぎ目の光陰   作:蛙野 心

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2.初めての旅行

 翌朝、太陽が昇り切った頃。

 

「ねぇセツ! はやくはやく!」

 

 そう言いながら外へ駆けていく幼い少女——ヨツバ・ムラカミの後ろ姿に、セツ・カンザキは今日だけで何度目かになる溜息を吐いた。

 

 唐突に温泉に行くと言う話が持ち上がったのが、昨晩の事。その時、それに対してセツは反対しなかった。一泊二日と短い日程で、特筆するべき用事もなく、反対する理由が無かったと言うのが主な理由だ。少しの面倒だと言う感情も、周囲の事を考えれば飲み込むのが最善だと判断した。

 

 ——今にして思えば、その時ヨツバの反応を予想しなかったのが、全ての過ちだったのだ。

 

 旅行の話が持ち上がったその場では、ヨツバは全く持ってマスターの話を聞いて居なかった。ニンジンと格闘中だったのだ。だから、ヨツバが明日何をするのか具体的に知ったのは、セツとともに部屋に戻る途中だった。

 

 明日は皆で出かける。いつもと違う所で寝る。広いお風呂に入る。

 

 そう聞いたヨツバは、正に“大騒ぎ”をした。着替えを詰める為のカバンをトランプやお菓子で一杯にし、温泉や目的地についてセツを質問攻めにし、etc……。まぁ、言い出したらきりがない。

 

 特に、目的地である箱根について聞かれたのには困った。セツは、箱根なんて場所の事を知らない。何故なら、セツもヨツバもこの世界——住人たちの間では、人間世界と呼ばれている——の出身では無いからだ。二人が暮らしているのは、軍事世界と呼ばれる世界。文化などは人間世界によく似ているのだが、科学技術の発達度合いや世界情勢が大きく異なっている。

 

 まあ、そんな訳で、昨晩ヨツバを寝かしつけるのに大きく消耗したのに加え、やっとの事でヨツバが寝てからもやる事が中々片付かず、今日のセツは若干寝不足気味であった。

 

 ちらりと腕につけた時計で時間を確認する。7:45。集合時間の八時には、十二分に時間がある様だ。

 

「セーツ! セツってば! おそいー!」

 

 しかしヨツバは、少し先でぶんぶんと大きく手を振って、セツの事を急かしている。仕方なしに、セツは歩く速度を少し早めた。そしてそこにある、いつもは無い物に気付く。どうやら、ヨツバのテンションが上昇一直線なのはそれのせいの様だ。

 

 アパートの前のアスファルトの地面の上に、一台の車が止まっていた。黄色のボディに、丸みを帯びた形状の四輪車。大きさからして、街でよく見かける自家用車、と言う類の車だ。敷地内に停められている事からして、他の住人の物だろうか。しかし、一体誰の? 

 

 何となく、あの中で車を持っていそうな人物が思い浮かばない。そんな事を考えていたセツは、ふと、さっきからヨツバの声が聞こえない事に気付いた。顔を上げて見れば、セツを急かしていた筈のヨツバは忽然と姿を消している。

 

 一体どこに行ったのだろうかと、辺りをきょろきょろと見渡す。しかし、ヨツバはどこにも居ない。その代わり、アパートの方からマスターが荷物を持ってくるのが見えた。その後ろには、モニアもついてきている。

 

「おはようございます」

 

 セツは二人に向き直って、何時もの様に挨拶をする。マスターはそれに手をひらひらと振ってこたえ、モニアはぺこりと小さく頭を下げた。

 

「おはよーさん、思ったよりも早かったな」

 

 もっとゆっくりでも良かったのにと言いながら、マスターは車のトランクを開ける。どうやらこの車は、マスターの物だった様だ。思ったよりもトランクの中は広く、二つの鞄を置いてもまだ十分に余裕があるようだった。

 

「って、まさか、この車で旅行に行くんですか?」

 

 トランクの広さは兎も角、車のデザインからして、この車に乗れるのは五人が限界だろう。加えて、他に車がある様にも見えない。これじゃあ、半分も乗れないじゃないかと、セツは訝し気な視線を向ける。しかしマスターは、にやっと笑って頷いた。

 

「まあ、良いから乗って見ろ。きっと驚くぞ」

 

 どういうことか分からず、セツははぁ、と頷くに留めた。アパートの方から人の声が聞こえる。時刻は8:02。そろそろ、他の住人も集まってきそうだ。

 

「そう言えば、ヨツバはどうした」

 

 ふと気付いたと言う様に、マスターがそう聞く。

 

「それが、気付いたら居なく——」

 

 居なくなっていたと答えかけたセツの目の前で、車の後部座席のドアが勢いよく開いた。ドアを開けたのは誰であろう、ヨツバである。いつの間に乗り込んでいたのだろうと驚いた顔をするセツに、ヨツバは勢いよく言い放った。

 

「セツ! 来て来て! すっごい広いよ!」

 

 一体何が広いのか、とセツの脳内に疑問符が浮かぶ。しかしそんな事を聞く間も与えずに、ヨツバはセツを車の中へと引っ張り込んだ。

 

 余りにもヨツバが勢いよく引っ張る物だから、セツはよろけてしまい、半ば転がり込むような格好で車の中へと入る。ひょっとして、今日一日、ヨツバはこのテンションのままだろうか。そんな事を思いながら、顔を上げた。

 

 さっきも言ったが、この車は、街でよく見かけるような自家用車と同じくらいか、それより一回り小さい位のサイズだ。だから、乗れるのはせいぜい四人か五人。普通に考えたらそうだろうと、セツは思っていたのだ。

 

 しかし、その予想は、綺麗に裏切られた。

 

「……成程、確かに広いですね」

 

 訳が分からない程に、とセツは付け加えた。車の中には、ざっと数えて十と少しの座席があり、マイクロバスの様に廊下を挟んで二列に並んでいる。見た目の容量を超えているのは、言うまでもない。一体何がどうなっているのか、と少し呆れた様に思う。まぁ、このアパートで摩訶不思議なものを見るのは、今に始まった事じゃないのだけれど。

 

「ヨツバここ!」

 

 そんなセツの横を通り抜けてヨツバが座ったのは、運転席である。また溜息を一つついて、セツはヨツバを抱え上げた。

 

「そこには乗れませんよ。ほら、私の横に座ってください」

 

 そう言って、適当な席にヨツバを座らせる。ウロチョロされる前に、シートベルトをさっと締めた。居ても居なくても問題を起こすのなら、目の届く範囲でなるべく制御した方が色々楽だと判断しての事だ。

 

「これやだ! とって!」

 

 予想通りそう言って騒ぐヨツバに、

 

「ほら、これをあげますから」

 

 と、事前に買っておいたグミを渡す。甘い物の食べ過ぎは良くないのでいつもならこんな事はしないが、車内で長時間騒がれてはこちらの精神が持たない。苦肉の策である。

 

 予想通り静かになったヨツバの隣の席に、セツも座る。少し遠くから聞こえて来るのは、他の住人の声だろうか。それを聞きながら、目を瞑って窓ガラスに寄りかかる。朝から疲れてしまった。旅行とは、疲れる物なのだろうか。分からない。

 

 セツだって、これが初めての旅行なのだから。

 




Q.どうしてヨツバちゃんにあげるお菓子がグミなんですか?

A.ずっと噛んでいるので静かになるから
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