繋ぎ目の光陰   作:蛙野 心

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閑話 ひとりにしないで

 空が赤く染まっていた。上空を流れる雲も、西日に照らされて薄い茜色に染まっている。どこかに設置されたスピーカーから、電子音のメロディが流れ始めた。多分、何かの童謡だ。誰でも知っている様な一般的な歌だった筈だが、名前が出てこない。ぼんやりと思いだそうとしながら、私ことセツ・カンザキは、夕暮れの道を一人で歩いていた。

 

 今日は比較的平穏な一日だった。いつもの業務をこなして、午後には簡単に纏めた報告書を提出してきたのだ。おそらく明日には、上司から指摘や追加の指令が下りてくるのだろう。今度は、どんな事を言われるのだろうか。

 

 そんな事を考えていたら子供の甲高い声が聞こえて、私は反射的に顔を上げた。しかし前を横切って行ったのは、全く関係のない子供。学校帰りに遊んでいたのか、ランドセルを背負ったまま友達を追いかけて走っていく。どこか拍子抜けした様な気分でその後ろ姿を見送って、私は自嘲気味に苦笑した。

 

 一瞬、ヨツバが来たのかと思ってしまった。この辺りにヨツバの通う小学校があるせいかもしれない。しかしそれを抜きにしても、そんな早とちりをするとは思わなかった。あの騒がしい少女が隣に居る事に、私はいつの間にか慣れてしまっていた様だ。だから何と言う訳でも、無いけれど。

 

「セツ!」

 

 間違え様の無い、聞き慣れた声に振り返った。今度こそ、そこに居たのはヨツバだ。何時もの様に赤いランドセルを背負って、こちらへと走って来る。突進のような勢いのそれを受け止めて、私は少し不審な点に気付いた。ヨツバの目が若干、赤く腫れている。

 しかし何があったのか聞くべきだろうかと迷う暇も無く、ヨツバが怒涛の勢いでその訳を喋り出した。

 

「ねぇねぇセツ聞いて聞いて! 今日ね今日ね! 先生に怒られたの! 先生ったら、ひどいんだよ! あたしが男子を叩いたからって——」

 

 怒られたと言う割には、落ち込んでいる様子は無い。どちらかと言えばヨツバも怒っている様で、その説明はいつも以上に分かりにくくなっている。再び歩き出しながらヨツバの話を聞き終えて、私はその説明を一文に纏めた。

 

「つまり男子と喧嘩して、先生に怒られたんですか」

 

「そう! でもヨツバが悪いんじゃないよ。あいつがひどいこと言ったんだもん!」

 

「酷い事?」

 

 男子と喧嘩沙汰になるとは、余程酷いことを言われたのだろうと思って、私はそう聞き返す。するとヨツバは更に語気を荒くして、こう言った。

 

「あいつがね! 『軍人なんかとつき合わないほうが良いぞ』とか言ったんだよ! でね、あたしがね、『それってセツのこと?』って聞いたらうなずいたの。だから叩いてやった!」

 

 ……成程、思ったよりも大した話では無かった。少し拍子抜けして、私は内心でそう呟く。

 軍人が嫌われているなんて、今更言うまでもない話だ。私は決してそれを良しとは思っていない。けれどたった一人の子供が何を言った所で、白い眼を向けられる事実を変えられる訳でも無いのだ。そこは賢く立ち回るべきだろう。しかしこれは、ヨツバにはかなり難しい話かもしれない。どう伝えるべきかと、少しだけ悩む。

 

「実際に、軍人というのはあまりよく思われていません。その男子が言った事は間違いではありませんよ。出来れば軍人とは付き合わない方が、一般人は平穏に過ごせるでしょう。それは理解していますか?」

 

 予想通り、話を聞いていたヨツバはぽかんとした表情でやがて、「よくわかんない」と言った。まぁ、こんな子供に理解しろと言うには難解すぎる話か。けれど、似たような事をこの先言われないとは思えない。その度にトラブルを起こされては、たまったものではないし。どう説明した物か……

 

「あたしは、セツの所に居たいから居るだけだよ? なのに、なんでそんな難しい話をしなくちゃいけないの?」

 

 悩む私を他所に、ヨツバが不満げな表情でそんな事を言う。その言葉に、私は思わず言葉に詰まった。さっきまで考えていた筈の事が、気付けばどこかに行ってしまっている。

 

「……どうして、私の所に居たいんですか?」

 

 そのせいか、ついいつも気になっていた疑問が零れ落ちてしまった。慌てて取り消そうとするも間に合わず、ヨツバは満面の笑みで言葉を返した。

 

「だってあたし、セツのこと大好きだもん!」

 

 笑って、彼女は、そう言った。

 記憶が蘇る。どうしようもなく焼き付いたその表情は、どうして、目の前の物と酷似しているのだろう。

 やめて、やめて欲しい。その顔で笑わないで、その顔で同じことを言わないで。あの子の事を、私に、思い出させないで。

 

「それに、それにね、セツだって、ひとりぼっちは嫌でしょ?」

 

 でもそれは、全て私の我儘だから。吹き出した感情を無理矢理抑え込む。そのせいでヨツバがなんと言っているかは聞き逃してしまった。けれど、聞き返すことはしない。ヨツバがまた、違う話を始めたから。

 ころころと変わるヨツバの話を聞きながら、私達は家路を歩いて行った。

 

 

 

 ふと気が付けば、ヨツバは学校の近くにある公園の入り口に立っていた。いつも友達と行く、お気に入りの公園だ。空は綺麗に晴れていて、穏やかに風がそよいでいる。けれど辺りは怖いくらいに静かで、周りには誰も居ない。いつも賑やかな公園とは、まるっきり別の場所の様に思えた。

 

「……セツ?」

 

 静寂に耐えきれずにそう呟いたヨツバの声は、ただ虚空に響いてあっという間に消えてしまった。いつも隣に居るはずのセツは、どこにも居ない。

 

 何だろう、ここは。どうしてだれも居ないんだろう。セツは、どこに行ってしまったんだろう。こんなの、まるで、まるで、ひとりぼっちじゃないか。

 

 自分の頭の中に浮かんだひとりぼっちと言う言葉に、ヨツバの目に見る見るうちに涙が盛り上がっていく。そしてその涙が零れ落ちそうになったその時、風がそよいだような、不思議な声がヨツバの耳に届いた。

 

『あ、ああ、泣かないで!』

 

 聞いた事のない声に、ヨツバははっと顔を上げる。いつの間にか目の前には、少女が立っていた。黒い髪に、白い服。ぱっと見では、ヨツバより二つ三つほど年上に思える。特徴のある見た目では無いけれど、きっと笑えば可愛らしい少女なのだろう。

 

「あなた、だれ?」

 

『え、えーっと……ごめんね、それは言えないの』

 

 名前を聞かれた少女は、困った様に笑ってそう言った。そしてヨツバの手を取って、少し早足で歩き出す。少女が真っ直ぐに向かったのは、年季の入ったブランコだった。

 

『わたしね、このブランコで遊ぶのが好きだったんだ。ヨツバちゃん、乗る? 後ろから押したげよっか?』

 

 ブランコに腰掛けた少女の問いに、ヨツバは首を振った。ヨツバはどちらかと言えば、ボール遊びなんかが好きだったから。今はボールを持っていないけれど。

 

『そっか。あぁ、でも、遊ぶ時間は無いかもなぁ』

 

 断られた少女はさして残念そうにするでもなく、そんな事を呟いた。その横顔が不思議と寂しそうに見えて、そしてそんな寂しそうな横顔をどこかで見た気がして、ヨツバは少し首を傾げる。

 

『ねぇヨツバちゃん。ヨツバちゃんはひとりぼっちって言われた事、ある?』

 

 ブランコを小さく前後に揺らしていた少女が、唐突にそんな事を言った。聞かれたヨツバは少し考え、首を縦に振る。そして口を開いて、いつもと変わらない調子で喋った。

 

「あるよ。あたしのお父さんとお母さんがね、居なくなっちゃった日に、みんなあたしに『ひとりぼっちになっちゃったね、かわいそうに』って言ったの」

 

 しかしそこでヨツバは、笑った。

 

「でもあたし一人じゃないよ! 友達だっているし、それに、それにね、セツがいるもん!」

 

『そっかぁ』

 

 そんなヨツバを見て、少女もまた、笑う。嬉しそうに、優しげに。少女とは思えない、母親の様な柔らかな表情で。

 

『ヨツバちゃんは、セツちゃんが大好きなんだね』

 

「うん、大好き! セツはね、とっても強くてかっこいいの! 怒ったらちょっと怖いけど、でも、優しいよ!」

 

 無邪気に嬉しそうに話すヨツバの様子に、少女は眩しそうに目を細めた。そして呟くように話し出す。

 

『そうだね。セツちゃんは、とっても優しい。知ってるよ。わたしも、セツちゃんのお陰で、ひとりぼっちじゃなくなったから』

 

 そこで少女は、悲しそうな笑顔を見せた。泣くのを我慢している様な、酷く苦しそうな表情。そして小さな声で、続ける。

 

『でも、そしたらわたしが、セツちゃんをひとりぼっちにしちゃった』

 

 ぎゅっと胸が締め付けられるような気がして、ヨツバは知らず手を握り締めた。何だろう。この感覚も、初めてじゃない気がする。けれど少女はその笑顔をすぐにまた柔らかな表情で覆った。そしてヨツバに、語り掛ける。

 

『だからね、ありがとうヨツバちゃん。セツちゃんの隣に居るのがヨツバちゃんで、本当に良かった。でも、一つだけ、教えてほしいんだ』

 

 そこで少女はブランコから立ち上がって、柵に寄りかかっているヨツバの方へ一歩を踏み出した。公園は変わらず静まり返っていて、少女が砂利を踏み締めた音すらも鮮明に聞こえる。

 

『どうしてヨツバちゃんは、セツちゃんの隣に居るの?』

 

 隣に、居る理由。それは、ヨツバにとってセツはヒーローで、そしてセツの事が大好きだから。あれ、でも、それだけじゃない気がする。

 

『……どうして、私の所に居たいんですか?』

 

 瞼の裏に、今日の夕方、そう言ったセツの表情が蘇った。寂しそうな、ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚も、蘇る。苦しい。嫌だ。セツのそんな顔を見ると、いつも苦しくなる。だから、嫌だ。セツには笑ってほしい。そんな顔をしないでほしい。だから、決めた。

 

「決めたの。セツの隣にいるって」

 

 難しいことはよく分からないけれど、大好きな人には、寂しいままで居てほしくない。ああ結局は、大好きだからと言うだけの、単純な事だった。

 

「だからあたしは、セツを絶対に一人にしないよ!」

 

 満面の笑みで、いつもの調子で、力強く、ヨツバは少女に向かってそう宣言した。そしてそれを聞いた少女も、心からの笑みを浮かべた。

 

『ああ、本当に良かった。ヨツバちゃんなら、セツちゃんを救ってあげられるよね』

 

 そう安堵した様に少女が言って、そこでヨツバは目が覚めた。

 

 

 

 ゆっくりと意識が覚醒する。今日は、何があっただろうか。確か、報告書を昨日提出したから、それに指摘や追加の指示が返ってくるはずだ。ああ、あと他にも何か——

 

 今日の予定を思い出しながら、体を起こそうとする。しかしその途中で右手を引かれて、私は動きを止めた。どうやら寝ている間に、ヨツバと手を繋いでいた様だ。これは……外さない方が良いのだろうか? 

 

「ひと……に、しな……」

 

 夢でも見ているのか、寝言を呟くヨツバの前髪をそっとかき上げる。こうしていれば、年相応に可愛らしい少女に見えるのだから不思議だ。

 

「ちゃんといますよ、ここに」

 

 不思議とそんな言葉が、零れ落ちた。

 




1章を書くにあたって元にした短編です。
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