何処からともなく聞こえてくるお囃子の音と、派手な色に塗られた出店ののぼり。そして、通りを行ったり来たりする人々の騒めきが、その通りには溢れ返っている。それを見た私——セツ・カンザキは、思わず溜息を吐いた。
これは、用事を済ませるのに骨が折れそうだ。祭りと言うものはこの世界でもそう変わらず、騒がしい物らしい。いっその事違えばよかったのに。と言っても、毎年遠巻きに見ていただけで、別に祭りに行った事など無いけれど。
ああいや、一度だけあった。とても昔の話だ。あの時、どうして私は祭りになんて行こうと——
「ねぇセツ見て見て! 金魚すくい!」
「そうですね」
そう言いながら駆け出していこうとするヨツバの手を掴んで止める。こんな人混みの中で迷子だなんてことになったら洒落にならない。第一、走り回ったら帯が解けてしまうかもしれないと注意されたばかりだと言うのに。
「走らないでください。ほら、綿あめを買うんでしょう?」
人にぶつかりかけながら、そう言ってヨツバの手を引いて先へ進む。
そもそも、こんな所に来たいと思ってきた訳じゃ無いのだ。発端は、ヨツバが何時もの様に綿あめが食べたいだなんて我儘を言い出した事。正直、それだけの為にここまで来るのは気が進まなかった。しかし駄々を捏ねられるよりかさっさと買って満足させた方が楽だろうと思い、わざわざこんな所まで来ることにしたのだ。が、その判断は些か早計だったかもしれない。
「しかし、何故綿あめだなんて……」
人混みで上手く前に進めないせいか、それとも慣れない服装で動きづらいせいか。気づかない内に、私は苛々とそう呟いていた。特に誰に聞かせようと思った訳でも無い、殆ど無意識での呟きだ。
「……お父さんがね」
だから、返事が帰って来るなんて思っていなかった私は、思わず足を止める。
「お父さんが買ってくれたの、綿あめ。いつもお祭りに行くとね、買ってくれたんだ」
ちらりと下の方に視線をやってもヨツバの様子は寂しげでは無く、むしろどこか楽しそうに話している。私は何も言わずに、ゆっくりと歩き出した。
「それでいつもね、『お祭りだからな』って言うんだ。お母さんは、『ちゃんと歯磨きするのよ』って言うの。でも——ねぇセツ! あれ何!?」
屋台の一つに目を惹かれて、ヨツバは急に話をぶった切った。何とも言えない気分になりながらも、ヨツバが指さした方を見る。そこにあったのは、飴細工の屋台だった。夜の灯りを反射してキラキラと輝く飴細工が、台の上に幾つも並べられている。
「あれは飴細工ですね……欲しいんですか?」
「うん! ねぇセツお願い! お願いお願いお願い!」
「今日は綿あめを買いに来たんですよ」
まさか二つも買って貰えるとは思っていないだろうと思ってそう言うと、ヨツバは明らかにしまったと言う顔をする。そこまで考えが回って居なかったのだろう。難しい顔つきをして考え始めたかと思えば、深刻な顔つきでこんな事を言った。
「……両方、ちゃんと食べるよ。ねぇだからいいでしょセツ! 買って!」
残す残さないの問題ではないのだが。呆れた様な気分でそう思ってから、私は少しだけどうするか考える。普段なら、どちらかだけと言えば良いのだが……
「一つ下さい」
私は手に持った財布から百円玉を三枚取り出して、店の店主に渡す。それと引き換えに受け取った小さな金魚の飴細工を差し出せば、ヨツバは分かりやすく目を輝かせた。
「やったー! ありがとうセツ!」
「お祭りですからね」
自然と、そんな台詞が零れ落ちた。そしてその台詞と、ヨツバの笑顔に引き摺られて、ふっと“あの子”との記憶が脳裏に浮かぶ。
『だって、セツちゃん、今日はお祭りだからね!』
そうだ。そう言うあの子に連れられて、私は——
しまい込んだ、古い古い記憶が蘇る。あの日も、こんな風に人が多くて、煩くて、暑くて。ああ、それで、楽しかった。楽しかったのだ、私は。
だからだろうか。だから、今日は苦しくならないのだろうか。あの日が楽しかったから、“あの子”の笑顔を思い出せるのだろうか。それとも——
「今日が、お祭りだから」
それこそ柄でも無いと、もう一度呟いた言葉に少し苦笑した。
短いですね。2つ目はセツさんです。