繋ぎ目の光陰   作: K . K

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3.好奇心

 ネクロ・ミッチェルは、この日初めて、車と言う物に乗った。

 

 そう。彼もまた、セツやヨツバの様に、この世界ではない世界からやってきたのだ。魔法や妖怪が存在する、だいぶこの世界と異なるその世界は、西洋世界と呼ばれている。

 

 そんな訳だからネクロは、この世界の事について少しばかり疎い。ようやく慣れて来たとは思っているが、まだまだ驚く事の連続なのだ。しかしそれ以上に、好奇心がくすぐられる物も多い。実を言うと、車と言う物の存在は知っていたので、一体どんな物なのだろうと、今朝も少しワクワクしていたのだ。

 

 それと同時に、この日初めて、車酔いと言う無情な現実を知った。

 

 

 

 酷く気分が悪かった。具体的に言い表し様の無い気持ち悪さが、未だ胸の奥辺りに居座っている。目を閉じたまま、頭を少し動かすと、窓ガラスのひんやりとした感触が額に触れた。薄く目を開ける。車が止まった。どこかに到着したようだ。

 

「ネクロくーん?」

 

 うわ、来た。そんな気持ちが声にならずとも、表情に出てしまう。声を掛けて来たのは、神尾桃真だ。ネクロは返事をせずに、寝たふりをする事にした。

 

 実を言うと、と言うほど隠している事でも無いが、ネクロは神尾の事が苦手だ。その原因は、十割程が神尾にある。

 

 他の住人から神尾先生と呼ばれるように、神尾は歯科医院を営んでいる歯医者だ。そのせい、と言う訳でも無いだろうが、神尾は他人の歯を見るのが大好きな変態なのだ。そしてネクロは、その神尾に気に入られて、事あるごとに歯を見せろと迫られていた。つまり、一番の被害者という事である。

 

「あー、駄目っぽいですねぇ。ネクロくん、寝ちゃったみたいです」

 

 神尾が皆に向かってそう言うのが聞こえる。本当は寝たふりをしているだけだが、面倒臭いので黙って置く事にした。実際、まだ動けるほど気分は良くなっていないし。

 

「そんなら、車の中に残してくか。昼飯は、売店で買っておきゃ良いだろ」

 

 そう言うマスターの声も聞こえる。どうやら、みんなで昼食を食べに行くらしい。そこへ、がやがやと車を降りる声に混じって、ある人物の言葉が聞こえた。

 

「それなら、私も残ろう。子供一人で車内に残しておくべきでは無いからな。ああそうだ、私の分の昼食も買ってきてくれたまえ」

 

(いやそれあんたが外に出たくないだけだろ!)

 

 悪びれることなくそう言い放ったのは、ミト・ミト。常に白衣を纏っているので、ミト博士と呼ばれる人物である。あまりにも裏の意図が透けて見える発言に、思わず心の中で突っ込んでしまったのはネクロだけでは無い筈だ。

 

「あー、分かったよ。何が良い?」

 

「菓子パンを頼む」

 

 呆れた様な声のマスターとミト博士が、そう言葉を交わすのが聞こえる。それからどんどん足音や話し声が遠ざかって行って、車の中は急に静かになってしまった。寄りかかっている窓ガラス越しに、降りて行く皆が見える。その中に神尾を見つけて、ネクロは視線を反射的に逸らした。

 

「何だ、起きているじゃないか」

 

 すると、入口の方から歩いてきたミト博士と、ばっちり目が合ってしまった。何となくネクロは気まずく感じてしまうが、ミト博士は全く気に留めず、自分の席に戻っていく。まるでこっちに興味があるのか無いのか分からない言動に、ネクロの頭の中にいくつも疑問符が浮かんだ。

 

 ネクロは住人の中でも一番の新参者なので、正直な所、まだ他の住人の事を理解しかねているところがある。その中でも、ミト博士は一番近寄り難い相手だった。

 

 生物学の博士を自称しているものの、一日中部屋に籠っており、何をしているのかは誰も知らない。夕食や朝食にも毎回来る訳ではなく、他の住人ともあまり話さない。分かるのは、気難しい人なんだろうなという事ぐらい。

 

 しかしそんな彼の事を、他の住人はある程度理解している様だった。そのうえで、思い思いの距離感で彼に接している。どうすればそうできるのか、ネクロには分からない。でも、その関係性は、とても自然に見えて。それを見ていると、どうしても思ってしまう。やっぱり、自分の居場所なんて、どこにも————

 

「君、ちょっと良いか」

 

 急に声を掛けられて、ネクロは驚いた。振り向けば、ミト博士がこちらに来いと手招きをしている。不思議に思いながらも、それに従ってミト博士の所まで歩いていく。車酔いは、いつの間にか直っていた。

 

「普段、トレーニングで何をしている?」

 

「トレーニング?」

 

 一瞬何を聞かれたのか分からず、そう聞き返す。

 

「いつも、敷地で走ったりしているだろう。何か、特別な事をしているのか?」

 

 何だ、そんな事かと、少し拍子抜けする。そう言えばこの前、ミト博士に「君のその身体能力はおかしい」とかなんとか言われて、あれこれ調べられたのだった。終わった話だとばかり思っていたが、ミト博士はまだ色々やっていたらしい。

 

「特別な事は、別に何も。走ったりしてるだけだし。てか、何で知ってんだ?」

 

 トレーニングは完全に習慣で続けて居る物だから、特に誰かに言ったことは無いのにと、ネクロは訝しむ。しかしミト博士は、さらりとこう言った。

 

「私の部屋からは良く裏庭が見えるからな。そうなると、やはり後天的な物では無いのか? 確かに、この部分は——」

 

 そして、何かをぶつぶつ呟きながら、ミト博士はパソコンの画面を難しそうな表情で見つめている。邪魔にならない様にこっそりのぞいてみたが、そこには意味の分からない数字が羅列されているだけだ。こんな小難しい事をして、原因が分かるのだろうか。そしてそれが分かった所で、一体何になると言うのだろう。神尾と言い、ミト博士と言い。

 

「何で、そんなに調べたがるんだよ。こんなん、毒にも薬にもならないだろ」

 

 知らず知らずのうちに零れ落ちた言葉は、誰にも言うつもりの無かった、紛う事無き本音だ。

 

「逆に、何故知りたいと思わないのだ?」

 

 パソコンの画面に視線を向けたまま、ミト博士がそう言う。答えが返ってくるなんて思っていなかったネクロは、思わずその目を見開いた。

 

「活用出来る出来ないに関わらず、知識と言う物には価値がある。毒になるか薬になるかは、調べないと分からないものだ」

 

 きっぱりとした口調で、ミト博士は言い切った。そしてパソコンの画面からネクロの方に視線を移して、更に言えば、と付け加える。

 

「私は私が知りたい事を研究する。意味は、後から付いて来るのだ」

 

 そう言ったミト博士の態度は堂々としていて、傲慢とすら言えそうなものだった。どうしてこんなに自信満々で居られるのか、ネクロには分からない。相変わらず、一つも。ただ、少しだけ。

 

「……何だよ、それ」

 

 思わずと言った様に、ネクロは少し笑ってしまう。

 

 少しだけ思ったのは、この人は、とても素直な人なのかもしれない、という事だった。

 




〜皆が車から降りた直後の話〜
マスター「どうした? 車の方なんて見て」
神尾「一瞬、ネクロくんがこっちを見ていたような気がしたのですが……気の所為ですかね、何も見えません」

※車の中は外から見えないようになっています

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