それからまた数時間が経ち、一行が宿に到着したのは、五時を少し過ぎた頃合いだった。チェックインの手続きはマスターが済ませ、荷物も皆部屋に運び込んだ。夕食には、まだ少し時間があるらしい。そんな訳で、皆思い思いの行動を取っている中、瀬戸佑也は、部屋のベランダでタバコの煙を燻らせていた。
遠くに見える山の稜線が、沈みかけの太陽の明かりに照らされて、薄い茜色に染まっている。その上を、宵闇色の鳥が二、三羽、すぅっと飛んでいくのを、佑也はぼんやりと見つめていた。東京より少しだけ日の入りが早いように感じるのは、気のせいだろうか。
綺麗な景色だな、と、素直に思う。
旅行は、好きでも嫌いでも無い。大人数だと、少し面倒だなと思うだけ。でも、こう言う普段見られない綺麗な物を見ていると、悪くないと思える。綺麗な景色を見るのは、結構好きだから。何にも関係なく、ただそこに綺麗なままであるものと言うのは、貴重だ。
ぼんやりと、考えとも言えない取り留めも無い事を考える。タバコから、ぽろりと灰が落ちた。
「ゆーやー、何やってんの?」
聞き慣れた声に、振り返る。見れば、ベランダの入口に、芹奈が立っていた。そっと、タバコをベランダの手すりに押し付けて、火を揉み消す。タバコはハンコの様に、手すりに歪んだ丸形の痕を白く付けた。
「いや、別に。どうした?」
「コンビニにさ、お菓子買いに行こうと思って。ついてきてくんない?」
それに「ああ」と頷いて、ベランダから部屋に入る。聞けば、コンビニまでは十五分ほど歩くらしい。標高が高いせいか、日が沈んでいるせいか、外は大分寒い。上着を持って行った方が良いだろう。
「ていうかお前、昨日もお菓子買ってなかったか?」
ふと思い出して、芹奈にそう聞く。確か昨日の夜も、こうして買い出しに付き合わされたのだ。車の中で食べるとかなんとか言って結構買い込んでいた記憶がある。
「ああ、あれ? もう無くなっちゃったの」
「また買うのか?」
「無いよりはある方が良いでしょ?」
「……そんな食ったら太るぞ」
「もう! 別に全部一人で食べる訳じゃ無いから!」
そんな風にぽつりぽつりと言葉を交わしながら、電灯の少ない道を二人は歩いた。耳を澄ませば、どこからか虫の声も聞こえる。背中を押す風は冷たくて、見上げた空は濃紺色だ。都会よりもいくらか澄み渡ったそこには、一つ二つと、もう星が輝きだしている。
あぁ、冬が来るんだな。大した理由も無く、そう感じた。
まだ残暑が居座っていたのが、昨日の事の様だ。けれど、空気は日増しに冷たくなっていっている。冬が来たら、年が明けるのだろう。まだ二ヶ月はあるけれど、何て言っている内に、あっという間に。そうして季節は移り変わって、年月は流れていく。過去が引き離されていく。月並みな言葉ではあるけれど、時間の流れは無常だとしか、言い様がない。
止めよう、と佑也は首を振った。悲観的になるのは、悪い癖だ。芹奈にもよく、そう言われる。
顔を上げると、数メートル先にコンビニが見えた。暗い夜道で、そこだけが都会と変わらず、煌々とした明かりを灯している。
「はい、これ持って」
コンビニに入ると、そう言う芹奈に買い物カゴを持たされた。そしてそのカゴの中に、芹奈はポイポイとお菓子を入れていく。
「買い過ぎんなよ、晩御飯もあるんだから」
「何とかなるって! じゃあ、佑也も何か食べたいもの入れなよ」
何がじゃあなのか良く分からないし、そんな事を話している内にもカゴはどんどん重くなっていく。コンビニ袋一つに納まるのだろうかと、佑也は思わず訝しんだ。
両手に一つずつコンビニ袋を持たされて、佑也は芹奈と来た時と同じ道を歩いていた。佑也の機嫌は、行きよりも若干悪い。コンビニ袋が重いのと、行くときは下りだった道が帰る時は上りになっているからだ。ちょっと意味は違うが、何となく『行きはよいよい帰りは恐い』と言うフレーズが浮かんだ。
「にしても、重てぇな」
がさがさと膝に当たるコンビニ袋が鬱陶しくて、そんな呟きが零れる。
「まぁまぁ、旅行の夜にはお菓子パーティが定番でしょ?」
良く分からない芹奈の言い分に、肩を竦めて返そうとする。が、コンビニ袋が重い。何度でも言うが、本当に重いのだ。
「私さー、こういう買い出しとか、結構好きなんだよねぇ。ほら、高校の時の文化祭とかでもやるでしょ? the、非日常って感じがするし」
そう言って笑う芹奈に、佑也は何も答えなかった。ただ黙って、芹奈の後ろをゆっくりと歩き続ける。
「……来年もまた、皆で来れるかなぁ」
夜空を見上げて、芹奈は息を吐き出した。その横顔を見つめて、佑也は呟くようにそれに答える。
「来れるんじゃねぇの、多分」
季節なんて、あっという間に過ぎ去っていく。時間は、決して止まらないのだから。一年なんて、瞬きする間に経っているかもしれない。だから、きっと。
「そうだと、いいなぁ」
こちらを振り向いて、気が抜けた様に、芹奈はまた笑った。