早朝に辺境の街を出て、半日が過ぎた。
太陽はすでにてっぺんを越え、燦然と大地を照らしている。
穏やかな春の陽気は眠気を呼ぶ物だ。馬車の天蓋に座る妖精弓手はふわ、と欠伸を一つこぼした。
朝早起きだったことと、ゴトゴトと揺れる馬車も相まって、眠いことこの上ない。その上、
「暇ね」
半日進んで何も起きないのだ。最低限の注意力を残して妖精弓手はくつろいでいた。この後のミッションを考えれば、英気を養うのも大切な事である。
御者である蜥蜴僧侶はグルリと目を回して妖精弓手の様子を見て、クスリと笑った。
馬車の中では、
「こんないいお天気なのに走らないなんて、バチがあたるよ」
縄でくくりつけられたモトラドが不満げに言った。
鉱人道士がリンゴの最後の種までかみ砕いて飲み込むと、言った。
「やっぱりモトラドの本懐は走ることってか」
「そりゃね。剣は斬るため、槍は突くため、パースエイダーは撃つため。モトラドも走らなきゃ」
「燃料が高いんだから仕方ないよ。我慢して。」
「でもさあ、走れる状態なのに馬車に乗っけて貰うのってモトラドとしてのプライドが傷つけられるんだよ? わかる?」
「わかんないよ」
旅人とモトラドが気の抜けた会話をし、女神官と鉱人道士が笑う。
ゆっくりと時が流れていた。
だが、今回は冒険なのだ。
ずっと安全に目的地に着くなど、あるはずも無かった。
「ん?」
最初に異変に気づいたのは、馬車の上の妖精弓手だった。
長い耳をピクリと動かして、音の方向、馬車の走る正面を見る。
「何か来るわ」
鋭く言った。すでに彼女の手にはイチジクの大弓が握られている。
ゴブリンスレイヤーが剣を抜き、旅人がカノンをドロウ。鉱人道士が触媒の詰まった鞄に手をあて、女神官が錫杖を握る。
バサリバサリと翼を羽ばたかせる音が聞こえてきて、ついに一党が姿を確認出来るほどになっていた。
二枚の爬虫類めいた翼、二本の足を持つその怪物は、
「クエレブレ!」
女神官が鋭く叫んだ。
クエレブレ。矢を通さぬほど堅い鱗をもち、毒の息を吐く翼竜。家畜や人の血を吸って生きる怪物である。
クエレブレは馬車の正面の方向から真っ直ぐ向かって来た。
「右に進路を向けろ!」
「承知ッ!」
蜥蜴僧侶が手綱を操り、馬車を右に向けて走らせる。
クエレブレが、馬車を追いかける様な形になった。
「うおおおおお!」
「きゃああああ!」
急に襲いかかった慣性に、モトラドは楽しそうに、女神官は恐怖を覚えて声を上げた。
「そ、それにしてもクエレブレは薄暗い場所で生息すると怪物辞典に書いてありましたが……どうしてここに居るんでしょう?!」
女神官は驚いていたが、
「それはとりあえず後! 倒してから考えなさい!」
妖精弓手は弓を引き絞り、矢を放った。
ひょう、と空気を斬る音がして、矢は真っ直ぐクエレブレに飛んでいく。しかし、木芽鏃の矢は強固な鱗にぶつかるとパン、と弾かれて地に落ちた。
「むう、堅いわね……」
「たしか、クエレブレの鱗は鉄のように堅いそうです。」
「早く言ってよ!」
「投剣も意味が無いな」
ゴブリンスレイヤーは片手剣を鞘に戻した。
次に武器を構えたのは旅人だ。
「では、パースエイダーを試してみますか」
旅人はカノンをホルスターに戻し、腰の後ろから森の人を抜いてクエレブレに照準した。
レーザーサイトは、クエレブレの右目に向けられている。
普通であればレーザーが目に入れば視界を奪うことも出来るはずだが、動じている様子はない。目が見えていないのか、単純に効かないのか。
「目にレーザーポインタって、罰金モノのラフプレーじゃない?」
「不意打ちよりマシだよ」
モトラドの茶化しに適当に答えると引き金を引いた。
パンと乾いた発砲音がして、弾丸は眼球に吸い込まれる様に命中した。
しかし、
「クエレブレって、目も硬いの……?」
二十二口径の弾丸は、
クエレブレは姿勢を少し崩しつつも、止まること無く馬車に向かって飛んできている。
要するに、全く効いていない。
鉱人道士が蜥蜴僧侶に叫んだ。
「鱗の! お前さんの親戚だろ、話でもつけてくれんか!」
「あいにく、里帰りはしばらくでしてな!」
それに、と馬の手綱を握りながら、
「同性の竜が二匹そろったら、殺し合いしか無いでしょうや」
「これだから血の気が多いのはいかんのだ!」
旅人は、必死に馬車にしがみつく女神官に聞いた。
「あの、あの竜の弱点って何かわかりますか」
「ええと、確か……首の下の皮膚が柔らかいはずです!」
「首の下ね!」
その会話を聞いた妖精弓手が弓をつがえ、狙いを定める。
が、
「アイツいっちょ前に防具なんて着けてるわよ!」
クエレブレの首には、鉄板を重ねて作られた防具が装着してあった。上手く重なる作りになっていて、首を曲げるのも苦にならないようである。
「人工物を装着ってーことは……どっかの闇の魔術士かなんだかの使いっ走りか」
「石の街の首魁の手の者か」
鉱人道士とゴブリンスレイヤーがあたりをつける。
そうこうしているうちにクエレブレは馬車との距離を縮めている。
「ふん!」
あわやと言うところまで迫りくる翼竜に、ゴブリンスレイヤーが仕掛けた。
一投したのは唐辛子やその他諸々を卵に封じ込めて作った催涙弾。
如何に全身を強固な鱗で覆い、眼球さえも鋼鉄の堅さを誇ると言っても、眼球は眼球だし、鼻も口もある。
そしてそれらに真っ赤な粉塵が襲いかかった。
目や鼻、口内を激しい痺れに侵された翼竜は羽ばたいて居られず、地面に激突した。
失速したクエレブレの影は、みるみる小さくなってゆく。
「や、やりましたか……」
「いや、ただ動きを止めただけだ。直に持ち直して襲ってくるだろう。」
おそるおそる言った女神官の希望的観測を、ゴブリンスレイヤーが切って捨てた。
「それに、俺たちが来ていると言う情報を知られたくないし、この馬車の速度では逃げられん。ここで殺す。馬車を止めてくれ」
ゴブリンスレイヤー達の馬車は道から大きく外れた場所で停車した。
「でも、どうやって倒しましょう。」
フルートを組み立てながら旅人が言った。
「ボクのカノンは鉛弾を撃つので、貫通力は低いです。森の人はカノンよりも威力が低いのでやっぱり貫通しないと思います。フルートが一番威力は高いですが、あの鱗を抜けるかわかりません。あの……翼竜の首の鉄板も同じです。」
「ふむ」
「拙僧が彼奴の首を引っこ抜きますかな?」
「ええと、毒の息を浴びるかもしれないので……」
あんまりな蜥蜴僧侶の提案に女神官は冷や汗をかいた。
ゴブリンスレイヤーは思案する。自分のポケットの中を一つ一つ確認しながら作戦を考える。
この一党の火力は、旅人のパースエイダー、蜥蜴僧侶の怪力による斬撃、鉱人道士の〈石弾〉だ。巻物は今回持っていない。
旅人は言わずもがな、竜牙刀による切り込みはあの鱗に通用すると思えない。
〈石弾〉もどちらかというと打撃だ。確実に息の根を止める事ができるか不安が残る。
〈石弾〉で首の骨を折るか? しかし眠るときに自分の体の上に首を置くほど柔らかい竜の首を折れるかどうか。
鱗を剥がせば攻撃は通じる。馬鹿な、乗っている間に地面にこすりつけられたら紅葉おろしになって終わりだ。
あの鉄の鱗をどうにか……。
そこで、脳裏に一筋の閃光が迸った。
クエレブレはもうやってくる。
ゴブリンスレイヤーは、旅人に言った。
「錆びていたなら打ち抜けるか?」
クエレブレはまもなくしてやってきた。口から毒気を漏らしながら、あの馬車を狙って飛翔する。
愚かにも停車し、クエレブレと相対しようとしている、奴らの馬車を発見した。
愚かだ、とクエレブレは思った。
この自分の鱗は〈火球〉ですら耐えるのだ。あの貧弱な一党なぞが勝てる訳がない。
全員殺して肉塊に変えてやる。
クエレブレは馬車を中心に組んだ陣形の最前線にいる蜥蜴僧侶めがけて襲いかかった。
まず一つ。
そこでクエレブレは、自身の体が朽ち始めているのを感じた。
「〈白亜の層に眠りし父祖らよ、背負いし時の重みにて、此れ為る者を道連れに〉」
〈腐食〉の祈祷。金属物を腐らせ、たちまち錆の塊に変えていく術。
蜥蜴僧侶の祈祷によってクエレブレの鉄の鱗が腐り、朽ち始めたのだ。
蜥蜴僧侶の足下では竜牙の触媒が沸騰している。
自慢の鱗が醜く泡立ち始めるのをみて、穏やかでは居られない。鱗の沸騰する痛みに耐えかねて、クエレブレはズシンと音を立てて地に落ちた。普通であればこの程度の衝撃なんということも無いはずだが、今は腐食している。落下の衝撃で鱗にビキビキとヒビが入ってゆくのがわかった。
猿ぐつわのように括られた防具も、〈腐食〉に当てられて腐り落ちた。だが、クエレブレにそんな事を気にしている暇は無かった。
翼も錆ついて飛び立つ事もかなわない。
急所だけでも隠さなければ。
クエレブレは地面に首の弱点を隠すように倒れ込んだ。
これで、直ぐに殺される事はないだろう。
クエレブレは、周囲を目玉をぐるぐると回して見回した。
最後に見たのは、謎の筒をこちらに向ける帽子の冒険者だった。
旅人はフルートの引き金を引いた。鋭いライフル弾は錆によって出来たヒビを押し破って体内に侵入し、脳をズタズタに破壊した。
クエレブレはしばし痙攣していたが、やがて絶命し、それきり動かなくなった。
「これでおしまいって事かしらね」
「お疲れ様ー」
はあ、とため息をついて妖精弓手が荷台に腰掛け、足をぶらぶら振った。モトラドが他人事のように労をねぎらう。
高速で走る馬車にしがみつくので精一杯で、女神官も疲労困憊のようだ。
「面倒なことだ」
クエレブレの死体を鉱人道士と検めてきたゴブリンスレイヤーが戻ってきて、言った。
「それは、なんですかな」
蜥蜴僧侶が尋ねたのは、ゴブリンスレイヤーの持つ錆びた鉄板だ。
「あの翼竜がなんで毒の息を吐かんかったかわかったわい。」
酒瓶を呷り、
「猿ぐつわがしてあったからの。飼い主のせいで」
「飼い主?」
「あの、首の鉄板をしつらえた奴だ」
そういってゴブリンスレイヤーは錆びた鉄板の欠片を投げ捨てた。
「む」
「あっ!」
「これは…」
蜥蜴僧侶、妖精弓手、女神官が三者三様の反応を見せたが、考えたことは同じだった。
円環の中に、瞳のような紋様。緑の月を
「覚知神だ。厄介なことだ」
ゴブリンスレイヤーは、面倒くさそうに言った。