地底人迷宮譚~迷宮を差し置いて遺跡に潜るのは間違っている~   作:筆記者カレル

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食料庫事件と共鳴する鐘の狩人

 『食料庫(パントリー)』……それはダンジョンの各階層に点在する、巨大な石英(クォーツ)のある大空洞。石英(クォーツ)からは豊潤な魔力を含んだ透明な液体が染み出し、ダンジョンで生まれたモンスターはそれを栄養源として活動している。

 今回アイズとヘルメス・ファミリアが目指すのは、24階層にある食料庫(パントリー)だ。未曾有のモンスター大量発生の原因を突き止めるべく、一行は迷宮を下っていた。

 

 ダンジョンは階層を下るに従って円錐状に面積を増していき、内部の環境も多彩さを増していく。今回彼らが向かう24階層は一般に中層と呼ばれる位置にあるものの、ダンジョン全体からすれば未だ折り返しにも至っていない浅層に過ぎない。

 だが、それでも都市(オラリオ)の総面積の半分にも及ぶ広大さを有している。しかも階層を満たす環境は地上とは打って変わった独特なもので、複雑且つ危険な生態系を形成していた。

 

 階層を覆う程の巨大な樹木の内部に形作られた天然の迷路。折り重なる10M(メドル)を超える高低差。迷路の複雑さに拍車を掛ける無数に開く小さな樹洞(うろ)。層域特有の植物群。

 人呼んで『大樹の迷宮』──発光する青光苔に照らされる幻想的なこの区域を、冒険者達はそのように呼び恐れた。

 

 だがアイズとヘルメス・ファミリアにとって、この程度の階層で苦戦することはない。

 むしろ、アイズが手を出すまでもなかった。ヘルメス・ファミリアは抜群の連携を見せ、押し寄せるモンスターの群れを瞬く間に殲滅してしまったのである。

 

 ガン・リベラル、バトルボア、バグベアー……大樹の迷宮に多く生息するモンスターだが、ありふれているからとて決して容易い敵ではない。飛行能力と遠距離攻撃能力を有するガン・リベラルは言うまでもなく厄介であるし、群れを成すバグベアーも鋭い爪牙と優れた腕力を具えた強敵だ。バトルボアに至ってはバグベアーの倍近い体躯を持つ上にパワーもある、まさに絵に描いたような凶暴な怪物(モンスター)である。その硬く鋭い牙を活かした突進は金属鎧にすら容易く穴を開けてしまうだろう。

 

 それでもヘルメス・ファミリアの敵ではない。その強さの中核を成しているのが、団長たるアスフィ・アル・アンドロメダの優れた指揮能力であった。

 個性豊かな団員達を過不足なく纏め上げるカリスマ性。修羅場にあって即座に適切な指示を弾き出す、優れた状況判断能力と決断力。彼女の指揮者としての手腕は抜きん出ている。

 加えて本人の技量もまた並ではなく、Lv.4だけあって得物である短剣の扱いはアイズの目からしても見事なものだ。自ら戦働きを行いながらも的確に戦況を見極め団員に目を配ることを怠らない立ち回りは、ロキ・ファミリアの一軍を務める彼女をして感嘆を禁じ得ないものだった。

 

 徹底的に無駄を排し、効率の粋を極めたパーティ運用。どこか勇者(フィン)を彷彿とさせる、だがより合理に傾いた“氷の指揮官”。一連の戦闘を鑑み、アイズはアスフィに対しそのような印象を抱いた。

 

 これぞ【万能者(ペルセウス)】。これこそがヘルメス・ファミリア。──だが、彼女らの快進撃はそう長くは続かなかった。

 

 いよいよ到達した24階層。事前情報通り……あるいはそれ以上の規模で氾濫するモンスターの大群をアイズが単騎で掃討したまでは良かった。その程度の怪物の宴(モンスターパーティ)はアイズもアスフィも想定済みだ。だが──

 

「な、何だぁこりゃ……!?」

「壁……? まるで植物のようにも見えますが……」

 

 件の食料庫(パントリー)を目指し、24階層を北へ進んだ一行。果たしてアイズとヘルメス・ファミリアを出迎えたのは、まるで彼らの来訪を拒むかのように聳える緑の巨壁であった。

 アイズが手で触れてみれば、緑の壁は確かな鼓動を掌に伝えてくる。まるで生きているかのように──否、実際に生きているのだろう。この生命の脈動こそがその証。

 

「ファルガー、セイン、報告を。……なるほど、やはりそうでしたか」

 

 偵察を行わせていた団員の報告を受け、アスフィは今回の異常事態(イレギュラー)に対して一つの仮説を立てる。

 即ち、モンスター大量発生の原因はダンジョンから急激に産み落とされた結果の氾濫ではなく……この緑の肉壁によって食料庫(パントリー)に繋がる道を塞がれてしまったがために、他の餌場を求めて限られた経路に大量流入してしまった結果であると。

 

()()()ではなく()()()……それが24階層で起きている怪物の宴(モンスターパーティ)のあらましでしょう」

「北の食料庫(パントリー)に入れなかったモンスター達が溜まって溢れた結果ってことか……。

 けどさ、もしアスフィの予想通りだとして……じゃあ、この壁の向こうには何があるんだ?」

 

 誰もが思っていた疑問を、ルルネが不安に表情を曇らせながら口にする。

 気付けば辺りには沈黙が満ちていた。誰もがこの先に待つ未知の脅威を肌で感じ、緊張に口を閉ざしたのだ。

 

「……行けば分かることです。メリル、魔法を」

「は、はいっ」

 

 銀で縁取られた眼鏡のブリッジを指で押し上げ、アスフィは至って冷静な声音で沈黙を破る。

 内心はどうあれ、その怜悧な美貌には一切の動揺は見られない。少なくともアイズの鑑識眼では見抜けない程度には彼女のポーカーフェイスは完璧だった。パーティを預かる指揮官として、団員を徒に混乱させないための感情制御の賜物だろう。

 ふと、アイズは何の気なしに腰に下げた古鐘に触れた。それは彼女なりの不安の表れだったのかもしれないし、あるいはアスフィと同じく表情が読めない人物としてこの鐘の持ち主を重ねた結果かもしれない。

 

 いずれにせよ、アイズをして不吉な予感を禁じ得ない()()がこの先に待ち受けている……それだけは確かだった。

 

「ご苦労様です、メリル。……さあ、行きますよ。全員陣形を崩さないように」

 

 小人族(パルゥム)の魔導士、メリル・ティアーの火炎魔法が緑の壁を焼き払う。開いた3M程の空洞に足を掛け、アスフィは落ち着いた声で一同に突入を促した。

 

「……驚いたな。初めて見るぞ、こんなの」

「この肉壁、ダンジョンの上に何かが被ってるみたいね……気持ち悪い」

 

 狸人(ラクーン)のホセ・ハイエルと猫人(キャットピープル)のタバサ・シルヴィエの二人が驚きと、それ以上の不快感を口にする。五感に優れる獣人の二人は、より生々しく緑の肉壁の脈動を感じ取っていた。

 

 さもあろう。壁の内側に突入した彼らを待っていたのは、緑の肉壁で構成された洞窟(トンネル)だった。ドクドクと脈打つ壁面に全方位を囲まれ、明滅する不気味な光源が通路を妖しく照らしている。その異様さは獣人でなくとも容易に肌で感じ取れるほど。

 まるで化物の胃袋(はら)の中を進んでいるかのようだと……思わず口を衝いて出たルルネの率直な感想に、一同は考えたくもないと顔を顰めた。

 

 ──だが本人にとっては甚だ不本意なことに、ルルネの直感は的中していた。

 

 まるで肉壁から生まれ出でるかのように、天井を突き破って出現する極彩色の植物型モンスター……食人花(ヴィオラス)。蛇のようにも見える長躯を蠢かし、十体を超える群れを成して襲い掛かってきた。

 

「……【剣姫】、これが例の新種ですか?」

「はい。打撃が効かなくて、魔力に強く反応します。あと魔石は……口の中、です」

「全員聞きましたね? 魔石(じゃくてん)は口腔。剣を用い、一体につき三人以上で対処するように……行動開始!」

 

 依頼人から例の胎児の宝玉が関係していると聞き及んでいたアイズは、予め極彩色の魔石のモンスターについてヘルメス・ファミリアと情報を共有していた。それが功を奏したか、見たこともない新種のモンスターの急襲を前にも【万能者(ペルセウス)】の鉄面皮は揺るがない。

 指揮官(アスフィ)の一喝で瞬時に動揺から立ち直った団員一同は、即座に三人一組の陣形を組み食人花(ヴィオラス)の対処に当たった。

 

 そしてヘルメス・ファミリアの援軍たるアイズの役割は遊撃手だ。彼らの連携を乱さない程度に動いて敵を減らしつつ、仲間に危険が迫ればこれを援護する。

 

 

 ──その筈だった。

 

 

「!」

「【剣姫】!?」

 

 突如として天井が崩落する。

 ……否、降ってきたのは緑色の柱だった。肉壁と同じ材質で構成された柱が幾本も降り注ぎ、アイズとヘルメス・ファミリアを分断してしまったのだ。

 

 即座にルルネが駆け寄るが、彼女の得物では太く堅牢な柱の壁はビクともしない。交差する柱と柱の間には僅かな隙間があるものの、とても人間が通れるような空間はなかった。

 だが僅かな隙間の奥に揺れる金の髪が見てとれる。とりあえずアイズの身が無事であることに安堵のため息を吐き……その隙間を通って投げつけられた何かが顔面を直撃し、ルルネは悲鳴を上げてスッ転んだ。

 

「いったァー!? 何だこれ……鐘と、薬瓶?」

「ルルネさん、もしもの時はそれを──!」

「【剣姫】? おい、何かあったのか!? 【剣姫】!!」

 

 投げつけられたのは、アイズがファミリアの仲間に託されたと語っていた道具(アイテム)だった。花緑青の錆が浮く古びた手鐘(ハンドベル)に、青白く発光する何かを内部に納めた硝子瓶。

 「危なくなったら鳴らせ」と言って渡されたというそれを、何故アイズは自分で使わずルルネに投げて寄越したのか──

 

 

 

「また会ったな、アリア」

 

 

 

 それは、アイズなりの覚悟の表れだった。

 

「……やっぱり、いた」

「ふん……そちらから出向いてくれるとは、願ったりだ」

 

 通路の奥から悠々と歩み寄って来る、赤髪の調教師(テイマー)……否、怪人レヴィス。

 アイズの胸に敗北の苦い記憶が蘇る。だが、それも既に過去の出来事。今の彼女はあの時とは違う。

 

 古鐘の用途については聞き及んでいる。その上で、アイズは仲間の好意に頼るつもりはなかった。

 心配して貰えるのは素直に嬉しい。だが同時に、その心配りに甘えているようではいつまでも成長できないとも思うのだ。目指す頂点(さき)は遥か遠く……だからこそ、この程度の窮地は独力で突破せねば話にならない。

 

「ついて来てもらうぞ、アリア」

「……私はアリアじゃない。私は──」

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。ロキ・ファミリアの切り込み役にして孤高の魔法剣士。

 

 

 ──そして、L()v().()6()の第一級冒険者である。

 

 

「いくよ」

「ッ!」

 

 レヴィスの目が驚愕に見開かれる。

 アイズの姿が掻き消えた──そう錯覚する程の尋常ならざる加速力。踏み込みの力強さ、体重移動に姿勢制御の技量共に比類なく。その疾風のような速力は、レヴィスの脳裏に片腕を奪われた時の忌々しい記憶を呼び起こさせる。

 

 銀に煌めく無毀の魔剣(デスペレート)と紅に染まる天然武器(ネイチャーウェポン)が激突する。だが拮抗状態は長くは続かず、小手調べの第一幕はレヴィスが一方的に押し負ける形で決着した。

 今の一瞬の交錯で感じ取れた剣の重さと速さ。気のせいなどではなく、以前のそれとは桁違いに上昇している。成長の一言では片付けられない劇的な変容を目の当たりにし、レヴィスは忌々しげに歯噛みした。

 

「お前、まさか……ステイタスを昇華させたのか……!?」

「貴方に負けたくなかった……それだけ」

「ちっ、面倒な……これだから冒険者は……!」

 

 しかもレヴィスにとっては認め難いことに、アイズは未だその身に(エアリエル)を纏っていない。つまりは本気ではないということだ。

 神の恩恵を血に宿しているというだけでも忌々しいのに、その上で態々魔法を制限するというあからさまな手加減。レヴィスが怒りを募らせるには十分な増上慢だった。

 

 かつてない屈辱と怒りに顔を歪めるレヴィス。その絶殺の意志を宿した視線を真っ向から見据え、アイズは静かに剣を構えた。

 

 

 

 

 

 【剣姫】という強力な手札を失い、命からがら食人花(ヴィオラス)の群れを引き離し食料庫(パントリー)に突入したヘルメス・ファミリア。だが、彼らを待っていたのは更なる絶望だった。

 

「愚かなるこの身に祝福をぉぉぉ!!」

「咎を許したまえソフィア!」

「レイナ、どうかこの清算を以て──!」

「あぁあユリウス!!」

 

 血走った目に狂気を宿し、死兵と化した白装束の集団が大挙して押し寄せる。

 彼らが叫ぶのは神の名、あるいは人の名前だった。身体に巻き付けた火炎石を爆弾とし、祈るように誰かの名を叫びながら自爆特攻を敢行する。

 

「こいつら正気じゃない……!」

「何てこった……こいつら全員()()だぞ……!?」

 

 そのあまりに凄惨で狂気に満ちた玉砕を目の当たりにし、ヘルメス・ファミリアに動揺が走る。

 何故なら彼らこそ『闇派閥(イヴィルス)』。秩序を嫌悪し混沌を愛する者ら。邪神・悪神に率いられた災いの尖兵たる彼らの破綻した精神性など、秩序に属する彼らには到底理解などできぬものなのだから。

 

 かつてオラリオを混沌に陥れようと画策し、だがギルドを中心とする冒険者達の総力を以て根絶させられた筈の闇派閥(イヴィルス)。そんな連中がこんな所で何をしていたのか……それについて思考する暇は、残念ながらアスフィには与えられなかった。

 

「壊れた連中め。神などに縛られる愚者ども……滑稽な」

 

 食人花(ヴィオラス)とは異なる巨大な植物型モンスターに取りつかれた石英(クォーツ)の傍に立ち、悠然と眼下の地獄絵図を眺める異様な出で立ちの男。捻れた双角の白面で素顔を隠した何者かが、嘲笑も露わに口元を歪めつつ手を掲げた。

 

「──やれ、食人花(ヴィオラス)

 

 指揮者のように振るわれた腕の動きに合わせ、現れた食人花(ヴィオラス)の大群が戦場に乱入する。つい先刻散々にヘルメス・ファミリアを追い散らした群れを倍する規模の軍勢の出現に、いよいよアスフィすら戦慄に表情を強張らせた。

 

 闇派閥(イヴィルス)による我が身を顧みぬ自爆攻撃。そして食人花(ヴィオラス)の無差別な強襲により、アスフィの指揮の下に完璧な統制を保っていた陣形が崩壊する。敵味方入り乱れる混戦では誰もが自分の身を守るのが精一杯で、連携の維持に意識を割くだけの余力がないのだ。

 

(死兵を指揮する色違いの装束の男、そして食人花を操る調教師(テイマー)と思しき白尽くめの男……あれらを排除せねば数で劣るこちらは磨り潰されるだけ……!)

「ファルガー、私に代わり全体の指揮を! 全員かき集めて持ち堪えなさい!」

 

 前衛リーダーである虎人(ワータイガー)のファルガー・バトロスに臨時の指揮を任せると、アスフィはキークス・カドケウスを供として駆け出した。

 彼女の目的は敵首魁を仕留めることで混乱を誘い、こちらに主導権(イニシアチブ)を取り戻すこと。要は基本的な首狩り戦術だ。食人花(ヴィオラス)はともかくとして、闇派閥(イヴィルス)の方はそれで止まってくれる可能性があった。

 

 死兵など、およそ尋常な精神状態でできるようなものではない。生物である以上、死を恐れる心は誰もが当たり前のように持っているものだからだ。

 その当たり前の前提が崩れるとするならば、そこには死の恐怖をも忘れさせるような強固な意志、あるいは強力な指導者(カリスマ)の存在が不可欠だ。それは闇派閥(イヴィルス)が戴く主神の神意であり……この場においては、彼ら死兵を後方から指揮する色違いのローブに身を包んだ男であるのだろう。

 

 ならば、まずはそれを潰す。その決意の下にアスフィは猛然と駆け出した。

 当然ながらそれを迎え撃ち、諸共に自爆せんと白装束が彼女に迫る。だがその程度で【万能者(ペルセウス)】が足を止めることはない。何故なら──

 

「どうだ、これが俺の投石の威力とコントロールよ!」

 

 鷲鼻が特徴のヒューマン、キークスによる投石が次々と白装束の頭を撃ち、自爆させる間もなく昏倒させていく。

 

 投石とは最も原始的な狩猟法だが、その用途は狩りだけに止まらない。古来より人間同士の戦いにおいても投石は重要且つ効果的な戦術だった。弓矢程の射程はないが、矢と異なり風の影響を受けにくく、何より調達が容易い。特にここはダンジョンであり、武器となる石礫は掃いて捨てる程に存在する。

 しかも投げるのはLv.3、ファミリア随一の投石技術を持つキークスである。彼は弓矢の間合いから次々と礫を投げ放ち、アスフィの前に立ち塞がる白装束を悉く打ち倒していった。

 

「良い援護です、キークス」

 

 下手な弓兵よりキークスの投石の方がよほど頼りになる。アスフィは彼の援護を受け一切減速することなく駆け抜けると、手にした短剣で白装束のリーダーと思しき男の首を切り裂いた。

 闇派閥(イヴィルス)の指導者を倒した以上、残った白装束達の統率は時を置かず瓦解するだろう。後は残る一人……食人花(ヴィオラス)を操る調教師(テイマー)の男だけだ。

 

食人花(ヴィオラス)に大人しく喰われていればいいものを……」

 

 粘るヘルメス・ファミリアの様子に苛立ち、白尽くめの男は再度腕を振るい指示を飛ばす。彼の背後から現れた新たな食人花(ヴィオラス)がそれに応じ、アスフィに向けて無数の触手を伸ばした。

 食人花(ヴィオラス)の脅威は下層~深層クラスに相当する。生半可な衝撃を通さぬ強靭な外皮に10Mを超える長大な体躯。そしてその巨体に見合わぬ敏捷性。Lv.4たる【万能者(ペルセウス)】をしてかなりの強敵であり、パーティ単位ならいざ知らず、単騎で相対したならば不覚を取る可能性とて十分に考えられる。

 

 それ程の怪物(モンスター)が群れを成し、たった一人の人間を捕食せんとしている。もはや出し惜しみをしていられるような状況ではなかった。

 

「『飛翔靴(タラリア)』」

 

 故に、遂にそれは開帳された。

 彼女の足を包み込む長靴(サンダル)、その側面より二翼一対の翼が広がる。淡く発光するそれはまるで本物の翼のように羽搏(はばた)き、伝令神の眷属を遥か上空へ押し上げた。

 

 これぞ稀代の魔道具作製者(アイテムメイカー)、【万能者(ペルセウス)】アスフィ・アル・アンドロメダが生み出した最高傑作。左右合わせ計四枚の翼を展開することで、装備者に飛行能力を付与するという破格の魔道具(マジックアイテム)である。

 

 神ならぬ人の身で天を舞うなど本来ならばあり得ぬことだ。人は翼を持たず、大地に根を張ることを宿命づけられた陸の生き物である。ならばその常識を打ち破り、人の新たな可能性を開拓したこの発明は正しく奇跡、『神秘』の結晶に相違ない。

 だが、奇跡とは安売りすべきものではない。故にこそ伝令神の神意により飛翔靴(タラリア)は秘匿されてきた。この魔道具(マジックアイテム)の存在を知るのは主神(ヘルメス)万能者(アスフィ)、そしてごく限られた団員のみである。

 

飛翔靴(これ)まで使わせたのです。完璧に仕留めさせてもらいましょう──」

 

 特に使用を制限されているわけではないが、それでも神意は神意である。その意向に背き多くの視線がある中で開帳したのだから、相応の戦果が得られなければ釣り合いが取れないというもの。酷薄な笑みと共にそう嘯き、アスフィは無数の小瓶を上空から投下した。

 

 それは掌に容易に収まる程度の小さな硝子壺だった。透明な容器の内部には鮮やかな緋色の溶液が満たされている。

 名を『爆炸薬(バースト・オイル)』。これもまた【万能者(ペルセウス)】謹製の魔道具(マジックアイテム)であり、大陸北部の火口近辺に発芽する火山花(オビアフレア)を原料にアスフィが手を加えて生成した液状の爆薬である。

 その威力たるや、何と小瓶一つで中層クラスのモンスターを即死させて余りある。アスフィはそれを指の間に挟み込むようにして保持し、実に八個にも及ぶ爆炸薬(バースト・オイル)を投げ放ったのである。

 

 食人花(ヴィオラス)であっても手が出せぬ遥か上空から降り注ぐ緋色の爆薬。当然地を這うことしかできぬ怪花にそれを避ける手段などなく、白尽くめの男の指示でアスフィを追っていた食人花(ヴィオラス)の群れは例外なく爆発の餌食となった。

 

 耳を聾する大爆発が巻き起こり、異界化した食料庫(パントリー)を震撼させる。白尽くめの男は煩わしそうに腕で顔を覆い、巻き起こる熱風と粉塵から身を守った。

 その隙を逃す【万能者(ペルセウス)】ではない。自在に空を舞うアスフィは爆炎に紛れるように背後を取ると、腰撓めに構えた短剣を勢いのままに男目掛けて突き出した。

 

「獲った!」

「──下らん」

 

 だが。完全に不意を衝いたと思われたアスフィの奇襲は、平然と振り返った男の手によって呆気なく阻まれてしまった。

 

「なっ……!?」

 

 背後から心臓を一突きにするつもりで突き出した短剣の刃は、男の掌で握り締めるようにして堰き止められている。生身で刃を掴んでいるにも関わらず掌の傷は極めて微少で、薄皮一枚が切れた程度にしか見えない。

 何より驚くべきは、片手一本でアスフィの全体重を押し留めるその怪力だ。細身の女性とはいえ十分に鍛えられた身体、しかも飛翔靴(タラリア)の飛行能力による加速も加わったというのに、男は直立したまま微動だにしない。

 

(この怪力、白兵戦を挑むにはあまりにも──!)

「ぬんっ!!」

 

 予想だにしなかった結果にアスフィの思考に空白が生じる。男は先程の意趣返しとばかりにその隙を衝き、巴投げの要領で彼女の身体を地面に叩きつけた。

 

(いけない、距離を──)

 

 アスフィもさる者で、叩きつけられた衝撃によって我に返ると即座に身を翻し男から距離を取ろうとする。Lv.4の力を物ともしない異常な怪力の男を前に、接近戦はあまりに分が悪いと。そう睨んでの素早い判断であったが──この男を相手に、一瞬でも後手に回った時点で既に手遅れだった。

 

「忘れ物だ」

 

 その声はすぐ背後から。鈍い衝撃が背中を貫き、灼熱のような激痛と冷たい鋼の感触が臓腑を蹂躙する。

 腹から生えた鋭い切っ先は、あまりに見慣れた己が得物の刃である。奪われた自身の短剣で背中から貫かれたのだと、アスフィの頭脳は過たず現実を受け止めていた。

 

「冒険者のしぶとさは身に染みている。この程度では簡単に治るだろうな……」

「ッ……ぁぁあああ゛あ゛あ゛あ゛!?」

 

 声を荒げることはあれど、悲鳴など滅多に上げぬアスフィの喉から凄惨な絶叫が迸る。男は突き刺した剣を荒々しく捻じり(はらわた)を掻き回すと、そのまま心臓に向かって刃を動かしたのだ。これでそうそう全快はすまいと、男は仮面の下で邪悪に哂う。

 腹部の臓器を破壊し、なおも止まらぬ刃はいよいよ肺に到達しようとする。アスフィの喉から噴水のように鮮血が溢れる様を目の当たりにし、団員達から悲痛な声が上がった。

 

 だが、彼らは未だ止まらぬ白装束と食人花(ヴィオラス)の攻勢によってその場から動けずにいた。本来ならば頭を叩くことによって一気に状況を打開する筈が、その突出によって互いに手出しできぬ位置まで両者の距離は開いてしまっていたのだ。

 ──ただ一人を除いて。

 

「汚ねぇ手でアスフィさんに触んじゃねぇええええ!!」

 

 前に出るアスフィに付き従い、投石の援護に徹していたキークスただ一人が辛うじてアスフィを助けられる位置にいた。彼は悪鬼の形相で怒声を発し、男の顔面目掛けて目晦ましの煙幕弾を投擲する。

 

「チィ、猪口才な……!」

 

 毒煙の類ではないようだが、視界を制限された状態で両手が塞がるのは悪手。そう冷静に断じた男はあっさりとアスフィを解放し地面に投げ捨てた。

 好機。アスフィの身は依然男のすぐ傍にあるが、キークスならばこの距離でも取れる手はある。彼は懐から一本の回復薬(ポーション)を取り出すと、自慢の投擲術でそれをアスフィに投げ渡さんとした。

 

「アスフィさん! こいつを使って下さ──」

 

 

 

食人花(ヴィオラス)

 

 

 

 何の前触れもなく地面を突き破って現れ、虚空を奔る一本の触手が。

 

 背後からキークスの腹を貫き、胴体に巨大な風穴を開けた。

 

 

「き……キー、クス……!!」

「何故私が【万能者(ペルセウス)】をすぐに殺さなかったと思う? 彼女は貴様らの旗頭、傷を負えば誰かが助けようとするだろう。──恰好の獲物だ」

 

 アスフィがやろうとしたのと同様、男もその気になれば彼女の心臓を貫き即死させることもできた。

 そうしなかったのは、何も過剰に甚振ろうとしたからではない。それは冷徹な計算の下に算出された結果の行動。より悪辣な、だが極めて合理的な殺戮の手管である。

 

「ヘルメス・ファミリア……あまり聞かぬ名だが随分と粘る。故にこじ開けさせてもらったのだ。この女が単独で向かってきてくれたのは僥倖だった……後は飛んで火にいる夏の虫。こいつを助けようと誰かが突出し、それを助けるべくまた誰かが突出する。我ながら実に冴えた手だと思うのだが、どうかね?

 そら、この女もその男も辛うじてだがまだ生きているぞ。助けに来ないのかね、ん?」

 

 白骨の仮面に覆われた男の顔、唯一露出した口元が邪悪に弧を描く。

 見え透いた挑発だとは理解している。だが理解と納得は別問題だ。今にも死にそうな仲間を目の前にして、みすみすそれを見過ごせる程ヘルメス・ファミリアの結束は温くはない。

 

「アスフィ! キークス!」

「よせ、ルルネ!」

 

 誘蛾灯に誘われる虫の如く、ふらふらと二人の下に駆け出そうとするルルネ。その背後から迫る白装束の凶刃を、ファルガーは大剣を割り込ませ(すんで)のところで防ぎ切った。

 

「バカ野郎、見え透いた罠だろうが! お前まで死ぬつもりか!?」

「だって、だってこのままじゃ二人が死んじまう!!」

 

 何とか冷静さを保たせようとするファルガーだったが、そう言う彼自身も焦燥のあまりまともな思考を働かせられずにいる。ルルネのように我を忘れるとはいかないまでも、目の前の闇派閥(イヴィルス)食人花(ヴィオラス)の脅威を前にどう動くべきか測りかねていた。

 

(どうする!? 俺はアスフィさんに指揮を任されてんだぞ!! 考えろ、俺はどうすりゃいい!?)

 

 焦りが思考を鈍らせる。ファルガーは何とか打開策を見出そうとするが、空回りするばかりで一向に有効な手が見えてこない。

 その間にも状況は動く。誰も罠に乗らぬと察した白尽くめの男は鼻を鳴らすと、地面に倒れ血溜まりを作るアスフィに歩み寄った。

 

「誰も助けに来ないとあらば、このまま生かしておく意味もない。……確実に息の根を止めてやろう」

「……っ」

 

 アスフィは何とか立ち上がろうとするも、重傷を負った身体は全く言う事を聞いてくれず、何とか呼吸を保つだけで精一杯という有り様だ。死んでいないだけまだ希望はあると思いたいが、無感情にアスフィを見下ろす男の目には一切の温度がない。

 正しく俎上の魚だ。もはやアスフィに為す術はない。

 

「──そうだ……そうだ、鐘! 【剣姫】から渡された道具(アイテム)が!」

 

 その時、焦りに混濁する思考の中で懸命に頭を働かせていたルルネに天啓が走る。先ほど緑の柱によって分断された際、アイズが投げて寄越した古鐘の存在を思い出したのだ。

 

「『危なくなったら鳴らせ』って、そう言っていた! 滅茶苦茶強い【剣姫】に持たせるようなもんが、まさかただのモンスター避けのガラクタってことはないだろ──!」

 

 古びた鐘を取り出すと、ルルネは一縷の望みを懸けてそれを揺らす。だが、幾ら揺らせど錆びついた古鐘は音を発する気配はなかった。

 

 さもあろう、何故ならそれは神秘の鐘。人の身で次元を跨ぐ音色を奏でたいならば、それには尋常ならざる神秘の智慧が……『啓蒙』が必要となる。神秘を解さぬ、そも存在すら知らぬような獣人の少女に扱えよう筈もなかった。

 

「何も……起こらない、な」

「……んだよホントにガラクタだってのか!? これどうやって鳴らすんだよ【剣姫】ぃ────!!」

 

 ルルネはなおも諦めず、何とか古鐘を鳴らそうと躍起になって揺らし続ける。その様を絶望のあまりに狂ったのだと解釈した白尽くめの男は失笑を漏らし、嘲りを込めてアスフィを睥睨した。

 

「【剣姫】は来ない。仲間も、増援も、ましてや神も──誰もお前を助けない。縋るものを失くし、絶望と共に神と与した己の愚かさを知るがいい。そして塵屑のように……死ね」

 

 男の足が今まさにアスフィの頭に振り下ろされようとする──その時だった。

 

 狂ったように鐘を持った腕を振り回していたルルネ。その激しい動きによって、鐘と一緒に渡されたまますっかり存在を忘れ去られていた硝子瓶が懐から零れ落ちる。

 容量を犠牲に分厚く作られていた硝子瓶だったが、蓋をするのは何の変哲もないコルク栓だ。落下の拍子にそれはあっさりと外れ、中身を地面にぶちまける。

 

 否、そもそも硝子瓶の中を満たしていたものは液体などではなかった。零れた中身は地面に染み込むことなく、重力に逆らうように虚空を漂い始める。

 それは青白く光る霞だった。煙のように、霧のように、あるいは胞子のように。霞は空間に広がり、周囲を神秘的な蒼白に染め上げていく。

 

 誰ぞ知ろう、これこそが『神秘の霞』。あらゆる冒涜の儀式の内に偏在する、呪われた遺跡に満ちる不吉の源。だが、確かにそれは神秘を示す青白い輝きを帯びていた。

 

 霞に漂う神秘の片鱗が、古びた鐘に音を与える。一時ばかり神秘に満ちた空間の中で、遂に古鐘の音色は次元を超えた。

 

 


 

「共鳴する小さな鐘」の音が見つかりました

 


 

 

「……え?」

 

 蠢く緑壁に侵食され異界化した食料庫(パントリー)に響き渡る神秘の調べ。絶望で満ちた鉄火場にはあまりにそぐわぬ妙なる音色が虚空を震わせた。

 ルルネを中心に広がる青白い波紋は、次元を跨ぐ協力求めの符牒である。次元の狭間を渡り、時空の断絶を超え、遂に『狩人呼びの鐘』はその真価を発揮した。

 

 漂う神秘の霞が、徐々に形を持ち始めた。

 大気が歪み大地が軋む。まるで見えない手で掻き回されていくように、空間そのものが陽炎のように揺らめいていく。

 

 ──そして、虚ろなる外法の理が障子紙を破くように世界を貫き、沸騰する悪夢が溢れ出た。

 

 青き霞を纏い、鴉羽の大外套を翻すは黒衣の狩人。夢に漂い現実を侵す、狂気の端境(はざかい)に佇む血濡れのアデプトゥス。

 

 

 最後の獣狩り、【流血鴉】のカイン──異端なりし外なる上位者(かみ)化身(うつしみ)が、吹き荒ぶ悪夢のエーテルと共に顕現した。

 

 

「──これは驚いた。誰かと思えば伝令神(ヘルメス)の所の犬娘じゃあないか」

 

 てっきりアイズに呼ばれたものと思い喜び勇んで飛び出てみれば、彼を呼び出したのは一週間振りの再会となる犬人(シアンスロープ)の少女。カインは意外そうに眉を上げて尻餅をつく少女を見下ろした。

 

 だが、それ以外の人間にとっては意外どころの話ではない。条理を逸脱した神秘の具現に、ヘルメス・ファミリアは勿論、闇派閥(イヴィルス)と白尽くめの男さえもが愕然と動きを止めた。

 それは人ならざる食人花(ヴィオラス)すらも例外ではなかった。まるで蛇に睨まれた蛙のようにその身を硬直させ、慄くように触手を震わせながら突如出現した狩人を警戒している。

 

「【流血鴉】だ……」

「そんな馬鹿な、なぜ死神がここにいる……!?」

 

 誰もが驚愕に言葉もない中、いち早く反応を示したのは白装束……死兵と化した闇派閥(イヴィルス)の者達だった。

 何故なら彼ら闇派閥(イヴィルス)残党にとって、眼前ではためく鴉羽のマントは絶対なる死の象徴である。その不吉を纏う黒翼を目にして生きて帰った者は一人としておらず、悉く鴉が振るう血刀の錆となって天に還ったのだ。彼らがこんな地の底に身を潜めねばならなくなった直接の原因とも言えよう。

 それ程までに、五年前【流血鴉】と【疾風】の両名によって行われた残党狩りは大きな爪痕を残した。狩りとは名ばかりの大虐殺は、直接その暴虐を目にする事のなかったこの場の者達に対してすら多大な恐怖を刻み込んでいる。

 

「……これはこれは、随分と懐かしい白服だ。塵屑の分際で一丁前に理想を語る(ケダモノ)どもがわらわらと」

 

 凍えるような冷笑と共に放たれた言葉には、彼らしからぬ毒が含まれていた。灰色の瞳からは一切の感情の波が消え失せ、ただ只管に無機質な殺意の凝視で並み居る白装束を睨み据える。

 

 混沌を齎すなどと嘯き世に汚辱を振り撒く闇派閥(イヴィルス)は、カインにとって徹頭徹尾嫌悪の対象だった。何故なら獣狩りの狩人とは、本来そういうモノを狩るのが役割だからだ。

 悪夢に沈んだヤーナムにおいて、獣と人は等号で結ばれる。獣に変じた元人間、血の秘儀に狂った医療者達、悪夢に痴れる探求者ども……全て人の世に仇為す異形の獣だ。それらを狩り尽くすことこそ狩人たる者の大前提。違えること能わぬ絶対の存在意義である。

 

 狩りに優れ、無慈悲で、血に酔っていること……それが良き狩人の資質であると灰の古狩人は語った。全く以てその通りだ。狩人とは慈悲無き暴虐の具現であり、その暴悪を以て世に蔓延る(けもの)を殺す存在。狂気の極北にありて秩序を守護する者こそが獣狩りの狩人なのだ。

 悪を以て悪を討ち、混沌を以て混沌を滅ぼす者。正義に背を向けながら秩序に与する絶対の冒涜者。そんな獣狩りの末席を汚すカインにとって、邪神・悪神に率いられた闇派閥(イヴィルス)は正しく絶殺を誓うに値する怨敵だった。

 この鴉羽の外套こそがその証。狩人の掟を忘れ、血に惑い獣性に呑まれた人非人を屠る、狩人狩りの業を継いだ契約の証明であり誇りである。

 

「っ、【流血鴉】! 頼む、アスフィとキークスを……!」

「分かっているとも。優先順位は違えないさ」

 

 我に返ったルルネはカインの足元に縋りつき、仲間の助命を懇願する。

 何故、どうやって彼がこの場に現れたかについては疑問が尽きないが、そんなものは仲間の窮地にあっては些末事だ。正に藁にも縋るような少女の哀願に、狩人は委細承知とばかりに首肯した。

 

「──そこをどけ、獣ども」

 

 その一言は距離の隔たりを無視し、超自然的な力でも籠もっているかの如く大空洞に木霊する。

 それは威風か、気迫か、あるいは魔力か。総身から放たれる不可視の波動が鉄火の調べを掻き消し、衣のように纏う青い霞を棚引かせた狩人の歩みが大地を伝っていく。たったそれだけ、歩いただけで、意思なき地面すらもが死神の歩みに戦慄し、恐怖に震えているかのようだった。

 飛散した血肉と灰に満ちた戦場の臭気すら、冷たい月の香りへと染まっていく。その堂々たる歩みを止められる者などいない。

 ……否、止めようとする者はいるのだ。だが彼らは碌に近付くこともできず、訳も分からぬまま死に絶えていく。

 

 カインの歩みを彩るように、鮮血の華が咲き乱れる。コツコツと銀の具足が地面を打ち鳴らす度に、次々と白装束の首が落ちていく。瞬く間に十を超える首が宙を舞った辺りで、ようやくその原因が明らかになった。血と脂の尾を引かせ、幾条もの銀閃が虚空に踊っている。

 

 まるで鞭のようにしなり、顎門の如くに並んだ無数の刃が乱舞する。それはさながら不可視の断頭台。カインを中心に乱れ舞うギロチンの刃が、白装束の接近を許さなかった。

 《仕込み杖》──それが闇派閥(イヴィルス)に死を振り撒く断頭台の正体だった。カインは手元の操作で縦横に刃を振るい、行き掛けの駄賃とばかりに斬刑に処していく。

 

「さて、彼女の作る道具(アイテム)にはボクもお世話になってるんでね。【万能者(ペルセウス)】は返してもらうよ」

「貴様……ッ!?」

 

 白尽くめの男が我に返った時には、カインは既に目と鼻の先まで接近していた。至近距離で不気味に笑う鴉羽の死神。得体の知れぬ怖気に背筋を凍らせた男は、反射的に拳を叩き込んでいた。

 Lv.4の渾身を一蹴したその怪力は、鋼鉄の塊でさえ飴細工のようにひしゃげさせてしまうだろう。──しかし、逆に砕けたのは男の剛腕だった。

 

「──ぎッ、があッ」

 

 男の腕が血を噴きながらあらぬ方向へ反り返り、肩部に至るまでの筋肉が破裂を起こす。その原因となったのは、男の拳に対し虫でも払うかのようにぞんざいに振るわれたカインの裏拳だった。

 一瞬にして肉塊へと変じてしまった右腕を庇い、男はよろよろと後退る。酷いものだった。腕の肉は出来の悪いオブジェのように捻じ曲がり、血に濡れた筋肉の間から露出する骨は枯れ枝か何かのように圧し折れている。

 

 脂汗を流して痛みに呻く男を尻目に、カインは悠々と救出を果たした。瀕死のアスフィとキークスを両脇に抱えると、《加速》を用い一瞬にしてルルネ達の下へ帰還する。

 

「アスフィ! キークス!」

「酷いものだ、恩恵がなければとっくに死んでるような瀕死の重傷じゃないか。どれ……」

 

 カインは『狩人呼びの鐘』とは異なる銀色の鐘を取り出す。精緻な彫金が施されたそれを鳴らすと、玄妙な音色と共に白い光が踊るように宙を舞った。

 すると、まるで時を巻き戻すかのように二人の傷が修復されていく。その奇跡を目の当たりにしたヘルメス・ファミリアの団員達は目玉が零れんばかりの驚愕を露わにした。

 

「嘘だろ、あれ程の重傷が一瞬で!?」

「魔法? でもエリクサーにも匹敵する回復魔法なんて、まるで【戦場の聖女(デア・セイント)】じゃないか……!」

 

 キークスの胴に空いていた大穴すらも内臓ごと完全に修復し切り、そこでようやくカインは鳴らし続けていた鐘の音を止める。

 

「【戦場の聖女(デア・セイント)】っていうと……ああ、医神(ディアンケヒト)のところの彼女か。残念ながら《聖歌の鐘》はあそこまで問答無用じゃないよ。肉体的な損傷にしか働かないし、何より消費が重い」

 

 『聖歌隊』によって神秘の鐘を模して生み出された秘儀《聖歌の鐘》。遂に次元を跨ぐことのなかった鐘の音はしかし、全ての協力者に生きる力と治癒の効果を及ぼした。時空間に干渉する神秘の模倣品、失敗作に過ぎないが、これはこれで実に有用な秘儀である。

 だが欠点として、一度の発動で七発もの水銀弾を消費する。規格外の効果と比べれば安いものであると割り切ることもできるが、原則二十発しか水銀弾を持ち出せない狩人の身からすれば無視できない消費量となるだろう。

 

「というわけで、悪いが回復の秘儀はこれで打ち止めだ。もしまた重傷を負っても助けてあげられないからそのつもりで。

 ……尤も、これ以上奴らの狼藉を許すつもりはないけどね」

 

 そう嘯き、カインは唇を割って現れた真っ赤な舌で手の甲についた血を舐め取る。直後、一応は味方である筈のルルネ達すら恐怖に身を竦ませる程の殺気が放たれた。

 

「──なあ? 【白髪鬼(ヴェンデッタ)】……いや、オリヴァス・アクト」

 

 殺意に濡れる双眸が細められ、開いた口裂が三日月を描く。牙剥く獣の如き獰猛さで、死を喰らうカラスは怨敵の名を囁いた。

 闇派閥(イヴィルス)狩りの死神が、血が滴るような狂喜に身を震わせる。その視線の先で、白骨の仮面が砕けて散った。

 




後編に行く前に、短めの閑話を次回に挟もうと思います。閑話というか、長くなり過ぎたために今回の分から切り離した余り物なんですけども。








リヴェリアが伊豆旅行に行くだけの毒にも薬にもならない小話です。
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