地底人迷宮譚~迷宮を差し置いて遺跡に潜るのは間違っている~   作:筆記者カレル

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精霊の風と狩人の業

 轟いた一発の銃声が屋内訓練場に木霊する。

 

 放たれた銃弾は真っ直ぐにアイズへと向かう。ライフリング加工に円錐状の弾丸。この神時代には存在しない技術と製法で作られた《獣狩りの短銃》による銃撃は恐るべき弾速と精度を発揮する……が、それでも所詮は亜音速程度。Lv.5の身体能力ならば目で見てから回避することも不可能ではない。

 むしろ狙いが正確な分見切り易いとさえ言えるだろう。アイズは迫る弾頭を迎撃するようにレイピアで切り払い──予想外の衝撃に危うく剣を取り落とし掛けた。

 

(重っ……!?)

「この短銃は未強化且つ血晶未搭載だから安心するといいよ」

 

 蹈鞴を踏んだアイズを余所に、鴉羽のマントを翻してカインが一歩を踏み出す。

 敢えて見せつけるようにゆっくりと動き出したのは余裕の表れか。まるでアイズが体勢を立て直すのを待つかのように悠々と大地を踏みしめ──瞬間、煙のようにカインの姿が掻き消える。

 

目覚めよ(テンペスト)……!」

 

 だが、二度目ともなれば幾つか対抗策も見えてくる。アイズは素早く詠唱式を唱え、全力の【エアリエル】で全身を覆い尽くした。

 姿は見えずとも、相手は攻撃するために近付いてくる筈だ。ならばこちらも見えぬ風の鎧で対抗するまで。そのような意図の下、風の刃は少女の身体を隙間なく覆い隠し……だが、敵の刃はその鎧を強引に喰い破った。

 

「ぐぅっ!?」

「まだ温いなァ」

 

 触れれば切れる風の鎧、確かに脅威。()()()()()()()()()()()()()()()。まるで鈴の音のように玲瓏な風切り音が虚空に響き渡り、しかしその涼やかな音色とは裏腹な剛剣が咄嗟に構えたレイピアを軋ませた。

 

 威力とは物体の重量と速度の乗算である。そう言わんばかりの極めて物理的な計算の下に実現された短剣の一閃は、それこそ【重傑(エルガルム)】の剛腕にも劣らぬ馬鹿げた破壊力でアイズを襲う。

 何とかこれを凌いだは良いものの、少女の矮躯はその威力に踏み止まることを許されず後方に吹き飛ばされる。巧みな姿勢制御と風の力で相殺してなお、アイズはその場から大きく後退することを余儀なくされた。

 

 だが、これは好機(チャンス)でもある。(エアリエル)すら振り切る《加速》により埒外の剛剣を繰り出したカインは、その凄まじい突撃によって広い訓練場を縦断する勢いで駆け抜けた。即ち今、彼我の距離はかつてない程に大きく開いている。

 この隙に崩れた体勢を立て直す──ことはしない。【エアリエル】の風に姿勢制御と機動力の一切を任せ、威力の代償か大きく残心しているカインの隙を突くように畳み掛ける。アイズは崩れた姿勢のまま、ジェット噴射のように風の魔力を放出することでその場から飛び出した。

 

 しかし、勢いよく飛び出したアイズはすぐに出鼻を挫かれる。まるでそう来るのが分かっていたかのように、彼女の足元に威嚇射撃が放たれたのだ。

 

 銃はその性能だけ見ればアイズら第一級冒険者の敵ではない。弾速は目で追える程度だし、弾道も真っ直ぐで銃口の向きから見極めるのは容易い。カインのそれは威力だけは不自然に強いが、基本的に銃に込められた火薬以上の速度も威力も出ないため、高レベルの冒険者が扱う魔法の弓矢ほどの脅威ではないだろう。

 しかしながら、銃には銃の利点がある。何より大きいのは発射までにかかる時間が圧倒的に短いことだ。アイズが知る限りでは色々と複雑な下準備が必要だった筈なのだが、カインの銃にはそれがない。構え、引鉄を引けば即座に弾が吐き出される上に片手で扱える。これは矢を番え狙いを定めるのに数秒の間隔を要する弓にはない利点であり、弾速や威力の不足を補って余りあるだろう。

 

 これをカイン程の冒険者が扱えば途端に恐るべき脅威に変わる。例えば今のように、銃の速射性を活かし技後硬直の隙を補うことも容易い。ただでさえ強敵なのに、僅かに生まれた好機すら潰されるのでは堪ったものではなかった。

 

「おやおや、風が止んだぞー?」

「……ッ」

 

 足元を穿った銃撃にまたも蹈鞴を踏んだアイズ。そしてそんな隙を二度も看過してくれる相手ではない。カインは開いた距離を一瞬で詰めると、まんまと動きを止めたアイズに笑顔で斬りかかった。

 甲高い風切り音と共に振るわれる歪な短剣。アイズは不完全な体勢のまま強引にレイピアを差し込み、アダマンタイトやミスリルとも異なる不思議な金属光沢を持つ白銀の刃と鍔迫り合った。

 

「やりにくそうだね。その剣だと迂闊に風を込めれば自壊しかねないし、仕方ないのかな」

「…………」

「まあボクの《慈悲の刃》も、強化こそしてるけど血晶は入れてないから条件的にはイーブンさ。どうせ模擬戦、これぐらいの塩梅が丁度いい……っとぉ!?」

 

 ゴッ、と(エアリエル)が舞い上がる。流石に鍔迫り合っている状況で風の鎧は如何ともし難かったのか、カインは即座に反応し飛び退った。

 強引に相手を引き離したアイズは、その間にようやく体勢を立て直す。無理な姿勢で迎え撃ったためか身体の節々から発する鈍い痛みに顔を顰め、彼女は厳しい表情でカインを睨みつけた。

 

「ボクも大概な自覚はあったけど、キミの風も中々に反則的だねぇ。攻防自在で汎用性に優れ、何よりたった一小節で気軽に発動できるのがいい。消費も少なそうだし、ボクの《秘儀》と取り替えてほしいぐらいだよ」

「ヒギ……?」

「キミ達で言うところの魔法……になるのかな? 便利な反面、魔力の代わりに触媒を消費するから考えなしに使ってるとすぐ弾切れになるのが欠点でねぇ」

「……気になる」

「残念ながらフィンに使用を控えるよう言われてるんだ。今回は《加速》で我慢しておくれ。まあ、尤も──」

 

 使う必要もなさそうだけど。

 

 笑いながらそう嘯いたカインにアイズはムッと眉を顰める。ここまでの攻防で相手が格上であることは十分に理解したが、さりとてこうもあからさまに舐めた態度を取られて引き下がれる程アイズは大人ではない。

 

「……絶対使わせる」

「良い気迫だ。ならうっかり秘儀を使ってしまったらその時点でキミの勝ちとしよう」

 

 上等だ。アイズはその一言に奮起し、更に風のボルテージを上昇させていく。

 まるで少女の意気に呼応するかのように荒々しく勢いを増していく小型の嵐(エアリエル)を見て、カインは人知れず口元を引き攣らせた。

 

 

 

 

 

 頂上決戦。そう表現して差し支えない戦いが目と鼻の先で行われていた。

 

 銀閃が虚空を切り裂き、断続的に火花が舞い散る。

 暴風と化したアイズが地面を削り、黒風と化したカインは嵐の切れ目を縫うように疾走する。

 ヒートアップしていく両者の姿は刃が交わる刹那、鍔迫り合う一瞬に僅かに見てとれるだけで、もはや多くの者達の目では捉えられぬ程の速度で動き回っていた。

 

 よもやこれが模擬戦だと言われ、納得できる者がどれだけいるか。ここにうっかりLv.1でも放り込もうものなら即座に襤褸屑と化すことは間違いないだろう激戦が繰り広げられる。二人が形成する百花繚乱の刃の乱舞を前に、ロキ・ファミリアの団員達は誰もが圧倒されていた。

 

 アイズに関しては半ば予想していた通りではあった。その非凡な実力は周知の事実であるし、彼女が戦う姿を直接見たことのない者とて、その苛烈な戦闘スタイルについては十分に聞き及んでいる。

 反対に多くの者達にとって予想外だったのがカインの実力であった。普段の冒険者らしからぬ生活態度も祟り、ファミリア内におけるカインの信頼は決して高くない。日々の精力的な冒険者活動でその実力を知らしめてきたアイズと比べれば、その評判は雲泥の差であると言って良いだろう。

 Lv.6という高みにあることは重々承知している。だが同じレベルのフィンやガレス、リヴェリアらと比べその実力は不透明であり、彼ら三人から感じられる他と隔絶した凄みをカインからは感じないというのも大きかった。端的に言って舐められていたのだ。

 

 しかしいざ始まってみれば、当初の下馬評を覆すような戦いが繰り広げられていた。押しているのはカインであり、アイズは【エアリエル】を最大出力で発動していながら終始圧倒されている。

 特筆すべきは何と言ってもその速さだ。アイズも十分に速いが、カインに至ってはもうフィンとガレスでさえ目で追い切れぬところまで速度を増している。速さとは力であると、そう言わんばかりの勢いで縦横無尽に疾走する様は、もはや余人の目には黒い風が駆け抜けているようにしか映らない。

 

「見え……見え……ダメだ見えないー!」

「……Lv.6にしてもこの速さは異常だわ。何かそういうスキルでも発動しているのかしら……」

 

 遂に目で追うことを諦めたティオナが降参とばかりに声を上げた。そんな妹の様に然もありなんとティオネは頷き、早々に捕捉を放棄していた彼女はカインの速度の秘密が何らかのスキルにあるのではないかと考察し始める。

 すると、考えに耽っていたティオネの背後から聞き慣れた声が掛かった。

 

「あれはスキルによるものではない。曰く純然たる体術の賜物であり、歩法の延長でしかないらしい」

 

 とてもそうは思えんがな、と。そんな副音声が聞こえてきそうな呆れ声の主は、言わずと知れた都市最強の魔導士たるリヴェリア・リヨス・アールヴである。いつからそこにいたのか、彼女は弟子のレフィーヤを連れて訓練場の中心を眺めていた。

 

「知ってるの、リヴェリア?」

「本人から聞いた。《加速》という、何の捻りもない名称の技だそうだ」

「《加速》ねぇ……」

 

 ティオネは改めて訓練場に視線を向ける。

 つくづく意味不明な技だ。大袈裟な予備動作は皆無。完全な静止状態から一瞬でトップスピードを叩き出し、されど音も風圧も何も発生しない。人型の嵐さながらに暴風と破壊を撒き散らしながら動くアイズとは対照的に、カインのそれは怖気が走る程に“静か”だった。

 

「あれほど馬鹿げた速度で動いておきながら、あいつの移動はこれといった影響を周囲に及ぼすことがない。これは余剰エネルギーを生じさせることなく、運動エネルギーを余すことなく極めて効率的に運用するからこそ為せる技らしい。あいつに言わせれば移動に伴って生じる音も破壊も、全て無駄な力が込められている証拠なんだと。加えて、真の加速使いともなれば微風一つ起こすことなく音速を超えるのだとか」

「リヴェリア様、理屈は分かりますけど意味が分からないです」

「安心しろ、私にも分からん」

 

 ティオネとティオナは呆然とするレフィーヤに深く同意した。端的に言って理解不能だ。

 しかもカインの言が真実ならば、《加速》はスキルや魔法ではないため精神力(マインド)を一切消費しない。即ち体力が続く限り延々とあの速度で動き回れるということだ。

 

 全く頭がおかしいとしか言いようがない。カインはアイズの【エアリエル】を羨んでいたが、正直なところどの口がほざいているのかというのが彼女らの偽らざる本音である。

 アイズの風と同様、《加速》もまた攻防一体の技だ。衝突の威力が物体の質量と加速度によって決まる以上、速さとは破壊力である。人間大の質量が剣を抱え音速ですっ飛んでくるのだから発生する衝撃は推して知るべし。加えてあれ程の速度となれば攻撃を当てるのも一苦労だろう。風の鎧による防御と速度に任せた回避という違いはあれど、攻防共に隙がないのは同じである。

 

「これでまだ本気でないというのだから呆れたものだ」

「そうなの?」

「あいつが本気の時に持ち出すのは《千景》という銘の刀だからな。見たところ今持っている武器には血晶石も嵌っていないし、それ以前にまだ変形していない。相当に手を抜いているのは確かだろう」

「……変形?」

 

 ケッショウセキなるものも気になるが、それ以上に「まだ変形していない」という一言がティオネには引っ掛かった。

 確かにあの短剣の奇妙な曲線を描く形状は気になったが、変形とはこれ如何に。水を向けると、リヴェリアは頷いてカインの得物について説明する。

 

「あいつが持つ武器は全て《仕掛け武器》と言い、その名の通り変形のための仕掛け(ギミック)が具わっているらしい。以前の遠征で目にしたメイスもその一つだ。……あれを変形と言って良いのかは分からないがな」

 

 よもやその会話が聞こえたわけではないのだろうが。

 リヴェリアが仕掛け武器について言及した、まさにその瞬間。

 

 ──唐突に二つに分かれた刃が閃き、更に速度を増した斬撃がアイズを打ちのめした。

 

 

 

 

 

 アイズはよく食らいついたと言うべきだろう。古い狩人の業を余すことなく我が物としたカインは、恐らく速さという一点に限れば【猛者(おうじゃ)】すら遥かに凌駕する。本来ならば数合で終わってもおかしくないところを耐え凌ぎ、数分に渡って戦闘を続けられたのは(ひとえ)にアイズの類稀なる武の才を示している。

 

 だからこそ、遂に《慈悲の刃》は秘めたる真の姿を露わにした。その歪んだ刃は仕掛けにより二枚に分かれ、左右それぞれの手に握られる。

 目を見開く。片手で振るわれる刃を凌ぐのでさえギリギリだったのに、急な手数の変化に対応できる筈がない。単純計算で二倍に増えた怒涛の斬撃を防ぐこと能わず、どうにか保っていた拮抗状態は呆気なく崩壊した。

 

「ぁぐっ……!?」

 

 一呼吸の間に都合三十にも上る斬撃が叩き込まれる。盛大な火花を散らし、アイズはレイピアごと吹き飛ばされ地面に転がった。

 

 唐突な戦闘スタイルの変化は、ようやくカインの速度に目が慣れてきたアイズに大きな混乱を及ぼした。左手の銃で牽制しつつ右手の刃でヒット&アウェイを仕掛けていたのに対し、今度は両手の双剣で防御を捨てた怒涛の攻めを見せる。その落差がアイズに咄嗟の対応を許さなかったのだ。

 

「これが《慈悲の刃》。狩人狩りに代々受け継がれる仕掛け武器のもう一つの姿さ」

「仕掛け、武器……」

「素敵だろう? ちょっと特殊すぎて整備を人に任せられないのは難点だけど、仕掛け武器はどれもこれもが実に面白い性能を具えている。『工房』様々ってね」

 

 先人に感謝と敬意のあらんことを。そう囁くカインの言葉に耳を傾けつつ、なおも諦めた様子のないアイズは転がったレイピアを拾い上げ構え直す。

 疲労で全身が鉛のように重い。手足の末端の感覚が薄れてきたのは精神力疲弊(マインドダウン)の兆候か、はたまたカインの攻撃を剣で受け過ぎたからか。いずれにせよ疲労の極致にあるアイズだったが、その戦意は未だ衰えることを知らなかった。むしろその表情には微かに笑みまで浮かぶ始末だ。

 

「まだやるのかぁ……見上げた健闘精神だけど、これが試合だってことを忘れてないかい?」

 

 無論、忘れてはいない。しかしながら、アイズは生来手加減というものを知らない少女だった。

 幼少期のある事件を切っ掛けに、狂的なまでの執念の下に研鑽を続けてきたアイズ。そこに手抜きなど介在する余地はなく、彼女はいつ如何なる時でも全力だった。年齢と共に多少の穏やかさは身に付けたものの、心の奥底には未だ燃え尽きぬ激情が燻っている。

 

 そんな中、ようやく巡ってきたカインという強者との試合。これまで経験の全てを貪欲に力の糧としてきたアイズにとって、またとないこの好機を逃す手はない。

 恐らくカインの性格からして、彼と戦う機会などこれ切りだろう。だからこそこの一戦に全てを費やす。故に真剣、故に何でもあり。殺害以外のあらゆる手段を許容したルールを定めたのは、偏に持てる全てを総動員してこの“試練”に挑むためであった。

 

「なるほど、ボクでさえキミにとっては経験値(エクセリア)の一つに過ぎないか。……いいなぁ、実に素敵だ」

 

 ふと、いつの間にかカインが浮かべる笑顔の種類が変わっていることに気が付いた。いつもファミリアの仲間を見る時の慈しむような柔らかい笑みではない。どこか底冷えするような、血に濡れた刃を想起させる不気味な笑みだ。

 それはまるで、獣が牙を剥く様にも似て──

 

「血を貪るが如きその貪欲さ、狂気にも似た偏執的な想念。うん……ボクが保証するけど、キミは実に狩人に向いている」

「狩人……?」

「血に酔えることは何よりも得難い狩人の資質さ。獣喰らいの連盟長がそうであったように、立ちはだかる全てを喰らって己が血肉に変え、折れぬ意志で突き進む様は実に狩人的だ。何故なら狩人とは遺志を継ぎ、また意志に依って立つ“動き回る狂気”だから」

「……何を言ってるのかはよく分からない、けど……」

 

 褒められてはいるのだろう。アイズにはカインの発言の内容の殆どは要領を得なかったが、それが称賛の言葉であるということだけは朧げに理解した。

 しかし、アイズにはそれがあまり好ましいものではないように感じられた。特に根拠はない。何となく良からぬものを感じ取った程度の曖昧な感覚だが……とりあえず、今のカインが浮かべるその笑みがあまり好きではないということだけは、アイズにもはっきりと自覚できた。

 

「もし狩人(眷属)にするならキミみたいな子がいい……けど、そんなことをしたらロキとリヴェリアに殺されてしまうね。うん、今のは聞かなかったことにしておいてくれ」

「……わかった」

 

 ふっ、と仮面を付け替えるようにカインの表情が元に戻る。それを見てアイズは密かに胸を撫で下ろした。

 

「キミを夢に攫うのは諦めよう。その代わり、狩人の業の一端をキミに見せてあげる。それをどうするかはアイズの自由だ。参考にしても良いし、必要なければ一夜の夢のように忘れ去ってくれても構わない。獣狩りなんて、本来正道を生きるキミ達には忌まわしいばかりなのだからね」

 

 カインの目が細まり、先程の不気味な雰囲気とも異なる、まるで研ぎ澄まされた刃のような鋭い気迫がアイズの肌を叩く。

 今のカインは、本気だ。先刻までのどこか子供の遊戯に付き合ってあげていたかのような剽軽な態度は消え失せ、いよいよ真髄……【流血鴉】カインとしての顔を見せたのだとアイズは悟った。

 

「さあ──始めようか」

 

 宣言と同時にカインの姿が消失する。

 《加速》による瞬間移動だ。だが、今のアイズであれば辛うじて影だけなら捉えられる。二刀流となったカインの怒涛の連撃に対し、アイズは防御ではなく迎撃を選択した。

 

 迂闊に防ごうものなら先程のように容易く刃の嵐に押し切られ、地面を舐める結果に終わるだろう。故にここは攻めに転じることこそが最善手。

 相手のペースに呑まれてはならない。常に主導権(イニシアチブ)を手放すべきではない。それこそが駆け引きの鉄則だ。戦いの場においてもそれは同様である。

 

 しかしながら、相手は狩人。彼らは(えもの)に対し常に主導権を保持し優位に立ち続ける存在。それが狩りである限り、対象が人間になろうとそれは変わらない。

 

 アイズが攻めに転じたと理解した瞬間、カインは僅かな逡巡もなく身を翻した。よもや圧倒的有利な立場にありながら逃げに回るとは思わなかったのか、標的を見失ったアイズの剣先が鈍る。

 予期しなかった剣の空振りに困惑するアイズ。その動揺は一瞬とはいえ隙は隙。その反応は狩人にとってまさに思う壺である。

 

 キン、という金属音と共に火花が散り、二つに分かれた刃が再び一つになる。カインは空いた左手に今一度《獣狩りの短銃》を握った。

 気付いた時にはもう遅い。一瞬で武装の切り替えを終えたカインは容赦なく発砲し、放たれた弾丸が標的を狙い撃つ。

 

 銃口が向かう先にいたのはアイズ……ではなく、彼女が持つレイピアだった。

 先程の攻撃で一度手放してしまったのが記憶に新しいのか、アイズは二度と取り落とすまいと強く柄を握り締めていたが、今はそれが仇となる。弾丸の衝突で跳ね上がる刃と共に、それを握るアイズの腕も勢いよく流されてしまったのだ。

 

 己の意思とは無関係に腕を開いてしまったアイズ。そのがら空きとなった懐に、再び《加速》で接近したカインの蹴りが叩き込まれた。

 

「がッ……ハ」

「狩人とは、文字通り獣を狩る存在」

 

 水月を抉る重い蹴撃。あまりの衝撃に一瞬アイズの意識は暗転しかけるが、それを何とか気力で持ち堪える。日々の過酷な探索で鍛えられた高い【耐久】のステイタスがなければ危うかっただろう。

 しかしそれを凌いだとて安心はできない。次なる攻撃に備えてアイズはすぐさま剣を構え──同時に鳴り響く軽快な金属音。白銀の刃が再び二枚に別たれる。

 

「……!」

「その真髄は、“徹底して相手に何もさせないこと”にある」

 

 カインの二刀流を前に防御は悪手と理解していた筈だ。しかし運悪く今のアイズの構えは防御──違う。そうなるように誘導されたのだ。

 刹那の思考。冷静に対処法を考えようとするアイズの意識を奪う刃の嵐が眼前で吹き荒れた。

 

「思考を誘導し、罠に絡めとり、爪牙を折り、手足を削ぎ……終に臓腑を抉り、以て狩りの成就とする。それが理想的な狩人の“狩り”だ」

 

 その刃に血晶石(たましい)は宿っておらず、本来発揮できる鋭さは未だ隠されている。だが、速度に応じて威力を増す《慈悲の刃》の性質が莫大な衝撃をアイズに与えていた。

 それはまるで天墜する隕石が如く。星屑を精錬して鍛え上げられた隕鉄の刃は加速度的に威力を増大させ、破城槌の連撃を思わせる破壊力でアイズの防御を突き崩す。

 

「ぐ……ぁぁぁあああああ──ッ!!」

 

 裂帛の気合を上げ、同時に【エアリエル】が風の鎧を形成した。

 カインをして厄介だと言わしめたこの風は、近付くもの悉くを切り裂く攻防一体の風の刃。半ば破れかぶれの全力解放ではあったが、やはり吹き荒れる鎌鼬を嫌ったのか彼は連撃を中断して飛び退る。

 

 ここだ。ここから巻き返すには今しかない。既に体力は限界近く、精神力(マインド)も残り僅か。これ以上の継戦が不可能である以上、ここで乾坤一擲を叩き込む以外にアイズに勝機はないだろう。

 

目覚めよ(テンペスト)……!」

 

 風が舞い、逆巻いて嵐と化す。空間を埋め尽くす程の風は一瞬でレイピアに収束し、巨大な風の刀身を形成する。

 

 固唾を呑んで観戦していた団員達に動揺が走る。それは広いとはいえ屋内で使ってよいものではなかった。言わずと知れたアイズの必殺技にして切り札。自分より巨大な怪物(モンスター)に対して振るわれるべき嵐の鉄槌である。

 吹き荒れる暴風。まだ足りぬとばかりに渦を巻き、囂々と轟きながら収斂する精霊の風。もはや一つの災害と化した刃が向かう先は、ただ一人。

 

 

「リル……ラファーガ────!」

 

 

 文字通り死力を尽くした、正真正銘【エアリエル】の最大解放。それは地形すら一変させかねない嵐の穂先であり、断じて人間に向けて撃ってよいものではなかった。

 しかし、アイズには予感があった。勿論放つ以上は必殺を期するが、カインならばあるいは、これでさえも──

 

「これはあくまでボクの持論で、必ずしもキミの戦い方にそぐうものではないんだけど……」

 

 やはり、と言うべきか。鴉羽のマントを翻し、まるで空を舞う(ワタリガラス)のように烈風を物ともせず。

 反動で動けぬアイズに悠々と歩み寄ったカインは、優しく微笑みながら手刀を構えた。

 

「インストラクション・ワン! 百発のノコギリで倒せぬ相手だからといって、一発の内臓攻撃(モツ抜き)に頼ってはならぬ! 一千発のノコギリを叩き込むのだー!」

 

 絶対違うと思う。根拠はなく、だが確信と共にアイズはそう思った。

 

 されど容赦なく延髄に振り落とされる手刀。その一手が止めとなって薄れゆく意識の中、アイズは心地良い疲労感に包まれながら地面に倒れ込み──

 

 遂に砕け散った借り物(レイピア)の存在に気付き、背筋を凍りつかせながら気を失ったのだった。

 




インストラクション・ワン!
「百発のノコギリで倒せぬ相手だからといって、一発の内臓攻撃(モツ抜き)に頼ってはならぬ! 一千発のノコギリを叩き込むのだ!」

インストラクション・ツー!
「狩人は上位者の先触れたる精霊(ナメクジ)と常に感応(コネクト)し、操る存在だ。これを“脳に瞳を宿す”と称す!」

インストラクション・スリー!
「……惑うなかれ。上位者の姿見えぬならば、啓蒙を高め大いなる神秘の存在を感じ取るのだ」

最後のインストラクションだ!
「獣性に呑まれるなかれ。手綱を握るのはおまえ自身。かねて血を恐れ給え」

???「以上だ。我が警句(インストラクション)、努々忘れることなかれ」
???「はい先生。警句は忘れません」

真面目に終わると思った? 残念ながら当小説は基本的にこんなノリです。

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