里上は自身が置かれている状況が理解出来ずに困惑していた。
カマキリの怪人が自分を殺そうと襲い掛かり、それを黒い化け物が阻止した。
「た...助けて......くれた......?」
黒い化け物は相槌を打つ様にこくり、と頷くとカマキリの怪人を里上から遠ざける様に蹴り飛ばす。
鈍い音と共にカマキリの怪人は30m以上は離れているであろう壁に叩きつけられた。
壁に入った蜘蛛の巣状の亀裂がその蹴りの威力を物語っていた。
「本当に守ってくれてる......?」
赤く光る目。クワガタの角を彷彿とさせる黄金に光る角。
鋭い牙。鋭い爪。黒光りする肌。
何かのパニック映画に出てきそうなクリーチャーを思わせる大柄な身体。
___________それは何処からどう見ても化け物としか言いようがなかった。
『何故こんな化け物が、何故自分を守っているのか。』
里上の脳裏には恐怖よりもその疑問が浮かんでいた。
里上は我に返り逃げようと先程まですくんでいた脚でなんとか立ち上がる。
その瞬間____________
ボキリと何かがへし折れる様な音がした。
里上は恐る恐る化け物達へと視線を向ける。
クワガタを思わせる黒い化け物は、カマキリ怪人の物であろう鎌を手に取ると投げ捨てた。
彼がカマキリ怪人の鎌を引きちぎったのだ。
本来ならば鎌のある部分から奇妙な色の血が吹き出しているカマキリの怪人が何よりの証拠である。
「ひっ......!?」
化け物達を見ずに逃げれば良かった。
里上の真っ白になった思考にはその言葉が浮かぶ。
後悔先に立たずとは正にこの事である。
黒い化け物はカマキリ怪人に馬乗りになると、殴り続けた。
一発一発、鈍い音が周りに響く。
無論、カマキリ怪人も彼にやられまいと抵抗している。
しかし、カマキリ怪人の抵抗は殴られる度に弱まっていった。
その光景はまるで__________
虫が弱り、絶命するまでの瞬間と同じだった。
黒い化け物はカマキリの怪人が動かなくなった事を確認するとカマキリの怪人の両腕を引きちぎり、道に刺さっていたポールを引き抜きカマキリの怪人へと突き刺す。
グチュッと生々しい音が里上の耳へと伝わる。
ポールはカマキリの怪人の身体を貫通し、地面へと突き刺さっていた。
黒い化け物は里上の方へと視線を向け、里上の方へと歩き始めた。
「......。」
里上にはもはや声すら出ない。絶叫する声も助けを求める声も出ない。
真の恐怖に対面した時には声が出なくなる。里上は今日それを初めて知った。
_____その黒い化け物に異変が起き始めた。
化け物の身体がロウソクが溶けていく様にドロドロと溶け出したのだ。
里上は意味の分からないこの状況に対し涙を浮かべた。
「あの......大丈夫でしたか?」
「......へ?」
里上の涙は一瞬にして引っ込んだ。
溶けた化け物の中から子供が現れたのだ。
里上の脳内を支配したのは恐怖よりも何よりも、『困惑』。
透き通る様な美しい銀髪。幼さを感じさせると同時に整った顔立ち。美しい宝石を彷彿とさせる蒼い目。
子供の様な声でもアニメに出てくる様な声でもない、可愛らしい声。
何よりも目立つのは彼女の胸だった。
肉塊にすら思える子供には不釣り合いなサイズの胸は醜悪さを全く感じられない程に形が整っており、その胸に劣らず子供には不釣り合いなサイズにも関わらず形が綺麗に整った尻。
上半身が隠れる程の巨大過ぎる胸とジーンズが悲鳴をあげている程の巨大な尻。
パーカーの袖がかなり余ってる事から本来サイズがあってないであろう服が胸と尻に支えられているのが一目で分かる。
身長150cmしかない里上から見ても少女はかなり小さく、少女の身長は135cm程度あるかないか。
彼女の印象を一言で言うのなら
『美しさと欲望を詰め込まれた子供』
美しい。その筈なのに。里上はその少女から嫌悪感しか感じ取れなかった。
困惑に塗りつぶされていた自分の思考が少女に対する嫌悪感に上塗りされていく。
少女に何かをされた訳でもない。ただ純粋に少女から嫌悪感を感じたのだ。
「あの......。」
少女は困惑の表情を浮かべ黙り込んだままの里上を心配したのか再び里上に声を掛けた。
「こっ、来ないで......!怪物......ッ!」
里上は咄嗟に握りしめた石を少女に投げ付け、走り去った。
「......。あの人、また襲われなきゃいいけど。」
少女/嶋本 忠治(しまもと りゅうじ)の手には先程里上が嶋本に向かって投げたであろう石が握られていた。
「怪物、か。」
怪物。嶋本にとってその言葉は今の自分自身だった。
こんな身体になりたくなった訳ではない。
何かに巻き込まれる様に、ただただ訳も分からずにこの身体にされ、闘いに巻き込まれていっただけ。
怪物(この身体)になってヒーローの様に誰かを守れたかと言われれば、誰も守れていない。
昔からそうだった。自分は無能で、誰も救う事の出来ないクズ。
そんな事を考えながら、嶋本は自分が怪物(この身体)になった日の事を思い返していた。
数ヶ月前。
嶋本は嫌な夢、と言うよりは嫌な過去をその閉じた瞼の中で見ていた。
小学生の頃、同級生と言い争いをして喧嘩になり、顔を殴られたので殴り返した過去。
何が原因か、どちらが悪かったのかはもう分からない。
恐らく些細な事だったのかもしれない。
だが、その記憶は嶋本の脳裏に酷くこびりついている。
相手を殴った時の重く湿った音。相手の目元に浮かぶ涙。
それがとても嫌でたまらない。
嶋本にとって、この同級生にやり返した一発の拳だけが最初で最後の暴力だった。
その悪夢から逃げる様に嶋本は瞼を開く。
灰色の天井。
いつもと変わらないその光景。それが嶋本を憂鬱にさせた。
身体に妙な違和感を感じる。
胸元が重い。
重りが胸にそのままくっついている様な感覚。
とても息苦しい。
尿を膀胱に溜めている時の様な不快感。
それがはっきりと胸元から伝わってくる。
しかし嶋本にはその身体の違和感より気になる事があった。
目の前に銀色の糸が大量に見えるのだ。
サラサラとしたその糸を引っ張るとはっきりと痛みが伝わる。
その痛みは糸が自分の髪である事を示していた。
(髪......?染めた覚えなんてないし......ここまで長くなかった様な......。)
嶋本は困惑しつつも気怠い身体を起こす。
その時だ。膝の上に何かが乗った。
柔らかく暖かいのと同時に、ずっしりとした重さも感じる。
ぼやけた視界が少しずつはっきりしていく。
嶋本は目をこすり、身体の違和感を確かめる為に視線を膝下へと移す。
目線の先に写ったのは膝では無く、生暖かく肌色の丸い巨大な肉塊。
それが自分の胸だと理解するのには数秒掛かった。
___________同時刻。
嶋本の住むアパートの別の部屋。
音が外に漏れない様に防音シートが貼られた壁。昼間だと言うのに閉じたカーテン。
そして明かりすら付いていない薄暗い部屋。
その薄暗い部屋の中で一人の女性、長塚 瞳(ながつか ひとみ)が気味の悪い笑顔を浮かべていた。
「ケケケ......。」
彼女は爪を噛んだ。特に意味はない。
ただこうしていれば落ち着く、と言うだけ。つまりは単なる癖だ。
一分後、彼女は爪を噛む事を止め、「いつも」の様にウサギ用のケージへと向かう。
ウサギ用ケージ、とは言っても中に入っているのはウサギではない。
「むっ......むぶぅっ......。」
ケージの中に居るのは手足と口をガムテープで封じられた3歳の子供だった。
「最近いい声で鳴いてくれませんねぇ......この子もそろそろ組織に『送る』べきでしょうか」
静寂が包み込む部屋に、長塚の独り言だけがポツリとこぼれる。
嶋本の思考は混乱に塗りつぶされていた。
服は袖の部分だけぶかぶかになっているものの、巨大な胸が服を持ち上げており、巨大な尻はズボンがずり落ちるのを防いでいた。
周りの物は全てが大きく見える。
髪は長く銀色になり、胸には巨大な肉塊が付いている。
急いで鏡のある洗面所へと向かおうとしたその時、異変が起きた。
音が聴こえた。
匂いもする。
町を走る様々な車の走行音。
生ゴミの匂い。
子供を叱る母親の怒号。
虫の血の匂い。
虫の羽音。
服が擦れる音。
何かのガスの匂い。
何処かに飛んでいる飛行機の音。
様々な音と匂いが嶋本の耳と鼻を刺激していた。
「ぐぁっ......!?あっ......ぅ......あっ......、おぇっ......。」
嶋本はその場に倒れ頭を抱え、声にならない悲鳴をあげる。
(なんだっ......これぇ......。)
頭が割れてしまいそうな程の頭痛。
鼻が曲がりそうな匂い。
声を出す余裕はない。
指一本すら動かす事も出来ない。
吐き気があるのに吐く事すらも出来ない。
身体中を針で貫かれた様な痛み。
嶋本は涙を浮かべながらその痛みを耐え続ける。
「はぁっ......、はぁっ......、治まっ、た......?」
痛みが長く続いた反面、治る時は一瞬で治まった。
頭痛は一切無い。
先程までの痛みがまるで嘘にすら思える程に。
「きゅ......、救急車......。」
嶋本は自分の容姿を確かめるよりも救急車を呼ぶ事を優先し、スマホを手に取る。
その時だった。
『助けて......!お母さん!!お父さん助けて......!誰か......!』
「だれ......、だ......?」
声が直接、頭の中に伝わってくる。
嶋本は手に取ったスマホを机の上に置き、部屋を見渡す。
声の主は見当たらない。
嶋本は耳を澄ました。さっきの聴覚なら声の主を見つけられる筈だ。
「っ......!」
再び様々な音が混じり合い、雑音が再び嶋本の耳を刺激し始める。
「うぐっ......。」
先程より酷くはないものの、再び頭痛が嶋本を襲い始めた。
虫の羽音、車の走行音。
どれも聴こえるのは先程聞いた様な音ばかり。
その中で嶋本の耳は異音を捉えた。
何かを揺らす様な不自然な金属音。
それがかなり近くから聴こえている。
嶋本はそれが声の主が立てている音なのか疑う事無く、その音が聴こえる場所へと向かった。
薄暗い部屋の中で長塚はウサギ用ケージの中で暴れる少年を見つめながら爪を噛んでいる。
長塚には昔から子供の悲鳴が女性の身体よりも性的に思えていた。
母は自分を居ない様に扱い、父は長塚を吐口にする様に殴る。
そんな人生を歩んできた長塚が唯一興奮した物。それが幼かった時の自分と同年代の子供の悲鳴だったのだ。
自分が挙げた悲鳴ではない、自分以外の弱者の声。
なんと美しく、鮮やかで素晴らしいのか。
長塚はわずか10歳の時から他者の悲鳴を性的に意識し始める。
最初は人に手を出す訳にもいかず野良犬や野良猫を鳴かなくなるまで痛ぶり、ホラー映画の子役の悲鳴を録り溜めていた。
しかし次第にそれでは満足出来なくなり、長塚は子供を誘拐し手足を縛りウサギ用ケージに閉じ込め、色々な方法で子供に悲鳴を挙げさせていた。
長塚が一番嫌いなのは悲鳴を挙げずに涙を流す人間である。
目から水を流す、それだけの肉塊。
長塚にとって涙を流すだけの人間はそれ以上でも以下でもない。
単なる肉塊に過ぎなかった。
涙は悲鳴を引き立てるアイテムでしかなく、それだけでは意味がない。
しかし今自分が見つめている少年は違う。
犬の生首を見せた時は大声で悲鳴を挙げ泣き、両親の死体をつぎはぎにして見せつけた時は悲鳴を挙げ、大声で泣いた後に吐いた。
長塚にとってこの少年は最早一種の芸術作品である。
悲しそうな表情。
頬を伝う涙。
嘔吐。
両親の死体を目にしても両親に助けを求める滑稽さ。
全てが完璧だったのだ。
しかしその完璧な「芸術作品」も限界を迎えたのか、最近はあまり大きな悲鳴を挙げなくなってしまった。
名残惜しいが処分するしかない。
長塚は眉を顰める。
この少年を「引き渡す」前に最後にどう悲鳴を挙げさせるか考えていた。
一通りの事はやり尽くした。
両親のツギハギ死体を今見せれば良かったかもしれないと後悔しつつ、長塚は机に置かれた工具箱からペンチを取り出す。
「爪を残しておいて良かったよ。」
ウサギ用ケージの扉を開け、口のガムテープを外し少年の爪をペンチで掴む。
「た、助けて......。」
少年の言葉は無視し、ペンチを掴む手に少しずつ力を入れる。
最後の最後で少年はどの様な悲鳴を挙げるのか。
長塚にはそれが楽しみで仕方なかった。
しかし長塚の耳は何者かの足を捉えていた。
その足音は一歩ずつこちらへと近づいてくる。
「......『黒』。完成品ですか。こんな時に限って......はぁ〜......。」
長塚は深くため息を吐くと「萎えた」とでも言いたげに握っていたペンチを投げ捨て、少年に一言告げる。
「運が良かったですね。まだ爪を取られずに済みますよ。」
少年はヘラヘラと笑う長塚を睨みつけると、最後の抵抗とでも言う様に声を張り上げる。
『助けてぇーーッ!!!!!!!!!』
その声に応えるかの様に、『黒い化け物』が扉を破壊しながら現れた。