オーリム博士は本物の天才だ。
パソコンのブルーライトだけの明かりの部屋。真っ暗で何もない部屋の中で、液晶がいつになく輝いて見えていた。夢のような理論が確かな質量を持ってそこにある。テラステルに関する論文は数多くあったが、実際に、そこに存在するエネルギーとポケモンとの互換性を数式で証明したのは、彼女のものだけ。
「仕事は終わったのか」
「……おわりました」
「チッ……薄気味悪い餓鬼が」
背中を戯れに蹴り飛ばされた。痛みに呻きながらも、僅かな空き時間を全身全霊で彼女の論文の解読に捧げた。
黒い服にはRの文字。黒と、パソコンと、その明かり。僕の世界はそれだけだった。
そこにあなたが、光を見せてくれた。
キラキラ光る宝石みたいな、眩しい光だった。
***
「体調はどうだい? ルリ」
「すこぶる好調です。寧ろ、興奮気味かもしれません」
頭をほっそりとした手で撫でられる。ペンだこが少しひっかかるのが、彼女らしさの一端だった。
「未だに夢みたいです。本当にオーリム博士のチームに加われるなんて。大穴で、自分自身の手でテラステルの謎を解けるのかと思うと、ワクワクします」
「君は勉強熱心だな……。そうは言っても、ポケモンと遊んだり、ゲームをすることも好きだろう? 実のところ、時期が重なったとはいえ、君をチームに入れるには早かったかもしれないと、少し後悔していたんだが……」
「最高です! 博士の傍に居られるなら、何処でもですけど」
「フフ、可愛い奴だ」
真っ暗だった部屋は、テラステルのエネルギーを帯びた結晶の虹色に。
ブカブカだった白衣は、僕のサイズに合ったものをオーダーメイドで与えられた。
ブルーライトとはまだ仲良しだけど、好きな時間に好きなことをしても良い。
ロケット団が解体されてから、僕は自由になった。保護された後にすぐさま勉強を重ねて、オーリム博士の論文の仮説を、実践的実験で裏付けるための――パルデアの大穴・エリアゼロに挑む調査チームに合流するため、飛び級に飛び級を重ね、この分野の研究で博士号まで得たのだった。
「まあ、何にせよ済んだことか。研究が終わるまで、もうひと踏ん張りだ。新しい機材を運搬する。ルリの手持ちにも手伝ってもらわねばな」
「はい」
ここまでで負傷や、拘束期間の延長によるストライキなど、色々な理由で隊員は脱落してきていたが、まだ僕たちにはやる気が漲っていた。
パルデアを含む周辺地方特有の文化らしく、時々ボイコットをする人も居て、僕も肩を組まれて「食用レーションの質を上げろ! 値段を惜しむな~!」と拳を突き上げる隊員の列に混ざったこともある。そういったガス抜きや――やはり、未知への冒険が、僕たちの士気を高めていた。
荷物を積み込んでいく。博士も勿論手伝いながら、時々僕の様子を見に来てくれているようだった。
幼少期の境遇故か、カントー人の中でも更に小柄な僕を、彼女の実子ペパーと較べているらしい。志願と同時、パルデアでホームステイをしていた頃、僕は博士の家に住まわせてもらっていた。その頃から僕の貧弱さに彼女は驚いていた節があった。
「フーディン、頑張ろうね」
荷物を浮かせる相棒に声をかけると、彼も頷いてくれた。ただ、いつもよりなんとなく……ぎこちない様子だった気がする。
テラ計画が凍結された。
隣国カロス地方ででんせつのポケモンの騒ぎが起こったらしい。古代の兵器と時代を同じくする遺物であるエリアゼロの探索に対し、世論と企業は及び腰になった。
チームの士気はがた落ちだ。何人も脱落者が出て、その引き換えのように、博士は地上補給部隊への合流を避けるようになった。
「博士、戻らなくていいんですか? ペパーが待ってるんじゃ……」
「ああ、分かっている……だが、今が正念場だ。ここで成果を出さなければ、計画は破棄されてしまう。退くわけにはいかない」
博士は何かにとり憑かれたかのように研究に打ち込んだ。その甲斐あってか、数か月後にテラ計画は再始動することが叶った。
その間、彼女はペパーの待つコサジの灯台には一度も戻らなかった。
計画再始動に伴って、地下最下層に大きなラボが建造された。テラステルは実現可能だと何度も再現実験を行い、企業への正式なテラステルオーブの提出が終わった。残り少ない研究員は肩の荷が降りたように、チームから辞退した。
タイムマシンからは次々古代ポケモンが呼び出される。この機密が故に、もう容易く外部の人間を招くことは出来ない。最下層のゼロラボに残る人間は、もう片手の数ほどしか居なかった。
「博士、そろそろ戻らなくて良いんですか? 何か月も大穴の中じゃ、体にもよくないです」
「ルリ、次のデータを寄越してくれ」
「……はい」
博士の手から紡がれる数式は、相変わらず美しい。今はタイムマシンの法則性を、プログラムに組み込むことで、もっと多くの、大きな古代ポケモンたちを呼び出そうとしているらしい。
拾った書き損じたメモ書きを手に俯く。ラボの外から古代ポケモンたちが争う大きな破壊音や衝突音が聞こえる。残ったチームメンバーも、僕以外は恐怖とストレスでノイローゼになりかけている。僕だって、過去の耐性がなければとっくに衰弱していただろう。
――どうして博士は平気なの? こんなに”おかしい”のに。
古代ポケモンたちは突然変わった環境に殺気立っている。そもそも、古代ポケモンは人間と関わった経験が一切ない。バトルや触れ合いで捕獲することは難しく、また、トレーナーとして絆を築くことは、余程の技量がなければ不可能だ。転送後は、居心地の良いボールの中で飼い殺しすることが最も合理的だった。
――博士はそれを許さなかった。それは「楽園」の景色ではないからと、いたずらにエリアゼロへとポケモンたちを放ち始めた。淘汰される現代のポケモンを「これも自然の一つの形」と言って。
どうして、最初のコライドンのような、淘汰される個体を選ばないのだろう。傷を癒すことで、相手との信頼関係が築けるだけでなく、人間との共存の可能性を示せる。彼のような境遇の個体であれば、それこそ「楽園」のような光景が作れただろうに。
それに、傷ついたポケモンや、追いやられた自然淘汰個体でないポケモン――健常な強いポケモンたちを現代へ吊れてしてしまっては、彼らから生まれるはずだったポケモン、その子孫……種族の個体数が変わってしまうのではないか、と不安になる。僕たちがしていることは何なのだろう? 歴史をいたずらに狂わせているだけではないか――?
「博士……! 博士、もう限界です」
「ルリ?」
ゼロラボから、久しぶりに第一観測所に上昇した。僕と博士以外の、最後の二人が地上に戻るのを見送った帰りのことだ。
僕はゼロラボに戻ろうとする博士の白衣を握り、必死に訴えた。
「僕は、僕が、この研究に志願した動機は、確かに、オーリム博士のことを、尊敬していたからです。だけど僕は……少なくとも「今」を良くしたくて、古代への研究へ取り組んでいるつもりだった。テラステルの研究、その構成要因が過去にあると知って、それを現在に生かせれば、と」
博士は、僕のことをちゃんと見てくれているだろうか。最近は、心ここにあらずといった様子で、こうして見つめ合っている今も、話を聞いてもらえているかどうか、分からない。
「博士――僕は「現在」を見ていたんです。でも、あなたは……今、どこを見ているの」
博士が手慰みにか、無意識にボールに触れる。僕の体は自然と強張っていた。古代ポケモンはみな、タイムマシンに転送時マスターボールを使用される。どんなポケモンだって、どんな意思も関係なく捕まえるボール。
「マスターボールを使って、ポケモンを無理やりたくさん、捕まえて。そんなの、まるで――僕たちがしていることは、ロケット団と――」
ぎゅ、と抱き寄せられた。そこで初めて、自分が震えていることに気付いた。
暖かい抱擁に、冷えていた体が落ち着いていく。僕は嬉しかった。気持ちが通じたんだと、博士の顔を見て確信したかった。
「はかせ、」
「見るな」
「え……」
博士の手が、ほっそりとした手が、僕の頭を首元に押し付ける。
振り返れない。頭を持ち上げられない。強い力がかけられていて、困惑する。
「頼む、見ないでくれ。……ああ、自分でももう分からないんだ。君に――”彼”を見ないで欲しい理由が。私だけがあの美しい六角形の結晶を独占したいのか――それとも、君が……自分のように……おかしくなってしまわないよう、守りたいのか……」
博士の声は、震えていた。
僕の後ろに何が居るのか、結局僕が知ることは無かった。”何か”が去ったのか、抱擁が解かれた後、彼女は疲れた顔で「また後で話そう」と僕の手を引いて歩いた。後でとはいつだろう。今日? 明日? それとも、研究が完成した後?
だが、その時は来なかった。
博士は前々から着手していたAIの研究を完成させ、自身はゼロラボの更に深部に引きこもってしまったのだ。
「……オーリムAI、博士の調子はどうですか」
「体調の面では良好だと言える。だが、精神面については……どうだろう。明言はし難いな」
「そう、ですか。……あなたも、無理をしないでくださいね」
「無理? 私はAIだ。疲労の概念はない」
「無理に大人ぶらなくてもいいですよ。あは……兄弟みたいなものでしょう。僕と、あなたと……ペパーは」
手を握りしめ、天井を見上げた。ここからでは星も見えやしない。
研究の隙間時間に、ペパーとは随分仲良くなった。彼も僕を「にーちゃん」と呼んで慕ってくれた。生まれた瞬間から、彼のことは知っている。僕が子供らしくあれたのは、子供らしさを思い出せたのは、彼のお陰だ。
――もう長いこと、会えていない。
博士が、地上に戻っていないからだ。
僕は――僕は、どうすれば良いんだろう?
***
エリアゼロにはバリアが張られている。外に古代ポケモンが出ないための仕組みだ。
先日、研究資料集めのため、第一観測ユニットに寄った時。特に気が立ったイダイナキバが、そこに体をぶつけているのを見た。
血を流し、呻き、それでもやめない。
彼は限界なのだろう。慣れない世界なのだ。空気の味も温度も、風の強さも、何もかも。
これさえも「自然の一つの形」なのだろうか。僕にはもう、何も分からない。
イダイナキバはとても辛そうだった。昔の僕が暗闇に怯えていたように、エリアゼロの外を――乾いた空気を、熱い砂を、地中を求めているように思える。
僕は博士に報告したが、彼女はイダイナキバをマスターボールに収め治療した後、僕にそれを渡した。
「彼をエリアゼロに放して来てくれ」
「は、博士……イダイナキバを元の時代に還してあげることは出来ないんですか?」
「人間の質量でさえ安定して送ることは出来ない。彼の巨躯ではタイムトラベルの途中、絶命してしまう可能性が高いだろう」
彼女は僕に一瞥さえくれなかった。
両手で握ったボールだけを持って、僕はタイムマシンの安置された部屋を出た。
自身の寝台に寝転び、イダイナキバをどうするか悩む。彼をこのままボールに閉じ込めて居れば、少なくとも居心地は良いはずだ。外に出すより、ずっと心安らげるだろう。
だけど――それは正しいことなのかな。
眠気がこみ上げる。不眠症なのか、安定して眠ることが出来なくなっていた。
夢を見る。昔の夢だ。昔、僕が12歳になった日の夢。
僕以外のみんなは、最初の三匹のポケモンを博士からもらう日だ。そうして旅に出る特別な日になる。
だけど僕は――あの頃の僕に、そんな素敵な日は来なかった。
夢いっぱいのワクワクの旅も。
仲良しの相棒と野を駆けることも。
未知の出会いに胸を膨らませることも、僕には出来なかった。
だから僕は、ポケモン博士になろうと思ったんだ。
僕が夢を貰うことは出来なかったけど、僕みたいな子にも、素敵な夢を、希望を与えられる人になりたいって。
どんな子供にも、どんな場所にも、温かくて素敵な夢を渡せるような――そんなポケモン博士に。
フーディンに先導してもらい、第一観測ユニットから飛び出す。窓から見ているだけでも威圧的だった古代ポケモンが、牙を剥いて近づいて来る。
フーディンはバトルの経験はそう多くないけれど、僕の保護のためにたくさんふしぎな飴を食べさせられている。強力なサイコキネシスで足止めをしている間に、僕は――僕はついに、エリアゼロの外に出た。
そらをとぶタクシーを近くの街で捕まえて、ロースト砂漠まで送ってもらう。ポケットの中でイダイナキバのボールを確かめるように、強く握りしめた。
イダイナキバはストレスを抱えている。気が立っている。フーディンが居るとはいえ僕は殺されるかもしれない。
でも僕は、ポケモン博士なんだ。
自分の夢に背を向けたくない。
土塗れの誰かの日記を拾った! どうしよう?
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「スパイスのあった洞穴って、なーんかお宝ちゃんがある予感がするよな。良い土とか、湧き水とか? 何か特別なのかな。……ん? 何か見つけたのか?」
ペパーに見せますか?
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なんか辛くなっちゃったよ今回のポケモン……色んな方向に救いがない。
オリジナル博士はSAN値チェック失敗したのか?元からマッドなのか?子供生まれて即座に離婚した配偶者はなんなんだ?円盤のポケモンの背中の右側の航海中の船なに?クソデカポケモンなの?地球なの?