エソウと正輝の二人は、チケズと信正が守るスクエアの入り口に合流した……のだが、お互いの無事を確認するより先に正輝のスマホが震える。電話だ。
正輝は短い返事を何度か繰り返して通話を切ると、長いため息を吐いた。
「甚爾を迎えにCタワーまで行ってくる。あのバカ、持たせたスマホを落としたらしい」
「甚爾くんが? 珍しいね」
甚爾の身体能力はありえないほど高い。スマホであれ財布であれ、身につけたものをどこかで落とすなど考えられない。
「呪術使いと交戦した際に落としたとか。本当に呪術使いどもはろくなことをしない」
「なんともまあ……。そうだ、私が甚爾を迎えに行きましょうか? 純粋な移動速度なら私の方が速いですよ」
エソウの提案に正輝は首を横に振る。
「いや……電話によれば甚爾はいま銃刀法違反の呪術使いと交戦しているらしくてな。後から事情聴取があるだろうし、俺が迎えに行った方が良い」
エソウやケチズが事情聴取を受けるのは困る。そう肩を竦める正輝に三人は「ああ……」と漏らす。なんせエソウもケチズもまだ無戸籍だ。加害者として聴取を受けるわけではなくとも住民票や戸籍で揉める――相手方が揉め事にしてくる可能性がある。
つまり、事情聴取され慣れた正輝が行くのが一番良いということだ。
休む暇もなく地上に走って向かった正輝を見送り、正輝の背中も見えなくなった後。エソウは「そうだ」と努めて明るい声を出した。
「ケチズ、この帳は貴方が張ったのですよね?」
「うん、そうだあ」
エソウにはスクエアを守る帳の美しさがはっきりと見えた。パッと見では他の帳と変わらず真っ黒な墨色なのだが、よく見れば帳の表面にケチズの呪力が麻の葉模様に張り巡らされている。
陣野の女性陣による結界とケチズによる帳と、この二つがあればスクエア内の人々の無事は約束されたようなものだ。
「とても素晴らしいですよ。貴方の優しく力強い心根が感じられますね」
「へへ、そうかぁ? 兄者に褒められると照れるんだ……」
呪術使いらのせいで荒らされてしまった渋谷だが、ここだけ別世界のようにほのぼのした空気が流れ――
「兄者も貴方を誇りに――ぐうっ!」
「なッ、なんだあ!?」
突如声を裏返らせ自分の身を抱きしめた二人に、信正がバッと身構え周囲を見回す。
「何か来たって感じ!?」
「違う!!」
「違うの!?」
「違います、これは、兄弟が……!」
兄弟が、叫んでいる。
エソウは顔を歪め足元を睨みつける。
「ですが兄者ではない……! 一体誰が」
――そんな中、長兄が合流する。
顔色を紙のように白くして現れたチョウソウにエソウは飛びつくようにして駆け寄る。ケチズはエソウに遅れを取り、エソウの後ろで「あ、兄者ぁ……!」と体を左右に揺らしながら両腕をわたわた動かししている。
「びしょ濡れではないですか! ああ……服がまとわりついて動きづらいでしょう。中で動きやすい服を見繕った方が良い」
「そう、そうだ! 着替えよう兄者!」
スクエアにはいくつものファッションブランドが店を構えている。スクエアのブランドイメージとしてファストファッションの店は入っていないが、カジュアルからフォーマルまで揃うのだ。エソウらは「人前に出られる見た目になるまで」外出を控えていたためスクエアを訪れたのはこれが初めてだが、駅前の商業施設は
芯まで冷え切った兄の手を取って、エソウは努めて笑顔を浮かべた。
が、弟のそんな表情や態度に関心を払う様子なく、チョウソウは鈍い動きで「ああ」と頷く。焦点が定まらずぼんやりしているチョウソウに少し眉根を寄せると、エソウは信正に目配せを送る。
ケチズが口をパクパクさせながら無意味に腕を上下させているのは今は無視だ。
「信正、貴方ならこのビルの中についても詳しいですよね。兄者の服を選んできてもらえますか? 実はさきほどホームで拾った変な箱があるんですが、私はそれを持っていちど外の帳を出るつもりでして。――呪術使いらや呪霊らがこれを奪い合っているようなのでね、我々の手元にこれがあると気づかれては面倒ですから他所に移そうと思います」
「はーい、分かったよ。気をつけてね」
「次に兄者、信正が着替えを持ってきてくれますからケチズと一緒にいてください。ケチズ、兄者は少し疲れているようですから、お前が主体になってここを守るんですよ」
「……あ、ああ! 任せてくれ兄者!」
そうして四人は三つに分かれた。ケチズとチョウソウは出入口前に残り、信正はスクエア内の衣料品フロアへ、エソウは地上へ。
――開きっぱなしの自動ドアの向こう、スクエア地下二階のフロアには食品コーナーが広がる。ショーケースには手間暇かけて作られた洋菓子や惣菜が並び、平時であれば客でごったがえしているはずだが、いま人の姿はなく、静かだ。
信正は天井から吊り下げられたかぼちゃやお化けのペーパークラフトの下を小走りで進み、止まったエスカレーターを二段飛ばしで上る。地下一階も無人。地上一階も無人。
そして二階。そこには、床に座り込み身を寄せ合う人々が、いた。
足音を抑えることなくガツガツとエスカレーターを上ってきた信正に鋭い視線が集中する。
「あんた誘導してた八咫グループの……」
信正がバイクから呼びかける姿を見たのか、それとも地下二階からスクエアに逃げ込んだのか。ある男が独り言のつもりで漏らした言葉は、皆が息をひそめていて静かなフロアに、大きく響いた。
「八咫の人が来てくれたのか!」
「もう大丈夫なんですか?」
「地上は……地上はどうなったの。もう出られるの」
「お家に帰りたい」
「八咫の社員さんが助けに来たってこと? おまわりさんじゃなくて?」
「あの化け物って何だったんですか!?」
立ち上がろうという気すら回らず四つん這いになって信正を囲む人々の顔、顔、顔。性別、年齢、格好、みんな違うのに――どれも同じだ。縋るものを求めている。信正を「縋るもの」にしようとしている。
「み、みなさん、落ち着いて……」
「ねえ、ねえ! 知ってるんでしょ、外で何が起きてるんですか!?」
「頼むから家に帰らせてくれ!!」
「あの変な化け物は倒したの!?」
「死にたくないよぉ……!」
「あの」
「なんで私がこんな目に?」
「助けてくれ」
「終電逃したらどうしてくれるんだ!」
信正を囲む目。訴え、求め、縋る目。四方八方の口から「助けろ」「なんとかしろ」「苦しい」「辛い」という感情の圧力が信正を襲う。
人々の輪はじわじわ縮まる。人々の目が、声が、信正を突き刺す。
「ホントはあんたが原因なんじゃないのか」
「どうして助けてくれないの!?」
「お腹すいた」
「あのっ」
「助けて」
「お前が悪いんだな、そうだろ!!」
懇願はすぐに罵声に変わり、そこに子どもの泣き声も加わる。そんな二階の不安が伝播したのかエスカレーターの上、三階からも泣き声やらなんやらが聞こえ始める。
「落ち着いて――みなさんどうか落ち着いてくださいッ!」
信正の声はかき消されて届かない。怒声をあげる者、罵詈雑言を喚き散らす者、悲嘆に暮れて泣き出す者。もはや誰が何を話しているかも分からない。
そんな中だった。ギュルギュルというエレキギターの甲高い音が響き、ボイストレーニングをしているのだろう通りの良い声が騒音のフロアを引き裂いた。
「だから、人の話を聞けって――言ってんだろぉ!!」
ショックを受けたように静まった二階に、ギターを肩にかけゼイゼイと呼吸している青年が一人。顔はぐちゃぐちゃだ――泣いている。
「八咫の社員さんがッ入口で避難誘導してたッ! だよね!? なのに……なのになんで皆この社員さんを責めるんだよ! あんただって、そこのあんただって、さっきぼくに電池とかバッテリーとか託してくれただろ! こんなときでも、誰かの力になりたいって思ったから!」
幼児の泣き声以外の全ての怒声が、罵声が、全て失せたフロアに、青年の涙声がぽつりと落ちる。
「こんな時だからみんなで力を合わせないといけないって、さっき、みんな言ってたじゃないかぁ……なんで、なんでこの人を責めるんだよ……」
青年が鼻をすするズビッという音が響く。
始めのギターと大声は別として、彼の態度は弱々しいし、見た目は頼りない。だが、最初の一歩を踏み出せる彼の性根に、信正は心臓が痛くなるほど惹き込まれた。
フロア内の液晶が――冷房機材に掘られた社章が――三眼が彼をじっと見つめている。この場の全ての人の目を、彼が奪っている。
「おにーさん、すごいね」
「へ?」
彼は――川島は――そんなことを言われると考えもしていなかったのか目を丸くし、信正を見やる。その目に信正はへらりとした微笑みを返す。
「ありがと、助かった」
風が吹いた。下から吹き上げる風だった。
――――――
七海は前のめりに駆けて地面を蹴り、伏黒甚爾の頭へ鉈を振り下ろす――が、最低限の動きだけで避けられたと思えば鉈の横っ腹を肘先に叩かれずらされる。舌打ちとともに左足から着地、右脚を軸にしてその場でくるりと回転し猪野の腕を掴んで遠方へ投げ飛ばす。
「んナッなみさんっ何――」
「言ったでしょう、猪野くん! 今渋谷にいるのは敵だと……!」
変に裏返った疑問の声を上げた猪野を振り返ることなく、七海はバックステップで距離を取ると腰を落として鉈を構える。
七海の真正面に立つ敵、伏黒甚爾は首を横にぐっと傾けて骨をパキリと鳴らした。
「はあ……」
「まあ、敵でも問題ねえか」という言葉が耳に届くか届かないかコンマゼロゼロ何秒の世界、三節棍の先が七海を襲う。
伏黒甚爾は音速に届く男。彼が相手を刺し貫く目的で棍を突き出せば、まさに必殺技――「必ず殺す」意図を持った攻撃となる。それを避けられたのは七海の呪術師としての経験と、かつての甚爾の悪名を知るがゆえ。
游雲の先を鉈の腹で受け止めるのとほぼ同時に後方へ跳んだお陰か、ゆるく曲げた両腕がスプリングとなったのも良かった。七海は紙人形のごとく軽々と吹き飛ばされるも、体のどこにも穴は空いていない。
「馬鹿みたいなパワーだ……ッ!」
着地、そのまま斜め左後方に二歩。一瞬前に着地したまさにその場所が薄氷のように砕け散る。舞うアスファルト。吹き上がる砂煙の向こうに輝く双眸。
追撃はまるでライフルの連射だ。ドガガガガガガと鈍器のぶつかり合う音が周囲に響き渡る。
そんな状況では外野の声など二人の耳に届くわけもない。
「伏黒さんッ! 恵の親父さん止めてくれ、俺らは敵じゃない!! 七海さんも話を聞いてください!」
「頼むから聞いてくれよぉ!!」
「あー、もー!」
外野――猪野は呼びかけによる説得を諦め、目出し帽のように加工したニット帽をぐいっと勢い良く引っ張る。今から銀行強盗でもしようという格好だが、これが彼の戦闘服だ。
片脚を引いて両腕を前に構える。放つは術式『来訪瑞獣』一番、
獬豸とは現・中華人民共和国にあたる地域に古くから伝わる瑞獣のこと。伝承によれば姿は額に一角が生えた羊に似ており、理の通らぬ者――つまり悪人――をその角で刺し貫くという。
この場に
『来訪瑞獣』一番により発生した角は先端の鋭い円錐形をしており、底面の半径は5センチ、高さは40センチほどある。これの体積は約1000立方センチメートル、水が満タンに詰められた場合1キログラムになる。
ところで、象牙の比重はおよそ1.9で、鹿の角の比重は1.7、そして人類の歯の比重は2.0である。動物がおおよそ己の武器や道具として使う「角」や「牙」はどれも似たような比重を持つものと考えれば、体積1000平方センチメートル少しである獬豸の角は2キロ超。
また、人類最速と言われるボルトは時速45キロ。常人より身体能力の高い呪術師を追尾しうる速度からして、獬豸の角はボルトと同様の時速45キロで移動できるものと考えて良いだろう。
以上から、『来訪瑞獣』一番とは「先端が鋭利な2キロの塊が時速45キロ(秒速12.5メートル)で相手を追尾し攻撃をしかける」術式ということになる。
常人が相手であれば圧倒できる術式だ。が、相手が悪かった。
「ハエみてーなのが、うぜえ」
相手は音速に届く男――音は秒速340メートルだ。
叩き落されて終わった。
「ウザくていいんで話聞いてくださいよォ! 今は味方同士でやりあってる暇ないんだって!」
割り込めばうっかり殺される。それが分かっている猪野はこうして叫ぶ他ない。
しかし既に七海も伏黒甚爾も相互理解のための会話を放棄している。片方が隙を見せればもう片方がそれを突くのだ――先に手を出した七海から休戦を呼びかけることは難しく、伏黒甚爾は休戦など認めない。
この場が膠着しているのは単に伏黒甚爾が闘いを楽しんでいるためなのだ。それは伏黒甚爾に立ち向かう七海はもちろん外野の猪野の目にも明らかなことだった。
――さて。スクエアからCタワーまで、地図アプリによる徒歩の所要時間は七分。
八咫姫らのバフを受けた成人男性の脚であればその半分以下、三分で着く。
「なに遊んでるんだ、バカ甚爾ッ! さっさとその呪術使いを殴り倒すでもなんでもしろ!」
勤労サラリーマンらしい格好をした非術師が合流したのを視界にとらえるや、伏黒甚爾は攻撃の手を止めた。
「迎えに来んのおせーよ。やり過ぎちまうかもと思ってヒヤヒヤしたぜ」
遊雲で己の肩を軽くぽんぽんと叩き、伏黒甚爾は悪どく笑んだ。
「渋谷で何が起きたのか、犯人がどういう連中なのか。おれたちよりゃよほど知ってるらしい」
つい数瞬前までの好戦的な態度など露か雪のように消え失せ――打って変わった理性的な態度に七海も猪野も困惑を隠せない。
「あなたは……あなた達はここへ何をしに来たんですか」
「変なことを聞く。わたしたちは――」
自分の街を守りに来たのだ。
だいぶんおまたせしました。申し訳ねェ……!
婚活して金と時間と精神的余裕を吸い取られたり、ドラァグクイーンのショーを見に行ったり、オリンピックで乗馬面白そうすぎて乗馬ライセンス5級取りに行ったり、職場のお局様と反りが合わなさすぎて部署異動したりしてました!!!!
私は元気です!!!!
あと、角の運動エネルギー計算は各人でお願いします。