突然だが、宗教の話をしよう。
むろんユダヤ教だイスラム教だという日本人にとってなじみの薄い宗教ではなく、「結婚式はチャペルで挙げたい♡」と夢見る人も未だ多かろうキリスト教、「死んだ後にお世話になる」印象が強い仏教、そして神道の三つについてだ。
この三つは日本国内で広く知られ、それぞれの信者の数も少なくない。
まず、キリスト教はユダヤ教から派生したもので、ユダヤ教の聖典である旧約聖書の言う「最後の預言者」はナザレのイエスである――と主張している。
キリスト教に馴染みがなく仏教知識ならある者にこれを簡単に説明するならば、「釈迦の入滅後56億7000万年後に現れて人々を救う弥勒菩薩」がイエスである……とするのがキリスト教だ。ちなみにイエスをムハンマドに置き換えるとイスラム教になる。
宗教知識の薄い方々向けに説明するなら、「ナザレのイエスが最強にして最高のアイドル」派がキリスト教。「ムハンマドしか勝たん」派がイスラム教。「どちらも似たようなものですね」派がユダヤ教。
次に仏教だが、これは大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)の二つの区分に分けられ、日本国内では「大乗」仏教が主だ。なお、今回は字面の見分けやすさを優先して「大乗」「小乗」と書くが、昨今は「大乗」「上座部」と呼ぶのが一般的になってきているので注意されたし。
さてこの「大乗」「小乗」というのは何かと言えば、大乗仏教は「人民の救済のため修行する、大規模な目標を持つ」ことから「大乗」、上座部仏教は「自分のために修行し、自分を救うという小規模な目標を持つ」ことから「小乗」と呼ばれるようになった――とされる。
こんな呼ばれ方だが「小乗」の方が歴史が古い。だというのに何故こう呼ばれているのか……分かりやすく言うと「小乗」は元祖家系、「大乗」は資本系にあたる。後から現れた立場の資本系が「元祖ってぶっちゃけ豚の飯じゃん」と貶した言葉が「小乗」で、「うちはそんな先鋭化したニッチ戦略とかしないんで〜。ラーメンは大衆に受け入れられてのものっしょ?」と自己を誇って名乗った言葉が「大乗」だ。その言葉が広まり現在に至る。
元祖も資本系も外野から見ればどちらも豚の飯、目くそ鼻くそを笑う状態だが――話を本筋に戻そう。先に述べた通り、日本国内で広く信仰される仏教は元祖ではなく資本系の大乗仏教だ。これは聖徳太子が「国家鎮護」のために仏教を導入した歴史を思えば納得がゆくものだろう。
よって現代日本にはこの大乗仏教と、キリスト教と、神道。これら三つが入り混じっていると言える。
神道はひとまず横においておいて、今挙げた大乗仏教とキリスト教には類似点がある。三つ挙げよう。
一つ目、教典がある点。どちらにも旧約・新訳聖書や大般若経など「開祖様はこうこう仰いました」という書物がある。
二つ目、僧が「救世のため」修行する点。現実がどうであれ、名目上では彼らが勉強するのも祈るのも過酷な試練を受けるのも「衆生済度(=人々を救う)」のためだ。
三つ目、「結果の平等」を掲げている点。キリスト教では死後に「最後の審判」を受ける。生前の善行悪行により行先は天国か地獄の二択なのだが、「信じる者は救われる」そうなのできっと全員救われる。また、仏教でも「民衆が救われるように」修行しているお坊さんがたくさんいるのでみんな救われる。救われるという結果は平等だ。
翻って、神道には上記の三点全てない。
日本神話は「日本創世戦記まとめ」であって経典とは異なる。
神職は神に仕えるのが主な役目である。
神道には結果の平等などない(いつか死ぬことが平等だと言えばその通りではあるが)。
皆が仲良く手を繋いで救われる方法など、神道にはないのだ(※小乗(上座部)仏教にもない)。
神道の神は選り好みする。選り好みするから――執着も強い。
「ババア――」
渋谷駅前を走るバスには病人や乳幼児とその保護者だけ乗っている。渋谷にはまだ呪霊やら呪詛師やらが数多く彷徨いているため、スクエア内にいる方がたしかに安全だが……避難者の中には長時間の緊張状態などで体調不良を起こした者や、決まった時間に薬を飲まねばならない者などもいる。彼らを病院へ連れて行くため、出入りが自由になった帳から陣野の男連中が小型バスで――道路上には乗り捨てられた車が多く大型バスは入れなかった――渋谷に入った。
八咫姫から指示を受けた甚爾も誰ぞのバイクでバスと並走していたのだ。が。
バスが二往復目の復路に入った時だ。背後から雨雲のごとく迫り寄る悪意をビリビリと感じ取り、甚爾は喉を枯らさんばかりに天へ吠えた。
「俺らを守れェ!!」
ドミノを倒すような、折りたたまれた何かが開いていくようなパタパタという軽い音。小型バスを中心にぐるりと螺旋状に広がってゆく光の模様は格子模様のようだ。
――違った。格子模様ではない。
正方形の形に収まるよう簡略化された目のシンボルが一センチ四方ほどの細かさでもって隙間なく敷き詰められ、小型バスの通る道の前後に空間を作っている。上下左右の四方が覆われ、トンネル状だ。
そのトンネルの表面に大小いくつもの波紋が走る。外部から攻撃を受けているようだ。
ギリギリのところで難を逃れたと分かり、甚爾はフゥーと息を吐き出す。上着が脂汗を吸って重い。
甚爾の勘だが、この攻撃は逃れようのないものだと思われる。空き地で大雨に降られればどれだけ速く走っても濡れてしまうように、いかに身体能力が高くても「その場」にいたのならそこで終わり。
並走するバイク――そろそろ喜寿という陣野正輔に手で挨拶してバイクを乗り捨て、いま走って来た道を逆走する。
悲しいかなライダーを失ったバイクはそのまま路上の車に激突、その勢いで地面をくるくると滑って歩道に乗り上げたところで止まった。
「クソ! 無事でいろよ……恵……!」
ふわりと一枚剥がれた「目」が背中に貼り付いたことに気づかぬまま、甚爾は全力で息子の元へ駆けた。
ミミナナと真人と裏梅が頑張ってくれた、はず。やったね原作から(大筋は)離れられないよ!
次回、この年になって弟が増えたお兄ちゃん✕3……の、はず。予定は未定。