◎月■日 天気 雪
約百年ぶりに筆を取る。
今日から『日記』とやらを書いてみる。
三日坊主にしかならないと思うんだが、いつもいつも狐を連れている侍がうるさくて敵わないからな。絆されたとか決してそんな理由じゃない。
これでも用心深いんだ、俺は。
アイツの名前、霜月牛マルだったっけ?
うろ覚えだ。大きく違っていない筈である。
昔から固有名詞を覚えるのが苦手だった。特に人間の名前は。アイツらは直ぐに死ぬ。長く見積もっても百年程度。記憶に残すだけ無意味だ。
牛マルの見た目は二十歳を越えたぐらい。推測だけど。老け顔だから確証ないけど。狐をペットにしてる意味がわからないけど。
毎日毎日、妖怪退治だとか武者修行だとか口にして襲い掛かってる阿呆な侍だが、それでも結構偉い立場の人間なのだろう。もしくはその一族か。家臣みたいな奴も数人ながら隠れていたし。本人は気付いてないっぽいけど。
もう五年程の付き合いになるかな。最近だと戦い終わった後には少しだけ話すようになった。別に人間を許した訳じゃないし、牛マルを認めた訳でもない。それでも他の奴らと違って、化け犬と怖れずにちゃんと名前を呼んでくれるのだ。
アイツは他の奴らと異なる。人間とか妖怪とか動物とか、そういう垣根を容易く踏破する数少ない人間なのだろう。
なら、俺だけが目の敵にしてもしょうがない。会話するぐらいなら奴の家臣とやらも目くじら立てなさそうだったしな。
七日前、何年ぐらい生きてるんだって訊かれたから、八百年ぐらいだなと素直に答えた。めちゃくちゃ驚いてたな。目と舌と歯が飛び出てた。比喩なしで。こっちこそ驚いたわ。もしかしたらアイツ、真っ当な人間じゃないのかもしれん。
アイツは形相を変えて、そんなに長く生きてどうするんだ。何か目的でもあるのか。そんな内容を口早に尋ねてきた。
俺も知らねぇよ。死なないから生きてるだけだ。目的なんてない。生きる意味なんてない。時々だけど変な夢を見るだけ。世捨て人だな、完全に。
牛マルは激怒した。そりゃもうブチ切れ。激おこぷんぷん丸だ。
何がアイツの琴線に触れたのやら。よくわからないが、逆鱗に触れてしまったらしい。まぁ、崇高なお侍様からしてみれば業腹物だったのかもしれん。目的もなく、ただ死なないからという理由だけで、結構な土地を占領してる妖怪だなんてまさしく害悪でしかない。
ワノ国、鈴後。此処は一年中寒いし、雪しか降らない。俺は犬の妖怪だから寒さとか効かないけども、普通の人間からしてみれば住みにくい土地だろうな。
3年前だったか。生きにくいんだったら出ていけば良いだろと馬鹿にしてみたら、馬鹿侍は修羅になった。狐は吠えた。刀も黒くなっていた。流桜って奴だ。素手で対峙してしまえば、片腕を喪失してしまうと確信できるぐらい、霜月牛マルは強くなった。一晩中、殺し合った。俺も刀を抜くしかなかった。久々に錆び付いた腕を落とせたから僥倖っちゃ僥倖だったな、うん。
あの時の再来か。面倒くせぇ。最初から牙を抜こうとしたけど、当時と違ったのは、牛マルが直ぐに気を鎮めた点だった。何やら深く考え込み、急に目を見開いて。名案を思い付いたとばかりに走り去った。
その七日後、つまり今日だな。大量の紙と墨を持ってきた。なんだそりゃ。牛マルは文字を書けるかと馬鹿にしてくる。当然だ。舐めんなよ。達筆な字を突き付けてやった。
アイツは嬉しそうに笑った。日記を書け。お前の存在を世に残せ。きっとやるべき事が見つかる筈だから捨て鉢になるんじゃない。そんな戯けた台詞を吐き捨てやがった。
なんで日記?
意味あるのか、それ。
牛マル曰く、外の人間たちは皆一様に日誌を付けてるそうだ。絶対嘘だろ。どれだけ几帳面な人間しかいないんだ、この世界は。息苦しいにも程があるだろ。
皮肉ってやると、牛マルはムキになって、おでんから聞いたんだと吠えた。
絶句した俺は許されるだろう。食べ物と喋る人間がいるとは。世界は広いな。俺の想像を超えてやがる。
狂ってしまったかもしれない男の言う事を聞くのも癪だったが、わざわざ紙と墨、筆まで大量に買ってきたんだ。使わないのも勿体ない。捨てるなんて言語道断。俺はこれでも自然を大事にする男だ。環境破壊ダメ絶対。
牛マルは満足そうに立ち去った。
アイツの姿が見えなくなってから家臣たちが現れて、何やら頭を下げてきたが、俺の知った事ではない。
人間は嫌いだ。弱いから。直ぐに死んでしまうから。俺が認める者は強い奴だけ。牛マルと最小限なりとも会話するのも、アイツがそこそこ強いから。他の人間と心根が異なるから。
この家臣たちは弱い。下らない。片手の爪だけで事足りる。もしくは本気で威圧すれば、それだけで気絶してしまうに違いない。だから話したくない。さっさと消えろ。一度だけ吼えると、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
遠くから猪の鳴き声が響く。
昔、俺にボコられた山の神とやらだ。
こりゃあ明日も騒がしくなりそうである。
はぁ。面倒だなぁ。
◎月▲日 天気 吹雪
面白い奴と出会った。
変な髪型をしてる奴だったけど、中々に骨のある人間だった。『桃源しらたき』とかいう技で白猪を倒していた。
どうでもいいが、何故にしらたき?
ネーミングセンスを疑う。技自体にしらたき要素無かったけど、もしかして好きな食べ物なんだろうか。
名前も『おでん』だったしなぁ。
可哀想に。思わず合掌した。俺なら親を恨みたくなるようなキラキラネームだ。前世の頃でも、そこまでぶっ飛んだ名前をつける親は存在してなかったと思う。
別に助けようと思って、人里まで降りた訳じゃない。いい加減、山の神とやらに絡まれるのも面倒だっただけ。言葉は通じないし。無駄にデカいしな。
一種の妖怪みたいなもんだろ、アレ。同じ穴の狢と思われたくない。だから俺の手で殺そうと思ったんだ。瞬殺できるように爆砕牙まで持ってきたのに。おでんに魅せ場を全部持っていかれてしまった。
結局、俺は人里の外でおでんと鉢合わせた。滑稽な有様である。おでんは何故か嬉しそうだったけど、意味のない遠出になった苛立ちを爆砕牙に乗せて一撃で昏倒させた。
いや、今考えれば只の八つ当たりである。みっともねぇ。俺は反省できる妖怪。反省大事。でもまぁ、その時は虫の居処でも悪かったのか、無性に腹が立って、おでんへ止めを刺そうとした。やり過ぎだよな。わかっている。どの道、直ぐに立ち上がったおでんに防がれたんだけども。
アイツは怒らなかった。むしろ笑っていた。
一番強いとか。世界は広いとか。流石はワノ国の護り犬とか意味わからん事を何回か口走っていたな。
俺を狛犬みたく言うなっつーの。これでも八百歳を超えた大妖怪なんだぞ。噛み殺してやろうかとも思ったが、白猪を一撃で圧倒した剣術も気になったから敢えて斬り結んでみた。
正直、感心した。
俺の想像以上に強かったからだ。霜月牛マルより若いと思うけど、明らかにおでんの方が強い。何倍も。流桜の練度、剣術の冴えも数倍洗練されていた。
おでんは子供みたいなキラキラした眼を浮かべていた。どんな環境にいても、どんな常識を強いられても、己の決めた道を突き進む意志を兼ね備えていた。
改めて名前を聞くと、おでんは嬉しそうに破顔した。それはもう物凄い笑顔。比喩しにくいが、初恋の相手でも見つけたような感じである。戦国時代みたいな世界だ。衆道でも嗜んでいるのかもしれん。他者の趣味をどうこう言うつもりなんてないけど、生憎と俺は異性愛者である。同族を、妖怪の女を見つけた事など無いけども。
逆に名前を問われた。人間と馴れ合う気など毛頭ないと一蹴。牙を振り下ろす。今度こそ確実に気絶させた。爆砕牙の一撃を食らって、よくもまぁ五体満足でいられるなと呆れる。他の人間と比べるのも烏滸がましいぐらいに規格外なのかも。
家来と思しき二人に伝言を残したから、いつか俺の下へやって来るかもしれない。牛マルにも聞いてみよう。おでんって奴を知ってるのかって。
少しだけ、少しだけ楽しかったのは否定できなかった。
#月★日 天気 豪雪
今日は、薄汚い兄弟をおでんに預けた。
日課である散歩中、痩せ細った木に身体を預ける子供を見つけたのだ。痛々しい姿だ。遥か昔、八百年以上昔の俺なら助けなきゃと足早に駆け寄るだろうが、この世界だと子供の死体なんて別段珍しくない。親を亡くしたのか、それとも棄てられたのか、或いは調子に乗って家出でもしたのか。
例に漏れず死んでいるのかと近付いてみる。兄弟は衰弱していたものの、なんとか生きていた。しぶとい限り。人間という種の面目躍如だろう。そして厚かましい事に、俺の持っていた獲物を羨ましげに凝視してきた。
仕方なく。そう、仕方なくだ。
偶然捕らえたばかりの獲物を兄弟に与えた。
俺は大妖怪だ。食事は数日に一回で問題ない。獲物なんて数分で手に入る。人間とは違うのだ。種族の差を、生物の格を思い知らせてやろうと考えただけ。決して二人を哀れんだからじゃない。可哀想だと思ったからじゃない。
兄弟は何度も頭を下げて、何処かへ行った。扇子や三味線を持っていたことから大道芸でも嗜んでいそうだった。
それにしても、走る動作自体は優れていた。重心が全くブレていなかった。適当に鍛えても強くなるだろうに。嗚呼、勿体無い。
その後、いつも通りの道を散歩して、雪が強くなる前に屋敷へ戻ると、光月おでんが仁王立ちで待ち構えていた。例の子分も一緒に。相も変わらず騒がしい奴らだった。
白猪を倒した後、おでんと子分たちはワノ国を漫遊しているらしい。呑気なもんだ。此処にも何度か訪れている。その度に勝負を挑まれている。未だに俺へ一太刀も浴びせられないでいるけど。
当然だな。俺、強いんで。伊達に八百年も生きてないんで。子分たちも筋は良さそうだが、気紛れな主君に翻弄されて、ちゃんとした鍛錬を行えていないそうだ。
薄着の傾奇者の背後に隠れていた兄弟が、貴重な食糧をありがとうございましたと何度も頭を下げてきた。どうやらあの後、おでんたちに出逢ったらしい。運が良いのか悪いのか。何故か、生暖かな眼で見てくるおでんたちを拳骨で黙らせた。
是が非でもお礼をしたいと三味線を引き、舞踊を演じた兄弟に対して、俺は才能が無いから辞めろと冷たく遇らう。
そんな事に時間を掛けるぐらいなら、刀を振っていた方が何倍もマシである。
二人は涙を流して、おでんに抱き付いた。
ふふん、これぞ大妖怪の怖さよ。思い知ったか。
何か言いたげなおでんを屋敷から蹴り飛ばし、他の面子も寒空の下に放置した。金髪と眼鏡は別として、二人の兄弟は涙目で此方を見つめてきたが知った事ではない。子分四人、それぞれ戦いの才能を持ち合わせているんだ。どうにかなるだろ。おでんにもそれとなく伝えてある。大成するかどうか、それはアイツら次第だ。
それにしても。
俺は『殺生丸』なのに。
犬の大妖怪だというのに。
こんなにも人間と関わるなんて。
『殺生丸さま……』
鈴を転がすような声が耳元で木霊した。