今宵は月が綺麗ですね   作:とりゃあああ

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殺生日記 伍 裏 序

 

 

 

 

 

初めて会った時から警戒していた。

化け犬の大妖怪。ワノ国の護り犬。

遥か昔からワノ国を守護してきたのだと老若男女に持て囃されているが、傳ジローからしてみれば正体不明の化物にしか見えなかった。

主君の光月おでんが信頼しているから。

河松やイゾウ、菊の丞が敬愛しているから。

だからこそ多少なりとも関係を持っていたに過ぎない。

化け犬の実力は本物だ。

おでんを一撃で昏倒させた。

流桜を使わずに外海の強者と渡り合った。

傳ジローは思った。

不必要に敵対するのは勿体ないと。

化け犬の力はいずれ役に立つだろうと。

もしも我々の手に負えない敵が現れた時、対抗馬にすればいい。たとえ勝てなくても疲弊させれば充分である。

可能ならば共倒れして欲しい。

無様にも相討ちになって欲しい。

そう考えていた。

遂に来た。

化け犬でさえ打倒できるかわからない怪物が海を越えてきた。

百獣のカイドウ。

黒炭オロチの背後に君臨する力の権化。

今こそ化け犬とぶつけるべきだと思案した傳ジローは、鈴後の大名である霜月牛マルと共に屋敷を訪れた。

 

「十日前の訃報、知っておるか?」

 

牛マルが口火を切った。

上座に腰掛ける化け犬は面倒そうに答える。

 

「知らん」

「光月スキヤキ様が逝去された」

「だろうな」

「驚かぬのか?」

 

目を見開く牛マル。

化け犬は直ぐに答えなかった。

話が長くなりそうだとでも考えたのか、脇息に右肘を置いて楽な姿勢を取った。

傳ジローは太々しい態度だと眉間に皺を寄せた。

 

「二年ほど前か。私の屋敷を訪れた時には、既に治療不可能なほど病魔に冒されていた。よく二年も生きたと感心する」

 

牛マルが感慨深そうに首肯する。

 

「おでんの帰還を待っていたのであろうな」

 

トントンと。

化け犬が人差し指で脇息を叩く。

 

「次代の将軍はおでんだな?」

「本来はそうだ。だが!」

「おでん様が次期将軍なのは間違いありませぬ。なれど現在、とある理由からワノ国は大混乱に陥っておりまする!」

 

牛マルに続き、傳ジローも声を荒げた。

ワノ国の現状を思い浮かべるだけで怒りが込み上げる。祖国の苦境を打破できない自らの非力さに憎悪すら覚える。

化け犬は視線で先を促した。

牛マルが手を震わせながら説明する。

 

「おでんは海外にいる。帰還もいつ頃になるか見当も付かぬ。故に、スキヤキ様は仕方なく将軍代理を立てることにした」

「無難だな。それで?」

 

平坦な声音で返す化け犬。

光月家の治めるワノ国に住みながら、まるで傍観者のような振る舞いに思わず苛立ってしまう。

傳ジローは落ち着けと己に言い聞かせた。

下手に敵意を見せてしまったら、提案を断られるかもしれない。

今は我慢だ。

不平不満は飲み込め。

目的を達するまで私情を捨てろ。

 

「問題は将軍代理になった男だ!」

 

牛マルが畳を叩く。

無意識に流桜を纏っていたのか、屋敷全体が微かに揺れた。

 

「将軍代理に名指しされたのは、黒炭オロチという男だった」

「黒炭?」

「そう。大名殺しの黒炭だ」

 

傳ジローは調査した事実を思い起こす。

数十年前、黒炭家は九里を支配していた。

光月家に仕える五つの大名家。その一つだったのにも拘らず、当時の黒炭家当主は分不相応な欲をかいた。

先々代の将軍家には問題が有った。

長らく子供が生まれなかったのだ。

次代を担う世継ぎが誕生しなかった。

黒炭家当主は好機と見て、人知れず暗躍した。

自分が次代の将軍になれるように、他の大名たちを一人ずつ消していった。

内乱を装って殺した。井戸に毒をまいて殺した。

将軍が病床に臥せるまで何人も殺したと記録に残されている。

黒炭家の計画自体は、光月スキヤキが誕生した事で頓挫した。

大名殺しの罪を問われ、黒炭家当主は切腹。更にお家断絶。領土も城も地位も失い、黒炭一族は姿を消したとされている。

ワノ国全土を包んだ混乱の最中、鈴後の大名だった『天月家』も後継者不在で没落。代わりに白舞を治めていた霜月一族が分家を用意して、統治者のいなくなった凍土の大地を管理することになったらしい。

大名殺し。大名潰し。

黒炭は人々に蔑まれる名前となった。

 

「半年前から寝たきりになってしまわれたスキヤキ様に代わり、オロチが政務を執り行うようになったのだ。おでんが帰還するまでの将軍代理だった癖に。何を勘違いしたのか、ワノ国を好き勝手し始めた!」

 

多少なり興味を持ったようだ。

化け犬が僅かに身を乗り出した。

 

「何を始めた?」

「されば、私から説明致します」

 

傳ジローは軽く会釈してから口を開く。

 

「オロチは『百獣のカイドウ』と呼ばれる海賊をワノ国へ呼び付け、自らに従わない者たちに弾圧を加えました。海賊の恐るべき強さを後ろ盾にして、国内を急速に掌握しつつあります」

「ほう」

「更に、鈴後を除く各郷に武器の工場を建設。将軍命令を乱発して、暮らしていけぬ程の低賃金で人々をこき使っているのです!」

 

オロチの非道さを声高に訴える。

百獣海賊団を傍に侍らせたオロチは、その醜い本性を露わにした。

自身に逆らう男を次々と武器工場へ送り込み、強制労働に従事させている。反乱分子だと断じた女は百獣海賊団の慰み者として売り飛ばされ、おそらく今も弄ばれているだろう。

今や怨嗟の声は天を貫くほどに膨れ上がっている。

しかし、どうしようもできない。

巨大な龍へ変貌する百獣のカイドウは、まさしく怪物なのだから。家族を守ろうとした侍を僅か一撃で挽肉にして、近くに存在した村を龍の吐息一つで更地に変えてしまった。

ワノ国を地獄へ叩き落とそうとする独裁者。冷酷であり残忍な黒炭オロチを糾弾する傳ジローだったが、化け犬は呆れた表情で嘆息した。

 

「下らん」

 

牛マルが呆然と問い返す。

 

「下らぬとは?」

「黒炭オロチのやり口は理解した。貴様らの憤りもな」

「なら!」

「だが、付け入る隙を与えたのは光月おでんだ」

 

半歩にじり寄った牛マルを手で制して、化け犬は傳ジローを視界に収めた。

 

「あの男が海外へ出なければ問題なかった。将軍代理を設ける必要もなく、黒炭オロチは強大な権力を持てなかった。違うか?」

 

ぐうの音も出ない正論だった。

何も言い返せない。

傳ジローは奥歯を噛み締めて項垂れた。

光月おでんさえいれば。

正統なる後継者として将軍職に就いていれば。

黒炭オロチによる悪政も、百獣のカイドウによる暴力も日の目を見ることは無かったに違いない。

悔やんでも仕方ない。

反省しても時は戻らない。

だから先に進むと決めたのだ。

主君に叱責を喰らおうとも構わない。

己の判断こそ正しいと信じた傳ジローは、化け犬へ深々と頭を下げた。

 

「どうか。どうか我らと共にオロチ、カイドウを打倒してくれませぬか!?」

 

屋敷へ訪れる道中、牛マルからも賛同を得た。

化け犬の助力を得られればまさしく百人力。

最大の障壁である百獣のカイドウも怖くない。

都に居を構える大親分、花のヒョウ五郎も力を貸してくれる手筈となっている。極秘裏に準備を進めた。万が一にも負けないようにと多種多様な手を施した。

ワノ国全土から侍と侠客が集うだろう。

敵の戦力を大幅に上回る。必ず勝てるのだ。

化け犬さえ味方にできれば。

正体不明の化け物さえ説得できれば。

傳ジローは祈った。

だが、心のどこかで甘えていた。

光月おでんと親交を持つ化け犬なら、きっと提案を受けてくれるだろうと。

 

 

「断る」

 

 

空気が凍った。

牛マルと傳ジローは硬直した。

言葉の意味を理解したのは数秒後だった。

二人とも正座を解く。

片膝立ちとなり、化け犬と距離を詰めた。

 

「何故だ!」

「断る理由は無いはずです!」

 

屋敷中へ轟く叫び声に、化け犬は顔を顰めた。

 

「賛同する理由も存在しない」

 

言葉を失う二人。

化け犬は肩を竦める。

億劫そうに口を開いた。

 

「私にとって、光月と黒炭の確執などどうでもよい。悪政を敷く独裁者とて何人も見てきた。名君もいれば暴君もいる。賢者もいれば莫迦もいる。それが人の世、人の常だろうに」

「自由と尊厳が失われようとしているのだぞ!」

「大名殺しの黒炭家がワノ国を乗っ取ろうとしているのです! 正統な光月家の世に戻さないといけませぬ!」

 

牛マルと傳ジローの咆哮は、化け犬に届かなかった。

 

「所詮は内輪揉め。勝者が正義となる。黒炭オロチが勝てば、黒炭家こそ正統なる将軍家と呼ばれるだろう。それだけの話だ」

「なっ!」

「そんな道理は!」

「鈴後とこの屋敷さえ荒らされぬ限り、私は内紛に介入せぬ。しようとも思わん。理解したなら帰れ」

 

最初は疑問を。

途中から憤怒を。

最後に至っては失望を覚える。

隣で霜月牛マルが化け犬を責めている。

道中、化け犬と十数年に渡って親交を重ねてきたと自慢していた牛マル。まるで親しい友のように化け犬のことを話していた。表面上は尊大でぶっきらぼうだけど、本当は心優しい妖怪なのだと嬉しそうに教えてくれた。

牛マルの抗議を聞き流す妖怪を見て、傳ジローは己の考えを強固にした。

化け犬と人間は相容れない。

慈悲の心を持たず、人間と共存しない愚か者。

この化け物は黒炭オロチと同類だ。

いつかワノ国から排斥しなければならない害悪だと理解した。

 

「やっぱりな」

 

河松を拾い育てたのも。

イゾウや菊の丞に食糧を与えたのも。

十二年前、九里を荒くれ者から解放したのも。

全ては気紛れ。

善意ではなく悪意の所業。

人間の蠢めく様を観察でもしていたのだろう。

虫唾が走る。

舌打ちが漏れた。

つい数分前まで警戒していた。

それでも有効活用できると考えていた。

今はもう嫌悪感だけだった。

可能ならこの場で斬り捨ててしまいたいほどに。

足早に屋敷から立ち去る。

カイドウを倒す為の策を練らないと。

オロチの暴虐から多くの人間を救わないと。

 

「くそっ!」

 

傳ジローは痩せ細った木を殴った。何度も殴打した。

化け犬を頼った己に対する戒めとして、右手が血塗れになるまで殴り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

黒炭オロチは復讐者だ。

彼にとって国民全員が復讐の対象だった。

黒炭家を虐げた罪人達。いつ死んでくれても構わない。

手練手管を尽くして下剋上を果たした理由も、独裁者として私腹を肥やす為でなく、ワノ国を滅ぼす為だった。

数十年前、祖父が罪を犯した。

責任を問われて、黒炭家は大名家から転落した。

オロチとて仕方ないと思っている。

罪は償わなければならない。

厳正な法の下で処断された結果なら受け入れる。

故に、オロチの抱く復讐心はその後の逃亡生活に起因する物である。

罪は罰せられた。

司法によって厳格に処された。

だが、それだけで終わらなかった。

見ず知らずの正義の味方に追い回される生活。殴る蹴るは当然のこと。集団的な暴行は日に日に苛烈を極め、黒炭家の人間を殺してもなお止まらなかった。

黒炭の名が付けば、子供でも罪人になる。

司法が見逃した悪は抹殺しなければならない。

それこそ善。それこそ正義。

大義名分を得た人々から繰り返される社会的な報復に、黒炭オロチの性根はどこまでも歪んでしまった。

誰が悪かったのか。

当然、決まっている。

ワノ国の人間は全員、復讐されて然るべき。

今更になって泣き喚こうが何も変わらない。

自業自得。因果応報。身から出た錆なのだから。

 

 

「ジハハハハッ! これが鉄砕牙か!」

 

 

最も優雅で裕福な花の都。

代々の将軍が暮らしてきた伝統ある山城。

その天守閣にて、金髪の大男が快活に笑った。

空を飛ぶ海賊。金獅子の異名を持つ男は一振りの刀を手にしていた。

傍に立つオロチは相槌を打つ。

 

「そうだ。天月家から伝わったとされる、化け犬の刀だ」

「世界政府が探している禁忌の牙。その一振りがようやく手に入ったぜ。随分と遅かったじゃねぇか」

 

金獅子のシキが笑顔で睨み付ける。

言外に、何を悠長にしていたんだと責めている。

金獅子は新世界の海を支配する四強の一人。

百獣に匹敵、或いは凌駕する生粋の化け物だ。

オロチが喉を鳴らして、一歩後退してしまうのも無理なかった。

 

「簡単に見つけられたら苦労しねェよ。先代の将軍も具体的な場所までわかってなかったみたいだからな」

 

シキの威圧に飲み込まれたオロチを見兼ねて、カイドウが助け舟を出した。

ワノ国に君臨する暴虐者は胡座をかいて酒を飲み続ける。酔っ払う前だからか、大海賊に相応しい厳格な雰囲気を醸し出していた。

いつもこうなら楽なのに。

 

「ジハハハハ。お前は要らねェのか、カイドウ」

 

二人は知った仲らしい。

昔、とある海賊船で仲間だったとか。

元同僚という生暖かい雰囲気は感じられない。

まさしく一触即発。

こうして言葉を交わすだけでも、まるで奇跡と思えるような空気の悪さだった。

 

「てめェの方こそ、そんなもの必要とするなんてな」

「禁忌の牙だ。貰えるなら貰っておくさ」

「好きにしやがれ」

 

ぶっきらぼうに返すカイドウ。

昔と変わらず愛想のねェ野郎だと笑うシキ。

話に割り込むのも酷く恐ろしかったが、オロチは大切なことを確認する。

 

「化け犬の刀は渡した。契約は果たして貰うぞ」

 

黒炭ひぐらしが推進した計画。

鉄砕牙を失うのは痛いが、何よりもーー。

 

「安心しな。化け犬はオレがしっかりと殺してやる。爆砕牙も貰っていいんだよな?」

「構わねェ」

「てめェが勝てるかどうか怪しいがな」

 

売り言葉に買い言葉。

剣呑な視線を交わす化け物たち。

オロチは肩を落とした。

こんな様子で大丈夫なのか。

最大の懸念事項である化け犬を殺せるのか。

だがーー。

外海を知る黒炭ひぐらしは太鼓判を押した。

金獅子のシキなら化け犬を殺せるはずだと。

当初、カイドウは計画に反対した。

俺でも化け犬を殺せると息巻いていた。

大事なのは勝ち負けではないと何度も説得した。

化け犬と争い、直ぐに決着が付くなら問題ない。考慮すべきは、もしも決闘が長引いてしまった場合である。

何故か。

花のヒョウ五郎を始めとした各郷の侍や侠客が、先ず間違いなく打倒オロチとして立ち上がるからだ。

そうなれば万事休す。

確実に負けるとまで言わずとも、苦戦を強いられるのは間違いなかった。

だからこそ、カイドウは化け犬の屋敷へ足を運んだ。力量を測るために。真面目な彼は即座に判断した。

たとえ勝ったとしても、三日三晩を費やすだろうなと。

結果、黒炭ひぐらしの計画通りに事を進めた。

藤山に封印されていた鉄砕牙を金獅子へ譲る代わりに化け犬の討伐を任せた。いつ黒炭の敵に回るかわからない不穏分子を殺してくれと頼んだ。

 

 

 

「ほう」

 

 

 

低く艶のある声が鼓膜を揺らす。

オロチは音源の方へ視線を向ける。

其処には化け犬の大妖怪が立っていた。

空を飛んできたのか。

だが、何故。

屋敷を訪れてから一年が経過している。

どうして今になって花の都を訪れたのか。

 

「貴様らが私を殺すのか。笑わせるな」

 

混乱するオロチを無視して、化け犬は優雅に歩を進める。

右肩から靡かせる犬の毛皮。白を基調とした高価な着物。琥珀色の眼光はどこまでも鋭く。絶世の美貌は隠しきれぬ憤怒に彩られていた。

 

 

 

「貴様に鉄砕牙は勿体ない。返してもらうぞ」

 

 

 

 

 

 

 









今回の裏視点は三部作となります。




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