今宵は月が綺麗ですね   作:とりゃあああ

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光月情景 前

 

 

 

 

 

「ワノ国から出て行け、カイドウ!」

 

光月おでんは呼吸を整える。

少なくない生傷。薄汚れた着物。

幾度も吹き飛ばされた身体は停止を求めている。

悲鳴をあげる肉体に鞭打ち、ロジャーやレイリーに頼み込んで鍛え上げた我流剣術の一端を解き放った。

おでん二刀流、桃源十拳。

それはまさしく会心の一撃だった。

巨大な龍の腹部を十文字に斬り裂いた。誰も傷付けられなかった強靭な皮膚に、閻魔と天羽々斬は遂に傷痕を刻み付けた。

龍の躰から紅血が噴き出す。

先程まで悠々と浮遊していたカイドウは、口から血を吐きながら地面へ墜落した。獣型から人型へ姿を戻し、荒い呼吸を繰り返しながらも金棒を手に立ち上がる。

 

「ウォロロロロロ。やるじゃねェか、おでん。どうやらお前の実力を見誤っていたみたいだ。この俺が斬られるとはな」

 

おでんは悔しさから唇を噛み締める。

ワノ国を漫遊した十年以上前を思い出した。

数年前まで自然豊かな土地だった兎丼。様々な動植物の楽園だった場所は、乱立した武器工場から垂れ流される毒水によって往年の姿を失った。

煌々と照らす月明かり。

無人の荒野にて侍と海賊が相対する。

このような事態に陥った原因は己にある。

せめてもの償いとして自らの手で解決しなければならない。大名や花のヒョウ五郎率いる侠客と侍の軍勢を僅か一人で壊滅させた、百獣のカイドウを倒さなければならない。

おでんは閻魔と天羽々斬を怪物へ突き付けた。

 

「二度も言わせるな! ワノ国から出て行け、カイドウッ!」

「出て行けか。甘ェな、おでん。そんなんで俺に勝てるつもりでいやがるのか! ふざけんじゃねェぞ!」

 

カイドウは鮮血に塗れながら咆哮した。

常人なら気絶する裂傷をその身に浴びても百獣を冠する大男は戦意を喪失していない。金棒を握り締める力を全く緩めていない。

血走った目は状況の打開を目論んでいる。

 

「俺に勝ちてェなら殺す気で来やがれ! じゃねェと俺がお前を殺すぞッ!」

 

言い終えるや否や、カイドウは金棒を振り翳す。

数メートルの距離を一息で詰められた。頭部を狙った一撃が恐るべき速度で迫る。大気を巻き上げながら振り下ろされた。

金棒を受け止めるか。

無理だ。確実に刀身が折れる。

ならば躱す他ない。

一撃でも食らえば気絶する。

最悪の場合は死ぬかもしれない。

不条理な攻撃に戦慄しながらも、おでんは金棒を回避し続けた。その間に隙を見つけては、カイドウの手足を幾度も斬り付ける。

 

「ウォロロロロロ! まだだ! こんなもんで倒れる俺じゃねェ!」

 

怪物は破顔する。

 

「ワノ国に来てから物足りなかったからなァ。錆び付いていた身体もようやく温まってきた。感謝するぞ、おでん!」

 

天空から振り下ろされる金棒。

おでんは後方へ跳躍して回避する。

勢いを殺せずに、金棒が地面を抉った。

舞い上がった砂塵が両者の間を流れていく。

不透明な視界に眉を顰める。

どこから来るか。

上空か、左右からか。

いずれも有り得る状況だ。

おでんは対処できるように目を光らせて――。

 

「雷鳴八卦ッ!」

 

全身に駆け巡った唐突な危機感に従い、咄嗟に左へ跳んだ。

左を選んだ理由は特にない。右でも構わなかった。

躱しきれずに右のこめかみが抉られた。頬を伝う血を拭いながら安堵する。直感に身を任せて跳んでいなければ、おでんの頭部は柘榴みたいに弾けていただろう。

即座に立ち上がり、後方を振り返った。

金棒は振り切られた状態だ。

カイドウは両足を肩幅に開いて立っている。

その巨大な背中は、憤怒よりも歓喜の感情を醸し出していた。

 

「ウォロロロロロ! よく躱したな!」

 

おでんは冷や汗を流す。

残像が辛うじて見えただけだ。

目で捉えてから回避するのは不可能だろう。

ならばどうして避けられたのか。

わかったからだ。

カイドウは正面から攻撃すると。

脳裏に浮かんだからだ。

カイドウの放つ攻撃の軌跡が。

これがロジャーやレイリーの口にしていた、見聞色の予知か。両者の域に達したと自惚れない。だが、その一端に手を掛けたのは紛れもない事実であった。

窮地にこそ力は開花する。

おでんは口角を吊り上げ、カイドウを睨んだ。

 

「次は俺の番だッ」

「良い目だ。吹っ切れたな、おでん」

 

カイドウは金棒を担いだ。

多大な出血量故か、その巨躯が僅かによろけた。

如何に怪物といえど消耗している。その確信はおでんの四肢に力を漲らせた。もう一押しだと。あと一歩だと自分自身を鼓舞する。

 

「ウォロロロロロ!」

 

カイドウは足元の血溜まりなど目もくれずに哄笑した。

 

「最高だ! 次で決めるとしようぜ、おでん!」

 

互いに満身創痍。

最後に繰り出す技で勝負は決する。

何を選ぶべきか。

最有力は桃源十拳だ。

しかし既に一度見せた技である。

勝利に届くか。自問する。

決定打になり得ない。自答する。

桃源十拳を選んだ未来が脳裏をよぎった。

カイドウは斬撃を耐え抜き、おでんは金棒の一撃で沈むだろう。頭部から血を流して、無様に敗北してしまう未来が見えた。

ならばどうすればいい。

カイドウの攻撃をくぐり抜け、不死身の怪物を斬り伏せるには果たしてどのような技を選出するべきなのか。

時間は迫っている。

敵は悠長に待ってくれない。

仕方ない。一か八かだ。全身全霊を込めて打開するしかない。桃源十拳を選択しようとした時、視界の端に懐かしい姿が映った。

約三年振りに見た犬神は手負いの状態だった。煤に塗れた白い着物の胸部は血に染まり、右足と左手は赤黒く膨張していた。

それでも尚、月光に照らされた姿は神々しい。

ロジャーや白ひげと同格である金獅子を討伐した帰りだろうか。疲弊した身体を酷使してでも、光月おでんを見守ってくれるということだろうか。

負けられない理由がまた一つ増えた。

勝ちたいという強い意思が折れそうな心を奮い立たせた。

おでんは微笑む。

閻魔と天羽々斬を構えて敵を睥睨する。

 

「さぁ、行くぞ!」

 

カイドウが獰猛な唸り声をあげた。

 

「来い」

 

思い起こすのは十四年前。転機となった犬神との邂逅。決闘を仕掛けて、あえなく返り討ちに遭った。山の神と称された白猪にも通じた我流の剣術は歯が立たず、それ以来、悔しさから血の滲むような努力を積み重ねてきた。

さぁ犬神よ、ご照覧あれ。

光月おでんが捧げる一閃を。

十四年掛けて磨き上げた一振りを。

この一刀にて、ワノ国の混乱を斬り伏せてみせようぞ。

 

 

 

「雷鳴八卦ッ!」

「桃源白滝ッ!」

 

 

 

 

交錯は一瞬。

刹那の内に勝敗は決した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワノ国全土へ広がった大戦から二週間後。

百獣海賊団の齎した被害はおでんの想像よりも遥かに甚大だった。特にヒョウ五郎一家を力尽くで捕縛しようした結果、花の都の半分が瓦礫の山と化した。

カイドウが龍の状態で暴れたからであり、ヒョウ五郎一家が偶然にも各郷の任侠を集合させていたからでもある。

多くの者が怪我を負った。住居を失くした。

それでも、花の都の住人は笑顔だった。誰かが冗談を口にすれば白い歯を見せ、新たな将軍の住まう山城へ万歳三唱する者が現れれば我先にと他の住民も追随して、伝説の大工と名高い港友は弟子と共に炊き出しのお握りを頬張りながら忙しなく木槌を打つ。

誰も彼もが嬉々として復興作業に勤しんでいた。

黒炭オロチが将軍の地位から引き摺り下ろされたからだ。

無敵と怖れられた百獣のカイドウが、正統なる跡継ぎである光月おでんに敗北したからだ。

地獄は終わった。未来は希望に満ちている。

ワノ国全土から集中する期待を一身に背負いながら、光月おでんとその家臣たちが花の都に聳え立つ山城に集まっていた。

 

「突然どうしたんだ、錦えもん」

 

上座に腰掛けるおでんが小首を傾げる。

名前を呼ばれた錦えもんが下座にて頭を下げた。左右に傳ジローとイヌアラシを従え、恐れながらと口を開いた。

 

「我ら三人に命じられた任務を覚えておられますか?」

「各郷を巡り、被害に遭った人間の抱える問題を集める任務だろ」

「仰る通りに御座います。イヌアラシは希美と九里を、傳ジローは兎丼と白舞を、そして拙者が花の都を担当致しました」

「承知している。何かあったのか?」

「民から数多くの嘆願書を渡されました」

「結構なことだな」

「ええ。ですが困ったことに、嘆願書の多くが同じ内容でした。我らも驚きました。まさかこのような事態になろうとは思ってもおらず」

 

錦えもんが珍しく言葉を濁した。

眉間に皺を寄せて、忙しなく視線を動かす。

どう伝えればいいのか。

どこから説明すればいいのか。

苦悩する錦えもんを見かねたのか、イヌアラシが肩を竦めて締め括った。

 

「事が事だけに、こうして全員を招集した次第です」

 

奇妙な雰囲気だ。

なにか嫌な予感がする。

好奇心と自制心が鬩ぎ合う。

全員を集めるほどの内容ともあれば、ワノ国の今後を左右するかもしれない。

そもそも他の家臣は知っているのだろうか。

素朴な疑問を覚えたおでんは脇息に身体を預けながら、部屋の右側で静かに正座する三人へと声を掛けた。

 

「イゾウは内容を知っているのか?」

「いえ。私は聞いておりませぬ」

「菊は?」

「お兄様と同じく。それに、拙者たち兄弟は百獣海賊団の残党狩りから帰ってきたばかりですし」

「河松はどうだ?」

「拙者も聞き及んでおりませぬ」

 

イゾウと菊の丞に割り当てられた任務は、各郷の侍を率いて、ワノ国全土に逃げ隠れている百獣海賊団の残党たちを捕縛することだ。

数が数だけに面倒で危険な任務だが、犬神から半年間稽古を受けた兄弟は怪我一つ負わずに仕事をこなしていた。

河松は河童である事を活かして、ワノ国の沖合を見張っている。仕事の内容はイゾウや菊の丞と変わらない。陸ではなく、海を担当しているだけである。

各地を巡回する三人は知らなかった。

ならば左側に着座している四人はどうだろうか。

 

「アシュラとネコマムシは聞いているか?」

「おいどんは知りませんな」

「わしもアシュラと同じぜよ」

 

オロチの悪政は多くのならず者を出現させた。

都を追い出された者、強制労働に嫌気が差して逃げ出した者、家族を食わせる為に盗賊団を結成した者。真人間から落伍した理由は多種多様にあれど、彼らに共通する部分もまた存在する。

オロチや百獣海賊団から狙われないように、山奥や深い森に隠れ潜んでいるという点だ。

用心深い者はオロチが失脚したと耳にしても信じない。自分たちを誘き出す罠だと邪推する。

信用してもらうまで説得するのも一つの手段であるが、彼らによる被害をいち早く食い止める為にも、山賊や盗賊に精通するアシュラ童子と、その補佐としてネコマムシが直接出向いて鎮圧していた。

 

「雷ぞうは?」

「錦えもんたちから直接聞いておりませんが、拙者は何となく察しております。こうして全員を招集するのも当然かと」

「そうか。にしても顔色が悪いぞ、雷ぞう。今日はこのまま休め。福ロクジュにはおれから言っておく」

「おでん様の手を煩わせる訳には! それに皆が皆、忙しく働いているのに拙者だけ休むのも」

「倒れたりしたら本末転倒だろ。雷ぞうにはこれからも頼ることになる。気兼ねなく休んでおけ。いいな?」

「はっ」

 

オロチに攫われた人々の情報を求めて、昼夜問わずにワノ国を走り回る忍衆。福ロクジュと並んで筆頭扱いされる雷ぞうは、この場の誰よりも疲弊しているようだった。

半ば無理矢理でも休ませないと。

真面目過ぎる家臣に苦笑しつつ、雷ぞうの隣へ視線を移した。

 

「カン十郎はどうなんだ?」

「拙者も詳細は存じておりませぬな」

「――カン十郎には牢屋の番人を任せているんだったな。オロチとカイドウはどうしている?」

「以前と変わりなく。どちらにも高純度の海楼石の錠と鎖で縛り付けてあります。逃げ出そうとする気力は無いようで。百獣海賊団の幹部も大人しく牢屋に捕まっておりまする」

「何か有ったら知らせろ。オロチはともかく、カイドウがこのまま処刑を待つと思えねェからな」

「御意」

 

恭しくお辞儀したカン十郎。

久し振りに再会した家臣の一人に、おでんは違和感を覚えた。

喉に刺さった小骨のように心に引っかかる。何かがおかしいと。原因を特定する為に強く言及するべきだと本能が声高に叫んだ。

しかし、おでんは気の所為だと無視する。

近い将来、この時の選択を後悔すると知らないまま話を進めた。

 

「知らない者が多数いる。詳しく説明してくれ」

 

おでんの催促に観念したらしい。

錦えもんは意を決したように語り出した。

 

「事の発端は一年前に遡ります」

「父が死んだ辺りか」

「その通りです。光月スキヤキ様の逝去後、オロチとカイドウは鈴後を訪れました。犬神殿の屋敷に出向いたのです」

 

おでんは顎に手を当てながら口を挟んだ。

 

「真偽の程は?」

「複数人が見たと証言しております。屋敷の門前で親しげに話していたと」

「問題なのは、オロチとカイドウが鈴後に手を出さなかった事です。武器工場は建てられず、人攫いも起きず、ワノ国で唯一平和な郷でした」

 

イヌアラシの補足説明に、おでんは眉を顰める。

 

「良いことじゃねェか」

「承知しています。しかし、だからこそ話が拗れました」

「イヌアラシの言う通り、鈴後が平穏無事だったからこそ人々はこのように噂しました。犬神殿が鈴後の地を守ってくれたのだと」

 

只の想像に過ぎないが、オロチは犬神と交渉したのだろう。鈴後に手を出さない代わりに、犬神も将軍争いに介入しないでくれと。

犬神は相互不可侵の申し出を受諾した。

だから鈴後の地は侵されなかった。何処にも問題点など見受けられないが、錦えもんは険しい顔付きで説明を続けた。

 

「オロチの暴虐が酷くなり、犬神殿へ助けを求める人々が大勢現れました。一年間、連日連夜の如くです。しかし犬神殿は陳情に訪れた人々を無表情で追い返しました。年寄りから子供まで例外なく。この時からこんな噂がワノ国全土へと広まりました」

 

一拍。

 

「犬神とオロチは結託しているのだと」

 

頭に血が昇った。

自らの膝に拳を振り下ろす。

 

「何だそれはッ!」

 

憤怒の形相だったのか、錦えもんが慌てて言葉を紡いだ。

 

「我らは信じておりませぬ。されど、被害に遭う大勢の人々はこの噂を鵜呑みにしました。犬神はオロチに尻尾を振っている。犬神はオロチから鈴後の支配権を貰った。そういう風に悪評は広がっていきました」

「それは、今もか?」

「おでん様がカイドウを倒して、オロチを権力の座から引き摺り下ろしたことで以前よりも酷くなっておりまする」

 

絶句するおでん。

訳がわからない事態に陥り、脳が思考を放棄する。

主君の心情を察しつつも、錦えもんは脇に置いていた書状を前方へ差し出した。

 

「多くの嘆願書にはこう書かれております」

 

否が応でも目に映る。

達筆な字で書かれた物もあれば、震えている字で綴られた物も。犬神に裏切られた怒りと失望が垣間見えた。

 

 

 

「オロチと同類である犬神を、どうかワノ国から追放してほしいと」

 

 

 

顔を手で抑える。

眩暈がしそうだった。

理不尽な世界を嫌悪したくなる。

おでんはどうしてこうなったと項垂れてしまう。

 

「おでん様、発言してもよろしいですか?」

 

考えを纏めている最中、イゾウが手を挙げた。

違う情報でも知っているのか。

期待を込めて首肯する。

イゾウはありがとうございますると礼を述べ、おでんの正面に並んで座る三人へ視線を向けた。

 

「錦えもん、オロチは悪か?」

「いかにも」

「イヌアラシ、カイドウは悪か?」

「それ以外の言葉など見つからんだろう」

「傳ジロー、お主は言ったな。一年前、犬神様からカイドウ討伐を断られたと。問答無用で足蹴にされたと。その事を今でも恨んでいるか?」

 

初めて知った情報に、おでんは目を剥いた。

傳ジローは目を伏せながら、ゆっくりと首を横に振った。

 

「恨んでいない」

「そうだろうな。もしも犬神様がカイドウを討伐して、オロチからワノ国を救い出していたらどうなっていたか。我らの中で最も賢いお主なら気付くはずだ」

「イゾウ、何が言いたい?」

 

不愉快そうな錦えもんの問いに、イゾウは間髪入れずに答えた。

 

 

 

「錦えもんはオロチを悪だと断じた。イヌアラシはカイドウを悪だと評した。ならば、必然的におでん様も悪になる。それだけの話だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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