今宵は月が綺麗ですね   作:とりゃあああ

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殺生日記 陸 裏 前

 

 

 

 

 

 犬神の屋敷に足を踏み入れたのは三年ぶりだろうか。

 鈴後の片隅に鎮座する小さな屋敷。謁見の間に通された光月おでんは下座に腰掛けながら、懐かしさから目を細めた。

 何も変わっていない。

 家具の配置、住民の匂い、壁や柱に刻まれた傷跡。それら全てが三年前と同じだった。否、初めて犬神の屋敷を訪れた時から何一つ変化していなかった。

 まるで時の流れから切り離されているように。

 長命種である犬神らしいと納得するべきか。もしくは――。

 

「何を呆けている?」

「いや、悪い。不躾だったな」

 

 おでんは首を横に振る。

 懐古の念に駆られている場合ではなかった。来訪した理由を人知れず回想する。

 数日前、カイドウの暴力とオロチの悪政から解放されたワノ国で、白舞と希美に住む一部の民が唐突に暴徒へ変貌した。

 理由は単純。鈴後に対する羨望だ。

 下地は有りましたと傳ジローは苦しそうに吐き出した。

 ワノ国の民衆は犬神の庇護下で安穏とした生活を続けた鈴後を激しく恨み、猛烈に妬んでいた。

 どうして俺たちだけが被害を受けたのだと。

 毒に汚染されていない鈴後の大地が羨ましいと。

 膨大な嫉妬は渦を巻き、そして爆発する。

 彼らは結論を出した。

 鈴後も我々と同じ損害を蒙るべきだ。平等こそ正義。正義を成す我々に大義が有ると盲信した。まさに黒炭家の残党を執念深く駆逐したように。

 最初は遠巻きに様子見していた民衆も、彼らの目的を聞くことで〝正義〟と〝大義〟に酔い、相次いで暴動に参加していった。

 鈴後を守護する侍を押し退けて、正義の名の下に各地の村を襲撃。山を荒らし、森を燃やし、川を毒で汚した。

 愚かな行為。許されざる所業。

 しかし、元々は同じワノ国の民だ。鈴後の侍は手を拱いた。業を煮やした霜月牛マルが陣頭に立ち、暴動を鎮めようとした矢先、暴徒の一部が犬神の屋敷へ手を掛けようとした。

 それはまさしく犬神の逆鱗に触れた。結果として、暴動は一時間と経たずに終焉を迎える。

 首謀者の殆どが半殺しの憂き目に遭い、扇動に惑わされた人たちもおでんたちによって逮捕された。

 

 

「何を黙っている。用件があるのだろう?」

 

 

 口火を切った犬神。上座から睥睨する琥珀の双眸には疑念の色が浮かんでいる。

 様々な負い目を感じている光月おでんは歯切れ悪く返した。

 

「それはそうなんだが」

「どうした、貴様らしくもない」

「それを言ったらお前もだろ。トキに刀を渡したそうじゃねェか」

 

 カイドウを打倒して、オロチを将軍から引き摺り下ろした大戦後、家族と再会したおでんは驚愕した。

 禁忌の牙と畏れられる鉄砕牙を、妻が宝物のように持っていたからだ。トキは破壊の牙を心苦しそうに、それでも誇らしそうに握り締めていた。

 犬神が優しく微笑む。

 

「アレはあの娘にこそ相応しい。鉄砕牙も喜んでいよう」

「禁忌の牙に相応しいって。それは、トキが〝八百年前の人物〟ってことに理由があるのか?」

「ほう。やはりそうか」

 

 得心が行ったように首肯した。

 

「お前、気付いてたのか?」

 

 目を丸くするおでん。

 八百年も昔から現代へ飛んできた女性。普通は与太話として切り捨てるだろう。

 非現実的過ぎる。有り得ないと。

 おでんとて愛する妻の言葉でなければ信じなかったと思う。

 犬神は脇息に身体を預けながら同意した。

 

「当然だろう。アレはりんの孫だからな」

 

 天月りん。遥か昔の女性。

 犬神が拘る唯一の人物と聞く。

 

「お前とどういう関係なのか、訊いても答えてくれねェんだろ?」

「貴様に関係あるまい」

「妻の祖母だぞ。それに――」

「くどい」

 

 犬神は一蹴した。舌打ちして、咎めるような視線を投げつける。人間離れした美貌が不満から歪んでいた。

 やはりかと確信するおでん。

 犬神にとって大事な物は小さな屋敷と鈴後、そして〝天月りん〟だけなのだろう。

 魚人島に置かれていた〝ポーネグリフ〟を読んだおでんは、それが悲しくも当然だと思えた。ワノ国を恨んでもおかしくないと。

 詰問したところで犬神は口を割らないだろう。探りを入れるだけ不興を買うことになる。

 無理することはないと自らに言い聞かせて、おでんは素直に引き下がった。

 

「わかったよ」

「……諦めが良いな」

「おれも成長したってこった」

「笑えない冗談だ」

 

 皮肉げに笑う犬神。遠くに視線を遣り、何かを思い出すように首を振る。

 

「いや、家族を持つというのは存外そういうことかもしれんな。貴様、あの娘とどうやって知り合った?」

「自分のことは話さねェのに、おれには訊いてくるんだな」

「話したくなければ口を噤んでも構わん」

 

 吐き捨てる犬神に対して、おでんは肩を竦めてから流暢に語り出した。

 ロジャー海賊団の一員として外海へ飛び出してから一週間ほど経過したある日、とある島で人買いに拉致されそうな天月トキを発見。数秒と掛からずに不埒者を殲滅した。

 トキはワノ国へ行くのが幼い頃からの悲願だと口にしたが、何故か彼女もロジャーの船に乗ることに。

 一緒に世界中を旅して回った。

 お互いに心惹かれて、愛を育み、子供をもうけた。

 口を挟まずに耳を傾けていた犬神は、どこか懐かしむように目尻を下げる。

 

「貴様には勿体ない程の良い娘だ。必ず守れ」

「言われるまでもねェ。大事な家族だ。命に代えても守ってみせるさ」

「実力が足りん。より精進することだ。ワノ国の将軍になるなら、最低でも白ひげやロジャーと並べる程度にな」

「耳が痛ェけど、最低でもロジャーって……」

 

 人類の到達点。

 それがゴール・D・ロジャーだ。

 巨大な覇気、強靭な肉体、卓越した剣技。いずれも光月おでんを上回っている。まさしく上位互換とも呼ぶべき存在と言えよう。

 三年間、多種多様な強者と戦った。ロジャーやレイリーに教えを請い、覇気を鍛え、カイドウに勝利できるほどに強くなった。自負もある。

 だが、犬神からすれば未だに実力不足らしい。

 最低でもロジャーという条件に頬を引き攣らせるおでんを、犬神は吐息を一つこぼしてから嗜めた。

 

「貴様にはそれぐらいの素質がある。上限を作って勝手に諦める。人間の悪い癖だ」

「お前に認められる日が来るなんてな」

 

 高すぎる評価に面食らうおでん。

 犬神は脇息を叩きながら低く言った。

 

「勘違いするな。認めた訳ではない。ロジャーの域に達せれば、まぁ、人間としては及第点といえるか」

 

 淡々と紡がれる言葉から、大妖怪の凄さを改めて思い知った。

 

「それでも及第点かよ。――それも、鉄砕牙をトキに渡した理由なのか?」

「貴様の弱さとは関係ない。鉄砕牙はりんの血縁に使われてこそ意味がある。何故か藤山に封印されていたようだがな?」

 

 犬神の視線が突き刺さる。

 嘘は許さない。真実を話せ。

 大妖怪と称されるに相応しい威圧感は屋敷全体を小刻みに揺らした。

 全身を襲う重圧。逃亡しようとする身体。唾を飲み込み、おでんは耐えた。顔色を変えずに涼しげな表情で。胡座を崩さずに堂々とした態度で。

 

「親父殿から何も聞いてねェぞ、俺は」

 

 目と目を合わせながら答える。

 犬神は小さく頷き、重厚な覇気を霧散させた。

 

「だろうな」

「信じるのか?」

「貴様ではない。スキヤキを信じたのだ。あの者は稀に見る律儀者だった」

「犬神にそう称されたんだ。親父殿も報われるだろうよ」

 

 スキヤキは犬神を尊崇していた。光月家が将軍として存在できるのは犬神のお蔭なのだと語っていた。

 今頃は泉下で喜んでいるはずだ。

 

「ちなみにおれはどう評価してるんだ?」

 

 気になって問い掛けると、犬神は即答した。

 

「うつけ、たわけ、まぬけ」

「……語呂良すぎだろ」

 

 辛辣な意見に肩を落とす。

 

「黒炭オロチのような小物に国を奪われ、民衆を抑制できなかったのだ。妥当な評価だと思うが」

「何も言い返せねェ」

「言い訳しないなら結構だ」

「するわけねェだろ。ワノ国が滅茶苦茶になったのはおれの責任だ。先日の暴動に関してもな」

 

 犬神の目許がピクリと動いた。

 

「奴らはどうした?」

「全員捕縛した。地下牢にぶち込んである」

「そうか」

「手緩いと思うか?」

「私なら全員の首を刎ねているな」

「流石に無理だぞ、それは」

 

 物騒な回答に、おでんは苦笑した。

 

「知っているとも、人間のやり方はな。裁判でもするのだろう?」

「そうだ。首謀者だけな」

「なに?」

 

 目を細める犬神。

 おでんは仕方ねェだろと返す。

 

「数が多すぎるんだ。今のワノ国には中立的な役人も少ない。暴徒全員を裁判に掛けていたら数年かかるぞ。暴動に参加しただけの連中は重い禁固刑になるだろうって話だ」

 

 黒炭オロチが行った悪政の一つに、裁判の形骸化が存在する。傳ジローは苦々しくそう報告した。

 光月家が将軍の地位を保持している時、裁判は花の都に設置された複数の町奉行所で行われていた。そこには奉行、与力、同心という役人がそれぞれ配属され、厳格性と論理性を重視し、法の原理原則を守ろうと努めていた。

 奉行たちの仕事は基本的に世襲制だ。

 代々家業として継いでいた為、各職務に必要な技能が着実に伝承されて蓄積されていたが、独裁者たるオロチはそれを良しとしなかった。

 己の息の掛かった者を用意して、専門知識を保有する役人を追い出し、司法の中立性を蔑ろにしたのである。

 専門の技能を保有する役人はほとんど消されてしまった。先例となる裁判記録も燃やされたとのこと。

 黒炭オロチが居なくなったとしても、人的な損失を補填するだけで数年かかる。

 オロチが台頭する以前の状態に戻すには、数十年、もしくは百年以上も必要になるかもしれないと傳ジローは奥歯を噛み締めた。

 

「鈴後を汚染させた愚か者が誰なのか、目星は付いているのか?」

「ほとんどはな。全貌を把握する為に傳ジローと錦えもんに命じたから、近い内に残りの犯人も見つかると思うが」

「略奪者はどうでもいい。鈴後を汚した人間は誰であろうと裁判に掛けろ。良いな?」

「わかった」

 

 当然だ。力強く頷く。

 犬神も満足したらしい。

 どこか同情するように口を開いた。

 

「カイドウとオロチの裁判はどうなる?」

「準備は進めているが、いつ可能になるかわからん。あまりに余罪が多すぎる上、民衆は即時の公開処刑を望んでる。裁判なんかしなくていいって声も増えていてな。なにが正解なのか、判断できねェ」

 

 民衆だけではない。

 おでんの家臣も意見で割れている。

 ネコマムシ、イヌアラシ、河松、アシュラ童子の四人は裁判をせずに公開処刑するべきだと。

 錦えもん、菊の丞、カン十郎、雷ぞう、傳ジローの五人は余罪を調べ上げ、裁判を経て、その判決に従うべきだと。

 前者は、百獣海賊団の残党が大人しくしている間に処刑を執行して心を折るべきだ。公正な裁判を実行するとしたら何年後になるかわからない。生かしておいても百害あって一利なしだと主張した。

 後者は即時に処刑する利点もわかるが、しっかりと裁判を行ってから刑罰を執行しなければならないと言い切った。罪を有耶無耶にして、適当な罰を与える。そんな事をすれば〝またもや〟民衆が勝手な正義の代弁者になる可能性が高いからだと主張した。

 現状は慎重派の方が優勢な為、裁判の準備を進めている。

 おでん自身も慎重派に賛同しているが、はたしてその判断が正しいのかどうか自信が持てないままだった。

 

「それを決めるのも為政者たる貴様の仕事だ。法を貫くのか、民に阿るのか。腕の見せ所だな」

 

 犬神は不敵な笑みをもらした。

 

「他人事だと思いやがって」

「私は大妖怪だ。関係ないだろう」

「――いや、そうでもねェよ」

 

 どういう意味だと犬神が顔を顰めた。

 おでんは息を吐き出す。

 別の話題で現実逃避していたが、逃げていても事態は解決しない。いつかは屋敷を訪れた本当の理由を口にしなければならない。

 柄にもなく心臓が早鐘を打っていた。

 上手く行けば良いが、犬神と本気で敵対する未来も有り得る。そうなればワノ国は終わる。光月家だけでなく、鈴後以外の土地は更地となり、人間は駆逐されるだろう。

 緊張するなという方が無理だった。

 居住まいを正したおでんは、硬い声音のまま質問した。

 

「犬神、オロチと取引したのは本当か?」

「したぞ」

「鈴後に手を出さない代わりに、オロチの台頭を見逃せと?」

「だからなんだ」

「いや、確認しているだけだ。鈴後だけでもオロチの悪政から逃れられたなら、それは喜んで然るべきだからな」

「回りくどい。何が言いたい?」

 

 膝を強く掴み、おでんは淡々と口にした。

 

 

「ワノ国の民が、厳密に言えば鈴後以外の民が、犬神をワノ国から追放してくれという嘆願書を提出してきた」

 

 

 空気が凍った。

 おでんの息遣いだけが響く。

 数秒、いや数分経っただろうか。

 

 

「……ほう。私を、ワノ国から叩き出せと?」

 

 

 犬神が嘲笑った。

 ワノ国の〝全て〟に対して冷笑した。

 冷たい汗が背筋を伝っていく。

 犬神の気分次第では、一秒後に絶命しているかもしれない。それを防ぐ術はない。絶対者に命を委ねている気分はひどく吐きそうだった。

 犬神は瞑目する。何かを考え込み、顔から感情を消して問い掛けた。

 

「貴様はどうしたいのだ、おでん」

「お前を追放するつもりなんて更々ねェよ。だがな、オロチの悪政に苦しんだ民衆の声を無視するわけにもいかねェんだ」

「身勝手だな」

 

 言葉短く吐き捨てられた。

 おでんは身動ぎせずに受け止める。

 

「わかってるさ。おれたち人間が身勝手な生き物だということは。犬神がワノ国へ攻め込もうとした金獅子海賊団を近海で追い払ってくれたと噂を流してるんだが、それも充分な成果を出してくれねェんだ」

 

 金獅子海賊団がワノ国を訪ねた理由はわからない。恐らく犬神に関係していると思われるが、その証拠は出てこない。

 だから利用した。

 百獣海賊団よりも強大な金獅子海賊団が、ワノ国を攻めようとした。それを犬神が単独で撃退してくれた。ワノ国の守り神に相応しい行いだと。

 お庭番衆に噂の流布を任せたのだが、成果は芳しくなかった。

 百獣のカイドウよりも強力な海賊というのがピンと来ないらしい。たとえ強くても、英雄である光月おでんなら犬神を追放してくれると信じているのだとか。

 頭を抱えるおでんに、犬神は嘆息した。

 

「監視するついでに毎日酒を持って来い」

 

 首を捻るおでん。

 

「どういうことだ?」

「お前の家臣でもなんでもいいが、監視する名目で酒を持ってこい」

「……何の解決にもなってないが」

 

 犬神は脇息に肘を付き、頬を片手で支える。

 

「阿呆が。解決する必要なんぞないだろうに。大衆は愚かだ。上の人間が検討している、何かしらの対応をしたとでも言えば、それで適当に安堵する。内実がどうか調べようともせずに」

 

 つまり。

 

「〝子供の癇癪〟に近いな。今までにも何度か有った故、数ヶ月もすれば収まるだろうよ」

 

 俄かに信じ難いが、他ならぬ犬神の言葉だ。

 何よりも敵対せずに済みそうで、おでんは心の底から安堵していた。

 

「つまり、犬神は監視しているから安心しろ。民にはそう伝えろということか」

「貴様の要望に応えてやる。監視の見返りに酒を持ってくるだけで許してやろう」

 

 何よりも、と犬神は続ける。

 

 

「りんの孫を守ってくれた礼だ」

 

 

 勿論、酒を持ってきたら直ぐに帰れよ。

 犬神はそう言い、それから口を開くことは無かった。

 

 おでんは何も言わずに頭を下げた。

 みっともない行為だと自覚している。

 それでも、光月おでんが出来る謝辞は畳に額を擦り付けることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 









ワノ国の民「正義は我に有り!」





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