⌘月⇔日
今朝、鬼の子を拾った。
身体の大きさと発達の程度から推測するに二歳前後だろうか、多分。
赤ん坊と呼ぶには肉体的に成長し過ぎている。ただ、明確な自我を持って行動できるように思えない。
自信をもって断定できないが。
こんな幼子を拾ったこともなければ、世話をしようなんて考えたこともなかったんだ。
しょうがない。
額に二本の紅い角がある。
漂う匂いも人間とどこか違う。
特徴的な『鬼』の匂いが色濃く混ざっている。
カイドウの匂いと似ているかも。幼子の名前を呼んだ従者らしき男が様付けしていた。もしかしたら親子なのかも。
否定はできない。
可能性は充分に存在する。
もしくは赤の他人という場合も考えられる。
その場合は喜ばしい限りだ。
遥か昔、鬼と呼ばれる種族はワノ国から姿を隠した。何処に消えたのかは不明。何の前触れもなく唐突に消失したからだ。
鬼は絶滅したものだと判断していたが、或いは外海の島だと今でも多くの鬼が生存しているのかもしれない。
いつか他の妖怪たちとも会いたいものだ。
鬼の子を拾ったのは偶然だ。
希美と鈴後の郷境を久し振りに散歩しているとなにやら喧騒が聞こえた。
憎悪、憤怒、優越感。
様々な感情を含んだ大声が周囲に響いていた。
いつものことだ。
勝手にやってくれ。
普段なら決して近寄らなかっただろうな。
だが、珍しい匂いに導かれるように足を運んだ。
六人の侍と二十人の男女が、布切れと化した黒服を纏う男を集団で虐めていた。
いや、その表現は生温いか。
リンチ、もしくは拷問と呼ぶに相応しい凄惨さだった。
血痕が地面に飛び散り、肉片は木々にこびり付いていた。
グロい。というか醜い。
大妖怪である俺が吐きたくなるぐらいに。
でもまぁ人間だから仕方ない。長いものには巻かれろ。大群こそ正義。多数決こそ絶対。そういう価値観を持った動物だ。
悲惨な光景だった。
集中的に暴力を浴びた男は落命寸前。手足の腱は徹底的に断ち切られ、複数の内臓が確実に破裂していた。
何故生きているのか。全身から発する臭いだけなら死人同然なのに。
そんな瀕死な男に対しても、希美の住人は欠片も容赦しなかった。それぞれの歪な感情を醜悪な顔面に張り付けて四肢を動かした。
殴る。打つ。蹴る。踏む。斬る。断つ。
何度も何度も繰り返される暴力に、男は下唇を噛み締めて耐えていた。
まるで呻き声を漏らさないように、喀血して女児を汚さないように。
放っておいても良かった。
でも、女児が〝鬼と人間の混血〟だと気付いた。何よりも〝妖怪を命懸けで助けようとする男〟を見捨てるなどできなかった。
全妖怪の頂点に君臨する俺の誇りに懸けて、この二人の苦境は無視できなかった。
静かに歩み寄る。
人間の集団は驚いて飛び上がり、戦慄して息を呑み、我先にと後退した。刀を抜いた六人の侍が口角に泡を溜めて絶叫した。
妖怪が何の用だと。
お前たちに関係ないだろ。
溢れんばかりの罵詈雑言を聞き流して、絶命間近の男に近付いた。傍に立つと、鼻腔を擽る匂いも濃くなった。
やはり鬼の子だ。
それも純度が極めて高い。
たとえ武の才能に恵まれてなくても関係ない。人並みに鍛えるだけで、数年前のおでんに匹敵する程度には強くなれると予測できる。
人間たちは騒いだ。指を差して喚いた。
そいつらはカイドウの部下だ。
どれだけ痛め付けても構わない存在だ。
自分達が与えられた苦痛を再現してやるんだと。
彼らの怒りを否定しない。
恐怖と暴力に晒された一年と半年。その片棒を担いだ人間に〝同じ苦しみを与えたい〟という思いは正当な物だろう。
自分の気持ちを押し殺して泣き寝入りしてしまうよりも、可能なら己の手で復讐したいと思う方がある意味で健全だとも思う。
俺は復讐を肯定する。好きにしろ。
だからこそ俺も勝手にやらせてもらう。
妖怪を守る男と鬼の子を人間の手から解放した。
それが道理に反していても。
客観的に悪だと罵られる行為だとしても。
文句など言わせない。
出血多量、内臓破裂。男は助からない。
それは本人も理解していたようだ。
呼吸は荒く、目の焦点は合っておらず、全身の裂傷は酷く痛々しい。半死半生の男は喀血しないように喉を震わせながら、ヤマト様をどうかよろしく頼みますと涙声で懇願してきた。
保護してほしい。守って欲しいと。
わかったと了承する。
一人前になるまで〝世話〟だけしてやる。
鬼は妖怪の一種。
十数年も掛からずに強靭な肉体へ成長する筈だ。
それまで屋敷に住まわせるだけの度量は持ち合わせているとも。
心の底から安堵したのか、名前も知らない男は笑顔で息を引き取った。
女児を抱き上げる。
服が鮮血で汚れるも無視した。
人間の血ならまだしも、鬼の血なら構わない。
赤く彩られた幼子の様子を視認して、人間の狂気を垣間見た。
これも人間が持つ強さの一つだ。
上限なく凶暴になれる性質を宿すからこそ、数多くの妖怪を駆逐して世界を支配できた。世界政府なるものも創造できたのだろう。
待てと追い縋る人間。
彼らを無感情に一瞥すると、二十六名全員が泡を吹いて気絶した。
無意識ながら覇気を放出していたらしい。
皆殺しにした方が後腐れもないだろうけど、爆砕牙を人間の血で穢すのも気が引けた。
そのまま放置したから死んでいないだろう、きっと。
幼子を抱えて空を飛ぶ。
数分で屋敷に戻ると、門前に金髪の女が立っていた。
毒の後遺症もなく元気溌剌としていた。
本当に一般人なんだろうか。怪しい臭いはしないけど、どこか引っ掛かる。
なんにせよ懲りない奴だ。
鬼の子を眺め、数秒ほど放心状態だった。
ついさっき拾ったと教えると、金髪の女は膝から崩れ落ちるように雪原に倒れ伏して、火が付いたように大声で泣き始めた。
相変わらず意味のわからない女だった。
◉月$日。
ヤクザの親分が挨拶に来た。
ワノ国の各郷に屯する荒くれ者を統括して、堅気には決して手を出させない。社会から脱落してしまった者に対する受け皿という意味でも、ヤクザは必要悪として民衆から受け入れられていた。
鈴後も例外ではない。
新しい親分は女だ。お蝶と名乗った。
屋敷の中ではヤマトがすやすやと眠っている。起こすのも忍びない。門前で対応することにした。
お蝶は嫌な顔一つしなかった。
就任の挨拶だけでなく、花の都を拠点とする大親分『花のヒョウ五郎』から預かった手紙を届けに来たらしい。
その場で封を切る。
持ち帰るのも面倒だったからだ。
手紙には金獅子海賊団を沖合で退けたこと、ヤクザの構成員も参加していた暴動を迅速に収めてくれたこと。それら二つに対する感謝が延々と書き綴られていた。
どちらも俺の都合で動いた。
感謝されても面倒なだけなんだがな。
手紙には続きがあった。
後半こそ本題だったのだろう。
〝ヤマト〟を引き渡してほしいと書かれていた。
ヤマトが〝カイドウの娘〟であると民衆は気付いていない。各所に噂こそ出回っているものの、恐らく確信にまで至っていないとのこと。
それでも安心できない。
勘付く可能性は高いと見るべきだ。
そして、カイドウの娘を俺が世話していると知った時に果たしてどうなるか。ワノ国の民は先日の暴動よりも遥かに荒れ狂って落花狼藉に及ぶだろう。
今のうちにヤマトをヒョウ五郎へ引き渡せば、ワノ国の民が俺に抱く疑念と憎悪を払拭できる一因になるとかなんとか。
親の罪は子に関係ない。
もしもカイドウの娘と露見しても、ヤマトが処刑されないように尽力する。ヒョウ五郎の下で無事に育てる。だから渡して欲しい。万が一の可能性を潰す為に。
達筆な字で長々とそう綴られていた。
ふざけるな。
受け入れたからには一人前に成長するまで見届ける。
生死の淵に立たされても尚、妖怪の未来だけを願った愚かな人間の強さに報いる。
それこそが大妖怪である俺の務めだ。
そもそも人間に譲ったところでヤマトが無事に育つと思えなかった。
正義を私物化する民が必ず現れるだろう。
ヒョウ五郎の提案を拒否した。
ヤマトに手を出すな。拉致でもしようものならヤクザ全員を惨殺すると言い放つと、お蝶は文句を言わずに引き下がった。
ヒョウ五郎にもそう伝えておくと言い残して去っていった。
◉月¢日
ヤマトが起き上がった。
壁を伝いながらも一人で歩いていた。
鬼の血による影響からか傷も一週間程度で癒え、屋敷の中を縦横無尽に動き回る姿は年相応の活発さだった。
元気に越したことはない。
無言で遠くから眺めるだけの俺を、ヤマトは何故か父親と認識しているらしい。記憶喪失か、それとも動物の〝刷り込み〟みたいなものか。
お父さん、お父さんと足下に抱き着いてくる。
違うと何度も言ってるんだが。
ヤマトははしゃいで聞く耳を持たない。
俺は誰かの父親ができるような存在じゃないんだがな。
◆月▲日
カイドウとオロチが脱獄した。
おでんの家臣が裏切ったらしい。
カン十郎とかいう歌舞伎役者みたいな男が脱走に手を貸したとかなんとか。地下牢に囚われていた暴徒、百獣海賊団の残党も全て解き放たれたようだ。
血相を変えた大道芸兄弟が歯軋りしながら教えてくれた。
おでんは何をしていた。
単純な疑問として尋ねる。
曰く、おでんは花の都を離れていた。ロジャー海賊団と共にワノ国の沿岸に漂う島――通称〝鬼ヶ島〟へ赴いて、歴史の本文とやらを探索していたようだ。
カン十郎はその間隙を突いた。
光月おでんとロジャー海賊団。二つの脅威がワノ国本土から退出した瞬間を狙って、事前に計画していた通りに地下牢の鍵を開けた。
晴れて自由の身となったカイドウは花の都を更地へ変貌させた後、黒炭オロチとそれなりに使える部下も連れて退散した。
ワノ国近海に進出していた金獅子海賊団の厄介になるようだ。
裏切り者の根回しによるものだと大道芸兄弟は予想している。
真偽はどうであれ、カン十郎とやらは有能だな。
◆月★日
ヤマトが雪玉を投げてきた。
元気になったのは良いことだな、うん。
ただ、それを教えたらしい金髪の女が隠れて笑っていたから、屋敷の外に投げ飛ばして雪の中に沈めてやった。
◆月∮日
ヤマトが遊び疲れて寝た後、海辺を散歩していると〝変な果実〟を見つけた。
臭いからして悪魔の実と呼ばれる奴だ。
――果実の奥から漂う臭い、これって昔嗅いだ事があるような……。