今宵は月が綺麗ですね   作:とりゃあああ

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殺生日記 参 表

 

 

 

 

 

〆月∴日 天気 白雪

 

 

 

今朝、河童の娘が死んでいた。

妖怪の癖に軟弱な。

未だ百歳も超えていないだろうに。

もしや本当に魚人だったのか。

あの娘は事ある毎に訂正してきたが。

まさかな。魚と人が交われるなど想像の埒外。生物学上まず不可能だ。哺乳類と魚類でどうやって子を成すというのか。

亡骸の傍に立った。

閉じた瞳。枕元に広がる黒い髪。布団から覗く四肢には水掻きのような物が見て取れた。死後僅か一時間ぐらいで、部屋の中は死臭に満ちていた。

呆気なく死んだなと見下ろす。

死体の傍らで河童の幼児が泣き叫んでいた。

 

 

一年前、屋敷の近くで発見した河童の親子。

どうも海外からやって来たらしい。乗っていた船が沈没して、ワノ国に流れ着いたとの事。魚と人が混じり合ったような身体的特徴から迫害を受けてきたと涙ながらに告げられた。

俺は河童かと尋ねた。

娘は首を振り、魚人だと答えた。

どちらでも構わない。

妖怪であることに変わりないからだ。

異形の種族。見るからに泳ぎに適した身体。ならば己の故郷にも帰れる筈だ。出入国を阻む滝こそあるものの、それさえ越えれば容易い行程だろうに。

河童の娘は悲しそうに否定した。脚を怪我したから以前のように遊泳できない。息子の河松は五歳になったばかりで長時間の遠泳は難しい。私たちは故郷に帰れないのだと。

脆弱な妖怪だと唾棄したくなった。

人間に迫害される。それは仕方なかった。圧倒的な力を持たない存在は、数の暴力に打ちのめされてしまう。河童も例外ではない。特に、河童の娘からは武術の才能を全く感じ取れなかった。

 

 

俺は、己の境遇を諦観している部分に憤怒した。

河童の娘は差別される事に慣れてしまっている。危害を加えられる事を受け入れてしまっている。

どうにもならない。どうにもできない。我慢するしかないと身を縮こませていた。

莫迦なのか。阿呆なのか。

それでも俺と同じ妖怪なのかよ。

哀れで愚かな河童の親子を離れの古屋に叩き込んだ。予備の布団を渡し、餌を与えた。何か文句でも言いたげな娘だったが、その視線と表情を全て黙殺した。

そうだな。わかっている。

こんなもの只の自己満足だ。

妖怪が諦めている。

大手を振って生きることを放棄している。

下らない。笑わせるな。

ならば変えてやる。

妖怪だからと卑下する河童の娘を。

故郷に帰れないと観念している惰弱な女を。

河童に生まれてよかったと。

故郷に帰れるかもしれないと。

心底嬉しそうな笑顔で口にする日を待っていた。

 

 

河童の娘は病気だった。

恐らく一年以上も前から。

時おり激しく咳き込んでいた様子から、肺や気管支に関連する病魔に人知れず蝕まれていたのだと推察できた。

娘の遺骸は近くの崖上に埋めた。

鈴後の風習である『常世の墓』を模したもの。刀の代わりに皿を墓標とした。河童だからな。他に案もなかったから仕方なくだ。

河松は気丈な一面を持っていた。

六歳の童にも拘らず、泣いていたのは最初の数刻だけだった。涙を拭った後は母親の墓に手を当てて、神妙な顔付きで死者を弔っていた。

俺は何も言わなかった。

ただ墓標を見つめ続けた。

満足そうな表情で事切れていた娘を思い出す。

最後まで差別は終わらなかった。結局、故郷に帰れなかった。娘の不幸な境遇は何一つとして好転しなかっただろうに。

どうして笑っていたのか。

息を引き取る前、何を考えたのか。

俺にはわからなかった。

 

 

つい先刻、河松は屋敷を後にした。

一年間世話になったと頭を下げていた。

何処に行くのかと問うと、河童は流離う予定だと笑って答えた。

好きにすればいい。

ワノ国を離れるも良し。野垂れ死ぬも良し。

小さくなっていく河松の背中を見送った。妖怪の独り立ちだ。止めはしない。もう二度と会うこともないだろうからと餞別として刀を一本与えた。

剣術の才能はそこそこ有った。

筋力も大人を完全に上回っていた。

牛マルやおでんに喧嘩を売らなければどうにかなるだろう。

 

 

約一年ぶりに静寂を取り戻した屋敷で晩酌を楽しむ。うん、美味しい。牛マルめ。随分と美味い酒をくれたものだ。今度来たら褒めてやろう。

襖を開く。雪に覆われた庭が視界に映る。白く眩しい。目を休ませる為に夜空を見上げた。

三日月が曇天の間を揺蕩っていた。

 

 

『魚人ではなく、貴方様の仰る通り河童として生まれたかった』

 

 

一週間前、病床にて娘はこう言った。

お前は魚人ではなく河童だと断言した俺に対し、娘は何故か安心したように微笑んで眠ってしまった。

その笑顔だけが、今も脳裏にこびり付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇔月&日 天気 氷雪

 

 

 

今日は厄日だった。

おでんと家臣たちが屋敷を訪れたからだ。

九里の大名になってから早くも十年。猪武者の如き粗暴さは鳴りを潜めたものの、まるで友人のように話しかけてくる気安さは以前と全く変わっていなかった。

花の都へ赴いたついでに鈴後まで足を運んだらしい。

誰が頼んだ。いい迷惑だよ。早く帰れ。

外は氷雪。凍えるような寒さのお陰か、朝から人影は見当たらなかった。匂いもしない。絶好の散歩日和。なまった身体を解したいと考えていた。

その予定は露と消えた。

他ならぬ光月おでんのせいだ。

当の張本人は嬉しそうに笑っていた。

久し振りに会えたなと肩を叩いてきた時は思わずぶん殴りそうになったけど。あまりにも喜悦に富んだ表情を浮かべていたもんだから、毒気を抜かれてしまった。

 

 

おでんの家臣は三人増えていた。

眼鏡を掛けた喋る犬はイヌアラシと名乗った。

何の妖怪だろう。俺と同じく化け犬なのか。当然ながら興味を引かれた。口早に何者かと尋ねてみた。曰く、海外からワノ国を目指して出航したミンク族と呼ばれる存在で、目付きの悪い土佐弁の猫も同郷だと。他にも兎や虎、羊に鹿などもいるらしい。

珍妙奇天烈な存在だった。

あくまでも人間という種に属しており、また人間としての誇りを持っているのか、妖怪や化物ではないのだと繰り返し声高に主張していた。

年齢は十歳。動物だからか老け顔だった。

二頭身忍者が既に四十歳を超えていそうな顔だったから目立ってないけど。

色物忍者は未だに二十代と聞く。

可哀想に。絶対モテないだろうな。

 

 

そして、最後の一人。

見覚えのある河童が恭しく頭を下げる。

刀を二本携えた河松は見事な成長を遂げていた。僅か五年だが、母親の亡骸に縋っていた童が男らしく変貌するのに十分な年月だったのだろう。

五年ぶりの挨拶は丁寧な物だった。

ともすればおでんにも見習わせたいぐらいに。

河松は刀を返したいと述べた。

阿呆がと毒吐く。

その刀はくれてやった。

何があろうとお前の物だと突き放す。

そもそも百年以上前にとある侍から譲り受けた代物。打った刀鍛冶は不明であり、刀の名前すら知らない。物置と化している蔵に放置していたナマクラに過ぎない。遠慮なく貰っておけ。

河松は滂沱の涙を流した。

宝物のように腰へ収め、畳に額が付きそうになるほどお辞儀した。

ナマクラを受け取って涙するとは物好きな奴め。

 

 

さっさと九里へ帰れと屋敷から蹴り飛ばしたが、おでんは積もる話もあるからと強引に夕飯を作り始めた。

よくもまぁ、自分と同じ名前の料理を好き好んで食えるな。ある意味で共食いに近いだろ。何か拘りでもあるんだろうか。興味ないけどさ。

おでんたちは楽しそうに笑っていた。

河松も彼らの輪に入り、大層幸せそうだった。

 

 

その光景を眺めながら盃を傾ける。

いつまでも口に残ってしまうような甘い味がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇月∮日 天気 快晴

 

 

 

屋敷の外で初めて日記を書いている。

九里に建てられた豪華な城。その一室。俺へ割り当てられた部屋で、こうして筆を動かすのはひどく新鮮だった。

襖の向こう側から様々な音が届いてくる。

十年前より豊かに彩られた城下町は闇夜の帳を物ともしない。涎垂らす獣の呻き声ではなく、希望に満ちた明日を待ち侘びる人々がそこかしこで歩き回っていた。

男を誘う女の声。

二次会へ誘う同僚の声。

外食に出掛けた家族の声。

意外だ。

おでんは為政者の才能も有ったんだな。

実務は眼鏡小僧、傳ジローが取り仕切ったんだろうけど。有能な部下を妬まないこと。仕事を任せられること。為政者に必須な才能である。

人間であるなら尚のことだ。

大妖怪の俺には通用しない常識だけど。

 

 

九里に存在する伊達港。

一隻の大型船が大破している。

鯨を模した船首は地面にめり込んでいた。

帆船を海底へ引き摺り込む悪天候を乗り越え、出入国を阻む滝を踏破して、不恰好ながらもワノ国へ足を踏み入れた存在は『白ひげ海賊団』と名乗った。

海賊だ。

海のならず者たちだ。

大道芸兄弟から届いた矢文を握り締め、暇だったから伊達港へ駆け付けてみると、一際目立つ巨躯の男に懇願する光月おでんの姿があった。

お前の船に乗せてくれと。

外の世界に連れて行ってくれと。

出国の夢をまだ諦めていなかったらしい。大名として十年以上君臨していても尚、フツフツと湧き上がる冒険心とは。

素直に驚愕した。

好奇心の化物だな。

これは誰にも止められないだろう。

白ひげが了承するか。

家臣達が承認してくれるか。

俺の役目は無かった。当事者の間で何とかしてくれと、纏わりつく大道芸兄弟を引き摺りながら踵を返したのだが、運悪く光月おでんに捕まってしまった。

 

 

おでんは言った。

コイツも一緒に連れていってくれと。

俺を巻き込むな。勘違いするんじゃない。

肩を組もうとする莫迦を拳骨で黙らせた。

爆砕牙で斬られなかっただけ感謝してほしい。

頭を押さえて蹲るおでんを尻目に、鈴後へ帰ろうとした瞬間、白ひげから挑発された。

外の世界に怯える仔犬だと。

お山の大将で満足する負け犬だと。

白ひげ海賊団の面々が目を見開いていた。

表情に不本意だと貼り付けながら、白ひげは不器用な煽りを繰り返した。

白ひげの目的はわからない。

俺を焚き付けて、初対面のアイツにどのような利益が有るのかさえも。

 

 

それでも。

覆水盆に返らず。

吐いた唾は飲み込めない。

どんな言い訳も後の祭りだ。

盛大に売られた喧嘩。

買ってやろうじゃないか。

相手は人間だ。叩き潰してやる。

俺の怒気に当てられたのか、少なくない人間が砂浜に倒れていた。

どうやらおでんの家臣たちだけでなく、九里の住民達も様子を窺いに来ていたらしい。俺が視線を向けると蜘蛛の子を散らすように逃げていったけど。

白ひげは明日だと告げた。

場所は九里ヶ浜。時刻は夕暮れ時、酉の刻。

 

 

『ロックスという男を知っているか?』

 

 

別れ際に発せられた白ひげの問い。

知らないと答えた。聞いたこともないと。

だが、どこか胸をざわつかせる名前だった。

 

 

 

 

 

 


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