始まりを告げる災厄
ここは、いつの日からか現れるようになった、モンスターと呼ばれる強力な生命体が個体を増やし始めてきた現代。モンスターは、生まれつき身につけた規格外の身体能力と、超能力じみた事象を操る力を兼ね揃えた究極の生命体として君臨しており、非常に獰猛で、かつ残忍な力を孕んだ、世界を滅ぼす脅威とも言える忌むべき存在として、アタシら既存の生命体を糧に日々猛威を振るっていた――――
「パパーーーーッッ!!!! イヤぁ……イヤぁあ!!!! 死んじゃ嫌ァ!! ……パパぁ、パパぁあ…………!!!!」
炭となって崩れていく建物。それを包み込むよう燃え盛る激しい炎は、辺り一帯を焼き尽くす火の海の一部となって広がっていた。
住み慣れた故郷が焼け落ちていく光景。バチバチと音を立てる火の海の中、炎上する建物から命を賭して助け出してくれた最愛の家族の行方に、アタシは喉が張り裂けんばかりの絶叫をあげていく。――出口である玄関に瓦礫が落ちてきたことで、アタシの父親が火の海の向こう側に取り残されてしまったからだ。
しかし、これと同時にして、アタシの悲鳴を耳にしたのだろう。すぐにも、地鳴りのような震動を立てながらこちらに急接近してきた、一体のモンスターが姿を現した。それは筋肉質のような肥大した全身を持つ、カマキリのような上半身と、ほ乳類のような下半身を持つ異質で巨大な生命体であり、振り返ってすぐ見上げるほどの大きさであるそれは、悠に四メートルを超える体長を誇っていたかもしれない。
命を刈り取る鎌が、あらゆる生命を絶つハサミとなってバチバチと打ち鳴らされていた。そこに付着した赤い染みは燃え移った炎とは思えず、虫のような頭部の口元に付いた赤いそれと一致していたことから、想定し得る限りの最悪の状況をアタシは確信する――
「い、イヤぁぁぁあああああぁぁ!!!! ヤだっ来ないでッ!! 来ないでッッ!!!!」
背後から響き渡った、崩落の音。前方から迫る脅威に恐怖して、生涯の全てを掛けた絶叫を上げていく中、次の瞬間にもアタシは背後からの土砂崩れに巻き込まれ、炎上する建物の瓦礫に呑み込まれていった。
突発的な出来事に、思わず目を瞑ってしまった。この意識だって、既に迎えた死後の数秒かもしれない。前方の脅威と後方の事故の板挟みとなった自分には、もはや生き残る術も、希望も、運命も無かった。
だからこそ、死を悟った瞬間にも感じられた、身体が浮き上がったかのような身軽さに、アタシは追いつかない感覚と理解で、瞑った目を開けられずにいたのだ。
……トスッ。着地するかのような軽い震動と共に巡ってきた、一歩遅れて追い付いてきた全身の意識。しかし自分が宙に浮いていることは確実である浮遊感と、一方で、何かに抱えられているかのような感触をとても不思議に思って、アタシはゆっくりと瞼を開けていく――
――崩れた建物の、変わり果てた瓦礫の山。それと、こちらへと迫っていたモンスターが、距離を置かれた状態でこちらへと身構えていく警戒の様子。
……何が起こったというの? その瞬間があまりにも飛躍的すぎて、脳みそに未だ駆け回る困惑に、放心半分といった状態だった。そんな中でも、自身を包み込む感触へと無意識に視線を投げ掛けていくと、そこに映し出された一つの滑らかな手にアタシは驚かされた。
綺麗な手だった。炎上するこの一帯にはとても見合わない、健康的な色白の素肌で成り立つ麗しい手。――次にも麗しい手の持ち主である懐の温もりを感じていくと、アタシは流れる動作で視線を上へと投げ掛けて、抱えるこちらを見遣る“彼女”と目が合った――
「貴女だけでも無事で何よりだわ。……大丈夫、あとは私に任せて」
凛々しい声音を奏でる、色白の綺麗な女性だった。
腰辺りまで伸ばした、灰色寄りの白色の長髪。それを分厚く束ねることで、厚みのあるポニーテールにしていた視界の中の彼女。彼女の右目の下にあるほくろがより一層もの大人っぽさを演出すると、女性は抱えたアタシをゆっくりと下ろして、モンスターへと向かい合っていったのだ。
百六十二のアタシの身長を、遥かに上回る背丈。おそらく身長百七十九ほどはあるだろう彼女は、ライダースジャケットのような黒色のパーカーと、赤色のチュニック、黒色のライダースパンツに、膝丈まである黒色のブーツというクールな風貌をして、アタシを守るかのように遮るよう腕を伸ばしていく……。
「何をしているの。早く下がりなさい。でないと――」
透き通るような、黒色の瞳。それを一瞬とアタシへと向けた瞬間にも、突如と降りかかってきた巨大な陰りに、アタシは全身を覆い尽くされた恐怖で思わずと叫び上げてしまった。
断末魔のような叫び声だった。頭を抱え、アタシは戦慄したまま両足を震わせてその場にへたり込む。しかし一方で、体勢を崩すように少しずつよろけていく動作中にも、アタシは何故か無事で済んでいる自分の身をとても不思議に思った。
陰りの正体へと向いていく。そして、視界に映った情報量を目の当たりにしてからというもの、アタシは放心に近い真っ白な思考で、ただただそれを眺めることしかできなかったものだ――
――アタシへと伸ばされた鎌が、寸前で止まっていた。それは力むようにギチギチと微動していたものだったが、そのモンスターの腕を押さえているのだろう横からの力が、モンスターの規格外な怪力を遥かに上回っていたのだろう。
女性が伸ばした手。色白で滑らかな手が、モンスターの鎌を一掴みにしていた。四メートルを超える体格の、巨大かつ強力なそれを、片手で容易に受け止めてしまうその握力。モンスターとしてもこの事態は想定外だったらしく、今も動かせない鎌を、ハサミのようにバチンバチンと打ち鳴らすことで必死に抵抗を行っていた。
と、次の瞬間にも、モンスターの腕は根本から引きちぎられた。盛大に噴き出した濃い紫色の液体と、瞬間的に加えられた、身体を千切られるほどの桁外れのパワー……!
重さを感じさせない、鞭を扱うかのような動作だった。片手で持つモンスターの腕を女性は軽々と振り回し始めると、その巨大な腕の、引きちぎった根本でモンスターに激しい殴打を浴びせ始めていく。
一歩、また一歩と退くモンスター。だが、それを追うように一歩ずつ接近を果たしていく女性は、十数秒に及ぶ、数十発もの暴力を浴びせた後に、気合いを入れた掛け声と同時に最後の一撃を叩き込んでいく。
モンスターの身体から響き渡った、肉と骨が内部分裂する生々しい音。加えられた衝撃にあの規格外の脅威を孕んだモンスターが逃げ腰で引き下がり出すと、瞬間、女性は姿を消してこの場から消失してしまう。
――いや、違う。飛び出していっただけだ。その踏み込みは、常人の目では追い付けないほどの速度で繰り出されていたのだ。瞬きよりも速い飛び込みによってモンスターの懐に潜り込んだ女性は、脇を引き締めた小さな右拳の突きでその巨体を後方へと吹き飛ばしてしまうと、積もった炎上の瓦礫へと盛大に突っ込ませて、モンスターを焼き始めていく。
間髪入れずに駆け出した女性。着地と同時に走らせた身体は、人間という限られた枠の常軌を逸した速度を身に纏っており、火だるまとなったモンスターもまた、残った片腕で瓦礫を挟んで投げつける反撃を行うものの、女性はむしろ、それを踏み台にすることで高く飛び上がっていく。
空中で回転する、華麗なフォームからなる鮮やかな動作。どんな窮地に立たされていようとも、見る者を魅了してしまう力強い美しさ。一種の芸術とも見て取れる鮮やかさを披露しながら空中で体勢を立て直すと、女性は引き絞った右腕でモンスターへと勢いよく突っ込んでいったのだ。
直撃と同時に大地を揺るがした一撃。まるで噴火が起こったかのような火柱が巻き上がると、隕石が落下してきたかのような地面の震動で、遠くにいたアタシさえもそれによって全身を揺さぶられてしまう。一連の様子はまさに、人の形を成した誘導ミサイル。緩やかに落ちた拳から繰り出された、人智を超えるそれ。アタシは目撃する一つ一つのシーンに非現実味を想い知らされていくのだが、この衝撃とは裏腹にして、当のモンスターは生やした羽で直前の脱出を果たしており、逃げるように上空を飛び始めていた。
既に、人間には達することのできない高度に存在していた。悔しくも、あの女性は一歩及ばなかったのだ。いや、実力では、全世界のあらゆる生物を滅ぼしかねない、モンスターという規格外の脅威を孕む究極生命体に、あの女性は勝っていたと断言はできる。
だからアタシは、あの女性の人智を超えた身体能力に、一種の尊敬さえも抱いていた。……もしも、アタシにもあの人のような力があったのならば、きっと、家族を救えたのかもしれない、と――
――バァンッ!!!! 耳を貫く爆発音と同時にして、瓦礫が弾けて周囲に飛散する。瞬間にも、駆ける女性は上空のモンスター目掛けて、その足を走らせて追い掛け始めたのだ。
「……うそ。空を、走ってる……!?」
目を疑った。バタつかせた足はしっかりと大気を踏みしめており、振り抜く両腕と、足場無き道を高速で突き進む女性の姿。駆ける足は瞬く間に上空のモンスターへと追い付いてしまうと、伸ばした腕は右ストレートとなって、モンスターの顔面を粉砕。
大気が破裂する轟音。巨体さえも容易く殴り抜けてしまうと、女性はその勢いを維持したムーブで首根っこに引っ付き、全身を捻じるようにしてモンスターの首を九十度折り曲げてしまう。
抵抗もままならなかったのだろう。巨大な鎌の腕もかえって仇となり、モンスターは手の届かない距離に詰められた女性に成す術もなく首を折られると、めり込む膝が貫通し、首が張り裂け頭部が分裂。噴き出した濃い紫色の噴水が炎上する一帯に降り注ぎ、女性は胴体に両手を突っ込んで肉ごと引き裂いて真っ二つにしてしまう。
一つの存在が、三つになって上空に散りばめられた光景。紫が散り散りとなり、バラバラとなった三つのモンスターが落下を始めていく視界からの離脱。――胴体を足場にして跳躍したその身体は、一瞬にして姿を消すなり、アタシの近くに降り立ってみせた。
……手の甲で、頬に付着した紫を拭っていく女性。まるで何事も無かったかのような、至って平然とした佇まい。すぐにも歩き出してこちらへと足を運び始めたその姿は、麗しくもクールであり、しかし恵まれた天賦の美貌とは似つかわしくない力強さを秘めた、特異的な神秘さを兼ね揃えた完璧な超人だった――
「――ごめんなさい。貴女の大切な人を、私は守れなかった。……私がもっと強く在れたのであれば、きっと貴女の心も救えてみせたハズなのに。本当にごめんなさい」
……でも、その表情はすごく悲しそうだった。
へたり込むアタシへと近付き、膝を着いて屈んでからこちらを抱きしめてくる女性。それは、先ほどまでの人外的なパワーを想起させない、軟な人間一人を優しく包む、とても温かな抱擁だった。
……アタシは、続きとなる涙を流していた。――彼女の抱擁は、突然の襲撃によって、一瞬の内に全てを失ったアタシを包み込んでくれたものだから……。
「……お姉さんのせいじゃない……! お姉さんのせいじゃない、けど……っ……」
収まらない炎が、音を立てて故郷を侵食する空間。宙を舞うモンスターの身体が遅れてドカドカと落ちてくる中、バチバチと跳ねる火花の音は、収まる事なく辺り一帯に鳴り続けていた――――