大都市の龍明に存在する、発展途上の中央から広がるように展開された大きな町。波状のように地平線へと続いていく龍明の地域は国一番の面積を誇っており、それを余す事なく活用する方針から、龍明の人々による地域づくりによって、その面積は未だに広がり続けている。
中央ほどの活気や照明は無いものの、町という規模であるこちらの地域にも、多くの人々や交通の便が見受けられた。
彼らもまた、黄泉百鬼に怯えながらも日々を平穏に過ごす、ごく一般的な市民だった。中央から外れた地域であるゆえに、セキュリティに関して言えば少々と心許無い印象が与えられる、みすぼらしさをうかがわせる町並みが特徴的だった。しかし、一方で黄泉百鬼の被害は、中央の大都市よりは少ない傾向にある。
そのことから、中央から外れた地域である町の規模での暮らしに、憧れを持つ者も少なくなかった。……治安としてもきっと、波状のように広がる周囲の町々の方が良かったに違いない。
今日も、若干ながらの貧相な町並みを行き交う姿が多かった。夜ということもあって、帰路であったり、寄り道であったり、その個人によって目的が大いに異なってくることだろう。
――だが、この時ばかりは、そんな町並みに一つの脅威が迸っていた。物が敷き詰められていない、空間にゆとりのある町中を、異質な形状を成した黄泉からの使いと、それを仕留めるべく追い掛ける紅き閃光が、白熱としたチェイスを繰り広げていたものだから。
驚異的を超越した、超人をも凌駕する身体能力。そこから発生する爆発的なエネルギーは、あらゆる速度にも対応できる俊足としても機能していた。
だが、同時にして脅威と呼ばれ恐れられる異形の存在もまた、それと互角なスピードによって大都市の中を突き進む。
一直線の町を抜ける、凄まじい速度の軌跡。町往く人々がそれに驚きと不安を抱えながら、それらを噂していく。
「な、何だ……!? すごい風圧と一緒に、何かが駆け抜けて……!?」
スーツ姿の男性が振り返っていく間にも、それらは既に次の地域となる別の町の道路を突き進んでいた。
――先頭を往く存在。それはタコを彷彿とさせる八本の触手が特徴的な生物であり、膨らんだ頭部と触手に巡る吸盤の数々が、より一層とそのイメージを定着させていく。だが、それが地上で浮遊を行い、それも、大気中を高速のスピードで突き抜けていく姿は、とても常識からかけ離れた有様であることが確かだった。
そんな異形は、一本の触手で一人の男性を抱え込んでいた。彼はそれなりの歳である一般人であり、この高速に晒され続けたことで、言葉にならない声を出しながら、ただただ自身の行方に震えるばかりであった。
一方、高速の異形を追う形で駆け抜けるのは、深紅のコートを身に纏った、大地に迸る稲妻。ガスマスクで素顔を隠したその活動は、もはや言わずもがなである。
彼女は、それなりな時間をこの異形に費やしていた。この脚を以てしても追い付くことが敵わない存在は恐らく初めてであり、彼女は走らせる脚を止めることなく、しかしどのタイミングで仕掛けるかの思考を巡らせ続けていく。
最小限の被害で、町の中を抜けていく双方。互いに荒事を避けたいという意思が読み取れる、避けていく場面では確実に避けていくチェイス。じきにも異形は脇に逸れた小道を見つけると、その高速を以てして即座に方向変換し、不意を突くよう直角に曲がる軌道で紅き閃光を振り切っていく。
彼女もまた、その動作に食らいついていった。小道へと入った双方は、次々と直角に続く入り組んだ小道の中を、精密な判断力でぶつかることなく突き抜けていく。
だが、その直角によって、彼女は着実と異形との距離が離されていた。次第と突き離されていく距離と、入り組んだ道によって、視界に捉え切れない対象の異形。
……彼女は、走りながらも考えた。――むしろ、これを好機と見たのだ。
直角を鮮やかに突き抜け、再び町中に出てきた異形。抱えた男性が怯える様子を無視して進む自身の道のりを、異形は振り返るようにして見遣っていった。
……ヤツの姿は見えない。おそらく、ついてくることができなかったのだろう。
再び前を向く。——もう、心配することはないのだ。不安となる要素が取り除かれた今、後は自身の向かうべき道を突き進むだけでいいのだから。
染まる陰り。人型のそれが、高速を突き進む異形にかぶさっていく――
「うぁ、うぁああああッッッ」
驚きで声を上げた男性は、次の瞬間にも風圧によって遠くへと吹き飛ばされていった。
直前にして、浮遊していた異形の身体が突如と地に落ちる。――いや、頭上から降りかかった強力な剛腕によって、その異形は地面に叩き付けられていったのだ。
上空を駆け、入り組んだ小道の地形を無視した稲妻。迷路のお約束を無視した破天荒な立ち回りと、暴風が束となって襲い掛かったかのような拳の一撃によって、異形を地面に埋めながら体勢を立て直す彼女。
すぐにも、吹き飛ばされていった男性の下へと駆け出した。
視界の中央に捉え、高速のダッシュによって、男性が落ちてくるだろう地点へと向かい、豪快なスライディングを決めていく――
――男性を抱えるようにキャッチした彼女。そのまま町をしばらくと滑り込んでいき、それが自然と止まる頃に、瞑っていた目を開けていく男性。
抱えられた自身に、男性は言葉を失って驚くことしかできなかった。興奮と恐怖によって息も切らしており、この世の終わりのような一時を過ごしたことが目に見えて分かる。
稲妻の彼女は、どこからともなく、一つの携帯電話を差し出した。それを見た男性が、「そ、それ、おれの……」と声を出していくと、彼女はそれを男性へと手渡ししていき、次に右手の親指と小指のみを立てて、自身の耳元でそれを軽く振っていく。
『電話 しろ』。声を出さない稲妻からのジェスチャーだった。男性はそれに不思議と思いながら見遣っていると、ふと視線を他へやった彼女は直後にも、男性を置いていくなり異形の下へと駆け出してしまっていた。
あの異形が、再び動き出して逃走を図っていたのだ。これを追いかけるべく町から姿を消した彼女と、その背を見遣り続けながらも、ふと向けた携帯電話の液晶に映る画面……。
そこには、一つの写真と電話番号、発信のマークがあった。彼はこれを見て、安堵のあまりに携帯電話を抱えるようにしながら涙を流していく。
……男性は、発信ボタンを押して耳へとあてがった。――すぐにもスピーカーから流れてきたのは、彼が愛する妻の声だった。
龍明の夜を突き抜ける異形の姿。それを追うよう街の照明を飛び越える、一つの人影。
空中におけるチェイスも互角のスピードを繰り広げた中、突如と地上へと下りた異形を追うべく建物の屋上に降り立った彼女が、目の前に続いていくそれらを渡りながら脚を走らせる。
と、彼女はふと、屋上にあった機材の陰に身を潜めた。
……物陰から見遣る、その光景。稲妻の追跡を撒いたと思ったのだろうか。その動きを鈍らせながらも、大気中を泳ぐように存在感を消しながら異形が忍び込んでいく、一つの大きな建物。
周囲の建造物を一回りと巨大化させたようであり、雲のように幅のある、近未来的なその建物。周囲には、サーチライトとも言えるだろう地上から射す明かりが夜の龍明を照らしており、さらには建物の周囲を徘徊するよう動き回る、監視カメラ用のドローンの姿。
彼女は、物陰から出てきた。その足取りは、まるで意外そうに様子をうかがうものだった。
……時代の最先端を行った形状の建物は、まるで研究所を思わせる。それもそのはずで、今こうして視界の中央に捉えている建物こそが、彼女が“表の顔”で承った案件の、所在だったからだ。
――彼女は、気配を殺しながら、音も掻き消す隠密行動で建物へと近付いた。
下からのサーチライトと、徘徊するドローン。建物に近付くにつれて、それらに捉えられてしまう可能性が増える、侵入の難易度が高い区域。
……だが、そんな研究所に、あの異形が侵入していったのだ。建物の上層部分にある一室の窓が開いているその隙間から、異形はすり抜けるような流れで内部へと入っていった。
研究所内の人間が、危ないかもしれない。彼女もまた、監視の目を盗んでその窓へと跳躍を行った。
建物の屋上を飛び移って近付いたその距離。申し分ない距離にまで詰め、頃合いを見計らって飛び出していった自身の身体を、ちょうど窓の位置に落ちるよう調整していく。
彼女は、くぐり抜けるように窓からの侵入を果たしていった。
同時にして周囲を警戒する。……照明の灯らない、物音ひとつも立たない無人の空間。
あの異形は、何処へ……? 彼女は不思議に思いながら、一歩、また一歩と歩みを進めていく――
「そう警戒しなさんな。確かにここは、わたしが有する個人の研究室ではあるのだがね」
暗がりから響いてきた男性の声に、彼女は咄嗟にそちらへと向いていった。
「なんとも、大胆な侵入じゃないか。とても鮮やかな身のこなしも、テレビで拝見したままの動きだ。しかも、メディアでしょっちゅうと見かける怖い顔。そんな、正義の味方を気取るフリーの超人さんが、不法侵入という罪を犯してまでこの研究所に。はて、一体何の用かな?」
暗がりから、歩きながらゆっくりと姿を見せていく男性。白衣を着こなし、ゴーグルを着けたその外見。しかし、特筆すべき点は、彼が生やしている雪のような白色の短髪だっただろう。
その色合いには、馴染みがある。彼女が佇む中、男性はセリフを続けていった。
「わたしは、“桃空”というものだ。あなたも、わたしを拝見したことはないだろうか? 世間では“桃空博士”という愛称で呼び親しまれている、黄泉百鬼というこの世界の害悪についての研究を行う、しがない研究員。という名目なんだが、ね、知ってるよね?」
「…………」
素行調査の対象者、桃空博士。本人との接触はリスクが高く、素性が知られてしまえば、本件は失敗という形で依頼主を失望させることとなる。
だが、今は“裏の顔”として活動する姿。彼女は彼の言葉に反応することなく、“裏の顔”としてこの場へと訪れた目的で周囲を見渡していく……。
「ん? どうしたかな? わたしの部屋を、そんなに見渡して。……あぁ、あぁ。興味あるかな? わたしの研究に。ヒーローもどきの慈善活動を行う“エクレール”ともあろう方ならば、黄泉百鬼という無限に湧き続けるこの世の害悪生物を、興味本位で研究を続けるわたしの意見の一つや二つも聞きたいだろう。ね?」
「…………」
この部屋へと侵入したはずの、あの異形の姿が見えない。
彼女は、神経を張り巡らせて周囲の気配を拾い上げていった。
……と、そうして意識を内側へと向けていく彼女へと、桃空と名乗る博士はそれを口にしていく――
「せっかく研究所へと足を運んでくれたんだ。その手段こそは強引で、法に触れる褒められたものではなかったけどね。しかし、こうしてわたしの研究所に訪れてくれた客人をもてなさないこともまた、非常識。……そこで、わたしなりのおもてなしをぜひとも、あなたへ贈りたい。そう、これは――わたしにとって、好都合極まりないのでね」
桃空博士へと視線を向ける彼女。
――瞬間、死角から伸びてきた気配に、彼女は瞬間的に身体を逸らすことでその脅威を避けていった。
バァンッ!!!! 伸びてきた気配が彼女の傍を通り抜け、直後として後方から響いてきた崩壊の音。目に見えぬ伸びた脅威の何かによって、研究所の壁が部分的に粉々と砕け散ったのだ。
続けて、彼女は気配を感じ取る。それは無数となって前方から伸びているようで、それを感覚のみで感じ取りながら、彼女は上半身を揺らすことで確実に避け続けていく。
そして、自身の耳元を通り抜けたそれへと手を掛けると、同時にしてぬめりを帯びた感触がガントレットに伝うと共にして、彼女はそれを全力で引っ張ることで透明の何かを強引に引きずり出したのだ。
前方に積み上げられていた荷物の山を突き破る、瞬時にして姿を現した異形の姿。タコを模したその形こそ、彼女が不法侵入までして追い掛けてきたそれと同一のものだった。
彼女が手に持つ触手が、意図的に千切られる。これによって本体から切り離された彼女は、手に残ったそれを捨てつつ、桃空博士の下へと駆け寄っては彼を守るべくその前に立ち塞がった。
と、次の瞬間、彼は彼女の耳元で、それを呟いたのだ。
「安心したまえ。それは、わたしのペットだ」
「……っ!?」
わずかながらと振り返る彼女。その隙を突くように、高速の飛び掛かりで襲い掛かった異形の存在。
彼女は、触手によって身柄を拘束された。そしてすぐにも異形の存在に、鮮血の如き赤色の墨を振りかけられる。
深紅のコートのみならず、その全身を真っ赤に染めた彼女。それが行われた直後にも、彼女は驚異的な力による強引な引き剥がしとして両腕を振り上げ、これによって拘束を解くと同時にして目にも留まらぬ剛速の拳を一撃、異形の存在へと殴りつけてやったのだ。
その身体が吹き飛ばされ、研究所の壁を破っていく様子。この物音は研究所全体にも響き渡ったようで、それをキッカケとして、防犯ブザーが鳴り響き始めたのだ。
「おぉ、豪快だねぇ。さすがは、龍明や稲富を救ってきた超人なだけはある」
余裕綽々。そんな様子で言葉を発する彼へと振り向いていく彼女。
すぐにも、研究所の自動トビラが開かれた。そこから急ぎの様子で佇んでいたのは、この研究所で働いているのだろう、秘書とも呼べる服装をした一人の女性……。
「桃空博士!? 無事でしょうか!?」
「あぁ、平気だよ。それよりも、急いで緊急招集命令を出してくれないか。場所は、ここ。ほら、常備している緊急用のブザーで、早く」
「え!? あ、はい……!!」
そう言い、女性は入り口に留まりながら、肩に掛けていた鞄の中から一つのボタンを取り出していく。
手の中に納まる程度の、小さなボタンだった。女性はそれを押していくと、次にそれを口元へと運びながら、「至急、桃空博士の研究所前へいらしてください!」と言葉を投げ掛けて博士へと向き直っていった。
「博士、これでいいでしょうか!?」
「あぁ、そうだね。ご苦労様」
「では、急いで避難を――ッ」
瞬間、女性の胴体が触手に貫かれた。
――背後に回る、異形の姿。女性は悲鳴をあげることもままならないまま、血を噴きながら力無く項垂れていく。
稲妻の彼女は、それを目撃するなり桃空博士へと向いていった。……動じる様子を見せない博士の様相。焦りも脅威もうかがわせない、冷酷な眼差し――
異形は貫いた触手を引き下げて、女性を廊下の壁に打ち付ける。そしてすぐにもその姿を透明化させていくと、この直後にも駆け付けてきた、武装した警備員たちが研究所内へと武器を構え出していったのだ。
「は、博士ッ!!!! 無事ですか!!」
警備員の存在に、彼女はそちらへと向いていく。
と、それと共にして、博士は突如と大声で喚き始めたのだ。
「た、助けてくれェッッ!!!! こ、この超人が……!!! この超人が、わたしの秘書を……ッ!!!!」
稲妻の彼女は、博士の言動に即座と振り向いた。
博士は、恐怖におののいた顔で、稲妻の彼女を指差していく。……廊下には、倒れる血だらけの女性。警備員はそれを目撃してから再び研究所内へと視線を戻していくと、そこには鮮血の如き真っ赤な墨を被った、紅き閃光の姿が存在していた――
「エ、エクレール……ッ!!!? そんな、まさか……ッ!!!?」
「そのまさかなんだよっ!!! は、早くわたしを守って……! いや――この研究所を襲撃してきたエクレールを、早く始末してくれェェっ!!!!」
怯える博士は、頭を抱え込んでその場に転げ回った。
大げさな演技であり、迫真でもあったそれ。彼女がそれを弁解しようと警備員へと手を伸ばした瞬間にも、彼らは向けた機銃の発砲によって、彼女への攻撃を開始していったのだ。
弾丸の嵐を避け続け、彼女は研究所内をしばらくと跳び回る。――弁解の余地無し。状況が既に傾いている現状、口頭で彼女の無実を晴らすことは叶わなかったことだろう。
彼女は、粉々に砕け散った壁から研究所の外へと跳び出した。それを追撃するかのように警備員は駆け寄って発砲を繰り返していく中、彼女は追手のついてこられない驚異的な跳躍の移動によって、瞬く間に龍明の夜へと溶け込んでいったのだ。
――ブザーが鳴り響く研究所。サーチライトが、襲撃を受けた研究所を照らしていくその中、徘徊していたドローンの数々は、この一部始終をしっかりと捉えていた。