その日、龍明を始めとした全国の人々が震撼した。
これまで、超人協会という組織に属することもなく、正体不明のヒーローとして独立した慈善活動を行ってきた、紅き閃光エクレールの輝かしい功績。その結果を知る者であれば、誰もが認めざるを得ない稲妻の偉業の数々。
だが、メディアへと提供されたとある一本の映像が、それまでと信じ切っていた厚い信頼を地へ落とす結果となったのだ。
黄泉百鬼の生態を追究する、研究家の桃空博士を襲撃した事件。研究所を監視していたドローンが撮影したその映像には、稲妻の侵入から、返り血を被ったその姿で建物から飛び出していくその一部始終が捉えられていた。
この日にも、全国にも渡る多くの人類が、その超人に対する非難の声を上げていった。――我々のヒーローだと思っていた、エクレールという最強の超人は、人類が心を許した時に抱く精神的な繋がりの、信頼というものを理解した上で利用することで、その牙を巧みに隠し続けてきたのだと。正体不明の通りすがりの救世主という、得体の知れなさを売りにした肩書で我々の人間社会へと溶け込むことで、こうして牙を剥く機会をうかがい続けていたのだと。メディアによって稲妻の企みが露見したその瞬間にも、人類という生き物は失望と不安のままに、荒げた声でそれらを口にしていったのだ。
証拠となる映像が全国に拡散された瞬間からも、エクレールという脅威を敵対視する勢力が着実と数を増やしていった。――数多のヒーローをも凌ぐその驚異的な身体能力も、今を生きる全人類にとってはもはや、この世界を滅ぼしかねない要因として多くの人々に恐れられ始めたのだ。
宵闇の龍明。照明が眠らぬ街をつくり出す、平穏を謳歌する変哲の無い一時。
と、その時にも上がった悲鳴と共にして、車が横転する音が街中へと響き渡った。
現場は、龍明という大都市の中でも特に中央寄りである、盛大な活気に溢れる繁華街。煌びやかな街灯と店の明かりが如何にも、この地域こそが国の経済を支える主戦力ですと主張するようにギラギラと輝き続けている。
そんな大勢が集う街の中に、一体の黄泉百鬼が現れていた。カニの甲羅を背負うような、人型のそれ。両腕は殻のように硬い皮膚で形成されており、両足も、節足動物に似通うものでありながらも人の脚部を思わせる形状をしていることから、余計に不気味な印象を与えてくる紛れもない脅威。
それが突如と姿を現すと、腕による薙ぎ払いで傍の車を力ずくで押し退けて、周囲の人類へと存在を知らしめたのだ。これには力を持たぬ人間達は自身らの危機のままに、悲鳴を上げながら逃げ惑うのみ。
すぐにも黄泉百鬼は、殻のような皮膚でありながらも伸縮自在と伸ばせる腕で、目についた一人の男性を掴んで、引き寄せた。掴まれた男性は絶命を悟った大声を上げてもがくものだったが、常人の力では一切と敵わぬ黄泉百鬼の握力によって、男性はそれを振り解くことも許されない。
黄泉百鬼が男性を持ち上げていくその様を、周囲の人間は逃げ惑いながらも眺めることしかできなかった。――あぁ、彼はただただ不幸な人間だった。身を守るには逃走の一択しか存在しない常人たちが皆、内心で口を揃えながら男性の成仏を願っていく……。
男性の首に、黄泉百鬼の手があてがわれる。
斬首されるか。多くの者達が目を背けていくその光景。――だが、次の瞬間にも、迸った一つの紅が皆の確信を裏切るように現れたのだ。
「あ、あれは……エクレール……っ!!」
ギャラリーの若い男性が声を上げると、その場の一同は一斉と顔を上げてそれを視界へと入れていった。
黄泉百鬼を、変わらぬ剛腕に物を言わせて殴り飛ばしていく、超人の姿。見慣れていながらも、しかし我々へと降りかかる脅威を予感させる、一種の宣告とも言えるその一撃が、黄泉百鬼という人類がこれまでと敵対視し続けてきた破滅の申し子を、瞬殺してしまう。
黄泉百鬼に掴まれていた男性は、拳の勢いで吹き飛ばされていった黄泉百鬼から解放されるように、衝撃のままその身を投げ出していった。――上がる悲鳴と、直ぐにもそちらへ駆け込んだ稲妻の超人。この脚力で男性が落下する前にも容易く空中で受け止めていくと、稲妻は着地の滑り込みからピタッと静止して、抱える男性をゆっくりと下ろしていったのだ。
これら一連の騒ぎを、中継という形で放送していたドローンが飛び交う上空。多くの目に留まるこの空間の中、稲妻の手によって無傷で済んだ彼は、一方で恐怖を隠すような強張った表情で稲妻へとそれを口にしていく。
「……お、おれらを襲っておいて、今さら媚を売りに来たのかよ……ッ!! どんなにヒーローらしい人助けを行おうとな、おまえはもう、れっきとした人類の敵なんだよ……!! 分かるか……!? あぁ!?」
次にも、男性から繰り出された一発のビンタが、稲妻の頬に叩き付けられたことで高い音が響き渡った。
――叩かれて、そっぽを向く稲妻。この様子に男性は、次にも重たい蹴りを稲妻の胴体へとかましていき、その超人を一歩と退けていく。
「おれに触れるんじゃねぇ!! このバケモノがッ!! おれらを敵に回しておいて、平然と人間社会にしゃしゃり出てくるんじゃねぇぞ、この外道野郎ッ!!」
男性のセリフに感化され、次の時にも周囲の人間が怒れる声を一斉に上げ始めたのだ。
「そーだそーだ!! 人を助けただけで、良い気になってんじゃねぇぞッ!! この、人の形をしたバケモノ野郎!!」
「わたし達はね、あんたみたいな怪物に毎日怯えながら暮らしているのよ!! ねぇ、分かる!? この苦しみ!! あんたみたいな滅ぼす側のバケモノにとって、わたし達人類の苦しみは分からないでしょうね!?」
「なぁ、そもそもとして、エクレールってもしかして黄泉百鬼なんじゃねぇの?」
「なにッ!? おい、ヒーローはいないのか!? 一刻でも早く目の前のバケモノをぶち殺せッ!!!!」
稲妻を取り囲み、数の言葉によって空間的に圧倒する人類の抵抗。その言動は更にヒートアップしていくと、人々は騒動の中で散らばっていた車の部品や、落ちていた鉄パイプを拾い出していくと、それを稲妻へと投げつけてきたのだ。
四方八方から投げつけることで、眼前の脅威を排除するべく働き始める団結力。これら以外にも石ころや魚といった、手で掴める様々な物を人類は見つけていくと、それを即座に投げつけながら紅き閃光へと罵声を浴びせ続けていく。
降りかかる周囲のそれらに対し、稲妻は抵抗する様子を見せなかった。――それどころか、その場から立ち退く動向もうかがわせず、その場に留まり続けては、人類から投げつけられるもの全てを受け止めるように、避けることもなく稲妻はやられるがままを貫いていた。
と、次の瞬間にも、一人の男性は頭に血が上ったままにあるまじき行為を働きかけた。
「こんの……!! あんな人殺しバケモノ、野放しになる前におれの手でぶっ殺してやる!!!!」
男性は叫び上げると、暴徒化した民衆を止めるべく駆け付けた警察官の一人に襲い掛かるなり、彼が携帯していた一丁の拳銃を奪っては、それを紅き閃光へと向かって発砲してきたのだ。
パァンッ!!!! 響く銃声が、怒り狂う人類の意識を取り戻した。一気に沈黙した空気の中、発砲した男性は複数の警察官に取り押さえられ、身柄を拘束されていく。
……着弾した稲妻は、額に当たったその衝撃で顔を仰け反らせていた。
素顔を隠すガスマスクが、稲妻の身を守ったとも言えるだろうか。――いや、それがたとえガスマスクを装着していようとも、していなくとも、これまでの超人をも超越する活動を可能としてきた彼女の、驚異的な身体からしてみては、もはや銃弾の一発や二発など、然したる問題では無かったのだ。
むくり。撃たれた額のまま、仰け反っていた顔を起き上がらせる。……ガスマスクの額部分に残る黒焦げは、放たれた銃弾が本体に届いていないことを告げていた。
ガスマスクの強度が強かったのか。それとも、眼前の稲妻ほどの身体能力まで来ると、もはや銃弾すらも身体を通さないのか。どちらにせよ、生身の人間では武器を使用しようとも一切と傷付けることのできないその存在に、一同は改めて、現在と相対している存在が、限りなく人間の域から大いに外れてしまった、人外に近いものであることを再認識したことだろう——
――稲妻は、何処ともなく跳び立ってしまった。
用は済んだ。この一言が容易に伝わってくる、これまでと変わらぬ去り方。それはまるで、当の本人である稲妻は、以前と現在で、一切もの変化を迎えていないことを思わせる、至って通常通りとも言うべき、一種のお約束として見て取ることもできなくはなかった。
外階段を上る音。カン、カン、カンと響かせたそれは鍵で扉を開けていくと、「ただいま」といういつもの帰り文句で、帰還を果たしていく。これを聞き付けると、アタシは座っていたイスを押し倒すようにして、すぐさま玄関へと駆け寄って彼女へと飛び付いていったのだ。
「あら、お出迎え? 珍しいわね、菜子ちゃん」
扉が閉まる音。自然と、ゆっくりと閉じていくそれが静かに音を立てていくと、ユノさんは抱き着いてきたアタシを両腕で包み込むように、この背へと回してくる。
「こんなに熱烈な歓迎をしてくれるなんて、菜子ちゃんらしくもないサプライズとも言うべきかしら。……あぁ、ごめんなさい。私ちょっと、興奮しちゃったかも。こうしてハグで出迎えられてしまうと、私、菜子ちゃんの普段の様子とのギャップを感じてしまえて、お腹の奥からムラムラと刺激的な快感が――」
「悔しい――」
ユノさんの服を握り締めるアタシ。これにユノさんは言葉を止めていくと、今も押し付けるように抱き着いてくるアタシの身体を、優しく抱きしめてきたのだ。
「どうしたの、菜子ちゃん。貴女らしくもないわ」
「……だって、だって……悔しいんだもん……っ!!!」
顔を上げるアタシ。それと共に、内側から溢れ出してくる感情のままに、アタシは目から大粒の涙をボロボロと零してしまう。
「なんで、どうして……っ。ユノさんはこの世界を守るために、皆に代わって黄泉百鬼と戦ってくれているのに……! それなのに、どうして……ユノさんがこんな目に遭わないといけないの……っ!? アタシ、悔しいんだよ……ッ!!! こうして、いっつも、ユノさんを傍で見てきたから……!! だから、なおさら悔しいって思えてきて……もう、アタシ……っ!!!」
「…………」
顔を擦り付けるように、ユノさんへと縋りつくアタシ。――どうして、アタシが泣いているのかが、自分自身でも分からなかった。ただ、一つだけ言えたこととして、彼女がこれまでと中継先で戦ってきた勇猛なる姿と、その成果と相反する現実の反応に、アタシは言い知れない悲しみを覚えてしまったのだ。
「ねぇユノさん……。今からでも遅くないよ……! 明日、超人協会に行こうよ……! それでエクレールがヒーローになれば、みんな、ユノさんが研究所を襲撃しただなんて思わなくなるって……!!!」
「菜子ちゃん」
冷静な一言だった。とても落ち着きを払っていて、本人ではないアタシが泣きじゃくりながら顔を上げていく。
「世間の目からは、私こそが研究所を襲撃した犯人として映っている。そしてこれは、揺ぎ無い事実として信じられていく」
「そんなワケないじゃんか……っ!!!! ユノさんは、研究所に入っていった黄泉百鬼を追いかけるために侵入しただけで――」
「菜子ちゃん。私はね、今の状況をそれほど気にしていないの」
ぎゅう……。アタシをなだめるように、優しい温もりで柔らかく抱きしめてくるユノさん。
「私はね、菜子ちゃん。こうして、菜子ちゃんという守らなければならない存在が無事でいてくれるだけでいいの。もっと欲を言ってしまえば、菜子ちゃんが私と過ごす日々に幸せを感じてくれると、私はもう、この上ない喜びに包まれる」
「……でも、だからって、ユノさんは本当に人殺しなんてしてないじゃんか……っ!! メディアで報道されている映像だって、あれ、博士の飼っている黄泉百鬼が映っている部分が、意図的に切り取られているじゃんか……っ!!! ユノさんはハメられただけなんだよ……!? ユノさんはただ、皆を守るヒーローとして黄泉百鬼を倒そうとしていただけなのに……っ!!!」
「菜子ちゃん」
アタシの頭に添えられた、ユノさんの温かな手。色白のそれがアタシを大切にするかのようずっと包み込み続けるその中で、アタシが涙ながらに訴え掛けるそれと向き合いながらも、ユノさんはまるで訂正するかのような調子で、その言葉をアタシへと放ってきたのだ。
「私は、みんなのヒーローなんかじゃない。私はね、みんなのヒーローになるつもりはないの。――私はただ、菜子ちゃん。貴女のヒーローであり続けたい。ただ、それだけ」
「……でも、それじゃあ……っ。それじゃあ結局、何も変わらないじゃんか……!!」
「いい子いい子。さぁ、奥でなにか、温かいものを飲みましょう」
そう言い、歩き出すユノさん。彼女のそれにアタシもユノさんにくっ付くよう歩いていくと、ユノさんはそんなアタシを一切と離す様子を見せることもなく、アタシという泣きじゃくる存在を抱えるように、ずっと、付きっ切りとなってなだめ続けてくれたのだ。