ピンポーン。鳴り響くインターホンの音。真昼の休日に探偵事務所を駆け巡ったそれに、アタシは「はーい」と言いながら玄関の扉を開けていく。
ガチャリと開けると、そこにいたのは黒いキャップのサングラスお兄さん。百八十六ほどの背丈の高身長と、サングラスを手でずらしながら覗かせる美形が、その隠しきれない圧倒的なイケメンオーラを放ちながら、アタシへと声をかけてくるのだ。
「や、菜子ちゃん。依頼の件で、うかがいにきたよ」
「お待ちしてました、タイチさん! ささ、中へどーぞ、どーぞー」
アタシは今、超が付くほどのスーパースターであるタイチ様と、あろうことか二人きりでお話しをしてしまっている。それだけでこの世に未練は無くなるわけだが、今回ばかりはそんな私情を挟んでなんかいられない。
アタシの案内で探偵事務所へと上がってきたタイチさん。この狭い空間に置かれた長テーブルと八つのイスが、彼をお出迎え。更には、用意されていたお茶菓子や、依頼の資料となるファイルや写真の数々が見受けられて……。
それらをテーブルに広げ、資料の紙に目を通していたユノさんが、「お待ちしておりました」と一言告げていく。これにタイチさんも「どうも」とキャップを取り払いながら言っていくと、そこから現れた雪のような白いショートヘアーを少しだけいじってボリュームを増していき、身なりを整えた彼は、アタシが引いていったイスに腰を掛けていったのだ。
預かっていた数枚の写真を封筒に入れるユノさん。それをタイチさんへと手渡ししていきながら、言葉を口にしていく。
「今回、タイチさんの叔父様である“桃空博士”の素行調査として本件を預かっておりましたが、調査の最中にも、桃空博士の身柄が警察に拘束されてしまいましたので、本件の調査は継続不可能という形で対応をさせていただきたいと思っております。以前にも事前説明をさせていただいたように、葉山探偵事務所の方針として、如何なる理由であれ調査が継続できなくなった場合、調査料金の全額を依頼主へとご返金させていただく決まりとなっております」
「俺としちゃあ、調査をしてくれた分の報酬は探偵さん方に受け取ってもらいたいんだが。ま、そういう説明があったもんだしな。――今回の調査料金は、また別の機会に依頼するとなった時に支払わせてもらうさ」
ニッとした笑みを見せたタイチさん。受け取ったペンや紙で手続きを行い、ユノさんから差し出された封筒を受け取っていく。
それを鞄へと入れて、タイチさんは用を終えた。あとはこの席を立って、事務所を出るだけだ。
……という流れだったものだから、アタシはタイチさんをお見送りするために玄関へと歩き出した、その時だった。
「葉山さん、少しだけお時間ありますかね」
座ったままのタイチさん。両手をテーブルに置いたまま、彼を見遣るユノさんと目を合わせていく。
ユノさんは、どこか彼を避けるように上半身を逸らしていた。しかし、その声を掛けられたことで、彼女は姿勢を直しながら、彼と向かい合うようにそれを返していったのだ。
「直にも休息時間をとらせていただきますので、ほんのお少しだけですが。……はい、私に何かご用でしょうか」
「今回、俺は葉山さんに、叔父さんが企んでいた悪事の証拠を掴んでもらいたいと思っていたんだ。ま、結果としては、成り行きで俺がその証拠を掴んでしまったワケなんだが。さいkし、そうして俺が叔父さんの野望を食い止めることができたのは、紛れもなく、エクレールというヒーローが活躍してくれたおかげだったんですよ」
「叔父様とは血縁者であるタイチさんが、その尻拭いとして各地のメディアへ出張なされているご様子はうかがっておりました。とても苦労をなされているようで、同情します」
「あっははは。ま、そういうもんだからさ、俺はお礼を言いたくてな。――ありがとう。エクレールに、その言葉を伝えたかったんだ」
「……以前にもご説明いたしましたが、第三者の所在を調査することは犯罪の助長となりかねないため、本探偵事務所ではそのようなご依頼を引き受けることはできません」
「違う違う、依頼とかじゃなくってな。俺はただ純粋に、エクレールというヒーローにお礼を言いたかっただけなんだ」
「でしたら、ヒーロー活動の最中にも偶然と出くわした際に、タイチさんご自身が本人へとその感謝を述べてみたらいかがでしょうか。尤も、あらゆる事情がございましても、私は本件に協力いたしかねますが」
「はっははは、俺は葉山さんにも感謝をしていますから。じゃ、さっきの言葉はエクレールじゃなく、葉山さんへの感謝として受け取ってください。エクレールへのお礼は日を改めて、俺が直々に伝えにいきますから」
「……お会いできるといいですね」
目を細めたユノさんと、意気揚々と語るタイチさん。まるで正反対な性質を思わせながらも、意外とお似合いなんじゃないかとうかがわせる二人の様子。
これこそまさに、美男美女とも言うべきだろう。二人の雰囲気に蚊帳の外であるアタシは、この景色ずっと眺めてられるな~……なんて思いながら棒立ちしていると、ふと、タイチさんがユノさんへとその言葉を投げ掛けてきたのだ。
「なぁ、葉山さん。俺、不思議に思っていることがあるんだ」
「……何でしょう」
「エクレールってどうして、超人協会に所属する正式なヒーローになりたがらないんだろうなって」
アタシは、ユノさんへと視線を注いでしまった。
……アタシも、それは気になってた。ユノさんへと抱いていた疑問をタイチさんも抱いているという事実に、アタシは彼と向かい合うユノさんを見遣っていく。
「……ご依頼の相談ならともかく、ご依頼とは関係の無い世間話でございましたら、葉山探偵事務所は受け付けておりませんので。……そろそろ休憩時間ですから、この辺でお引き取り願ってもよろしいでしょうか――」
「噂に聞いていた頃は、そんなに気にしていなかったもんなんだが、稲富でエクレールと出会った瞬間にも、俺は直感で理解することができたんだ。――黄泉百鬼という脅威に晒され続けるこの世界だが、エクレールという通りすがりの救世主に協力を仰ぐことができたのであれば、きっと、人類が黄泉百鬼に打ち勝つ未来も見えてくるのかもしれない。ってね」
タイチさんの眼差しが、ユノさんを直視する。これを受けたユノさんは、持ち前のクールビューティな表情を全く変えない様相で向き合っていた。
「だからこそ、俺は不思議に思っていることがあるんだ。それは、単独による慈善活動で、本職としているヒーローさえも凌駕する実力があるにも関わらず、なぜ、エクレールという人物は、組織に属そうとしないのか。もちろん、その人物が単独での活動でこそポテンシャルを発揮できるのであれば、俺はそれを否定なんかしない。ただ……もし本当にそうなのであれば、俺ら超人協会は自由な単独行動を了承した上で、エクレールという無名のヒーローを超人協会に迎え入れたいと考えている」
「タイチさんの、エクレールという人物に寄せた厚い信頼はよく分かりました。しかし、私は葉山探偵事務所という、私立の探偵稼業を営むしがない一般人に過ぎません。そんな私にエクレールという人物について語られたところで、ただただ反応に困るだけです」
冷静というか、素っ気ないというか。エクレール本人であるユノさんの、彼を突き離すようなそれらに、アタシは「容赦ないな~」なんて思いながら見遣ってしまう。
……と、ここに来て少々と空間に走った静寂の間。その中でもタイチさんはユノさんへと向けた熱い眼差しを送り続けていると、ユノさんは鼻でため息をつくようにするなり、そんなことを言い出してきたのだ。
「――もし。もし、仮に私がエクレールだとしましょう」
「ほう?」
「もし、私がエクレールの立場であるならば……きっと、単独行動こそに意味を見出すはず」
「単独行動こそに、意味を見出す。か。俺には、単独行動自体には何のメリットも感じられないな。しかし、そこに意味を見出しているのであれば、きっと、エクレールにしか分からない、何かしらの事情を抱え込んでいる可能性はありそうだな」
「…………」
しばしと沈黙を貫くユノさん。その間もタイチさんがユノさんをしっかりと見つめていく中で、ユノさんは言葉を選ぶかのようにセリフを続けてくる。
「エクレールには、膨大な超人エネルギーが宿っているはず。でなければ、あれほどまでの身体能力はそう易々と発揮することはできない。その力があるからこそ、エクレールはこれまでにも多くの黄泉百鬼をその手で討ち破ることができ、数々の脅威が降りかかるこの熾烈な現代を、エクレールはその力一つで生き抜くことができている」
「あぁ、だな」
「だけど、当の本人であるエクレールは果たして、その膨大な力に価値を感じているのだろうか」
……? 訊ね掛けるような目を向けるタイチさん。
「単独行動に意味を見出し、膨大な力に疑問を持つ、か。単独行動とその力に一体、どんな関係があるんだろうな」
「エクレールはなにも、善意で人を助けている訳ではないのかもしれない。慈善活動として行っている黄泉百鬼の討伐は決して、人助けを目的とした名誉あるヒーロー活動によるものではないの。……今も続くエクレールの活動は、有り余るほどの”膨大な超人エネルギーの使い道”を考えた時に、黄泉百鬼という、人類が仇なす敵を殴り飛ばす以外に”価値が無いもの”と見出している故の、単なる独りよがりに過ぎないのかもしれない」
テーブルを見ているのか、テーブルの上に乗せている自身の色白な手を見ているのか。特別に何処を見ることもない視線のユノさんは、アタシとタイチさんを前にしながらも、その意識を自身の内側へと集中させるように、とても静かな調子でそれを続けていく。
「エクレールは、自分の有り余る力を、”持て余している”。それはきっと、今の自分には必要性を感じられないものだから。もう既に、その力の意味を、失っている。しかし、その力は自分の中に残り続けるの。これからも、この先も、ずっと。――”宿命のように残留し続けるその力”を抱え込んだエクレールは、既に意味を持たない無価値な力の使い道を考えた末、その力をぶつけても文句を言われない、黄泉百鬼という好都合な生命体にぶつけ回ることで、その”無価値な力に価値を見出そうとしている”のかもしれない……」
「俺としては、その力に絶大な価値を感じるもんだが。しかし、エクレール本人にとっては、その力はむしろ、枷、のようなものとなっているわけか」
「エクレール本人には、人を救いたいという気持ちが微塵にも存在しない。そこに黄泉百鬼がいて、その近くに偶然、襲われていた人達が存在していた。そしてその人達は、自分はエクレールに救われたと勘違いすることで、エクレールという超人のことをヒーローとして呼ぶようになった。――エクレールなんて結局、自分の目的で動いているだけの自己満足人間なの。だから、エクレールがヒーローと呼ばれる筋合いなんか無いし、ヒーローとなる資格も無い」
…………。
沈黙が走る事務所内。ユノさんの推測にアタシは、今までに聞かされたことのない、明かされたことのないユノさんの原動力を耳にしたことで、だからヒーローになりたがらなかったんだと、心のどこかで納得してしまっていた。
……でも、それじゃあ、ユノさんが事ある毎にアタシへと口にしていた、『菜子ちゃんのヒーローでありたいの』という言葉は、何だったの……?
ユノさんは、自分はヒーローなんかになる資格は無いと言っているけれど。でも、そんなこと言ってるようじゃ、ユノさん、アタシのヒーローにもなれないんじゃないの……?
自分がヒーローになることを、どこか恐れているような印象がある。だからこそ、これまでと口にしてきた言葉とは裏腹に、実はユノさん、気持ちのどこかではヒーローになりたがっているんじゃないかって、アタシは思っちゃうの――
「俺としては、エクレールはれっきとしたヒーローだと思うぜ」
ユノさんと向かい合う、タイチさん。真っ直ぐな眼差しは依然として変わりなく、むしろ、その視線はより一層と、ユノさんを中央へと捉えて離さずにいた。
「ヒーローになる志とか、資格とか、まぁ色々と引っ掛かるところはあるんだろうが、現役でトップのヒーローをやっている身からすりゃあ、極論、ヒーローってのは、人を助けているか、助けていないか。の違いしかないんだ。だから、どんなに素晴らしい志を掲げてヒーローになったヤツも、人を助けられない時点でそいつはヒーローなんかじゃない。逆に、どれほどと人助けに対して消極的なヤツでも、人を助けていたらその時点でそいつはヒーローさ」
「…………」
「要は、助けているか、助けていないか、の問題なんだ。で、エクレールは現に、大勢の人々を救っている。つまり、エクレールはヒーローだと俺は思う」
「私は、そう思わないわ」
「俺は、そう思う」
「そう思わない」
「いいや、俺は思う」
頑なに譲らない双方。共に視線をぶつけ合うその眼差しは、ユノさんも、タイチさんも、お互いに真っ直ぐで、とても力強いものをうかがわせた。
と、タイチさんは言葉を続けていく。
「それにな、エクレールの意思とはまた別に、俺はやっぱ、エクレールはヒーローとして超人協会に入るべきだと思うんだ。――普段、エクレールがどんな稼ぎで暮らしているのかは、まぁ、分からないけど? でも、少なくとも、ヒーローとして超人協会に所属したその状態で黄泉百鬼を倒していった方が、そっちでの稼ぎで食っていけるようにはなるだろ」
「エクレールは、稼ぎのために黄泉百鬼を倒しているわけじゃないの」
「稼ぎが入るということは、それだけ懐が潤うんだ。――いいか、葉山さん。超人の出現によって、人類には段々と余裕が出始めてきたこのご時世だ。今や、腕っぷしの力だけが物を言う世界じゃなくなってきているんだぜ? もちろん腕っぷしの力も大事だが、今は、財力という金の力にも、価値が出始めている」
「だったら尚更、財力という力はエクレールには関係無い――」
「金も物を言う時代だ。財力という第二の力はきっと、エクレールが守りたがっているであろう“大切な人”を、間接的に守ることができる強力な武器になるハズだ」
…………。タイチさんのそれに、ユノさんは喉につっかえさせた言葉を呑み込んでいく。
そんな彼女の様子に、タイチさんは確信を思わせる、とても小さい笑みを見せていったのだ――
「長い間お邪魔してすまなかった。俺の世間話に付き合ってくれてありがとう、葉山さん。また相談したい案件が出てきた場合は、こちらの探偵事務所に相談するとしますよ」
「…………」
心なしか、タイチさんはものすごく満足そうだった。重い腰を上げて「よっこいしょ」と立ち上がる彼に、アタシはお見送りをしなきゃと思って駆け寄っていく。
と、その途中にもアタシは、チラッとユノさんを見遣った。
――何とも言い知れない、とても複雑そうな表情。それを見せていくユノさんの思考の中ではきっと、いろんな言葉が駆け巡っていたのかもしれない……。
「あ、アタシ、タイチさんをお見送りしますからっ!」
「お、サンキュ! 菜子ちゃん」
キャップを被るタイチさん。サングラスも掛けて完全に変装を完了した彼と共に、アタシは歩き出していく。
「ユノさん、タイチさんのお見送りに行ってくるからね」
「……えぇ、お願い」
今までの、女性が関わる物事に対して輝いていた、女たらしのユノさんとは思えないほどの浮かない顔。そんな顔をしていては、せっかくの美貌で好みの女性を釣ろうにも釣れないだろうにと、アタシがこれまでに見てきた表情の中でも、トップクラスに入る鬱々とした様相を見せながらイスに張り付いているその様子……。
……いや、大丈夫かなユノさん。心配してしまいながらも、来客であるタイチさんを見送るために玄関へと向かうアタシ。そしてタイチさんをビルの前でお見送りした後、アタシは様子をうかがうように事務所へと戻っていくのだが……。
「ユノさん、タイチさんを見送ってきたよ」
アタシが事務所に戻ってきた時も、ユノさんはそのイスに座り続けながら、手を顎に付けて未だ思考に耽っていた。
……相当、何かに悩んでる。アタシは心配して彼女に近付いてみると、その途中にもゆっくりとこちらへ振り向いてきたユノさんの、とても真剣な眼差しがアタシに突き刺さってきて――
「菜子ちゃん。……もしも私が、超人協会に所属する正式なヒーローになった。としたら……菜子ちゃんは、どう思う、かしら?」
真面目な声音で、しかしアタシをうかがうように訊ね掛けてきたその言葉。ユノさんにはあまりにも珍しい、とても自信が無さげで、この上なく頼りなさそうな、どこか不安を思わせる彼女らしくない調子……。
……アタシは、この時にも言葉を失ってしまった。想定できるはずのない、まさか、そんな、という信じられないような突拍子の無い気持ち。
でも、一方として、アタシはユノさんの恐る恐るなそれを耳にした瞬間、「やっと言ってくれた」という安堵の念がよぎった。
共にして、アタシは無意識とユノさんの頭を抱えるように、ぎゅっと抱きしめていたのだ――
「――うん、うん。ヒーローとして活躍するユノさん、すっごくイイと思う」