ヒーローという概念
道行く車と人通り。会話やエンジン音が雑多となって彩られるこの大都市は、今日も束の間の平穏を噛み締めるように環境音を奏でていく。
国が誇る大都市、『龍明』。発展途上をうかがわせる立ち並んだビルの光景が特徴的で、大規模な人口と面積によって日々発展を続けていく地域。とある理由によって人類や動物が龍明に集まることから、この一帯は年々と範囲を広げつつあるのだ。
アタシもまた、この龍明で暮らす人類の一人。――
そして、明日は休日だ。覆しようのない決定事項に心を躍らせるアタシは、ご機嫌な鼻歌をふんふんと鳴らしながら、堂々とした歩きスマホで帰路を辿っていた。
たぷたぷと操作する端末画面。ふと見つけたネットの記事に目を通していくと、そこに記された大きな文字と、載せられた一枚の写真が、アタシの目を引きつけた。
「『紅き閃光、止まらず』。十二メートルもの体長で襲い掛かる人型“黄泉百鬼”を、暴風の如き右拳で即刻粉砕。……段々と目立つようになってきたなー、ユノさん。こうなりゃいっそのこと、ヒーローにでもなっちゃえばいいのに」
写真に見切れるほどの体格を持つモンスターを相手に、何かが真正面から飛び出していく様子がうかがえる写真。しかし、その何かの驚異的な身体能力はカメラに収めることもかなわないため、何かの姿は赤い残像となって中心部分に捉えられていた。
――アタシが“彼女”に助けられた日を境にして、突如とこの世界に姿を見せるようになった、一人の超人。後にも過去最大級の災厄と謳われたあの大事件をきっかけに、その超人はこの一年に渡り、時折と姿を現すようになった。
駆ける姿は、稲妻の如く。総てを粉砕するその拳は、果たして正義の鉄槌か、はたまた破壊の象徴か。――味方なのか悪なのかも未だ定まらない不明瞭な立ち位置の要因として、その超人は、国が認めるヒーロー組織『超人協会』に属していないことが挙げられていた。
世界を守るヒーローでもない最強の超人が、気分で世界を支え続けている。この実態に、多くの人々は不安を抱えていたこともまた事実。……しかし、それとは一方的に、その超人が展開する、身体能力のみで繰り広げる圧巻の戦闘と、強さと美しさを兼ね揃えた立ち回り、そしてサービス精神を欠かさないユーモアさは、まさに理想のヒーロー像であるとして世間から名を挙げられるほどでもあった。
“彼女”は、世間の目からは立派なヒーローとして認知されているし、当時救われたアタシから見ても、彼女は紛れもないヒーローだった。……ただ、その本人がヒーローになることを拒み続けており、そのクセして、脅威に晒された無力な人々を救うべく、各地を飛び回ってはその拳を振るい続けている。
所謂、慈善活動だった。国に属することで発生する給料には目もくれず、ボランティアとして脅威に立ち向かっていく、フリーランスのヒーロー活動。見方によっては、これを勿体無いと思えたりするし、そのハッキリしない立ち位置に、モヤモヤしたりもするかもしれない。そんな彼女の立ち回りは非常に独特なものだったが、これもある意味、彼女の自由人的な考え方による、一つの答えとも言えただろう。
――尤も、そう言い切れるのも、アタシが彼女の素性を知っているからこそなのかもしれない。……彼女の初めてのヒーロー活動で救われて以来、身寄りの無くなったアタシを拾ったその女性は、立ち上げたばかりの事務所で暮らすことを提案してくれた。彼女の住処とも言えるそこに招かれたアタシは、それからも食費に留まらず、学費までも援助してもらい、アタシはその恩に報いるべく、彼女の助手として、駆け出しの探偵という兼業も行うようになったのだ。
街道の景色に馴染むよう建ち並ぶビルの、その一つ。四階建てであるそれの外階段を上り、三階の外廊下に立てかけられた銘板近くの扉に手を掛けていく。
銘板に刻まれた、葉山探偵事務所の文字。それを横目にアタシは扉を開けると、玄関に並べられた、見慣れない赤い靴で来客を悟った。
「ただいまー」
1LDKの大きさで、事務所と自宅を兼ねた一室。アタシの声も、仕切りのない奥の部屋に行き渡り、ユノさんの「おかえりなさーい」の言葉が返ってくる。
浴室やトイレとも繋がる短い廊下の先へと、アタシは足を進めていった。そうして開かれた視界に映るのは、狭い空間の中央に置かれた長テーブルと、八つほどのイス。その奥には事務机が配置されており、普段はそこで、ユノさんが業務を行っている。
今回は、来客がいらっしゃっているということで、ユノさんは長テーブルの方に移っていた。そこで向かい合っていたのは、赤色のニットと青色のジーンズという服装の、四十代ほどの主婦の方だった。
「こんにちは、この事務所でユノさんの助手をしているものです。お茶のおかわりをお持ちしますね」
学校の鞄をイスに置きながら、空となった湯呑みを受け取ってアタシはキッチンへと歩いていく。
その途中にも、アタシは長テーブルの上を見遣った。――広げられたファイルや紙の束。他にも、封筒であったり、人が写った写真の数々だったり、情報源となる様々な資料がうかがえる。そして、それらを眺めながら、顎に手をつけて何かを考える様子のユノさん。
……久しぶりに、本格的なのが来てしまったか。アタシは遠出を予感しながらもポットでお湯を沸かしていくと、しばらくして口を噤んでいたユノさんが、ようやくと喋り出したのだ。
「分かりました。では、こちらのご依頼を引き受けましょう」
「あぁ、ありがとうございます……! もう、どこの探偵さんに依頼をお願いしても断られてしまっていて……! 本当にありがとうございます! いくらでもお礼いたしますので、どうか、息子をよろしくお願いいたします……!」
深々と頭を下げる依頼者。この後にも依頼者は事務所を去り、ひと段落といった空気の中でアタシはイスに座って、カップのアイスをもぐもぐと食べていく。
その間も、ユノさんは写真やファイルの資料を参考にして、事務机に備えていたパソコンで何かを調べ上げていた。……ほんと、こういう時だけは絵になる容貌をしているんだから。普段はマイペースでだらしなくて、その上セクハラ発言もおかまいなしな残念美人だというのに……。
「で、ユノさん。なんかすごく大変そうにしてるけど、今回はどんな依頼を引き受けたの?」
こちらの問い掛けに、ユノさんは猫のような背伸びで両腕を上げていく。
伸びる動作はどこか大人っぽくて、零れ出す声はどこかエロスを感じる。クールな印象と艶めかしいオーラが特徴的なこの女性がまさか、紅き閃光と呼ばれるホットな話題の超人であるだなんて、誰が想像するだろうか。
「身元調査。言ってしまえば、ターゲットの安否の確認ね。依頼内容は、超人協会でヒーローをしているという息子さんが、忽然と行方をくらましたから、その行方を私たちに探ってもらいたい、というもの。この件で興味深いと思ったものは、超人ともあろう息子さんが何故、一体どのようにしてその姿を消してしまったのか、というところなんだけれども……ただ、今回はちょっと厄介かもしれないわ」
「厄介?」
「ターゲットの居所は、だいぶ絞り込めたの。でも、その場所がちょっと厄介で」
「どこ?」
「稲富」
「稲富…………」
アタシは、脳内で地図を描いた。
今いるのが、龍明という大都市の中心部。まずこの国自体が、ブーメランのような、逆のくの字型のような形をしており、龍明はこの国の中でも割と中央寄りで、国の中間地点と呼んでもおかしくない。で、稲富という所は、島という形態でポツリと浮かぶ孤立した地域として有名だ。それも、稲富という島は、この国の西側。それも、大都市の龍明から、下へ、下へ、更に下へ…………。
「…………って、最南端の島じゃん!!!! とても暑いことで有名な!!!!」
稲富って、観光地として名を馳せる島国じゃんか!!
一度としてそんな場所に行ったことの無いアタシは、驚きのあまり飛び跳ねるように反応した。そんなアタシの反応とは相反して、ユノさんは後頭部に両手を回し、イスの背にもたれかかって天井を眺めながらそれを口にしていく。
「この週末は、稲富へ行くわよ。……菜子ちゃんという可愛い可愛い助手の現役女子高生と、稲富で二人っきりの合法デート……。手を繋ぎながら食べ歩きをして、夕日が浮かぶ黄昏の海を、菜子ちゃんと一緒に眺めるの。――あぁ、楽しみだわ」
「……まず、これは仕事であって、デートなんかじゃないし、依頼で来ているんだから食べ歩きしてる余裕なんかも無いし、あとさり気無く手を繋がせるな、合法デートとか言うな」
まったく、この人は……。真面目に人探しをしようとしないユノさんに怒るアタシ。ただ、一方で、こんな短時間でターゲットの居所を絞り込んだ仕事の早さには、内心ちょっとだけ驚かされていた。
人間的な面では色々と目立つ部分が多いけれど、ポテンシャル自体は割と高くて、何だかんだで頼れてしまう。だからこそアタシはこの人についていこうと思えるし、これからも、アタシはこの人の背を追い続けるんだろうなと、確信さえしてしまえる。
……
――と、ユノさんはおもむろに立ち上がるなり、玄関へと向かって歩き出していった。
「菜子ちゃん。そういうことだから、明日は早いわよ。今の内に旅行の準備を済ませておきなさい」
「あ、うん。……ユノさん、今からどっか行くの?」
「えぇ。ちょっとバーへ」
「遊びに行くなッッ!!!!」