穿闘のエクレール   作:祐。

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稲富を駆ける稲妻

 三百メートルを超える、山の祟りとも呼べるだろう大型黄泉百鬼の行進。それを目撃した稲富の地の人間は皆、終焉を予感する絶望と共に、断末魔のような悲鳴を上げて逃げ惑っていた。

 

 暗雲が、青空を覆う世界。直にも吹き荒れ始めた強風は、台風の如き勢いとなって催しの会場を吹き飛ばす。

 ――街に踏み入れた、人間の姿を模した大型黄泉百鬼。その体表を地盤と木々で覆い固め、一歩、一歩と前進する巨体で稲富を破壊し尽くしていく。

 

 逃げ遅れた二名の男女が、降りかかった現実に嘆きながら抱擁を交わし合った。自身らの運命を悟り、共に最期を迎え入れようという一種の潔さ。直にも陰りで染まる二人の身体は、頭上から圧し掛かった巨体によって押し潰されることになる。

 

 ……だが、直前にも迸った紅の残像は、二人の姿を掻っ攫って消え失せる。踏み下ろされた巨人の足が、大地を砕き、街を破壊し、滅亡を招く足跡を残していくその行進。しかし超人エネルギーによって形成された巨体は、迸った残像の訪れと同時にして、全身に巡った、自身にも匹敵し得る“それ”の存在を感知すると、破壊の行進を一度と止め、歩む先にも降り立っていた人影を見遣っていくのだ。

 

 ――魂へ成り果てたと思い込んでいた男女。一方として互いを抱きしめ合う温もりはそのままで、二人は、自身らに何が起こったのかも分からず、周囲を見渡した。

 傍に佇む、深紅のコートを纏った一人の人物。百七十九の背丈で、ジャック・オ・ランタンを思わせる黒色と赤色のガスマスクで素顔を隠した容貌。白髪の長髪を分厚く束ねたポニーテールに、黒で統一されたシャツとパンツ、ブーツ、ガントレット、それらと対比となる白色のベルトで二人へと振り返ると、無事であることを確認した“それ”は、グッジョブ、のジェスチャーを見せると共に、その場から跳び立っていく。

 

 呆然とする二人。そしてハッと我に返ると、男性はそれを口にしていった。

 

「あれは……“エクレール”!? そんな、どうして。いつもは龍明に姿を現すと言われてるヒーローが、なんでこんな最南端の場所に……!?」

 

 驚く男性の胸へと、手を触れさせる女性。

 

「きっと、ここに黄泉百鬼が現れるのを分かっていたのかも……。だから、わたし達を救うために、龍明から……」

 

 自身らは救われたことを理解した二人。吹き荒れる稲富の地に残された空間の中、彼らは伝えきれないほどの感謝と共に、跳び立った紅を見送った。

 

 

 

 

 

 五メートルほどの、真ん丸な石像のモニュメントに降り立つ稲妻。そちらへと振り向く黄泉百鬼が、三百メートルの巨体で見下ろしていくと、互いに遥か遠い瞳と瞳が、ぶつかり合った。

 

 ――瞬間、黄泉百鬼の全身から伸ばされた、意思をもった大木の根。それは大蛇の如く蠢くと、石像に立つ彼女へと襲い掛かる。

 胴体を貫こうとした、根の突撃。高速の攻撃が彼女へと繰り出されると、それをしっかりと確認していた彼女は身構え、次の時にも、自身を貫く直前と身を捻じっていった、全身を百八十度回転させた、不可解な回避。

 

 飛び込むように、前方へ。そして彼女は顔面を石像に擦り付けていくと、纏ったガスマスクから火花を散らせ、大の字となった姿勢で瞬間的な前進を行い出したのだ。

 開脚によって空けられた空間を通り抜ける、黄泉百鬼の攻撃。同時に襲い来る衝撃波が彼女のコートをはためかせると、広げた両手を石像へと食い込ませ、大の字の姿勢を前方へ押し出し、足を着いてからの、石像を食いこませた両手を持ち上げるように、驚異的な身体能力で一気に後方へと仰け反らせる――

 

 ――彼女から投げ出された石像のモニュメント。この勢いは発出と呼ぶに相応しく、豪快に投げつけられたそれは黄泉百鬼の胴体に撃ち込まれ、あまりもの衝撃でその巨体を揺るがしていく。

 すぐさま駆け出した彼女は、地面を蹴り出し、巨人の足に到達すると共に、垂直となっているそれを剛速のダッシュで一気に駆け抜ける。そうして瞬きもの瞬間に三百メートルの距離を走った彼女は、黄泉百鬼の顔面へと向かって、渾身の右拳を叩き込んだのだ。

 

 超人エネルギーで固められた、地盤を纏う表面。そこに亀裂が生じ、一部分を粉々に粉砕しながら殴り抜ける彼女。天に上った衝撃は暗雲に風穴を開け、わずかながらの光をもたらした。

 落下する紅。だが、黄泉百鬼の全身から飛び出してきた無数もの根が襲い掛かる。それらを視認することなく感覚で把握した彼女は、空中で華麗なる緩やかな回転を行うと、狂ったように次々と降りかかる根を足場にして、飛び移るように地上へと向かい出した。

 

 時に走り、時に滑り、時に跳んで、時に避ける。全てが鮮やかである身のこなしで大地に降り立った彼女は、そこから束となって降りかかった根へと手を伸ばし、その無数の先端を左手で掴み取ると、剛腕の力で引っ張ることで黄泉百鬼の身体から引きちぎってしまう。

 

 根本から抜かれ、その圧巻の怪力によって体勢を崩した黄泉百鬼。膝をつくことで、彼女との距離が一層と近付いていく。

 と、ふと耳にした音に、彼女は音の発信源へと振り向いた。――根が突き刺さる崩れた屋台の陰。そこでうずくまって泣きじゃくる、一人の少年……。

 

 彼女は飛び込み、少年を抱えながら、黄泉百鬼から離れるように駆け出した。そうして背を向けた彼女の様子を隙と見た黄泉百鬼は、有無を言わさぬ百数本もの根を伸ばすことで、圧倒的な数の連撃を彼女へと浴びせ始めたのだ。

 

 暗雲の陰りに染まる大地の中、無限に襲い来る、地面を貫くほどのパワーを持つ大木の猛攻。それを抱えられた肩越しで目撃していた少年が、絶望で顔を歪めていく。しかし、抱えられた絶対的な安心感で泣くことを止めると、今も高速で駆ける彼女の、ガントレット越しの手で頭を撫でられ、少年はなだめられることとなった。

 

 悪夢の如き光景。それらを掻い潜るよう、背にしたままの状態でアグレッシブに駆け回る紅。この安心感は絶対であることを少年は理解すると、次にも蹴り出しながら方向変換を始めた彼女は、スライディングをしながら、瓦礫となった建物の中へと思い切り突っ込んでいったのだ。

 

 思わず目を瞑る少年。――通り抜ける風の感覚で目を開けていくと、気付けば隣で抱えられた一人の男性が、ワケが分からないといった表情をして存在していた。

 二人を抱えた彼女は、まだまだ駆け抜ける。今も彼女の真横を貫く根が襲い掛かる、脅威の嵐に晒される中、アトラクションコーナーとして展開されていた遊具の集まり場へと彼女は訪れると、外の様子を覗き出してきた、潰れた巨大な風船の中で倒れ込んでいた女性が、形容し難い表情を見せていく。

 

 次の瞬間にも、倒れ込んでいた女性は、身に押し寄せた浮遊感と同時にして、その身体を上空へと浮き上がらせていた。

 いや、紅の彼女が伸ばした右脚に、彼女の身体が引っ掛けられていたのだ。怪我を負わせない力加減で、衣類に引っ掛けるようにして上空へと連れ込んだ紅の閃光。共に跳躍を行っていたようであり、引っ掛けた状態から一度と脚を離し、直後にも右脚の関節で女性の身体を挟むようにして持ち替えていく。

 

 上空へと逃げ込んだ彼女を仕留めるべく、狂い猛る黄泉百鬼の根が伸ばされた。高速で展開される数百のそれらだが、二人を抱え、一人を脚で挟んだ彼女による、空中での華麗な回転による身のこなしで次々と受け流される。時には余った左足で根を蹴っていくと、跳躍に跳躍を重ねたその勢いで、彼女は抱え込んでいた三人の人々を、遥か彼方へと投げ飛ばしていったのだ。

 

 あまりもの急なそれに、皆が揃えて悲鳴をあげていった。――ドスンッ。命にも関わるだろう高度からの落下を果たした三人が、暗転した視界と共に起き上がって自身らの無事を確認する。

 

 アトラクションコーナーから飛ばされてきたのだろう、巨大な衝撃吸収マットの上。三人がそこに落とされると、遠くへ飛んでいった彼らの無事を見届けた紅は空中で背を向け、根を沿うように黄泉百鬼へと走り出していったのだ。

 

 …………絶句。言葉を失う三人。じきにも彼らの下へと生存した者達が駆け寄ってくると、救われた少年はその感謝を大声に乗せて、戦う彼女へと響き渡らせた。

 

「あ、ありがとぉーーーー!!!! 助けてくれて、ありがとぉぉぉーーーーッ!!!!」

 

 ばたんっ。少年のすぐ近くに落ちてきた、一つのポシェット。それを見た少年が、「あ、ぼくのやつ……。助けてくれた時に落としたやつなのに……」と呟きながら拾っていくと、そこに挟まれていた一枚の鉄板を見慣れぬものと感じて、少年は取り出していく。

 

「……!! …………っっ!!!」

 

 少年は、目を輝かせた。それは、鉄板にめり込んだ一つの手形。右手であるそれは所々と刺々しい印象をうかがわせ、少年にとっては、先ほどにも頭を撫でてくれた“それ”のガントレットであることを、容易に理解することができていた。

 

 自分を助けてくれた救世主。それが残してくれた、生きる未来への希望。

 救助にやってきた地元の人間に連れられながら、少年は鉄板を抱えて再度と振り返っていく。……今もそこでは、襲い掛かる根を鮮やかに避け続ける紅の姿が映っていた――

 

 

 

 

 

 根を渡り、黄泉百鬼の頭部にまで上ってきた彼女。握りしめた右拳を構えて飛び出していくと、一直線を描きながら目標へと到達し、脅威ともなる右腕を振り抜いていく。

 それに対し、黄泉百鬼は自身の身体を即座に真っ二つと裂くことで、彼女の攻撃を回避していったのだ。空ぶりした彼女が三百メートル近い高度で身体を投げ出すと、真っ二つとなった断面から一斉となって這い出してきた根の束が、宿した超人エネルギーを注ぎ込んで彼女を叩き付けていく。

 

 地上へと一直線を描く彼女。すぐにもそれは大地との正面衝突を起こしていき、受けた衝撃で何度も地上を跳ねるように転がりながら、体勢を立て直していく。

 と、振りかぶられていた黄泉百鬼の右腕が、彼女へと迫っていた。これまでに踏み抜くだけだった破壊の行進は、その手を下すに値すると認めた破壊の対象へと繰り出される、成仏する魂さえも残さぬほどの強力な攻撃――

 

 ――向かい合う彼女。立て直した体勢で構え出していくと、眼前から迫るそれを避けるどころか、断固として動かぬ姿勢で右拳に意識を注ぎ、その一撃を繰り出していく。

 この瞬間にも、二つのエネルギーが爆発的な衝突を引き起こしていった。そこを中心として稲富の地を伝った、空間を揺るがすほどの大地震。

 

 生き残った建物は崩壊を始め、地を這う生物は頭を抱えて伏せるしかなくなる。中心地点から順番となって物体と足場が崩壊を始めていく中、全身全霊のパワー比べの結果が、形となって表れた――

 

 迸った亀裂は、地割れとも表することができた。稲富の地で形成された黄泉百鬼の腕はボロボロと崩壊し、これに巨体が仰け反る様子を見せると同時にして駆け出した彼女。

 巨人の脚を駆け、伸ばされた根へと飛び移り、彼女は巨人のその更に上へと上り詰めていく。そして、この極限とも言えるだろう、三百メートルをも見下ろす地点にまで到達した彼女は、宙に投げ出したこの身体で両腕を伸ばし、下へと向かうよう大気を蹴り出していくと、瞬間にして黄泉百鬼の肩に両手を食いこませ、次にも驚異的な身体能力によって、食い込ませた両手で黄泉百鬼の皮を剥ぐように、巨人の身体を回るよう下へ下へと大気を走り出していったのだ。

 

 高速の下りは、インコーナーを攻めるように全身を傾けながら駆けていく。まるで、木像の表面を剥いでいくような光景だった。それを、大気を走るという奇天烈な手段によって行っていく彼女の勢いに、黄泉百鬼はエネルギーを震わせた唸り声を上げていくことしかできない。

 

 巨人の右脚まで剥ぎ取り、肩から足元までめくれた表皮と共に地上に降り立つ彼女。と、その一瞬もの隙を突いた、もう片腕による黄泉百鬼の拳が降りかかる――

 刹那、彼女は手に持つ黄泉百鬼の表皮を、ありったけの力を注ぎ込んだ腕を引く動作で引っ張ったのだ。彼女へと引っ張られた表皮は、剥がされた跡が残る右脚をずらすように動かし始め、これによって体勢を崩した巨人は、転倒という形で三百メートルの巨体を宙へと投げ出していく。

 

 彼女は、更に表皮を引っ張った。後方へ、その更に後方へ。力いっぱい、全身全霊を込めて。

 身体の周囲を回るように剥がされ続ける表皮。そこに引っ張られる力が加わることで、この瞬間にも黄泉百鬼は、帯回しの要領で回転し始めたのだ。

 

 引っ張られた表皮が、次々と彼女の傍へ落ちていく。この間にも、空中に留まるような回転で身体を投げ出してしまった黄泉百鬼が唸り声を上げていくと、じきにも出発地点となった肩の表皮が彼女の下に到達し、それに伴い、黄泉百鬼の上半身も彼女の眼前にまで落ちてくる。

 

 ――引き絞られた右腕。ガントレットを装着した拳が照準を定めていき、踏ん張った両脚と、据えられた腰。全身の筋肉を総動員させ、渾身の一撃を溜めに溜めながら、彼女は中央に捉えた相手の顔面が迫るその瞬間を縫うように、驚異から織り成す全力のストレートを、黄泉百鬼へとぶちかましていったのだ。

 

 

 

 巨体を貫く、衝撃。震動が目に見える形となって空間に響き渡り、百七十九の身長から繰り出されたその一撃によって、三百メートルもの超大型黄泉百鬼は敢え無く後方へと吹き飛ばされていった。

 

 歴史を塗り替えるような、圧巻の一言に尽きる光景。大地に破滅をもたらしたその存在が宙を舞い、纏っていた稲富の地を上空に散りばめながら、それは山なりの軌道で、無人の街へと向かっていく――

 

 ――ズドォンッ!!!! 巨体が落下する轟音。戦いに終わりを告げるストレートに、彼女は終始もの無言を貫きながらも体勢を楽にしていく。

 ……というのが、彼女の中での筋書きだったのだろう。しかし、ふと巡ってきた違和感に彼女は佇み、落ちた黄泉百鬼の様子をうかがっていた。

 

 落ちた、という割には着地がわずかながらと早かった。いや、落ちたというよりは、“何かに押し留められた”、が正しかったのかもしれない――

 

 ――瞬間、自然発生した刃の山が、黄泉百鬼の全身を包み込んだ。

 それは、内側から食い破るように発生したと思われる。それでいて、あからさまに黄泉百鬼の意図した展開ではないことは明確であり、その証拠として、自然消滅を始めた刃の山の残像からは、内側から貫かれたそれによって塵となった、黄泉百鬼だった砂埃が風に乗って去っていく。

 

 ……じきにも、黄泉百鬼のいた方向から歩いてきた、一人の男性。百八十六もの背丈であり、雪のような柔らかい白色のショートヘアーと、白色の半袖シャツに、黒色のインナーシャツ。白色のパンツに茶色の靴で、かけていたサングラスをゆっくりと手で取り払いながら、距離を置くように彼女の前で立ち止まった。

 

「悪いな、最後の最後に横取りしちまって。でも安心してくれ。この様子はすべて、今も上空で飛んでいるステルス機能が搭載されたドローンによって、中継で放送されている。だから、この稲富の地に巡った災いを見事払い除けた大手柄は、変わらずにあんたのものだ。――それにしても、素晴らしいな、その力は。同じ超人であっても、あんたの力強い戦いにはついつい見惚れてしまうな」

 

 滑らかに喋る、男らしくも凛々しい声。手で取り払ったサングラスからは、この世の美麗を注ぎ込んだかのような美顔が現れる。

 

 透き通るような瞳が、彼女を真っ直ぐと捉えていた。……そして、先ほどにも黄泉百鬼にトドメを刺した、食い破るように現れた刃の山の正体。

 

 彼女は、無言を貫きながら彼と相対し続けた。一切と発することのない言葉をも必要としない、互いにのみ通ずる超人的な感覚のみで、眼前の存在を認め合いながら――


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