災厄が去った今、稲富には爪痕が刻まれし平穏が訪れた。
龍明の大都市から颯爽と駆けつけたのであろう、最南端の島に姿を現した、稲妻の手によって――
避難市民や地元のヒーローが、超巨大黄泉百鬼によって破壊の限りを尽くされた街に戻ってくる。皆が命の危機に瀕したことから、稲富に留まらず、こうして国そのものが滅びずに残る現状に、奇跡というものが実在することを信じたことに違いない。
脅威は去り、紅の閃光の出番もこれにて幕を閉じる。……と、通常であれば、姿を消した黄泉百鬼に合わせてその稲妻も跳び去るものだが、今回はその様子を一切と見せることなく、ある存在を目にしたことでこの場に留まり続けていた。
……稲妻である彼女と向き合うように佇む、一人の男性。雪のようなショートヘアーが特徴的である整った美形の彼は、かけていたサングラスを手で上へとずらしながら、今も対峙するかのような構図で交わし合う視線へと切り込んでいく。
「正直、俺一人では手が足りなかったんだ。俺の異能力でもあの黄泉百鬼を討伐できた可能性はあると信じているが、如何せん俺は市民の避難と誘導に専念をしていたもんだから、正直なところ俺一人でこの地を守れる気がしていなかったんだよね。だから、まさか稲富にまで駆け付けてくれた、あんたという最強の戦力に、俺は本心から感謝をしているんだ。……ありがとう、エクレール。あんたのおかげで、稲富とこの世界は救われたんだ」
手を差し伸ばす彼。それは距離を保たれた、代わりとなる握手だった。
それに対し、佇む様で眺めるのみの彼女。その様子に彼は、差し出していた手を流れるような動作で後頭部に回していきながら、セリフをしゃべり続けていく。
「自己紹介が必要かな? なら、ぜひともさせてくれないだろうか。俺は、“タイチ”というヒーロー名で活動をしている、『龍明超人協会直系』の、『レオンハルト軍団副団長補佐』を担っている、まぁ、割と名の知れた実力者という名目でやらせてもらっているもんだ。肩書が長すぎてピンとこないだろうけど、要は、俺は龍明超人協会の、会長、団長、副団長、そして副団長補佐の、上から数えて四番目のすごい人って認識でいい」
龍明超人協会直系レオンハルト軍団副団長補佐、タイチ。名乗るその様子はどこか適当でありながらも、その声音は至って真面目といった、適度に力を抜いた調子でそれらを話していく彼。それに対しても稲妻の彼女は動じない中、ふと彼が口にしてきた言葉に、彼女は耳を傾けていく。
「俺がこうして稲富に来ていたのも偶然でね。というのも、バックレて姿を消した部下が此処に来ているという情報を入手したもんだから、俺が直々に連れ戻すべく、わざわざここまで足を運んできたという経緯があったんだけどな。……ただ、そいつ、自分の分身を作り出す異能力を持っているもんだから、それにまんまとハメられてな。俺の追跡に気付いていたみたいなんだ」
「…………」
「それで、そいつを見失っててんやわんやとしていた内に、この騒ぎが起きたんだ。まぁ、ある意味ではここまで来た甲斐があったというもんだ。じゃなきゃ、稲富を起点に、この世界はマジで滅んでいたかもしれないからな」
サングラスを取り払い、右手の指にかけてから、それをくるくると回すようにする彼。と、ここで思い付いたように、続けていく。
「で、そんな大混乱と出くわした矢先で、エクレールという噂のヒーローとご対面ときたもんだ。いや実際に目にしてみると、本当に、あんたの中に宿る超人エネルギーの、その爆発的な力の数々に大層驚かされた。あぁ、実力は申し分ない。十分すぎる。ぜひとも、龍明超人協会に入ってもらって、正式なヒーローとなってもらいたいくらいさ。……ただ、爆発的ゆえか、少々と粗削りなところも見受けられるな」
「…………」
「あんたの力が強すぎて、周囲に被害が出てしまっているんだ。なにも、人を救うことだけがヒーローじゃない。自分の力と異能力の性質を十分と理解した上で、その力を上手く制御しながら、周囲に損害を与えないように立ち回って、問題事を解決する。俺らヒーローにはな、強さだけじゃなく、最小限の被害に留めるための努力も必要とされているんだ」
ちらっ。彼女を見遣る、タイチと名乗った男。いつ見ても一切と動じないその佇まいに、彼は次は何を喋ろうかと軽く頭を働かせていく。
と、そうして少しばかりと外した視線に、彼女は背を向け、そのまま驚異的な跳躍で跳び去ろうとする。それを見た彼は「あ、これだけは聞いてくれないか!」と端的に言葉を投げると、次にも、「これは、超人協会からの、あんたへと向けた忠告のようなものなんだ」の付け加えられた一言に、彼女は動きを止めていった。
すぐにも、彼は忠告ともなるセリフをしゃべり始めていく。
「あんたとしても、何かしらの目的を持って、組織に属することのない自主的なヒーロー活動に勤しんでいるんだろう。だけどな、超人協会に所属する人間として、あんたのような非正式なヒーローに活躍されてしまうとな、複雑な事情によって、下手すれば俺らがあんたを討伐しなくてはならなくなってしまう事態になりかねないんだ」
その眼差しは、本物だった。背中越しに感じ取れた視線から、彼の本気さを汲み取った彼女は足を止めて耳を傾けていく。
「そもそもとして、世間による善と悪の線引きは、その大きな力を持つ存在が、ヒーローであるかどうか、という大まかな括りの中で決められているんだ。例えるとな、”黄泉百鬼”はその強力な力で人類を襲う、排除すべき悪の存在に分類される。一方でな、”ヒーロー”はその強力な力で人類を救う、信じるべき善の存在に分類されるんだ。要は、悪者の怪物か、正義の味方かの問題だな」
「…………」
「で、あんたもその正義の味方の括りで戦ってくれているんだろうけど、これを全体的な、大まかな括りで見てみるとな、正式なヒーローではないあんたの立ち位置は、『強力な力を持っている』という共通点のみが一致する、善と悪の間に挟まれた、グレーゾーンの立ち位置に置かれていることになるんだ。――つまり、ヒーローではないあんたという存在は、強力な力を持つ、味方にもなり得るし、敵にもなり得る、信じていいのかどうかの判断に迷ってしまう立ち位置にある」
サングラスを回していた手は、動きを止めていた。それだけ彼は、口にする言葉の一つ一つに意識を集中させていたのだろう。
「今は、世間が友好的に見てくれていることから、それに免じて俺たち超人協会は大目に見ているだけなんだ。しかし、いずれあんたの立ち位置は、世間に大きな混乱を招く原因ともなるかもしれない。そうして引き起こされた問題事は、あんたと、俺ら超人協会の信用を落とす、互いに不利益を被る結果となる可能性がある」
視線だけで振り返るように、彼の言葉へと向いていく彼女。その間にも、彼はこの場をチャンスと見るかのよう、訴え掛けられるだけの言葉をぶつけるように彼女へと続けていく。
「超人協会は、自分達の信用を落とす要因となりかねないあんたという存在を、危険視している。それに、俺個人としても、ヒーローではないあんたの驚異的なその力が、いつ牙を剥いて民衆に向けられるのか。……そういった、『もしも』の可能性も、ヒーローではないあんたには常に付きまとっているんだ」
…………静寂。彼に対する返事の一つも飛んでこない空間。ただ彼女が彼へと背を向け続けていく中で、彼は最後に締めくくるように、そのセリフを彼女へと伝えていった。
「――ヒーローになるか、今の活動を辞めるか。別にこの二択を催促しているわけじゃないんだが、これからも活動を続ける以上は、そこら辺も考慮してくれると助かる。……という忠告さ。聞いてくれてありがとな。あんたも忙しいだろうに、すまないね」
ニッ。無難な微笑みも、彼の美形が後押しして〆の一括りになる。そうして区切りをつけた彼が口を噤んでいくと、そう時間を置くことなく彼女は動き出し、驚異的な身体能力で跳び立っては、瞬く間にその姿を消してしまった。
……残された彼。後頭部を掻くような仕草でその場に立ち尽くすと、次にも、とある確信を思わせる笑みと共に、清々しい様相でぽつりとそれを呟いた。
「……こりゃ、長い付き合いになりそうかもな」
稲富にもたらされた被害は甚大でありながらも、それは、国の予想を遥かに下回っていた。これも全て、驚異的な身体能力のみで事件を終息へと導いたとされる、赤き閃光の奮起によるものであることは明確だった。
ステルス機能が搭載されたドローンによる、事の全てを証明する映像。これは瞬く間にメディアで取り上げられると、この件によって、稲妻と称される彼女の知名度はより一層とうなぎのぼりとなる。
朝の番組から、夜の番組まで。ヒーローの活躍を追う特番だけに留まらず、深紅の衣を纏う彼女の姿は、ひっきりなしと映り続けた。そうして画面の中を縦横無尽と駆け回る彼女の姿は余すことなく晒されていき、中には、稲妻に助けられたという人間のインタビューや、その際に貰ったものとして一つの鉄板が紹介されていく場面も、決して少なくなかったものだ。
――最小に設定された音量で、口のみが動き続ける様を見せていく探偵事務所のテレビ。無音の中で真の情報が伝えられていく最中にも、アタシは事務所に訪れていた一人の依頼主を、ビルの出口まで見送るために外へと足を運んでいく。
外階段を下り、ビルの前まで移動してアタシはお辞儀をした。それを見た依頼者の主婦も一礼をしていくと、改めて、その言葉をアタシへと伝えてきたのだ。
「本当に、この度はありがとうございました。息子の行方だけでなく、息子の過ちを正すためにも、ヒーローの皆さまと掛け合って色々とやってくださったことを、協会の方々からうかがっております。どうか葉山さんにも、よろしくお伝えください」
「はい。またお困りでございましたら、ウチの葉山が相談に乗りますからね。……息子さん、更生できるといいですね」
稲富の件で、御用になった男性ヒーロー。正直なところ、出所も難しいんじゃないかとも思える今回の大罪は、本人に対してはそんなの当たり前だと怒りの言葉をぶつけたい反面、親御さんに対しては同情さえも抱いてしまう。
アタシは手を振って、依頼主を見送った。それからアタシは三階の葉山探偵事務所へと戻っていくと、そこでは事務机と向かい合い、書類の整理を行うユノさんの姿があった。
……事務所のテレビに映る、深紅のコートで暴れ回るその様子。ガスマスクで素性を隠した謎の非公式ヒーローを一目見て、すぐにもアタシは視線をユノさんへと戻しながらそれを口にしていく。
「よろしくお伝えください、だって」
「えぇ、しかと聞き留めたわ。――これを以て、今回の依頼は無事に終了ね。さ、それじゃあ私は早速、自分へのご褒美としてお出掛けしてこようかしら」
「バーに行くの? だったら、帰ってくるのは明日になるよね」
「私好みの素敵な女性がいたら、ね」
「程々にしなよ? アタシ、ユノさんが興奮するあまりに強い力を使っちゃわないか、いっつも心配してるんだから」
「ふふっ、ありがと」
ライダースシャツを肩に掛けるように持ちながら、足早な動作でアタシへと寄っては、この額に軽いキスをしてくるユノさん。それを受けてアタシが「んぎゃ」と驚き半分な反応を見せてしまうと、これに気分を良くしたユノさんは、恍惚といった表情でアタシを見遣って、玄関へと向かい出していく。
……と、そんなユノさんの外出を止めるかのように、アタシはそれを訊ねかけてしまったのだ。
「ユノさんは、ヒーローにならないの?」
ピタッ。止まる動作と、少しばかりと保たれた会話の間。少しして、ユノさんは視線で振り返るようにしながら訊ね返してくる。
「菜子ちゃんは、私にヒーローになってもらいたいの?」
「え? ……あー、んー。別に深い意味とかはなかったんだけど。その、ヒーローになるための力はあるんだし、何ならいっそのこと、ヒーローになっちゃえばいいのにって、思った」
「そう」
二文字を呟き、ユノさんはいつもと何ら代わりのない様子で歩き出すなり、この事務所から出ていってしまった。
……あ、え、それだけ? アタシは、呆然と立ち尽くすばかりだった。まさか、こんなにも素っ気ない返答で会話を切り上げられるとは思ってもおらず、ユノさんのことだから、アタシにちょっとちょっかいをかけるというか、セクハラまがいの発言をして会話の中身を濁らせるかとも踏んでいたのに……。
意外な返答で、容易く逃げられてしまった。
「……でも、ユノさんにヒーローは似合わないか。すっごい自由人だし、今のままの方が、ユノさんとしては心地が良いんだろうな」
自己解決。アタシは自分に頷いて納得してから、終わった業務に羽を伸ばし、解放感と共に録画してあった番組を再生しながら一人の時間を過ごしていった――――