ホグワーツ魔法魔術学校初代校長
__1998年5月2日
ドラコ・マルフォイは歓喜に湧く城の片隅で独り、宙を虚ろな瞳で捉えていた。大広間から爆発する喜びの声は、ドラコにとって死刑宣告も同じだ。闇の帝王、ヴォルデモートが運命の少年によって打ち破られた。
戦いの終盤、ドラコの両親は敵方である不死鳥の騎士団に寝返った。それはドラコの命を守るための選択だった。しかし騎士団と闇祓い達はそれを軽々しく踏みにじった。ルシウス・マルフォイとナルシッサ・マルフォイは他の死喰い人と同様に、杖を剥奪され縄で縛られてしまった。
5000万ガリオン、それが闇祓いの提示した命の値段だ。ルシウス達はそれに了承しドラコの命と引き換えに、全財産の大半をしめるその額を差し出した。そして、今に至るのだ。
だがその言葉を信用出来なかったドラコは慎重に開心術を行使した。結果は残酷であった。
魔法省はルシウスを始めとした死喰い人の、一族の資産をとうの昔に差し押さえていた。ドラコの命を救うための財産など、この時どこにも存在しなかったのだ。沸き立つ怒りすら虚無に消えるも、さらに開心術を行使した。そして見えたのがドラコを含めたマルフォイ家は今日中にも、絶望の監獄アズカバンに送致され、明日にも全員処刑されるという、紛れも無い事実だった。
大広間から飛び出した生徒達はドラコになど目も暮れず、口々に勝利を高らかに叫んでいる。
しかしそろそろ離れなければならないだろう。階段の向こうから、何かを激しく口論する闇祓いとマクゴナガル“校長”が近づいてくるのだから。
ホグワーツの8階、タペストリーの前、必要の部屋はそこにある。必要な物を願えば食べ物以外は何でも出てくるこの部屋、ドラコが願ったのは“何も無い事”だった。誰もいない、何も生み出さず、外界と隔絶された場所が欲しかった。
しかし、その部屋はドラコの願った部屋とは大きく異なっていた。空間は澄んだ灰色で、一歩足を踏み入れると全ての色が消え、白から黒の中間色だけで全てが整えられていた。
そしてそのモノクロの空間に溶け込むように、1人の少女が浮かんでいる。
ドラコと目が合うと、少女は心を見透かすかのごとく大きな瞳を向けた。その瞳は鮮やかに燃える赤で、色の無い部屋において唯一の輝きを静かに、不気味な魅力と共に放っている。
「誰かに会うのは、久しぶりね」
「君は誰だ………敵か、闇祓いなのか………」
少女は灰色の巻き髪を揺らし、音も無くドラコへ寄った。生きた人間では無いらしい、という事がドラコは理解した。ならばゴーストなのか。
「ゴースト、似ているけど違うかしら」
心を読まれ動揺したドラコは、咄嗟に閉心術を己にかけ、思考を閉ざした。しかし少女はその閉じた心を容易く開き、心の言葉を白日に晒した。
「敵意が無い事は理解してくれたようね」
「君は、この部屋は何なんだ」
「全て分かるから喋らなくても良いわよ。まあ、好きにしなさい。貴方の自由よ」
「質問に答えろ」
「あら、年上に対してその言葉遣い。スリザリン生として恥ずかしくないのかしら?」
どう見ても12歳程の少女から飛び出した言葉。彼女がゴーストならば納得もいくが、はっきりとそれを否定されたドラコは不安と混乱に陥った。
「貴方、魔法史の授業をちゃんと受けていなかったのかしら。絵の1つや2つは見たと思うけど」
「何の話をしているんだ。教科書?」
「ホグワーツ初代校長について習わないの?」
初代校長、その言葉はこの少女に最も相応しく無かった。なによりも、退屈な授業で習った記憶のあるホグワーツ初代校長は男だ。戦いで破壊されたがホールには銅像があった。そして今、ドラコがいる必要の部屋に置かれている像もそれだ。
ドラコの心情を読み取った少女の表情が一変した。暗い、絶望と怒りの顔。ドラコは少女に対して開心術を試みたが、見えたのは果てしなく続く闇の世界だけだった。
「そう………いいわ。なら教えてあげる。私こそ、ホグワーツ魔法魔術学校初代校長にしてこの部屋の主、アステリア・ホグワータよ」
アステリア、少女は得意満面にそう名乗った。ドラコは混乱する思考を統制しようと、丁度良く出現したソファに座った。
「初代校長というのは納得いかないが、必要の部屋の主というのは興味がある。この部屋に魔法をかけたのは君なのか、アステリア」
「アステリア校長と呼んでほしいところだけど、仕方無いわね。あとその質問は50点ね、この部屋がではなく、この私が必要な物を与えていたの」
「君が? アステリアが僕達の願った物を出現させていたと言うのか?」
「30点よ。貴方達の願いはきっかけにすぎないの。貴方達に必要だと、私が考えた物をこの部屋に出しているのよ。だから常に貴方達の願った物が出るわけではない、そのソファみたいにね」
ドラコは指先でソファを撫でた。確かに座りたいなどと思っていなかったにも関わらず、必要の部屋にソファが現れた。思考を読まれたことから、アステリアは開心術を使い、この部屋に出す物を考えているのだとドラコは結論づけた。70点、とアステリアが言う。不思議とドラコは冷静でいられた。外の世界に待つ残酷な現実から目を背ける事が出来たからだろうか。
その時、僅かにだが扉が揺れた。複数人の男が口々に叫んでいる。はっきりとは聞こえないが、ドラコにはその言葉が聞き取れた。それはドラコが“この部屋”にいると確信した闇祓い達の声だ。ならば両親は既にアズカバンへ送られる馬車の中だろうか、どんな顔をしているのだろうか、再び残酷な現実に引き戻されたドラコの思案が、扉の向こうを見つめるアステリアに伝わる。
「案外早く来たわね」
「何か………出せないのか。この状況を打開するための何かを………いやいい、何でもない」
「諦めつもりなの?」
「そもそも僕は悪人だ。強大なる悪の魔法使いに膝まづき、従った。殺人にも手を貸した、沢山の人を傷つけ不幸にした。なぜこの部屋に入ったのか分からないが、悪人に貸す手は無いだろ」
アステリアはドラコの頬を叩いた。正確に言えば実態の無いアステリアの手が、ドラコの頬を通り抜けて虚空に消えた。しかし、頬に熱い痛みが走り、ドラコは思わず左の頬を手で押さえた。
「ドラコ・マルフォイから100点減点」
「減点? 僕はアステリアの生徒じゃない」
ドラコの頬に再び熱い痛みが走った。
「貴方は私の生徒よ。ホグワーツの歴史が始まってから今日の
ドラコは大きく深呼吸した。新鮮な空気が身体に流れ込む度に、心が沈んでいく。
「アステリアが僕の先生ならば………なぜ、今まで助けてくれなかったんだ。僕がこの部屋であいつらの言いなりになっていた時、どうして止めてくれなかったんだ。もう、全部遅いんだ………」
アステリアは何も答えることが出来なかった。
ただ、ひたすらに小声で複雑な詠唱を繰り返しながら指を振り、床に魔法陣を描いていた。モノクロの部屋において、線は神々しい光で描かれる。
闇祓い達はドラコを捕らえんと、扉に魔法をかけ始めた。必要の部屋にかけられた強力な呪文が、10名の闇祓い達によって解かれていく。
絶望に嘆くドラコに、今度は痛みではなく温もりが広がった。真っ赤な瞳を震わせ、アステリアがドラコに手の甲を重ねる。未だ詠唱を続けながら、直接脳に語りかける事で2人は意志の疎通を可能としていた。騒がしさを増す背後と違い、目の前は暗く、穏やかで、魔法陣が眩く。
《もし貴方に覚悟があるなら、私に手を貸して》
「僕に何ができるんだ」
《私一人では出来ない事よ。1000と5年の時間では不可能でも、今からなら出来る。貴方が私の部屋を開いてくれたからよ、感謝するわ》
「………全くもって、話が見えないな」
幾重にも重ねられた魔法陣が、一際大きく輝いたかと思えば、それは球状に形を変えた。そして、アステリアが球の中心に触れる事で魔法が完成した。必要の部屋に現れたのは球体の時計。球面を覆う針は音も無く回っている。
「何をするつもりなんだ?」
「戻るのよ、過去に。歴史を変えるの」
「過去に戻る? 何を言っているんだ?」
「貴方の境遇を変えるには根本からやり直さないと駄目なの。今を何とかしても無駄」
「もう少し、分かるように説明してくれ」
「貴方がハリー・ポッターの代わりに英雄になるの。それで貴方も、貴方の家族も全て救えるわ」
ドラコは一歩ずつ時計に近づいた。伸ばした手に呼応し光が一層強まる。未知の魔法を操り、少女にしてホグワーツ初代校長を名乗るアステリア、自信に満ちたその声が高らかに響く。
「さあ、歴史を変るわよ」
「変えるって………いつに戻るんだ?」
「来ればわかるわよ、さあ早くして。私がこの魔法の構築に力を使ったから、この部屋の脆弱性が高まっているの。すぐにでも闇祓いが来るわよ。貴方が時計球の中心に触れれば、この魔法は真に完成する。迷ってる暇はないの、過去に戻らなければ貴方は死ぬのだから」
ドラコは困惑していた。闇の帝王が敗れ、家族は悪の魔法使いとして正義に断罪された。自分にも同じ運命が待ち受けている、しかしその運命を変えるチャンスが今、指先にある。理解出来ない状況、意味不明な言葉、常識外の存在。
「早くしなさい! この部屋が破られれば、私も貴方も終わるのよ。家族を救いたいのよね」
「………1つ、聞かせてくれ。本当にこれで歴史を変えて、運命を変えられるのか。僕が、アイツのように、ポッターみたいになれるのか」
宙に浮かぶアステリアはドラコの手首を掴んだ。初めて、はっきりと互いが触れ合った。そして、その掴んだ手が伸ばされていく。
「ホグワーツ魔法魔術学校の校長として、貴方の教育者として誓う。必ず、貴方の運命を変える」
その言葉を耳にした時、既にドラコの世界は白く光に包まれ、高低音の耳鳴りだけが聞こえた。
闇祓い達は何も無い普通の部屋に押し入った。
__1991年8月末
痺れるような電流が体を巡った。そこは必要の部屋では無い場所、しかし色は無いモノクロだ。
そして時の止まった世界にドラコとアステリアだけが存在していた。時と時の狭間に2人はいる。
喋ろうとしても声は出なかった。体を動かす事は出来ても物に触れる事ができない。そして過去の記憶と照らし合わせていくと、ようやく状況が理解出来た。ドラコは今、11歳の姿として存在している。全ての記憶を背負ったままにだ。そして今いるこの場所、目の前にいる少年。ドラコにとっての始まり、ハリー・ポッターと初めて出会ったマダム・マルキンの洋装店だ。
《これが、貴方の歪んだ運命の始まりかしら》
声が出ないドラコは、アステリアへの返答を心の中で話す事にした。慣れると便利な物だ。
《ここからやり直せと? なぜなんだ》
《時計球の副作用として時間を戻してから数分間だけ世界中の時間が止まるの、その間に説明するわね。知っての通り、ここは貴方がポッターと初めて会った場所。ポッターはまだ貴方という人間についてなにも知らないわ。でも、数秒後に貴方が話している内容を聞いて、貴方へ負の感情を抱く。そしてその負の感情はずっと消えないのよ》
《負の感情? なんでそんな事が分かるんだ》
《あら? 私に心を読み解く力がある事ぐらい分かっているでしょ? 前に、正しくは未来でだけどポッターが部屋に来た時に覗いたのよ。それと今とを照らし合わせたの。だからそれは事実》
《つまり、ポッターと仲良くしろと?》
アステリアは冷徹に肯定した。ドラコは苛立ちを覚えたが、飲み込むしかなかった。
《いい? 貴方の運命を変える上で重要なのは、貴方がヴォルデモートであるリドルを倒す事。それにはポッターと友好関係を結ばないと駄目》
《無理だ、ポッターと仲良くなんて》
《貴方の運命には、運命の少年が不可欠なの。それすら出来ないようなら、また同じ未来よ》
止まった世界、揺れる心、あくまで自分のためだとドラコは心の奥底で決めた。ならば、ドラコはアステリアの姿をハリー達に見られるのではと心配した。しかし、アステリア曰くドラコにしか見えず、ドラコにしか聞こえない、らしい。
アステリアが指を折りカウントダウンをする。
5秒後、世界に色が戻った。そして、ドラコの新しい運命も動き出したのだ。ドラコはそれまで話していた話題を切り上げ、ハキハキと明るく笑顔でハリーの方を向いた。
「もしかして君、ハリー・ポッターかい?」
「うん………そうだよ」
ドラコは初めて、ハリーに対して友好的に話しかけ、握手を求めた。これが、第一歩である。
「僕はドラコ・マルフォイ。よろしく」
アステリアはその始まりの光景を満足そうに、じっと眺めて微笑んだ。