__1991年9月1日
__キングズ・クロス駅 9と3/4番線ホーム
ルシウス・マルフォイはここ数日での、息子の変化に戸惑いを隠せなかった。端的に言えば、妙に落ち着いていて物静かだ。以前は自分に似て、自信と力に満ち溢れていた。だが今はそうではなく、まるで憂いを帯びた青年のように見える。
「ドラコ、何か不安な事でもあるのか」
「いいえ父上。何も不安ではありません」
「そうか。だが学友はよく選ぶのだ、マルフォイ家と語り合うに相応しい人間を判別しなさい」
「………例えば、どのような人間でしょうか」
「無論、純血を誇る者だ。しかし、純血と言えども堕落した者とは関わるな。そうウィーズリー家のような、隣に立つだけで品位が下がる家の人間とは決して、慣れあってはいけないのだ」
無言の肯定で答えるドラコの肩を、ルシウスは自慢げに叩いた。だが、今のドラコは不安で満たされており、マルフォイ家没落の要因となった純血主義の話にも無言による否定で答えていた。何も知らぬルシウスは、何も知らせぬドラコを汽車へと送り出した。汽笛が鳴り、煙が立ち込める。
とても不愉快だ。
ロン・ウィーズリーは揺れるコンパートメントの中で、窓の外を見ながらふてくされた。なぜならあの、ドラコ・マルフォイがいるからだ。あのドラコ・マルフォイが、あのハリー・ポッターと仲良さそうに話している。ありえないと。
ロンの父であるアーサーとドラコの父、ルシウスは魔法省において同僚だ。しかし力関係は大きく異なっている。ルシウスはいつもアーサー、ひいてはウィーズリー家を嘲笑していた。その息子のドラコもロンの事を見下していた。今までは。
そのドラコが自然な笑顔でハリーに話かけている。ハリーにホグワーツの事を教えている。それは僕の役目だというのに、とロンは思った。ロンはドラコの笑顔を疑った。きっと裏がある。早くこいつの本性を知らせなければならない、ハリーと真の友情を結ぶのはお前じゃない、僕だ。ロンは心の奥底で固く強く決めた。
ハーマイオニー・グレンジャーは、目の前で繰り広げられる友情合戦など気にもせず、ただ静かに読書を楽しみたいと、3人へ告げた。ドラコはハリーに挨拶をし、自分のコンパートメントへと戻っていった。静かな客車に車輪が唸った。
鋭い汽笛と黒い煙が流れていく。ドラコは席にもたれると溜め息をついた。あまりにも疲れてしまったからだ。7年間嫌っていた人間と仲良く話すという事の大変さを味わい、また溜め息をする。
一方のアステリアは、初めて現実的に乗る汽車に対して興奮を隠せず、見た目相応に無邪気に楽しんでいた。それもドラコの疲れを助長したが、何よりもアステリアが出会う人間全員の心情を正確に述べる事が、一番の苦痛だつた。
「貴方って大勢に嫌われているのね」
「そんな事は分かっている。僕には味方か、敵かしかいない。友達なんてずっといなかったさ」
「ポッターとはお友達になれそうかしら?」
「無理だ、
「それ以上に、お隣のウィーズリーが面倒ね。貴方、これまでにどんな事を言ってきたのよ」
「ノーコメントだ」
「………子供とはいえ、傲慢な事を言っていたのね。それじゃあ、あれだけ嫌われるわよ」
ドラコがどれだけ拒絶しようとも、アステリアは容赦なく心の奥底を見透かす。憂鬱な気分に浸ったままに、汽車は終着駅のホームに止まった。
改めてくぐる、ホグワーツの門。
前は何も感じなかったが、その外界と隔絶する威圧感はドラコに僅かな緊張をもたらした。
「ドラコ、いつもと違うぞ」
「何か変なものでも食べた? 落ちてたのか?」
食べ物の事しか頭にない2人と話す事すら、今のドラコには面倒であった。彼らとの間には友情など無く、その最後が薄らな記憶として蘇る。炎の中に消えていったあの声が、不意に消えたあの声が足音に紛れる。アステリアは今も食事の話題に時間を費やす2人を白けるように見ていた。
《あれが貴方の味方なのかしらね》
《もう、味方でもないさ。親の付き合いの延長でしかなかったのだからな》
《次は、もっとまともな味方を作りなさい》
《スリザリンの全員が味方で、残りは全て敵だ。簡単な事だ、選ぶ余地も無い》
ドラコはアステリアに返答を求めたが、その小さな口が開く事は無かった。まるで何かを深く思案しているかのごとく、無反応だ。既に日も暮れて闇に浮かぶ灯りと、何も知らない無邪気な1年生を見ながら、ただ周りと同じように歩く。
「おいドラコ、聞いているのか?」
無反応なのはドラコも同じだった。チョコレートやらビスケットやらを絨毯の床にこぼしながら、ビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルが話しかけていた事にようやく気づいた。
「なんだ。あと、キレイに食べろ。そもそも食べるな、どうせすぐにご馳走が出るんだ」
「そう、その話だよ」
「違うだろゴイル。クミワケの話だよ」
「そうだっけ? 聞いていなかったよ」
「ドラコはどこの寮が良いと思う?」
記憶が正しければ、前の組分けの際にも同じ質問を受け、同じ感想を抱いた事を思い出す。それは無意味で愚かな質問だ。なぜなら、スリザリンに入るの事は決定事項だからだ。もしもそれが叶わないなら、ドラコはルシウスからブラック家末代の話を何度も聞かされていた。沈黙するドラコに対して、クラッブとゴイルは口々につばを飛ばしながらビスケットとクッキーはどちらが美味しいかなどと語り合っていた。前方ではロンがハリーへ寮の話をしている。正確に聞こえずとも、その内容をドラコは知っていた。グリフィンドールがいかに素晴らしく、スリザリンがいかに劣悪かの話をしているのだ。もしも、歴史を変えれば寮に対する偏見も変わるのだろうか。いまだに無反応のアステリアと同じように、背後の低質な論争を無視してドラコは思案した。
ABCの順番に名前が呼ばれる。組分けは前と同じ結果をなぞっていた。1人目アボット・ハンナはハッフルパフ、ハーマイオニー・グレンジャーはグリフィンドール、クラッブとゴイルは当然にスリザリンだ。
これまでと変わらない。何も問題はない。そうドラコは自分に言い聞かせた。アステリアは未だに無反応を貫いている。手足の痺れ、喉の乾き、様々に湧く歓声と反比例する心。
──なぜ、こんなにも不安なのか? ただ帽子をかぶるだけの答え合わせに。なぜアステリアは何も言わないのだろうか、僕の心を知りながら。
「………ドラコ・マルフォイ!」
ただ前を向いて歩くと、ドラコの視界にホグワーツの教師たちが見えた。不遜な顔の魔法薬学教授セブルス・スネイプ。ビクビクとターバンを震えさせながら、その実この時点で闇の帝王に体を支配されているクィリナス・クィレル。長く巻かれた羊皮紙を手に持ち、ドラコの名を叫んだ厳格な魔女ミネルバ・マクゴナガル。
そして奇妙な模様の帽子をかぶり、生徒1人1人を輝く瞳で見つめ、今もドラコをじっと見ている魔法使い。ドラコがこの世で3番目に嫌いな人間でホグワーツの校長、アルバス・ダンブルドア。
ダンブルドアはドラコと、その隣に浮かぶ少女の姿を見ると、目を細めた。まるでその存在を前から知っていたかのように。
そんな事など露知らず、知る余裕もなく、帽子の待つ席へドラコは座った。
初めは騒がしかった大広間も、今は殆どすべての生徒が固唾をのんで前を見ている。ドラコのために、5分近く何も言わない帽子のために。
組分け困難者、寮の決定に5分以上を要する者の事を言う。その場合、帽子は新入生と話し合いながら最適の寮を決める。だが、ドラコにかぶせられた帽子は沈黙を貫いている。そのドラコの耳に微かだが、声が聞こえた。それは5人の魔法使いと魔女の重なり合った声だった。
《な………が問題なの………しら》
《この生………はス………ザリンだと決………っている》
《どうやっ………部屋を出た………は知りませんが貴方………邪悪………す》
《私は………だドラコを救いた………だけよ》
《そ………は嘘だ………う 騙………ると思った………か》
《貴方………は所詮は………影 私………は勝てない》
それきり、声は聞こえなくなった。
10分が経過した頃だろうか、いつの間にかドラコの隣にはアステリアが戻っていた。その表情はどこか晴れやかで、どこか沈んでいる。
《どこに行っていたんだ。これはなんなんだ》
《貴方には申し訳ないと思うわ。でもこの選択が貴方を救う日が必ず来るから耐えなさい》
言葉の真意を探ろうと、アステリアの顔を凝視したドラコ。頭上の帽子は複雑怪奇に、誰も聞いた事の無いような声でドラコの寮を叫んだ。
「グリフィンドール!」
大広間を包んだ最大の静寂。数名の生徒が形式的に拍手をするだけで、誰も何も発さない。生徒は勿論、教師陣も、ドラコ本人も現実を理解出来ずにいた。ダンブルドアだけが、変わらぬ表情でマクゴナガルに続きを指示している。
呆然とグリフィンドールの席に座ったドラコには、隣にハリーとロンが座った事を意識する余裕が無かった。まるであの時の、必要の部屋と同じモノクロの世界が広がっていた。当然、食事も喉を通らない。空腹であった事も忘れていた。
ダンブルドアが1言2言話し、会は閉じた。
グリフィンドールの監督生にしたがい、階段を登って談話室へ入る。地下にあるスリザリンの寮とは装飾も形もまるで違っていた。ドラコの部屋はハリーやロン、そしてネビル・ロングボトムと相部屋だ。しかしこの晩、ドラコがベッドで寝る事は無かった。ロンやネビルが極端にドラコと同じ部屋で寝る事を嫌がったのだ。ロン曰く、夜中に父親譲りの呪いをかけるに違いないから。ロンがその発想にいたったのはごく自然なプロセスによるものだ。かつてのドラコなら、こう言われれば本当に呪いをかけていただろう。しかし、今のドラコはそれ程子供でも無く、まだモノクロ世界を見ていた。なのでロンが手痛く傷を負うことは無かった。傷を負ったのはドラコの方だ。
寝るに眠れず、ドラコは窓の外に輝く星を眺めながら自分の杖を見つめていた。
「………手紙は書かなくていいのかしら」
「手紙?」
「両親への報告の手紙。前に入学した日は書いたでしょ。レターセットはいるかしら」
アステリアが杖の代わりに指を振ると上等な箱に収められたレターセットが現れた。アステリアは必要の部屋の主であるという事を思い出す。
「………………今のホグワーツにある必要の部屋はどうなるのかですって? 今、あそこには何の部屋も無いわ。でも問題無いわよ、増やすのだから」
「増やす、どういう事だ」
「私と同じ私をあの部屋に置くの。でないと歴史を修正するどころか、狂ってしまうわ」
「今、ホグワーツには君が2人いるのか?」
「貴方、疲れているのか思考が鈍いわね。分身と言えば分かるかしら。さして難しくもないわよ」
──それで?
上目のアステリアに月光が降り注ぐ。灰色の髪も、薄ら透き通る白い肌も、闇の中でも光を失わない赤い瞳も、全てが柔らかく明かりを
「手紙は書かない、いや書けるわけがない」
「それは、貴方の父親が今朝言った言葉から?」
「それだけじゃないさ。少なくとも僕の口からは何を言えばいいのか分からない」
「いずれ、いいえ直ぐに知ると思うわよ」
「分かっている。ただ、僕の手で両親を苦しめたくない。そんな歴史を作りたくないんだ」
「未来は分からないわよ。変えた歴史の先に何があるのかなんて私にも分からないわ」
暖炉の温もりを受けながら、ドラコは談話室の中央にあるソファにもたれ目を閉じた。眠るにはまだ脳が興奮しすぎている。
「ねえ、1つだけ教えなさい」
「僕が君に教える事なんてあるのか」
「何故、貴方“怒っていない”のかしら」
その問いにドラコは答えを出さない。アステリアは当然としてドラコの固く閉ざされた心を覗く。
「覗かれるくらいなら話す。話すが上手く言葉に出来ない。だから答える事は無い」
「………………貴方、グリフィンドールに憧れを持っていたのかしら? 貴方はそう思わなくても、深く心の奥底ではそう思っていた」
「グリフィンドールに憧れを? ありえない。僕は誇り高きスリザリン生だ。君はあの時、組分け帽子に何をしたんだ?」
今度はアステリアが答えない。ドラコの開心術ではその闇の向こうを見る事が出来ないのだ。
「………………納得なんて出来ないわよね」
「本当に僕がグリフィンドールに入る事が、僕にとって必要な事なのか? それで歴史が変わると思っているのか? やはり、不自然だ」
「………不自然ですって? 貴方、何を考えて………」
「何故、僕がグリフィンドールに入る事が必要だと思うんだ。何を知っている、何が目的だ」
「貴方の歴史をやり直して運命を変えるのが私の目的。あの時、そう誓ったのだから」
ドラコに生まれた
「もう1度言うわ、私は貴方のために過去へ戻ったの。グリフィンドール生のドラコ・マルフォイがトム・リドル、ヴォルデモートを倒す。全てはそのためを納得いかない事もあるでしょうけど」
「そして、私を信じろと? 無理だ、この現実すら信じていないのだから」
その時、アステリアが小さく指を鳴らした。
その数秒後にドラコは強い睡魔に襲われ、瞳を閉じざるを得なくなった。一種の睡眠魔法だ。
──流石に椅子に寝たままでは可哀想かしら。
教師心か、アステリアはドラコを浮かばせると、ベッドへ運んだ。そして寝息を立てる生徒達の姿を見て暗がりに微笑みを浮かべた。
──おやすみなさい、私の可愛い生徒達。
誰にでもなく、誰にも聞こえず、呟く。そして、静かに指を鳴らした。白い
眠ることの無いアステリアは、再び姿を見せた月が出す光の輪を見上げて朝を待つ。
早朝、ドラコは夢を見た。何か恐ろしくも悲しい夢を見た。ハリーも夢を見た。笑い声と叫びと鳴き声が響く夢を見た。そのどちらも緑色の閃光に消え、気づけば全てを忘れて目を覚ました。
グリフィンドール寮生、ドラコ・マルフォイの1日はこうして幕を明けたのだった。