新学期が始まり1週間が経過した。
ドラコはここ数日、毎日図書室へ通っている。
決して不真面目なだけではない。今のドラコにとって1年生向けの授業が退屈すぎるのだ。
《アステリア》
ドラコは簡単な魔法薬のレシピが載った本に指をなぞらせながら、禁書架を覗き回るアステリアに話しかけた。勿論、心の中でだ。
《何かしら。欠伸の薬ぐらい1人で調合出来ると思うのだけど。材料なら相談に乗るわよ》
《違う、その話じゃない》
《………………クィリナス・クィレルについて?》
《話が早くて助かる》
クィリナス・クィレル、闇の魔術に対する防衛術の教授。そして、闇の帝王の命を受け、暗躍する闇の魔法使いだ。
ドラコはこの年、ホグワーツで何が起きたのかを知っている。それによってスリザリンが久方ぶりに学年末の敗北を味わった事も覚えている。緑に飾られた大広間が赤く染め上げられる、悪夢のような光景が目に浮かんだ。
闇の魔術に対する防衛術。通称、闇魔術防衛の授業初回は、この1週間で最もドラコが集中した授業となった。クィレルが後ろを向く度に、そのニンニク臭を振りまくターバンの中にいる、闇の帝王と目が合うように感じたからだ。
闇の帝王が開心術に長けている事を、ドラコは警戒していた。もしも気づかれたならば、もしもドラコの目的を察知されたら。本の表紙に置いた指が冷たく汗ばんだ。
《私の存在にクィリナスとトムが気づいているか気になるというわけね。残念な事にどちらとも言えないわ。つまりは明確な事が言えないの》
《君の力を持ってしてもなのか?》
《まず、トムに開心術を使うのは無理ね。少なくとも今のトムには使えない。なぜって心も身体も無いから難しいのよ。クィレルは読み取れたわ。
あの石の事で頭が
《クィレル教授が僕を警戒だと?》
《貴方がグリフィンドールに分けられた事に起因すると思う。何か変だと感じているみたい》
《………それについて聞きたい事がある》
アステリアはその瞬間ドラコを無視した。そして即座に話題を強引に変え、何事も無く取り繕う。
ドラコは徐々に、自分がグリフィンドール生である事に慣れ始めた。ドラコ自身はそう感じているのだが、実際はアステリアに都合の良く思考しているだけだった。そしてその都合が悪くなろうとする度に、それは修正されていた。
カビとホコリの混じった臭い。
部屋は薄暗く、冷たく、そして湿っている。
セブルス・スネイプの授業は多くの生徒が、特にグリフィンドール生に嫌われていた。それは、内容が高度な事や部屋の雰囲気にもよるのだが。一番の理由としてはスネイプがスリザリンを贔屓にしがちだという事だろう。
威圧するかのごとく靴音を立てて石造りの教室へ入ったスネイプは、初の授業にざわめく生徒達を3秒間無言で見渡した。それだけで部屋は静寂に包まれる。そして、蛇のような目をハリーへ向けると早口に質問をした。そのどれにもハリーは答える事が出来なかった。唯一、ハーマイオニーだけが手を上げるがスネイプはそれを無視した。
ノートに走る手が止まりかけた頃、スネイプはもう一度質問をした。今度はドラコに向けてだ。
「アッシュワインダーの卵はどのような魔法薬の原材料として有効的であるか?」
ハーマイオニーが勢いよく手を上げる中、ドラコは毅然と、自身を持って答えた。
「愛の妙薬です」
「………トモシリソウ、ラビッジ、オオバナノコギリソウの効能はは何か答えよ」
「どれも、強力な錯乱及び混乱作用があります」
スネイプは一瞬、眉を吊り上げてまた元の
「命の水、手中の黄金郷、これは何を指す」
賢者の石、そう答えようとするドラコの口に指が当てられた。アステリアは片方の人差し指を振りメッセージを伝えた。答えてはいけないと。
「いいえ、分かりません。何ですか?」
スネイプは逆質問を無視して授業を始めた。
その後は何事も無く時間が過ぎた。しかし前と大きく違うのは、ドラコが褒められない事だ。
「諸君、見たまえ。ブレーズ・ザビニが完璧に茹でた角ナメクジを。スリザリンに10点」
「スネイプ教授。僕も同じ程に、いやそれ以上に出来よく茹でたのですが」
「ふむ、少し茹ですぎて色が黒ずんでいる。何を根拠にした自信か知らないが、論外だ」
その時だ。ネビルとシェーマス・フィネガンの釜が火を吹き、ドラゴンの息吹のような音を出して燃え上がった。そして溶けた窯から溢れた緑色の液体を被ったネビルは、全身に醜いでき物を作り痛そうに
「愚か者! 大方、針を入れたのだろう。早く、医務室へ連れていくがいい」
シェーマスはネビルの肩を支えながら教室を出ていった。ネビルが一歩足を進める度に、痛い熱いと言うので中々思うように歩けない。まるで角ナメクジのようだとスネイプが言うと、ザビニは弾けるようにわざとらしく笑い上げた。
「さて、ポッター。なぜ針を入れてはいけないと言わなかった? その方が自分をよく見せられると感じたな? さらに1点減点だ」
前は愉快でたまらなかったこの光景も、今は自分の寮が理不尽に減点されているため、ドラコには不快感しかなかった。そして、セブルス・スネイプという教師への不信感は募るばかりだった。
「そして、ドラコ・マルフォイ」
ドラコの不信感は頂点に達した。
「君は随分、知識豊富らしいが。なぜ、ネビルやポッターに教えなかったのだ? 3点減点」
呆気にとられるドラコへ歩み寄ったスネイプは、机に広げられたノートに目を細めた。獲物の油断を見逃さない狡猾な蛇の目。
「ほう、欠伸を抑える薬。それ程に私の授業は退屈で眠気を誘うものだったか。ならばもう5点減点だ。そして、後日罰則を設ける」
「スネイプ教授、これはそういったつもりでは」
「いつの時代も、“昔から”グリフィンドールには目立ちたがりの
スネイプはゆっくりと、ハリー、ハーマイオニーそしてドラコへ視線を移した。ザビニの笑い声がスリザリン生の嘲笑に一際響く。
「さて、自惚れていない者のためにも授業を再開する。教科書の23ページを開け」
ドラコの心はこれ以上無いまでに打ち砕かれた。
スネイプは学生時代、ホグワーツにおいてドラコの父ルシウスの後輩であった。
なのでスネイプはルシウスに恩義を感じており、その息子のドラコは他とは違う扱いを受けるはずで、実際に前はそうだった。
しかし、そのスネイプからの冷遇にドラコは深く深く傷ついていたのだ。何もスネイプに嫌われたくないわけではない。自分の力や立場がその程度で変わってしまった事に傷ついたのだ。
今日の授業は終わりだ。退屈な午後をどう過ごすか考えていると、背後から意外な声が届いた。
「ねえ貴方、ドラコ・マルフォイ………よね?」
ハーマイオニーは髪の毛を揺らしながら、ドラコへ照れ混じりに話しかけた。一方のドラコは気怠そうに、やや苛立って振り向いた。穢れているとは思わなくとも、嫌いは嫌いだからだ。
「何の用だ。これ以上目立つなとでも?」
「えっと、ノートを見せてほしいの」
「魔法薬学のか。別に構わないが」
「ありがとう。ああ、綺麗な字ね」
ハーマイオニーは、ドラコが書きこんだ欠伸を抑える薬の調合法をざっと読むと、また照れ混じりにはにかんでノートを返した。
──気持ち悪い。
ドラコの素直な感想だ。ドラコには、ハーマイオニーの行動が意味不明であった。
「私もこの薬を作ろうかと思っているの」
「グレンジャー、君が?」
「ええ。私、1年生の授業範囲は全部予習してしまったから。この1週間がつまらなくて」
ドラコは横目にアステリアを見た。無言の目配せを受け、気怠げにハーマイオニーを向く。
「君、調合道具を持っているのか」
「他の先生に聞いたら、スネイプ先生が貸してくれると言っていたけど。どうなのかしら」
「今日の授業を受けて、まだそう思うのか」
ハーマイオニーは確かにそうかも、と視線を上下させた。《何個でも出せるわよ》とアステリアがうるさく言うので、ドラコはさらに苛立ちつつ、後日ハーマイオニーと魔法薬を調合する事に承諾した。ドラコが心の中でハーマイオニーへ毒づく度に、アステリアはそれを叱ったからだ。
それじゃあまたね、と小走りで去る背中を静かに溜め息をついて見送ったドラコ。ソファは出ないとかと問うと、アステリアは宙に腰を置き指を振った。
「ドラコも成長したのね」
「………こうするのがベストなんだろ」
「心では思っていても、口で言わなかった事を褒めているのよ。今のスリザリンではあんな言葉が流行っているの? くだらないわね」
「穢た血がそんなに悪い言葉なのか」
アステリアはその大きな紅玉の瞳を、瞬きもせずにドラコへ向けて徐々に細めた。
「血筋に誇りを持つのが悪い事か?」
「血筋に意味がない事を貴方は今日思い知ったはずなのだけど。それ程、あの子が怖いの?」
今度はドラコが冷たい瞳を見開いた。
「子供みたいな嫉妬と憧れを大人になっても引きずって、自分の気持ちに蓋をしているのは愚か。そうは思わないかしら。これってチャンスよ」
「僕には目の前の全てが失敗に見える」
「幸いな事に、ハーマイオニーは貴方に敵意や不快感をそれ程抱いていない。むしろ、好意ね」
「好意? ゴメンだね。敵意の方が楽だ」
「仲良くしなさい。これは貴方のためだから」
「穢れたあいつと仲良くなんてしない」
「本当に
「彼?」
「ロン・ウィーズリー」
夕闇に溶けるその笑顔は狂気を帯びている。
禁じられた森に程近いハグリッドの小屋。
ハリーとロンはロックケーキと格闘していた。
「だから、アイツに騙されちゃ駄目なんだって」
「さっきから言ってるアイツってドラコの事?」
「ド ラ コ! 君はマルフォイがどんなに嫌な奴かって知らないんだ。僕は知っている」
しかし、ロンがいくら説明しようともハリーにはドラコがそれ程悪い人間には思えなかった。ただ色々な事を常に考えているのだろう。ロンが熱弁するドラコの悪どい点と、ロックケーキを天秤にかけたが針はどちらにも触れない。目の前の机に置かれた新聞に心を奪われていたからだ。
グリンゴッツから盗まれた物、小汚い包、それらの共通点は同じ日だという事。
ハグリッドはハリーと目を合わせない。もしも合わせれば、秘密を全て話してしまいそうだったからだ。そして、それは紛れもない事実だ。
1つ、今幸いな事と言えば、ロックケーキを食べている間だけはロンからドラコの悪口を聞かなくて済む事だ。ハリーは同じようにロックケーキを噛み締めながらそう思った。
ハグリッドだけがこの場において何も知らないふりをして大きな口に笑みを浮かべていた。
こうして、最初の1週間は各々が疲れるばかりに終わった。始まろうとしていたのは、古城に隠された秘密を巡る策略と陰謀である。