夢の中で自分は楽しそうにバットを振るう。
(違う…)
逃げ惑う人々の叫びを受け流し、手を折り、足を潰し、頭を砕く。
(やめてくれ…)
狂気を向けられながらも、その最後まで自分を信じてくれた仲間の声すら気に留めず、その思いを叩き潰す。
(もうやめてくれ!こんなことを俺は求めてない、望んでいない!)
しかしそんな俺の思いを虚しく、夢の中の自分は最後に幼い女の子に目掛けて、その狂気を振り下ろした。
「やめろおおおおっ!!」
布団を撥ね散らかし飛び起きる。
息を整えあたりを見渡した。そこには代わり映えのない、いつもの自分の部屋がある。
時計は朝の7時になる少し前を示しており、普段の自分の起床時間を考えればかなり早い時間である。当然アラームは鳴っていない。
「夢…?…嫌な、夢だったな…」
気持ちを落ち着かせるべく、窓を開けて雛見沢の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。外では既に小鳥が喧しく囀んで《さえずんで》おり、普段より早く起きた俺を出迎えてくれた。
「…よし、気持ちがだいぶ落ち着いたな。」
服を着替え、明かりのついていないリビングに降りていく。両親は仕事の都合で昨日から東京に行っており今はこの家に自分一人しかいない。
普段なら家から親がいなくなれば残された子供は有頂天になるだろうが、残念ながら今はそうはいかない。事実東京に出張することを知った俺は、初めは贅の限りを尽くし、父親が押し入れに隠している秘伝のお酒をほんのちっぴり呑み、そして頭を抱えた。そう、料理である。
一日限りであれば水だけを飲み、なんとかその日を耐え凌ぐという落ち武者の暮らしのような選択もあったが、あいにく今回の出張は最低でも数日間、長ければ一週間近くかかるかもしれないという。そんな耐久戦は不可能である。そこからは地獄であった。
米を洗うのに洗剤を使いそうになったり、野菜炒めで油の量を間違え家を燃やしかけたりと散々だったのである。
「ん?昨日野菜炒めなんか作ったっけ、俺…?」
あまりの燦燦たる状況に脳が勝手な武勲を作り上げていたようだ…
そして人類が初めて月にその1っ歩を踏み入れた時と比較しても遜色のない偉業が、今テーブルの上に眠っている。そう、今日の弁当である。
「まったく母さんたちもタイミング悪いよなあ。」
思春期の育ち盛りな息子を残して行ってしまった両親に、ついぼやいてしまう。
それは決して両親を快く思っていないという事ではなく、むしろ自分を育てるためにこんな素晴らしい土地を見つけてわざわざ越してくれた両親には感謝しか湧かない。…それを両親に伝えるというこっぱずかしいことは出来ないが…
冷蔵庫から食パンを数枚取り出し、トースターに放り込む。
「どんな夢だったっけな…」
食パンたちが自分においしく食べられる為にアツアツになるのを待つ間、手持無沙汰になった俺は今朝見た夢のことを考えた。
同じ内容は二度と見たくない、最低で最悪な夢だったような覚えがする。だが思い出せない。
「うーむ…」
牛乳を取り出し、すでに置いておいたコップに注ぎながら、なんとか思い出そうと自分の灰色の脳細胞に皺を寄せる。しかし自分がどれだけ思い返そう努力しても、いや、むしろ思い返そうとすればするほどに夢の内容がぼやけてしまう。
トースターから飛び出てきたパンを齧りながらテレビをつける。ニュースによるとどうやら今日は快晴らしい。
「いつまでもくよくよとしているのは俺らしくないな!」
椅子から勢いよく立ち上がり、最後に残ったパンを平らげて、気持ちを切り替える。
壁にかかった時計を見ればちょうどいい時間になっていた。
「よし、そろそろ出るとするか。」
靴を履き、ドアを開ける。
「んと、行ってきます。」
今は家に自分一人しかいないのだから当然この声に答えてくれるものなどいない。自分のそのような無駄な行いに苦笑しながら外に出た。
「いつもの慣れだもんなあ、しょうがないさ。」
誰に向かって話したわけでもない言葉は、暗い家の中に薄く消えていった。
「くぅ~、待ちわびてた昼の時間だぜ!」
「お~圭ちゃん元気がいいじゃん。よっぽどそのお弁当が待ち遠しかったのかい?」
昼休みのチャイムが鳴ったと同時にいそいそと教科書をしまい込み、机をみんなと合体させると、我らの部長の魅音が開口一番に話してくる。
「ああ、こいつは俺の渾身の快作、魂の籠った弁当なんだ。悪いが今回ばかりは部活でも渡せないぜ、魅音。」
獲物を狙う狩人の目つきになった魅音から我が子を守る親鳥のように弁当を自分の腕で抱きしめ、これから起きるかもしれない惨劇の未来に俺は抗議を示した。
「あはは、圭一くんは今日はじめてお弁当を作ったんだよね?よね?なら折角つくったお弁当さんを取っちゃうのは流石に可哀そうだよ魅ぃちゃん。」
レナから有り難い援護射撃を受けて優勢に立った俺は魅音に威嚇しながら弁当を開放する。ほんとうに今回ばかりはこの魂の力作を誰にも渡したくないのだ。って待て、レナのこの言い分じゃ、もし部活をしたら俺は一口も食べれないほどボロ負けするって事か??
「しかし、圭一さんがお料理を作られるなんて、明日はもしかしたら槍でも降ってくるので違いまし?」
黄色い小娘の発言を受けてカチンときた俺は意気揚々と弁当を広げる。
「言ったな沙都子?言っておくが俺様の最高で、スペシャルで、ベストな弁当を見ても驚くんじゃねぇぞ!」
「こいつが漢、前原圭一、その魂の力作だぁぁぁ!!」
「「「「…………」」」」
みんなからの沈黙が痛い。魅音は腹を抱えながら必死に笑うのを堪え、レナは生暖かい目ではにかんでいる。沙都子は関しては信じられない物を見たと言わんばかりに見開いている。おいこら、流石に失礼だぞ。沙都子
「みぃ、圭一が食べれる物を一人で作れただけえらい、えらいなのです。」
梨花ちゃんの優しい言葉が荒んだ俺の心に染みる。あぁ梨花ちゃんはほんとにいい子だ、ん?これ、褒められてるのか?
「圭一、多くを求める欲張りな猫さんは後でしっぺ返しを食らうのですよ?みゃーみゃー。」
心なしか俺から距離を取っている梨花ちゃんを見て悟った。どうやら俺の周りに味方はいないらしい。ガクッと肩を落とし落ち込んだ俺の前に、日の丸弁当が誇らしげに鎮座していた…
弁当を片しながら、昨日からみんなに聞くつもりだったことを尋ねる。
「なあみんな、このクラスにバットとかないかな?」
「…なんで?」
帰ってきた答えは予想していたのとは違う、重い調子の言葉だった。心なしか魅音の顔が暗い。
何か余計なことを聞いてしまったのかと後悔しながらも、一度聞いてしまったのだから突き進むしかないと思い、続ける。
「いやさ、先日の草野球で沙都子がすごいの決めたからさ、その男としては負けてられないなと思って素振りの練習でもしようかなって思ったんだわ。」
「それに興宮にバッティングセンターがあるみたいでさ、東京でもやってたから久々に行こうかなって、思ったんだ。」
駄目かな?と付け加え、みんなの様子を伺いながら、先日の草野球を思い出す。口八丁で投手の亀田を乱し、そこから勝機に繋げていくつもりだったのだが、沙都子のあんな素晴らしいものを見せつけられたら年上として、否、男として負けてられないと思うのは至極真っ当の事であろう。
「なぁんだ、そんなことだったのかあ。おじさん圭ちゃんがいきなり言うもんだったから何かと身構えちゃったよ」
「確かに沙都子のあのホームランは驚いたねぇ。うんうん。」
先ほどまで魅音にあった暗い雰囲気はすでに無くなっており、いつもの屈託のない明るい顔が戻った。
(よく分からんが、大丈夫って事だよな…?)
重い空気が無くなったことにホッと胸を下ろしていると、少し離れた所でレナが沙都子に何やら話しかけている。少し聞き耳を立ててみたい好奇心に駆られるが、わざわざこちらから離れて話している事を盗み聞きしようとするのは失礼だと一人納得した。しばらくすると沙都子は頷き、後ろの今ではだれも使っていないロッカーに何やら物を取りに行った。
ホントニダレモツカッテイナイノカ?
「圭一くんに今まで話してなかったことがあるんだ。」
オマエハイチドツカッタダロ?
頭の奥底から嗤い声が俺の頭を木魂し、奥底が焼けるように痛む。
アソコ二アルモノヲ、オマエハシッテイルダロ?
(知らない、知りたくない)
レナが何やら言っているがもうほとんど頭に入っていない。いや、入っているはずだがそのまま抜けてしまっている。
ダッテツカッテタジャナイカ?
背後で鳴っていた物音が止んでしまった。沙都子がアレを取り出したのだろう。
膝がガクガクと震え、全身から冷や汗が噴き出す。今ならまだ間に合うかもしれない。何から?…分かっている恐ろしいものからだ。脳が必死に逃げ出すように指令を送り続ける。なのに足は鉛のように重く、一歩も動かせない。
前をずっと見ていたのにも関わらずレナが怪訝そうな顔をしていることに気が付かなかった。その仲間を心配する顔ですら、俺を責め立てているように見える。
ねっとりとした「何か」がまとわりつき俺に語りかけてくる。
お前は知っている、俺が知っているはずがない、お前は覚えている、俺にそんな経験はない、そして忘れてしまいたかった。だがそんなことは赦されない。
沙都子がソレをもって俺に渡してくる。それと同時に手に、足に、顔に、体中に沢山の手が縫いつく。
アンナニタノシソウニ!!!!!!
一度思い出してしまったら、もう逃げられない…
レナの頭が歪み、俺を怨嗟の目で見つめている。
「圭一くん、痛かったよ、殴られた頭すっごく痛かったよぉおお!!」
「信じてたのに、最後まで信じてたのにいぃぃい!!」
レナから出される悲痛な言葉が胸に刺さる、当然だ。俺はそういわれるだけのことをしてしまった。
沙都子が持ってきたバットをはたき落とし耳をふさいで必死に謝る。
でも俺を囲む人影は赦してくれはしない。ひたすらに怨嗟の言葉を投げつけてくる。
もう耐えられなかった。異様に痒くなる首を掻きながら教室から逃げ出す。
どんなに全速力で走っても異形な人影は決して消えない、振り切れない。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ユルサナイ ユルサナイ
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
ゼッタイニ ユルサナイ!!!
グラウンドに出たところでふと手を見れば、さっき捨てたはずのバットを握りしめていた。
顔を上げると梨花ちゃんが目の前にいた。他の人影と違い、梨花ちゃんは何も言わない。
人影たちの叫び声が途絶えた。不思議とさっきまであった猛烈な痒みも無くなっている。静かになったことで少し安心すると梨花ちゃんは指を自分の頭に指した。
その瞬間全てのことを思い出した。エンジェルモートで自分がナニをしたのかが鮮明と頭に流れ込む。
その日昼に食べたものを全て吐き出す。魅音の弁当、うまかったのにもったいなあと場違いなことを一瞬思うも、止められない。胃の中が空になり、胆液すらも出し尽くした所で、また猛烈な痒みが始まった。
かゆいかゆいかゆいかゆいかゆい!体の中に蛆虫がいる!
皮膚を破り、喉を傷つけ手が血まみれになりながらも首を掻きむしる。
苦しい、たすけてほしい、でももうそろそろおわる。
前を向くと梨花ちゃんたちが来ていた。梨花ちゃんの手には注射器が握られている。
「…レナごめんな…さいごまでしんじてくれてたのに…ほんとうにごめん…」
レナの悲痛な顔がこころに痛い、でももう終わる。
「…みおんがあのばしょにいなくてよかった、しおんにもめいわくかけたってつたえて…くれないか…」
魅音泣かないでくれ、またもとに戻る。
「…さとこ、いやなところ…みせちゃって…ごめん…」
沙都子はうつむいていてどんな顔をしているかわからない
視界が霞む、せめて最後までいわせてほしい…
「…りかちゃん…、どうしてあんなことしたのか…、わからない…、でももうおわるから、ごめん…ごめんなさい…」
やっと最後まで言えた。さっきまで苦しかった胸の痛みがなくなっている。人影たちはもう見えない。みんなに謝れたからなのかな?
「私は許すから!貴方を許すから、だから死なないで!置いていかないで!圭一ぃぃ!」
泣いている梨花ちゃんが持っていた注射器を体に刺す。痛みはない、感覚がない。
「…なか、ないで…」
最後の力を絞って手を伸ばす、彼女がいつもしてくれているように今度は自分が頭をなでる。
「……あり、が…とう」
許してくれた梨花ちゃんに感謝の言葉をかける。だぶんこれが最後だから
意識が失う直前に走ってきた監督の姿が見えた気がした。
ほんとはもっと圭梨分強めにする予定だったのですが、気が付いたらこんなものになってしまっていました。
部活メンバーの誰かが黒幕なんてことにはならないでほしいなあ
あと沙都子の言葉遣いが難しくてぱちもの状態になってるかも…