それと同じ時、天界別動隊では指揮官ハムエルが地団駄踏んで悔しがる。
「くそっ、これではアサエルに怒られるな…… 欲をかき過ぎてしまった。ベルゼバブだけでも早いところ仕留めていれば良かったのに、策に溺れ、エサに使おうと思ったのが間違いだった。しかし異能を消されてしまうとは…… 今のは何だったんだ」
「そんな異能殺しなんて面倒なもの、予想できるわけないよ。ハムエルのせいじゃない。でもこれからどうしよう」
「どうもこうもない。嫌がらせの攻撃を途切れなく続けるだけだ」
ハムエルは問いかけてきたバラキエルに対してそう答えた。
絶好の機会をむざむざ失ったのは痛手だが、切り替える必要がある。
「異能持ちを斃すのが優先というアサエルの命令は達成できずとも、陽動として魔界城への牽制はきっちりやらなくてはならん。その後は情勢による。バラキエル、続けて
ここで猛将ハムエルは持ち前の積極性をやや減じることになる。
下級天使たちの数で波状攻撃を仕掛け、疲弊させ、ここぞという場面で自分が前に出て魔界城に突入するつもりだった。それで戦いに決着をつける。その未来図に自信を持っていたのだ。
ところが、魔界側には異能を滅する者がいた!
こうなると下手な突入による接近は戦術的に致命傷になる恐れがある。
ハムエルはその少年が敵味方の区別なく全ての異能を滅するのを知らないのだから、負けない戦いへ舵を切ってしまったのは仕方がない。
こうして魔界城の裏手は再び地味な攻防戦になった。
救出されたベルゼバブは重傷で、直ちに戦線復帰できる見込みはない。小さな顔をしかめて口をへの字にしたまま治癒に専念している。
その分わたしとウリエルが積極的に戦線維持をして回る。
何といってもソータ君がいれば戦いやすい。その異能
とはいえ天界別動隊の下級天使はまだまだ尽きてはおらず、その圧力は依然として半端ない。それを押し返し、魔界城から打って出るのは不可能というものだろう。
その頃、天界側本隊でも別動隊のことを話している。
「ハムエルはよくやってくれているが…… 牽制としては申し分ないものでも異能持ちを仕留められなかったか。ではぼちぼち頃合いかもしれないな」
そう言って天界側総大将アサエルはある決断をする。
予定されていた最終行動であり、たった一人の者にこのタイミングで出動命令を伝える。
「実は
「アサエル、ここにいるよ……」
「そろそろ向かってくれ。いったん惑わすから、その隙に頼む」
この時点では魔界城正面の戦い、つまり天界側本隊と魔界側主力の戦いもまた一進一退になっている。
魔界側の総大将ルシファーはやはり全体の統率者らしく戦線を飛び回り、その弱いところを補強し、決定的な綻びになるのを防いでいる。
守勢を整える役割がそれとすれば、攻勢を担当する主力は熾天使ガブリエルとミカエルになる。
二人は魔界城外郭の上に立ち、全力を尽くして天界側の軍勢に楔を打ち込み、攻勢を攻勢で弾き返しているのだ。
「しゃらくさいわ! 異能発現、
「近くに来ると燃えるよ、異能発現、
どちらも強力無比な異能である。
特にガブリエルは最強の熾天使、今だけはポンコツVtuberの面影はない。その異能の威力はすさまじく、戦場を呑み込もうとする下級天使の大群を稲妻で薙ぎ払う。
しかしながら戦局を支配するまでには至らない。
なぜならこの頃までには天界側もガブリエルとミカエルの存在を察知し、それに対応した戦術を取っているからである。
さすがにアサエルは知っていたのだ。
拠点防衛をする側は防壁を使えるという利点があるが、逆に攻める側は位置を移動できるという利点がある。
すなわち機動力を重視している。
大兵力にもかかわらず、天界側の統率は見事であり、動きを止めていない。加えて中枢部を構成する上級天使たちはうかつに突出することはない。
これではガブリエルの
「異能発現、
異能を繰り出し、まぶしいほどの雷撃がガブリエルを起点として幾筋も伸びていく。
だがまたしても有効打にはならない。
おまけに天界側はこの時点からいっそう効果的な防御手段をとってきた!
うっすらと霧が立ち込め、中枢部の位置を覆い隠してきたのだ。これではガブリエルが照準の付けようとしても不可能になる。単純でも効果は抜群だ。
「厄介なものを使ってきたな…… むろんこの霧は作られたものじゃ。さすればタウエルの異能、
天界側は上級天使のほぼ全てを動員している。
それにはもちろん異能持ちも幾人か含まれるが、ここでその中の一人、タウエルの異能を使ってきたのだろう。
その異能
「仕方がないのう。一気に向こうの中枢部やアサエルを叩くことは叶わんか。とはいえ近くの霧だけでも払えば鬱陶しさも減るというものじゃ。ミカエルにやってもらうとするか。ミカエル、
ミカエルの異能の熱でせめて近場の霧をかき消してもらおうと考えた。
そう頼んだのだが…… 返事がない。
妙に思ってガブリエルが首を回すが、どこにもミカエルの姿はなかった。
「あれ、変じゃな…… ミカエル? どこにいったのじゃ?」
そのミカエルは外郭を離れ、一人魔界城の内部にいた。
魔界城はほどほどの高さの外郭防壁を持っている。
飛行のよほど得意な軍勢に攻められたら防壁など意味がないかもしれないが、そういう場面は少ない。
現に今も天界の軍勢は地上戦を行っている。
その軍勢の大半を構成する下級天使たちの
その結果、地面に足をつけての地上戦を選んでいるのだ。
ここぞという場面では一気に面状攻撃を仕掛けるために飛ぶが、それほど多くはない。
そして魔界城は堀を持っていない。外郭からわずかな間を空けただけで建物が建っている。
高さについてはさほどのものではない。なぜなら物見としては飛行できる者を上げればそれで済むからである。とはいえ建物内には居住施設、武具の収納、病院がまとめて含まれ、中心に行くに従ってそれなりの高さになっている。
ミカエルは正面の戦線から一番近い入り口からその建物に入り、大きならせん階段を前にして佇んでいる。
今、そこにはミカエルの他に誰もいない。生きているものは。
ミカエルはらせん階段の直下の床を見ているが、そこに倒れている者がいた。
既に死んでいる。
それはメフィストフェレス、魔界軍の中でも剛将として知られた将帥だ。それが何と背後から一突きにされて絶命しているではないか。
「たぶんそうやと思ったが、やっぱりやな……」
死体を確認したミカエルは溜め息を一つ吐いた。
そこから大きく息を吸い込み、塔に声を響かせる。
「おるんやろ? シャティエル。おらんはずないわ」
残響がやがて収まり、静寂に戻る。しかし返事はない。
それでもミカエルの確信が揺らぐことはなく、声を紡いでいく。
「今、そこの戦線は膠着しとる。姉様とガブリエルは凄いからなあ。でもそんなことをあのアサエルが予期しとらんはずはあらへん。だから必ずシャティエルを送ってくるはずや。そやろシャティエル。ぼちぼち
すると今度こそ返事があった!
それは何とらせん階段の作り出した影の奥からだ。誰もいないように見えたのに。建物に幾つかある小窓から差し込む光が複雑な影を作っているが、その一点から返事がある。
「ミカエル…… そこまで読んでいたんだね」
「シャティエル、そこのメフィストフィレスはたまたま会ってしまったんで殺ったんやろな。けれど本当の狙いは姉様やろ」
「…………」
「姉様は強過ぎてまともに戦ったんでは無理や。せやけどアサエルはアホやない。姉様を斃す唯一の方法を知っとる。それは、すぐ近くに忍び寄って油断を突くことや。だからこそ戦いの隙にシャティエルを忍び込ませるはずやと思うた。シャティエルの異能、
「……見事だよ、ミカエル」
「そして複雑な影といえば建物の中や。待ち伏せには絶好やないか。どや、この読みは図星やろ」
魔界城内部で熾天使ミカエルと天界の切り札シャティエルが対峙することになる。
この戦いでも屈指の悲劇が今、幕を上げていく。