マルコキアスは鋭い目でシャティエルを見る。
もちろん、シャティエルが崇高な目的のために頼んでいることくらい分かっている。友を救うのは何より気高い行為ではないか。ただしマルコキアスはマルコキアスなりの美学と信念があり、今一度確認しなくてはならない。
「敵地深くまで攻め込む勇敢さがありながら、自殺など戦士にあるまじきことだ。友を救うといえば恰好いいが、すなわち戦いを投げ出し、信頼を損なうということでもある。違うか」
「戦いをしなくちゃいけないことが既に歪なんだ。何よりも、僕は天界の者として、友を救うのが一番の正義だと思っている。それにマルコキアス、これは自殺じゃないよ。ミカエルがその分生きてくれるからね」
「むう、あくまでそう言うか……」
「頼んだよ、マルコキアス」
そしてシャティエルは立ち上がり、その最も大切な友のため、生涯最後の異能を使う。
「異能発現、
まるで吸い込まれるかのようにシャティエルは沈み込む。自分が作ったミカエルの脇腹の傷へ。
影と同化し、内側から傷口を押さえる。
その覚悟を見届け、マルコキアスが力を加減した
「…… まだまだ! 傷口をふさいでおかないと!」
今度はシャティエルが命の限界まで踏ん張って傷口を塞ぎ続ける。そうしなければせっかくシャティエルの体から与えられた神聖力が失われてしまい、甲斐がない。
だが、やがて力尽きる。
シャティエルは異能を保つ力を失った。
その発現が解け、もう影として傷口の中にいられずミカエルのすぐ脇に横たわる。
その行く末は明らかだ。
神聖力をほぼ失った今、既にシャティエルの体は微粒子へと分解を始めている。あと数瞬で消え去る運命だ。
その時、ミカエルが目を開けた。
シャティエルの神聖力を受けて持ち直したのだ。
そして傍らのシャティエルと目が合う。
微笑むシャティエル、驚くミカエル。この瞬間、あらゆる感情が伝わる。
しかし言葉を交わす時間はなかった。
シャティエルの体は全て微粒子となって立ち昇り、消えていった。ミカエルはようやく指先を伸ばしたが何も掴むことはできず、ただそれを目で追うしかない。
「シャティエル、なんでや…… なんでうちの代わりに死んだ…… どないしたらええのや? シャティエルのおらん世界で、これから」
何にも代えがたい莫逆の友はもう存在しない。シャティエルはミカエルの代わりに逝った。決然として、友のために。
もう思い出の中にしかいないのだ。ミカエルが嘆いても嘆いても…… 取り返しはつかない。
これを見つめていたマルコキアスが、やがて怒鳴るように話す。
「馬鹿なことを言うな! 漢が、一度志を持ったら捨てていいものか!」
生きている者はまだこの世界にいる。そして動くことができる。
ならば、生きながら死んでいるような状態は許されない。マルコキアスの言いたいことは単純明快なことである。だからこそはっきりと、大声で言っているのだ。
「どんな道を行くにも悲しみの一つや二つ転がっている。当たり前だ。それがない道などない! 悲しみを全部避けて進めるかッ!!」
「マルコキアス……」
「死んだ者のためとか、供養になるとか下らんことは言わん。死んだ者は死んだ者だ。だからこそ生きている者はそれに捉われることなく、生きている者のために動け。ミカエル、全てを乗り越え前へ進め! 生きているうちは進め! なにがなんでも歩みを止めるな!!」
「……」
そこまで言うとマルコキアスは口を閉じる。
これ以上語る必要は無く、短いけれどそれに尽きている。
後はミカエルの目に光が戻るのを待つ。それが優しさというものだ。
「…… なんやそら。そもそも漢ちゃうし。マルコキアス、そっちこそ魔界城を壊しよってアホやろ。前から思うとったけどな」
「必要経費というものだ」
「せやけどマルコキアス、似合いもせん説教やったけど、なんちゅうかええことも言うな。めんどくさい奴やでほんまに」
そういういつもの憎まれ口を聞いて安心したのか、マルコキアスがふん、と一言残して立ち去った。今は空元気でも構わない。口が回るなら大丈夫だ。もう一回くらい泣いてから戻れと言わんばかりに。
その頃、魔界城を巡る攻防戦は佳境に入っていた。
どうしても天界側の数に勝てる決定打はない。
ガブリエルらが踏ん張っても、徐々に押し込められていく。防衛し切るのは難しい。
そこでルシファーはわたしを含め、主だった者たちへ方針を伝える。
「状況はよくないわね~ 向こうのアサエルが最終攻勢に出てくれば危ないわ~ だから今のうちに行きましょ、東方城へ。実はアシュタロトに用意させてたのよ~」
「何じゃ姉様!? 東方城へ退く? では初めから魔界城は捨てるつもりで…… なるほどのう。向こうの疲労を誘うには魔界を広く使って転戦するのも方法じゃな」
ガブリエルが驚き、そして納得するのも道理だ。
ルシファーの姉様はただ遮二無二防衛をしていたのではなかった!
魔界にも防衛拠点は幾つかある以上、それを臨機応変に使うことを最初から考えていたのだ。
そこで今、魔界城に次ぐ規模を誇る東方城への撤退を指示している。
東方城は本来ベルゼバブの居城だ。
姉様は側近である魔界公爵アシュタロトに全権を与え、既にそこへ遣わしていたらしい。次の本拠として防衛態勢を構築させるために。
「どうせ魔界城はマルコキアスちゃんが半分ぶち壊しちゃったし、いい頃合いだわ~」
「……」
これには誰も答えない。当事者の一人であるミカエルも複雑な表情だ。自分が悪いと思ってないマルコキアスが一番傲然としている。
そして魔界側は粛々と撤退に入っていく。
わたしやガブリエルがひときわ激しく長距離攻撃を仕掛け、いったん天界側を守勢に回らせた隙に城から撤退する。それも正面戦線にも裏手戦線にも遠い、ちょうど死角になる辺りから出て行く。
逆に攻める天界側にとっては追撃の好機でもある。
だが、追いつ追われつの追撃戦は実現しなかった。
なぜなら天界側は追撃の前に正面の本隊と裏手の別動隊を合流させなくてはならない。そうしなければ魔界側が素早く一丸となって各個撃破を図ってきたら慌てさせられる。その可能性を排除するため、天界側の方もまた速やかに一本化する必要があるのだ。
それともう一つ、天界側の総大将アサエルが超急戦に出なかったのは純粋な戦術面の判断だけではない。
やはりシャティエルの訃報が明らかになったからである。
「シャティエル…… 可哀想なことをしてしまった。お前のことだから最後は優しさが出てしまったのだろう。戦いには向いていないのに、異能だけで判断して送ってしまった。本当に罪深いことだ」
アサエルもまた反省し、ひどく落ち込む。
もちろんシャティエルの最期を詳しく知っているわけはない。しかし、シャティエルの繊細さを分かっているからには、かなりの部分を正確に推測していたのである。
しかしいつまでも精彩を欠いてはいられない。
アサエルは総大将として追撃を命じた。
それに従い、天界勢は潮のような流れでその態勢を取り、移動を始めた。
ここまでの戦いで下級天使のかなりの部分を失っているのだが、それでも五千を数える大軍勢だ。
野戦に持ち込んだらまず負けることはなく、まして追撃戦であれば一方的な戦いになる。
魔界側の移動先は東方城と判明している。
逃げ込まれるのを完全には防げないだろうが、その前に叩けるだけ叩いておけば今度こそ攻防戦に方をつけられるだろう。
だが、戦いの行く末はどちらにとっても思わぬことになった。