ルシファーの姉様は神の人に対する残酷を知った!
更に悲劇となった責任の一端が自分にあることも。
あまりに優しい姉様は贖罪から反逆の道を辿るしかなくなってしまったのだ。
再び悲劇を起こさない、せめてそれを成し遂げるために……
結果として、姉様が魔界に逃げた後、それをまとめ上げるようになると神は知っていただろうか?
天界にとってすればゴミ置き場程度にしか思わなかった魔界が急速に力を付け、天界に対抗する勢力になろうとは想像しただろうか。
話は元に戻る。
神は人を滅ぼしても姉様の方には何も罰を与えなかった。
それは別に不思議なことではない。
決して良い意味ではないが当然のことだからだ。
神にとって天使は持ち物である道具に過ぎず、そんな道具に罰を与えることはあり得ない。
そのため姉様は神との問答の後も、しばらくは我ら熾天使と共にいた。
名残惜しく我らのために作った時間であったのかもしれない。反逆に赴く前に刹那の思い出を残してくれるための。
もちろんその時の我ら熾天使の方は何も考えもしなかったのだが。
「そうか…… 思い出す。ウリエルが無邪気に自分の異能を使って姉様の姿を空間に作ったことがあった。そうしたら姉様は血相変えて壊したんだ。それは自分に親しみを持ち、自分を慕ったがゆえに人間たちが滅ぼされてしまったことを考えたからなのか」
「そんなこともあったわね~ ウリエルには申し訳ないことをしたわ~」
「ラファエル! そんな小さなことを! 姉様はいつでもボクらに優しかったんだ!」
「済まないウリエル。そういうつもりじゃないんだ。ただな、いつも優しい姉様だからこそ不思議に思い、覚えていただけだ。その後はウリエルの作った花輪を受け取っていただろう?」
ウリエルとそうやって遊んでいた時の姉様はにっこりしていたが、心の中では血の涙を流していたのだろう。滅びた人々のことを改めて思い出して。わたしも姉様とウリエルの手前、そこまでは口に出さない。
とにかく若干非情なのはわたしの役目、そういった詳細を聞き出したのだが、続けてもう一つのことを聞く。
「姉様、神に反逆し、戦いはどうなったのだ? 敗れたにせよその状況を知ることは大いに参考になる。これからの戦いのために必ず知っておくべきだ」
「そうねえラファエル、ちょっと不思議なことかもしれないけれど聞いてちょうだい、ラファラ」
「いやその口癖は要らない」
そして姉様は話してくれた。
反逆の日のことを。
姉様は再び天界の至聖所に赴いた。
もちろんその姿を多くの天使たちが通りすがりに見るが、何も疑問に思わない。天使長の行動に理由がないはずはないからだ。
手に戦いのためのオリハルコンの長剣と短弓を持ち、ゆったりしたローブの上に肩当てという立派な戦装束をしていても。
だがそれでも、至聖所において最も聖なる中心部まで行こうとすると話は別だ。
姉様はずんずん中へ進んで行くが、それをたまたま番をしていた天使アサエルが見てしまった。それで疑問に思い、問いただしてきたのだ。
「ルシファーのお姉様? そんな格好でいったいどこに? この奥は何があっても、絶対に誰も立ち入れない神の御座ですが?」
「ごめんね~ 通してもらうわよ~ アサエル、アサアサ」
「えっ!? それはどういうつもりで」
「異能発現、
天使長ルシファーとして姉様の異能を使われたら誰も追い切れるはずがない!
アサエルも
そして姉様は至聖所の最深部に突入し、そして見た!
いや、正確には見たといっていいものだろうか。
そこは霞に満たされ、不思議な糸のようなものが数多く空間に伸び、そして絡まっている。
まるで想像もしていない奇妙な場所だった!
広い広間でもなく、椅子もない。霞と糸だけの空間。
「これはいったい…… 神の姿はどこに~」
それでも霞の中を進むと、やがて糸の密度が特に濃い、まるで束のようになったものがかすかに見えてきた。
「
姉様は唐突に理解した。
神は予想したような巨人の姿ではなく、それどころか人の何にも似ていない!
いや、意識とか人格もないのかもしれない。
世界を淡々と管理し続ける、この姿で。
至聖所に設けられた広間において、天使長として姉様は神の声を数え切れないほど聞き、それどころか姿を見たこともある。
その姿は猛々しい巨人だった。
ところが姉様は知っていたのだが、妙なことに他の天使は神の姿を別の物として見ることがあるそうだ。とある天使などはむしろ自分より小さい少女の姿で神を見たという。つまり天使によって見える神の姿が違う!
だが今までそういう不思議は気にも留めていなかった。
なぜなら天使だって同じだからだ。
天使が人の前に出る時でも、様々な形を演じているではないか。ならば神が同じようなことをやっても変ではない。
しかし考えてみれば神の姿も人格も思い込みに過ぎなかったのではないか?
神が人型をしている、そんな証拠など最初から無かったのだ!
ただし今、やることは一つしかなく、むしろ神がこの姿の方が後腐れなく戦える。
人の世に災厄をもたらす存在ならば討つ。
神がどこから来て、何が狙いで世を管理しているかなどを深く考えるべき時ではない。
姉様は自分の神聖力の一部を分離し、それを矢に乗せ、弓を引き絞る。スタンダードな天使の遠距離攻撃だ。
しかしあまりに奇妙なことが起こった!!
姉様が深く弓を引きその濃く糸の絡まった中心部に狙いをつけようとしたのだが、どうにも狙いが捉えられないのだ。
しっかり捉えたつもりでもズレている。
慌てて修正しようとしてもやはりズレている。幾度やってもだ。
最初は向こうが高速でゆらいでいるのかと思ったが、そういうわけでもない。
ならばそうなる原因は何だ?
さすがに神だけのことはあり、大規模に空間を操作し歪めているのかと思った。だがそんな力の片鱗も感じられない。最初から狙いをつけられる位置関係ではなかったように戻されているとしか思えない。
意味不明だ。
初めての経験に冷や汗が流れる。
しかしここで引き下がることなどできない。
「
こうなれば接近戦を挑む!
オリハルコンの剣を抜き放ち、無敵の速度で迫る。
光の速さなら一瞬で剣の間合いに達するだろう。
はたして剣の攻撃などが通じるのだろうか。そこに自信はないが、それは今さら考えても仕方がなく、とにかく一太刀浴びせてから結果を見ればいい。
ところが、ちっとも近づけていない!
どんなに速度を上げても一太刀どころか遠くに見えるだけなのだ!
最初は向こうが逃げて距離を置かれているのかと思ったがそうではない。おまけに空間を操作されてもいない。弓の時と同じことではないか!
「ど、どういうこと~ まるで最初から近付けないことに
決まっている?
最初から決まっている………… そうか!
自分でも恐ろしい想像をしてしまったと分かっている。
もしもそれが当たっていれば絶望するしかないのだが、神は全てを自由に
神は創造主、初めにこの世のあらゆることを決めたはずだ。
一メートルは一メートル、そういう法則をも。
神がそれを成した存在ならば、法則を再び決め直しても不思議ではない…… 例えばこの場所での一ミリメートルを百万キロメートルに定義し直したら…… 一秒を一年に定義し直したら……
接近できるわけがないのだ。絶対に。
これは敵わない!
もはや逃げ出すほかはなかった。
全速で後退に転じる。いつ無限に時間を繰り返す時の牢獄に閉じ込められてしまうのか、いつ無限の地平を持つ別空間に閉じ込められるのか、空恐ろしい恐怖に駆られて。どちらでも神にはたやすいことだろう。
しかし神は大した問題ではないとでも思ったのか、そこで姉様を片付けにかかることはなかった。
それで姉様は至聖所の入り口まで辿り着くことができ、青ざめながら柱に寄り掛かる。