ピースギア ―観測者綾音の記録―   作:最上 イズモ

2 / 10
EP02作戦

第一産業特区外縁部。

廃棄工場を改装した隠れ家の奥で、ようやく空気が落ち着いた。

 

綾音「ふぅ……やっと落ち着ける……」

 

張り詰めていた肩から力が抜ける。

壁越しに聞こえてくるのは、遠雷のような雨音と低く反響する警報放送だ。

 

外部緊急アナウンス「洪水警報を発令。全AIおよび屋外活動中の皆さんは、洪水警戒マニュアルに従い避難、もしくは自宅待機してください。繰り返します――」

 

綾音は天井を見上げ、胸の奥にわずかな不安を感じた。

 

綾音「……シュツェのみんな、大丈夫かな」

 

その瞬間。

金属が擦れ合う重低音とともに、天井から分厚いシャッターが降下する。

光が遮られ、室内が半暗闇に包まれた。

 

綾音「え、なにこれ……?」

 

ミハエル「耐浸水用シャッターだ」

 

ミハエルは落ち着いた声で答え、壁際のモニターを操作する。

 

ミハエル「この第一産業特区はな、数年に一度とんでもない豪雨が来る。排水が追いつかなくなって、地区ごと水没するんだ。そのときは全員、避難か完全封鎖」

 

綾音「……なるほど」

 

仕組みを理解しても、胸のざわつきは消えない。

外の世界は、常に不安定だ。

 

しばらくして警報が遠ざかり、シャッターが再び上昇する。

ほぼ同時に、隠れ家の入口が開いた。

 

マリエ「いやー、危なかったわ」

 

濡れた外套を脱ぎながら、マリエが息を吐く。

 

アリサ「ほんとそれ。警報鳴った瞬間、水が一気に来てさ。流されるかと思った」

 

ミハエル「全員無事で何よりだ」

 

緊張が一段落した空気の中で、ミハエルは椅子に腰を下ろす。

 

ミハエル「さて。落ち着いたところで、ギルティのコードネームと今後の話をしよう」

 

綾音「……マリエたちのコードネームは?」

 

ミハエル「ああ。あれはもうコードネーム兼偽名だ。今さら変える必要はない」

 

綾音「なるほど」

 

ミハエルは軽く指を鳴らした。

 

ミハエル「で、もう決めてある」

 

ミハエル「俺はタンク。綾音、お前はジュリエット。カエデはオセロット。モーリスはウルフ。エミリはブラボー。ベラがキャット。異論は?」

 

モーリス「オーケー」

 

エミリ「問題ないわ」

 

綾音「……いいよ」

 

カエデ「了承しました」

 

ミハエル「決まりだな」

 

一瞬、空気が引き締まる。

 

ミハエル「次に今後だが――俺たちはピースギアに亡命する」

 

綾音は思わず息を呑んだ。

 

ミハエル「ルートは世界周回鉄道。だが、タウロスの連中が黙って見逃すとは思えん」

 

ミハエル「だからシュツェに護衛を依頼した」

 

綾音「……ここも?」

 

ミハエル「そうだ。この家はシュツェがタウロス名義で購入した。表向きは完全に合法」

 

ミハエル「ライフ=レンとマリエが武器を手配。アリサは装甲車と飛行型パワードスーツで支援。イズモは食料と医療を担当している」

 

ミハエル「亡命後は、ピースギアのスプリングラビッツ隊の傘下に入る予定だ」

 

綾音「……なるほど」

 

頭では理解できても、実感が追いつかない。

 

綾音「それって……革命、なの?」

 

ミハエルは一瞬考え、苦笑した。

 

ミハエル「この状況だと革命というより戦争だな」

 

綾音「……だよね」

 

沈黙。

その中で、ミハエルは綾音をまっすぐ見た。

 

ミハエル「正直言う。お前は軍事訓練を受けておいた方がいい」

 

カエデ「補足します」

 

カエデは一歩前に出る。

 

カエデ「綾音さんは銃器の扱いに関しては問題ありません。ただし、体力面に課題があります。基礎訓練を優先すべきです」

 

ミハエル「了解した。俺が見る」

 

そう言って立ち上がる。

 

ミハエル「今日は全員、相当消耗してる。今日はもう休め」

 

それぞれが無言で頷き、寝室へ向かう。

 

深夜。

静まり返った隠れ家の一室。

 

カエデは一人、端末の前に座っていた。

淡く光る画面に映し出されるのは、極秘指定の電子文書。

 

収容施設の構造。

ギルティ測定アルゴリズム。

タウロス特殊部隊の即応プロトコル。

 

カエデは一切の感情を表に出さず、データを圧縮する。

 

通信先。

ピースギア。

 

送信完了。

 

静かな部屋で、カエデはわずかに視線を上げた。

これで、後戻りはできない。

 

第一産業特区外縁部。

濁流に変わりつつある排水路を見下ろす高架監視塔で、タウロス治安維持軍第三即応班は雨に打たれながら待機していた。

 

重たい防水外套の内側で、隊長のヴァルターは歯を噛み締める。

洪水警報。

最悪のタイミングだ。

 

ヴァルター「チッ……全域に警報か。連中、ツいてやがる」

 

視界は雨で歪み、遠くの工場群は灰色の塊にしか見えない。

第一産業特区は合法と非合法が複雑に絡み合う場所だ。

そして今夜、タウロスにとって最大の裏切り者たちが、この区域のどこかに潜んでいる。

 

副官のレナが端末を確認しながら声を上げる。

 

レナ「隊長。洪水対策シャッター、エリアDからGまで作動を確認。完全封鎖です」

 

ヴァルター「……なるほど。連中、耐浸水施設に逃げ込んだか」

 

内心、苛立ちが膨れ上がる。

逃亡者ミハエル。

ギルティ関係者。

そして未登録戦力を含む小隊。

 

彼らを捕らえられなければ、タウロスの統治そのものが揺らぐ。

 

ヴァルター「監視ドローンは?」

 

レナ「洪水警報の影響で、AI管制が一部制限されています。民間AI優先で……こちらの権限が通りません」

 

ヴァルター「クソッ……」

 

タウロスは秩序を守る側だ。

だが、こういう非常時ほど、その正しさが足枷になる。

 

通信士が割り込む。

 

通信士「隊長。内通者の線、やはり濃厚です。タウロス名義で購入された建造物が複数あります」

 

ヴァルター「名義ロンダリングか。誰の差し金だ」

 

頭に浮かぶのは一つの名前。

 

ヴァルター「……シュツェ」

 

傭兵組織。

金で動き、だが決して裏切らないと評判の連中。

彼らが敵に回ったという事実が、ヴァルターの胸を冷やす。

 

ヴァルター「さらに悪い報告は?」

 

レナ「はい。ピースギアとの接触履歴を検出。暗号化レベルは最高位」

 

ヴァルターは一瞬、言葉を失う。

 

ピースギア。

タウロスにとっては、最も厄介な存在だ。

 

ヴァルター「亡命……か」

 

もし彼らがピースギアに保護されれば、手出しはできない。

今夜が最後のチャンスだった。

 

外套の下で拳を握り締める。

 

ヴァルター「即応班を二分。水没リスクは承知の上だ。封鎖エリアの周囲を洗え」

 

レナ「ですが隊長、洪水が本格化すれば——」

 

ヴァルター「承知している。だが、逃がせば終わりだ」

 

命令は冷酷だ。

それでも彼は迷わない。

それがタウロスの隊長としての役目だからだ。

 

雨の中、部隊が散開する。

 

その頃。

ヴァルターの知らない場所で、裏切り者たちは静かに次の一手を打っていた。

 

監視塔のモニターに、かすかな信号が走る。

 

通信士「……微弱な通信を検出。送信元不明。ですが……これは」

 

レナ「高次元暗号? まさか……」

 

ヴァルターは画面を睨みつける。

 

ヴァルター「……もう遅い、というわけか」

 

胸の奥に、焦燥と怒りが渦巻く。

彼らは秩序を守っている。

だが、世界はそれを選ばない。

 

ヴァルター「全隊に通達。目標は亡命阻止。必要とあらば強制排除も辞さない」

 

レナ「了解」

 

その声は、雨音に掻き消されそうになる。

 

第一産業特区の夜は、濁流と警報に包まれながら、静かに戦争へと傾いていく。

 

ヴァルターは濡れた夜空を見上げた。

 

ヴァルター「……逃げ切れると思うなよ、ミハエル」

 

その言葉は、誰にも届かない。

だが、確かな憎悪と覚悟だけが、彼の中に残っていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。