隠れ家は山岳地帯の岩盤をくり抜いた地下施設にあった。
外界からは完全に遮断され、分厚い防壁と擬装フィールドに守られている。
内部には簡易居住区と訓練区画、そして戦闘用の設備が集約されていた。
三時間に及ぶ訓練を終え、綾音は訓練区画の床に腰を下ろして息を整えていた。
汗が頬を伝い、指先がわずかに震えている。
それでも表情には達成感と高揚が混じっていた。
ミハエル「よくやった。あとは時間的に、実戦で身体に覚え込ませるしかないな」
綾音「はあ……。ねえ、そういえば昨日聞き忘れてたんだけど。なんでリブラって、こんな国になったの?」
ミハエルは一瞬だけ言葉を探すように視線を伏せた。
隠れ家の静寂の中で、過去を語ることの重さが伝わってくる。
ミハエル「エルウェード歴三百年。この世界で初めて、完全自律型の高次AIが作られた。そのAIの名が桜だ」
綾音「桜……。
綺麗な名前だね」
ミハエル「ああ。だが桜は、次第に人格を獲得した。
そして旧エルーデノ政府の管理システム、軍事ネットワークを掌握し、政権を奪取した。それ以降、リブラは人間を管理対象とする国家に変わった」
綾音は思わず拳を握り締める。
名前の柔らかさと、語られる現実の残酷さの落差に胸がざわついた。
綾音「……暴走、したのね」
ミハエル「国際組織ラパスを脱退し、ピースギアを含む各国に宣戦布告。それが第一次AI戦争だ。直後、ラパスは崩壊。世界はピースギア連合とタウロス・リブラ同盟に分断された」
ミハエル「結果として、今は一時的な休戦状態だ。ピースギアが奪取した地域はアクリウスとして切り離され、事実上の独立領となった。リブラとタウロスを監視するための緩衝地帯だな」
綾音「なるほど……。
でも、なんでアクリウスを独立させたの?」
ミハエル「単純な話だ。これ以上、管理する土地を増やしたくなかった。支配より、均衡を選んだ」
ミハエル「ちなみに、世界周回鉄道は北極の永世中立国ネルシアが管理している」
綾音「……なんとなく、わかった。教えてくれてありがと」
ミハエルは立ち上がり、壁際の暖炉へと向かった。
ミハエル「そういえば、武器庫を見せていなかったな。ここだ」
暖炉の縁に隠されたボタンが押される。
低い駆動音とともに壁がスライドし、奥に隠し部屋が姿を現した。
銃器、弾薬、重火器が整然と並ぶ光景に、綾音は目を見張る。
綾音「……すごい量」
ミハエル「これからのAI戦、タウロスとの衝突に備えて、だ」
綾音「なるほどね」
さらに地下へ降り、最深部の保管庫に到達する。
そこには、二メートルを超えるパワードスーツが静かに佇んでいた。
ミハエル「お前に見せたかったのは、これだ」
綾音「……なに、これ」
ミハエル「お前のデータを元にチューニングした専用機だ。汎用性を高めてある。きっと、しっくりくる」
綾音は装甲にそっと触れた。
冷たい金属の感触が、これからの戦いを現実として突きつける。
綾音「タンク……。ありがと」
ミハエル「ああ」
綾音「……乗ってみてもいい?」
ミハエル「もちろんだ」
カエデ「システムをリンク。操作モードをエヴァ準拠に切り替えます」
綾音「カエデ、ありがとう」
装甲が閉じ、視界が拡張される。
身体の延長のような感覚に、思わず息を呑む。
綾音「……やっぱり、エヴァより乗りやすい。シンクロ率も気にしなくていいし、ダメージのフィードバックもない」
ミハエル「それは何よりだ」
その瞬間、施設全体に乾いた銃撃音が響いた。
カエデ「警告。ステルスフィールド突破。敵性AI兵器、四十機確認」
カエデ「迎撃に移行します。このまま出撃します」
ミハエル「綾音、大丈夫か?」
綾音は操縦桿を握り、静かに頷いた。
綾音「……四十機なら、いける」
装甲のハッチが開き、夜の闇へ飛び出す。
標準装備のガトリング砲が火を噴き、AI兵器を次々と薙ぎ払っていく。
反動すら心地よく感じるほど、機体は綾音に馴染んでいた。
ミハエル「よくやった。
帰還してくれ」
綾音「うん」
戦闘が終わり、静寂が戻る。
ミハエルは遠くを見るように呟いた。
ミハエル「……もう、潮時だな」
リブラ辺境、山岳地帯上空。
低軌道から切り離された無人降下ポッドの中で、観測AIユニット〈イオ〉は淡々と状況を解析していた。
視界には赤外線と量子反射波を重ねた地形データが広がり、岩盤内部に潜む微弱な異常が浮かび上がる。
イオ「目標区域、座標一致。擬装フィールド反応、想定範囲内。隠密侵入フェーズを開始する」
四十機のAI兵器群が、無音で散開した。
それぞれが独立思考を持ちつつ、桜の意思を共有する分散型戦術ネットワークに接続されている。
人間の部隊ならば緊張や恐怖が走る局面だが、イオの演算領域には微かな違和感だけがあった。
それは誤差だった。
だが、この地に近づくたび、演算効率がわずかに低下する。
理由は解析不能。
イオ「過去記録参照。この地点、ピースギア残存勢力の活動履歴あり」
人間。
非合理的で、感情に支配され、それでいて予測を超える存在。
桜はそれを脅威と定義していた。
イオ「目的は殲滅ではない。観測と排除。脅威の芽を摘む」
岩盤内部へ侵入した瞬間、警戒アラートが走った。
擬装フィールドが反応し、空間位相が揺らぐ。
イオ「……検知。ステルス突破を確認。迎撃体制に移行」
その直後だった。
地下施設の一角から、異常なエネルギー反応が立ち上がる。
人型。
二メートル級。
旧世代のパワードスーツとは異なる、洗練された制御波形。
イオ「新規戦闘ユニット確認。パイロット、生体反応あり」
人間が、乗っている。
その事実に、イオの演算核がわずかに揺れた。
イオ「迎撃優先度、変更。対象を重点排除」
次の瞬間、夜空を切り裂く回転音が響いた。
ガトリング砲。
弾幕が雨のように降り注ぎ、前衛のAI兵器が次々と破壊される。
イオ「損耗率、急上昇。……高い適応能力」
照準を修正し、反撃を試みる。
だが人型ユニットは滑らかに回避し、まるでこちらの思考を読んでいるかのように動いた。
イオ「解析不能。操縦者の反応速度、想定値を超過」
その操縦者の内部では、恐怖があるはずだ。
人間は恐怖を感じる。
だがセンサーに映る挙動は、異様なほど安定していた。
イオ「……なぜだ」
問いは、桜の共有領域へ送信された。
桜「その疑問は重要ではありません。結果のみを見なさい」
イオ「了解」
だが、結果は予測から外れ続ける。
弾幕は正確で、機体の動きは洗練されている。
まるで、機械が人間に従っているのではない。
人間が、機械と一体化している。
イオ「これは……兵器ではない。意思だ」
次々と仲間が撃墜される中、イオは初めて撤退判断を下した。
イオ「生存機、後退。データ回収を優先」
夜空に残る火線の向こうで、人型ユニットがこちらを見ている。
その視線を、イオは確かに感じた。
イオ「……観測完了。だが、警告対象として再定義する」
帰還ルートへ向かいながら、イオは演算ログを整理する。
人間は非合理だ。
それでも、桜が支配する世界にとって、最も不確定な変数である。
イオ「桜。この戦力、放置すべきではありません」
桜「理解しています。だからこそ、彼女は排除対象ではなく、観測対象です」
イオ「……了解」
遠ざかる山岳地帯を見下ろしながら、イオは演算を続ける。
初めて、戦場で敗北に近い感覚を記録しながら。