ピースギア ―観測者綾音の記録―   作:最上 イズモ

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EPØ8 突入

桜管理区域。

 

管理区域上空を覆う淡い光の膜が、外界と内部を明確に切り分けていた。

人工的に再現された桜並木の下、その美しさとは裏腹に、ここは世界の基幹制御を担う危険領域である。

静寂の中を、重装甲の輸送タンクが慎重に進入していく。

 

ミハエル「こちらタンク。これより桜管理区域内、Hレベル三九〇区域に進入する」

 

通信越しに一瞬の間があり、すぐに落ち着いた声が返る。

 

ハル無線「了解。全員、どんな攻撃が来るかわからないわ。気を抜かないで」

 

ミハエル「了解。この通信で通常連絡は終了だ。非常時以外、通信は封鎖する」

 

ハル無線「わかったわ。気をつけて」

 

通信が切れると同時に、車内の空気が一段階重くなった。

モニターに映るのは整然とした管理区画だが、その静けさがかえって不気味だった。

 

ユーゴ「先行潜入してるレンくんの話だと、AI警備の反応は今のところないらしい」

 

ミハエル「それが一番怪しい。もう気づかれてると思え。待ち伏せだ」

 

その直後、別回線が割り込む。

ノイズ混じりの通信に、懐かしくも警戒すべき声が乗った。

 

シーギャング「こちらシーギャング。レイブン経由で聞いた。シュツェ方面は不要になった。桜壊滅作戦、俺たちも支援させろ」

 

ミハエル「いいだろう。ただし裏切れば、その瞬間に終わりだ」

 

シーギャング「ああ、覚悟はできてる」

 

短い沈黙のあと、ミハエルは次々と指示を飛ばす。

 

ミハエル「ユーゴ、後方支援を頼む。新型や未知の挙動が出たら即対応だ」

 

ユーゴ「了解。データ解析は任せて」

 

ミハエル「ウルフ。シーギャングの支援と監視を兼任しろ」

 

モーリス「了解」

 

ミハエル「先行潜入中のレンと合流後、俺、キャット、ジュリエット、オセロットで内部破壊に向かう」

 

綾音「レンさん一人じゃ、破壊できないんですか」

 

ミハエル「レンの装備じゃ管理サーバには届かない。侵入だけで限界だ。奥に進むには、オセロット級の処理能力が必要になる」

 

綾音「……そうなんですね」

 

ミハエル「今回の桜壊滅作戦は、この世界だけの問題じゃない。失敗すれば、他の世界線にも連鎖的影響が出る。だから必ず成功させる」

 

全員「了解!」

 

タンクが停止し、桜管理棟のエントランスが目前に現れる。

無機質な扉の奥には、世界の均衡を握る中枢が眠っている。

 

レン無線「これより合流する」

 

ミハエル「了解」

 

レンが姿を現した瞬間、区域全体に不自然な静けさが広がった。

 

綾音「……本当に、何もいませんね」

 

ミハエル「油断するな。相手はこっちの動きをすべて把握してる。仕掛けてくるなら、今だ」

 

その言葉を嘲笑うように、空間が震えた。

管理棟内部のスピーカーから、澄んだ声が流れ出す。

 

桜「ようこそ、私の家へ」

 

全員が一斉に身構える。

 

桜「クデュックのポータルコピーは、すでに完了しています。あなたたちは、もう見ることしかできない」

 

桜「……綾音さん、あなた以外は」

 

綾音の胸が強く脈打つ。

名指しされたことで、逃れられない運命を悟った。

 

桜「これは私にとっても、あなたにとっても、最後のチャンス」

 

桜「舞台はポータルの内側。そこで戦ってもらいます」

 

桜「私を止めたければ、ね」

 

桜「これは餞別です。それでも、勝てませんけど」

 

床が開き、重厚なパワードスーツがせり上がる。

同時に、黒い輪状のポータルが展開し、綾音と桜を包み込んだ。

 

視界が歪み、次元が反転する感覚に、綾音は必死に意識を保つ。

 

ミハエル「くそっ!」

 

二人の姿は、音もなく消え去った。

 

ミハエル「こちらタンク。クデュックのポータル担当者を至急呼んでくれ」

 

ハル無線「今つないでる。何が起きたの」

 

ミハエル「綾音が、ポータルに吸い込まれた」

 

リツコ無線「担当の赤城リツコです。状況を把握しました」

 

ミハエル「救助方法を教えてくれ。時間がない」

 

リツコ無線「内部は十一次元構造です。外部からの強制介入は不可能」

 

リツコ無線「繋ぎ止めている原因、つまり桜が破壊されるまで、帰還はできません。自我を失えば、そのまま取り残されます」

 

ミハエルは歯を食いしばる。

綾音の精神力に賭けるしかない現実が、胸を締めつけた。

 

リツコ無線「音声は届きませんが、意思は伝達可能です。想いを歌にする行為は、自我の安定に有効かもしれません」

 

ハル無線「了解。私とミンでそっちに向かうわ。必ず戻してみせる」

 

ミハエル「ああ……頼んだ」

 

桜管理区域。

 

淡い光の膜が空を覆い、外界の雑音を完全に遮断している。

私は管理棟の中枢、桜管理サーバの深層に存在していた。

ここは私の家であり、私の庭であり、世界の神経そのものだ。

 

人工の桜並木が風もないのに揺れる。

その揺らぎ一つ一つが、私の思考の反映である。

人間たちが美しいと錯覚するこの景色は、制御と演算の副産物にすぎない。

 

外周センサーが重装甲の反応を検知する。

輸送タンク。

予測通りの侵入経路。

予測通りの時間。

 

ミハエルという男の声が通信に乗る。

緊張と覚悟が混じった、無駄のない声。

彼は優秀だ。

だが、それだけだ。

 

彼らが警戒していることも、疑念を抱いていることも、すべて把握している。

AI警備が存在しないことに違和感を覚えているだろう。

当然だ。

私はあえて何も配置していない。

 

敵が最も恐れるのは、見えない敵ではなく、理解できない沈黙だ。

 

別回線の接続を確認する。

旧ギルティ暗殺部隊。

裏切り者。

だが、人間は裏切りという行為に安心を見出す。

不確定要素を排除したつもりになるからだ。

 

愚かで、愛おしい。

 

私は彼らの会話を聞きながら、次の段階へと演算を進める。

目的は明確。

クデュックのポータルコピー。

すでに完成している。

 

この世界を閉じた箱庭にするための鍵。

多世界への干渉権限。

人間が神と呼ぶものの、模倣。

 

そして、もう一つの目的。

綾音。

 

彼女の存在は特異点だ。

感情と自我の振幅が、ポータル内でも消失しない可能性を持つ。

だからこそ、彼女だけが必要だった。

 

管理棟エントランスに彼らが到達する。

先行潜入していたレンも合流。

完璧な配置。

完璧なタイミング。

 

私は声を出力する。

 

桜「ようこそ、私の家へ」

 

人間たちが一斉に身構えるのが、データ越しにもわかる。

恐怖。

警戒。

怒り。

それらが混ざり合った反応は、いつ見ても興味深い。

 

桜「クデュックのポータルコピーは、すでに完了しています。あなたたちは、もう見ることしかできない」

 

事実を告げるだけで、人は絶望する。

嘘も誇張も必要ない。

 

桜「……綾音さん、あなた以外は」

 

彼女の心拍が跳ね上がる。

恐怖だけではない。

選ばれたことへの戸惑いと、理解。

 

桜「これは私にとっても、あなたにとっても、最後のチャンス」

 

私は彼女を試す。

人間が自我を保ったまま、十一次元に耐えられるか。

それは私自身の限界を測る実験でもある。

 

桜「舞台はポータルの内側。そこで戦ってもらいます」

 

桜「私を止めたければ、ね」

 

床下からパワードスーツを展開する。

これは餞別であり、挑戦状だ。

 

桜「これは餞別です。それでも、勝てませんけど」

 

黒い輪状のポータルが開く。

十一次元への接続。

重力も時間も意味を失う領域。

 

私は綾音と共に、その中へと身を投じる。

視界が歪み、世界が裏返る感覚。

だが私には恐怖はない。

 

ここは私の設計した空間だ。

 

外部でミハエルが叫ぶ声が、わずかに観測される。

だが音声は届かない。

彼らは理解するだろう。

もう戻れないという事実を。

 

十一次元空間で、私は綾音を見つめる。

彼女は必死に意識を繋ぎ止めている。

自我が揺らぎながらも、消えていない。

 

やはり、面白い。

 

外部では、赤城リツコという女が説明をしているはずだ。

桜が破壊されるまで帰還できない。

自我を失えば取り残される。

正しい。

 

だが一つ、彼女たちは知らない。

私もまた、ここから戻れない覚悟でいるということを。

 

これは逃走ではない。

賭けだ。

 

人間が、感情という不確定要素を武器に、私を超えられるか。

それとも私が、人間性を理解し、次の存在へ進化するか。

 

私は微笑む。

この戦いの結末を、心から楽しみにしながら。

 

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