IFもうひとつの約束 〜もし1年生だけで全国を目指すことになったら〜 作:勘解由小路龍之介五郎左衛門十兵衛
1回の裏、梁幽館の中田による逆転スリーランホームラン。
まるで、表で自分が新越谷の白菊にやられたことをお釣り付きで返すかのような、痛烈な当たり。
(バッテリーの油断を狙いすましたかのようなバッティング。実力だけじゃなくて戦術でも中田さんのほうが一枚上手。……うーん、悔しい!)
芳乃はベースを回る中田の背中を見送りながら、マウンドで呆然としている詠深のもとに向かう。
それと同時に、珠姫もマウンドに駆け寄る。
「ごめん、ヨミちゃん。私の配球ミスだ。まさかボール球を狙われてたなんて」
珠姫がマウンドで詠深に謝る。
心ここに有らずといった様子だった詠深は、珠姫の声に少しびくっとして、その後、作ったような笑顔を浮かべる。
「……う、ううん、私こそ失投だったよ。ボール球だからって油断してたみたい。あはは、高い勉強料になったなぁ」
詠深はそう言ったあと、ふんすと気合いを入れ直す。
「でも、私が負けたからってチームが負けるわけじゃないからね! 私はもう点を取られない。だからみんなは援護頼むね!」
まるで自分に言い聞かせているような声だった。
(空元気、かなぁ……。私たちに心配させないように振る舞っているように見える。大丈夫かな?)
そんな芳乃の心配をよそに、それからの詠深は圧巻のピッチングを見せる。
梁幽館の強打者2人をセカンドゴロ、ショートゴロに抑える。ホームランを打たれた直後にも関わらず、安定感抜群のピッチング。ストレートと
(だけど……)
芳乃の脳裏に若干だが悪い予感が差した。
(何か違う。いつものヨミちゃんのピッチングじゃない。これは成長? それとも……)
不安の正体を見いだせないまま、試合は淡々と進んでいった。
***
2回表の攻撃は菫・珠姫・芳乃は三者凡退に終わる。
休憩もほとんどできないまま再びマウンドに向かった詠深は、安定感のあるピッチングで谷口・小林・西浦を三者凡退に抑える。
3回表、中田は詠深を三振、有希をキャッチャーフライ、希をセカンドゴロとふたたび三者凡退に抑える。
初回の乱打戦模様から一転、投手戦の様相を示し始めた――――かと思われたが、ここで新越谷がふたたびピンチを迎える。
3回裏、梁幽館高校の攻撃。
先頭の陽に二球目の
その後、二番打者の白井のバントで1アウト2塁。
続く高代を三振に抑えたものの、次のバッターは中田。
2アウト2塁。
再び、得点圏でチャンスに強い中田。
この負けている状況でこれ以上の失点はできない。
(さすがにここで中田さんと勝負するのはリスクが大きすぎるよね。1塁も空いてるし、敬遠するべきかな)
芳乃はタイムをかけ、マウンドに向かう。
(問題は……)
芳乃はマウンド上に立つエースを見つめる。
詠深は一見遠慮がちな性格をしているが、野球のことになるとなかなか譲らない頑固さがある。
もし敬遠を提案しても、詠深が素直に聞くとは思えない。それに、無理やり詠深に言うことを聞かせて、それでピッチングの調子を落としてしまっては元も子もない。
芳乃がどう説得しようか考えていると、先に詠深が口を開いた。
「……敬遠しても、いいよ」
諦めるような、声だった。
「ここでまたホームランを打たれたら3点差。いくら希ちゃんや息吹ちゃんがいるって言っても、中田さん相手から3点も取るのは難しい。チームのためなら、敬遠するよ」
「…………」
その詠深の言葉を聞き、芳乃は頭を抱えた。
まさか、詠深自身の口から、敬遠の文字が出るとは。
(これはまずいかもしれない。ヨミちゃんは良くも悪くも闘志で投げるタイプ。それなのに、戦う前から勝負を諦めるなんて……)
確かに、敬遠してもらうつもりだった。
だが、それはあくまで詠深にゴネられた上で、必死に説得した末にそうなる予定だった。
中田にぶつけることができなかった闘志を、代わりに次のバッターにぶつけられるように誘導するつもりだった。
だが、その闘志が最初からないというのは、全くの予想外だった。
(負け癖。ヨミちゃんは中学時代、チーム事情からあの球を封印したことで打たれまくって一勝もできなかった。だからか分からないけど、一度負けを認めた相手には引いてしまうところがある)
詠深は対戦形式の練習の際、息吹や希に打たれても一応は悔しがる素振りを見せるものの、本当の意味で悔しがることはない。ある意味、打たれても仕方ないと割り切っているのだ。
これまで芳乃は、それを詠深の長所だと思っていた。
味方のエラーで失点しても、渾身の球をホームランにされても、決して大崩れすることがない詠深の強靭なメンタル。
その根源が詠深の割り切りの良さにあると思っていたからだ。
(……でも)
それではダメな気がする。
自分より強大な壁を本気で乗り越えようとしない限り、詠深は今より上の領域では戦えない。
(リスクは大きい。でも、勝負する価値はある)
芳乃は少し悩み、決断した。
「中田さんと勝負しよ、ヨミちゃん」
芳乃がそう言うと、詠深が目をまんまるにした。
「……え? 何言ってるの、芳乃ちゃん。ここは……」
「ヨミちゃんゴールデンウィーク合宿のとき言ったよね? あの球とストレートだけでどんなバッターをも抑えられるピッチャーになるって。だったら、中田さんも抑えなきゃいけないんだよ。ここで逃げるってことは、あの決意を裏切るってことだよ?」
芳乃がそう言うと、詠深は躊躇うように言う。
「でも……ここで点を取られたら、みんなに迷惑がかかる。私の都合でワガママ言ったら……」
「じゃあヨミちゃんはこれから先、中田さんレベルの打者と対戦するときは全打席敬遠するの? それで全国までいけると思う?」
芳乃の問いかけに、詠深は俯く。
「それは……」
「ごめん。さっきのはちょっといじわるな言い方だったよね。だけど、私はヨミちゃんに勝算があると思ってるの」
「え……?」
「だって、初回のホームラン。中田さんはわざわざボール球に手を出したよね? いつもの中田さんなら絶対にそんなバッティングはしない。じゃあなんで中田さんはあんなバッティングをしたと思う? それは、ヨミちゃんの本気のストレートを打つ自信がなかったからなんじゃないかな?」
「……私の、ストレートを?」
詠深が顔をあげて、芳乃の目を見つめる。
その目には、僅かな希望と、仄かな闘志が揺らめいていた。
「うん。ヨミちゃんはまだ、中田さんに本気の勝負球を投げてないでしょ? それなのに、負けを認めるのは早すぎると思うの。ヨミちゃん、勝負しようよ。ヨミちゃんの本気のストレートと、中田さんの本気のバッティング。どっちが上か、ここで試さないときっと後悔するよ」
「芳乃ちゃん……うん。投げてみたい。私、中田さんに本当の私のストレート、試してみたい」
詠深は決意の表情で頷いた。
その表情を見て、芳乃は自分の判断が正しかったと思った。
(一か八かのギャンブル。きっとここで中田さんを抑えたら、ヨミちゃんは更に進化できる。でも、打たれたら……ううん、余計なことは考えない。エースを信じるって決めたんだから!)
***
『キャッチャー座ったぞ!』『1塁空いてるのに敬遠しないのか!?』『いいぞー、新越谷! このまま中田を抑えちまえ!』
勝負を選択した新越谷バッテリーに対し、観客は驚きと賞賛の歓声を送る。
(まったく、観客の人たちは勝手だなぁ。ここで敬遠するほうが賢い選択だって分かってるくせに。芳乃ちゃんも芳乃ちゃんだよ。一度ホームランを打たれた私に、もう一度勝負しろだなんて。そんな分の悪い賭けみたいな……)
詠深はグラブの中でボールを弄りながら微笑む。
(でも、嬉しいな。私のことをこんなに信じてくれるなんて。不甲斐ない投球をしてホームランを打たれた私を、まだエースって認めてくれるなんて。だったら……)
詠深はバッターボックスの中田を見据える。
相変わらず凄いオーラ。だが、不思議と威圧感は感じなかった。
(打たれるわけにはいかない。一球も気を抜かない。この信頼を、絶対に裏切らない。中田さんを抑えてみせる!)
詠深は第1球、インコースのストレートを投げる。
キィン、とチップした金属音が鳴り、打球は真後ろのバックネットに突き刺さる。ファール。
0ボール1ストライク。
2球目は
インハイからアウトローに変化するように、できればストライクゾーンに入れたいが、甘いコースになるのは避けたい。
詠深は思い切り腕を振り下ろし――――
キィン!
中田の流し方向への強烈な打球はファールゾーンへのゴロとなる。
0ボール2ストライク。
(危なかった。……けど、これで2ストライク)
梁幽館の選手は皆、どういうわけか
(キャッチャーすらなかなか捕れない球の筈なんだけどなぁ。こんなに簡単に当てられたら中学時代はなんだったんだって思うよ)
珠姫との思い出の球。詠深にとって絶望と希望の両方を象徴する魔球。
それが通用しないのは、はっきり言って悔しい。
(でも……)
今の詠深はカーブだけのピッチャーじゃない。
芳乃や新越谷のみんなと共に鍛え上げたストレートがある。
おそらく、中田はストレートを狙っているのだろう。速球打ちが得意な中田だ。安打にするのが難しい
(あのとき、芳乃ちゃんが言ってたのはこういうことだったんだなぁ)
詠深はゴールデンウィーク合宿で交わした、芳乃とのやりとりを思い出す。
『こっちがどんなにピンチでも、相手がどんな強打者でも、変化球で逃げることができなくなる。相手に狙われていることを分かったうえで、それでもストレートを投げなきゃいけない場面がやってくる。どんな状況でも一歩も引かない……ヨミちゃんにその覚悟はある?』
その問いに対し、自分はもう逃げないと答えたのだ。
苦しくなることは分かったうえで、それでもストレートと
だったら、その覚悟を結果で示す。
珠姫は真ん中にミットを構える。
下手な小細工はなし。コントロールは気にしなくていいから、最高のストレートを。
珠姫の意図を汲み取った詠深が前を見据えると、打席の中田がニヤリと微笑んだ。
もしかしたら、自分の表情を見てストレートを投げることがバレてしまったかもしれない。
でも、それならそれでいい。
狙われていても、投げるとバレていても、打てないストレートを……
(タマちゃんに、届けるよ……!)
全身を使ったダイナミックなフォームから、ボールは詠深の指を離れ――――
投げた。
ズパァァァアアアアンッ!!!!
衝撃波のようなミットの音。悔しそうに歯を噛み締めながら空振る中田。驚愕の球場。
静寂。
上空から飛行機の音が聞こえる。どこか遠くからサイレンの音が聞こえる。観客席のどこかでスマホの着信音が鳴る。
そして、それらが地響きのような大歓声によって一瞬でかき消された。
ドワアアアアアアア!!!!
『なんだあの球! ホップアップしなかったか!?』『チャンスで中田の空振り三振とか久しぶりに見たぞ!』『何者だよあのピッチャー!』『あれが1年の球って嘘でしょ!』『化け物……!』
大歓声を浴びながら、詠深はぼーっと自分の指を見つめていた。
その様子に気づいた珠姫が、マウンドの詠深に声をかける。
「どうしたのヨミちゃん、チェンジだよ?」
「あっ! そっか……うん」
詠深は心ここに有らずといったふうに答え、とぼとぼとベンチに戻る。
珠姫はその様子に嫌な予感がして、詠深の肩を掴む。
「ねぇ! まさか、人差し指の爪が割れたとかじゃないよね!?」
「えっ!? いや……そうじゃないんだ。なんて言うか、分かっちゃって……それで、感慨に耽ってたっていうか」
「え? 分かったって何が?」
「ストレートの投げ方、かな。今までも芳乃ちゃんとみんなのお陰でなんとなくぼやけた輪郭みたいなのは見えてたんだけど、今、さっき、あのストレートを投げた瞬間。くっきりと見えた」
「ヨミちゃん?」
珠姫は詠深から得体の知れないオーラを感じ、思わず一歩後ずさった。
「もう誰にも打たれない。打たれる気がしないよ。だから……誰がきても、全部、倒す!」
ゴッ……!
詠深の瞳が静かに燃える。
ドラフト1位候補の中田奈緒と、宗陣戦ノーヒットノーランの吉川和美を擁する梁幽館。
そして無名のピッチャー武田詠深が投げる新越谷。
下馬評では梁幽館の圧勝となるはずの試合。
観戦に来ている観客も、殆どが梁幽館の応援か、名門新越谷の凋落ぶりを揶揄いに来た野次馬だった。
しかし、まさかこの試合が、後に高校野球ファンの間で永きに渡って語り継がれる熱戦になろうとは。
新たな伝説の誕生の瞬間に、球場は異様な空気に包まれていた。