IFもうひとつの約束 〜もし1年生だけで全国を目指すことになったら〜 作:勘解由小路龍之介五郎左衛門十兵衛
「待球作戦か。厄介だなぁ……」
珠姫は相手バッターのスイングを見てそうボヤく。
相手バッターはバックスイングこそある程度とっているものの、バットの面を思いっきりファールゾーンに向けてコツンと当てるだけのスイング――――いわゆる、カット打法をしている。
明らかなストライクゾーンの球でも意図的にファールを打っていることから、これはもう確定的だろう。梁幽館は詠深をマトモに攻略することを諦めて、待球作戦で球数を投げさせることを選択したのだ。
(小さな巨人を思い出すね……)
珠姫がまだ子供だったころ、高校野球で活躍した選手だ。
かなり小柄ながらカット打法で何十球も粘るプレーが話題を呼び、小さな巨人といってメディアでも持ち上げられた選手だ。
しかし、そのカット打法が特別規則に抵触する可能性があると大会本部から注意を受け、カット打法を封じて試合に挑んだ結果負けてしまった。
その大会本部の対応には賛否両論あり、珠姫も当時は彼女に対し「可哀想だなぁ……」と同情したものだった。しかし、いざカット打法をやられる立場になってみたら別の感情が湧いてくる。
(強豪校で戦力も揃ってるくせに、そんな汚い作戦しないでよ! こっちは9人ぎりぎりで野球やってるんだよ!)
そう叫びたくなるのをなんとか我慢する。
一番苦しい立場である筈の詠深が文句を言わないのに、こっちが先に音を上げるわけにはいかない。
結局、この回は五番〜七番を全て三振に斬り伏せた。
しかし、この回の球数は22球。
普段カット打法の練習をしている訳ではないのか、どことなくぎこちなかったが、それでも流石の梁幽館打線。ミート力は抜群で、覚醒した詠深のピッチングをしてもなかなか三振をとれなかった。
試合全体での球数は4回終わって70球そこそこ。これ以降の回も待球作戦をとられる可能性があると考えたら厳しい展開だ。
まさか梁幽館が、ここまでなりふり構わず詠深を潰しに来るとは。
唯一の救いは…………
『武田ー! ナイスピッチー!』『いいぞー!』『ジャイキリ起こしたれ!』
主にバックネット裏にいた観客を中心に、詠深を応援する声が大きくなってきたことだ。
弱小校のエースによる予想外の好投は観客たちの心を掴んでいた。
しかも、梁幽館の執拗なカット打法に対しても動じることない熱投。
これで心を動かされないほうがおかしい。
「ヨミちゃん、体力はどお? 球数は大丈夫そう?」
ベンチに戻った詠深に芳乃が声をかけてきた。
「うん、大丈夫。たしかにちょっとキツいけど、まだまだ投げられるよ」
「そっか。グラウンド整備の時間があるから、今のうちに休んどいてね」
芳乃が微笑み、梁幽館ベンチに視線を移す。
「でもまさか、梁幽館が批判を覚悟の上でカット打法をしてくるなんてね」
「カット打法って非難されるようなことなんですか? 野球漫画とかでもよくありますけど」
首を傾げる白菊に、芳乃が解説する。
「う〜ん、微妙かな。グレーゾーンとはいえ、ルールのうちだからね。他の高校でもやってるところは多いし、私だって勝つためにどうしても必要ならカット打法の指示を出すかもしれないし……批判はできないかな」
「グレーゾーンって感じやね。やられたらイラッとするけど、カット自体は私もクサい球とか普通にやることあるけん」
「ヒットを打つために難しい球をカットするのと、ピッチャーを潰す目的で全球カット打法するのだと全然意味合いが違うよっ! あんなことされたら
ぷんすか。珍しく感情を露わにする珠姫の頭を、詠深がわしゃわしゃと撫でる。
「私のために怒ってくれてありがとね、タマちゃん」
「なっ……そんなんじゃなくて。その、ヨミちゃんが潰れたらチームだって勝てなくなるし」
「私は大丈夫だよ。それに、相手がまともに打つ気がないって分かってるから、体力的にはキツいけど精神的には楽に投げれるんだ」
「本当? 無理してない?」
「うん。それに……なんていうか、投げてて気持ちいいんだ。投げるたびにストレートが洗練されていくような気がして」
「うん……」
それは珠姫も受けていて感じていたことだ。
詠深のストレートは投げる度に少しずつ良くなっている。ただでさえ鋭かった武器が、梁幽館の強力打線と幾度となくぶつかり合うことで研ぎ澄まされている。そんな実感がある。
(でも、だからこそ怖い。このペースで最後まで投げ切れるとは思えない。絶対にどこかでガス欠になる)
そうなる前に対策を考えなくてはならない。
だが、だからといって詠深に全力投球を止めろなんて言って聞いてもらえると思わないし、仮にそうしたとしてもより粘られやすくなって球数が増えては意味がない。
「こうなったらいっそのこと私たちもするか? カット打法?」
「あんたにそんな技術ないでしょ。それに、球数投げさせても代わりのピッチャーが出てくるだけよ。
「そっかー! 中田が引っ込んでも吉川が出てくるなら意味ねー!」
菫のツッコミに稜は頭を抱える。
「とりあえず、今私たちにできるのは延長戦にならないよう援護点を取ることかな。……前回スクイズ失敗した私が言うのもなんだけど」
珠姫が自嘲ぎみに苦笑し、作戦会議(とも言えない雑談)は終わった。
***
グラウンド整備が明けて、5回表の攻撃は九番の詠深から。
「よーし打つぞー!」とバットを掲げるように構えてずんずん打席に向かおうとする詠深を、芳乃が呼び止める。
「ちょっと待って、ヨミちゃん。この打席は振らなくていいからね」
「えー」
「エースには投球のために体力温存してほしいんだ。ヨミちゃんのピッチングが今日の試合の生命線だから」
「んー……しょうがないなー。エースはつらいよ」
詠深は少し渋ったが、自分の体力が尽きかけている自覚はあるのか、芳乃の説得にあまりゴネることなく承諾した。
(ヨミちゃんが崩れたら試合が終わる。ピッチャーも全力でバッティングするのが高校野球的には正解だけど、その理想を追求する余裕は今の
九番の詠深が見逃し三振となり、打順は一番の有希。
有希は3球目、三塁側にボテボテのゴロを打つ。
特に回転がかかっている訳でもないごく普通のゴロだったが、打球に勢いがなかったのが逆に幸いしセーフティバントみたいになり、快速を飛ばして一塁セーフ。
続いて、二番バッターの希。
希は2ストライクまでバントの構えを見せつつ見逃すと……
(希ちゃん、カット打法してる! 向こうがやってる以上、こっちが同じことをやって非難される道理はないからね。でも、このカット打法は単に仕返しというよりも――)
芳乃はベンチを振り返る。
詠深が珠姫と並んで座っている。
(――たぶん、ヨミちゃんが体力回復するための時間を作ってくれてるんだよね?)
結局、希は14球粘った末にスライダーをセンター前に運び出塁。
(さすが希ちゃん。ミート力は化け物クラスだね。これには流石の中田さんも参ったんじゃないかな?)
続いて、三番打者の白菊。
甘く入ってきたストレートを、いつもの大振りではなくコンパクトなスイングで三遊間を抜く。
(出た、小手! レフトのカバーが早かったから三塁は回れなかったけど、これで1アウト満塁! そしてバッターは……)
『四番、サード、川口息吹さん』
息吹の名前がアナウンスされると、会場がドワーと湧き立つ。
『いいぞー新越谷!』『川口息吹ー! もう一発ホームランかましたれ!』『逆転満塁ホームランでいいぞ!』『本塁打製造機!』『根性見せんかい中田ー!』
観客のうち梁幽館関係者でない人たちの多くは、今や新越谷の味方となっていた。
応援を背に受けながら、息吹はいつものクローズドスタンスに構える。
すぅーはー。
マウンド上の中田が深呼吸し、ギラリと眼光が息吹を射抜く。
中田の纏う空気が豹変した。
全てを射殺さんばかりの威圧感。底冷えするようなプレッシャー。踏み潰されそうなオーラ。
その眼光を直接受けた息吹はもちろん、その裏にいた観客、さらに周囲の選手まで、中田の圧倒的な存在感に当てられて萎縮してしまう。
そこに、中田の1球目。
ズドオオオオオオン!!!!
巨大隕石のようなストレートがキャッチャーミットに墜落する。
ストライク。
(な、なに……!? あの球! 今までとはレベルが違う!)
今までのピッチングだって十分凄まじかった。
だが、これはそういう領域の話ではない。まるで覚醒したような異次元のピッチング。
「が、頑張れー! 息吹ちゃーん!」
芳乃は精一杯の声で姉に声援を送る。息吹はベンチを見て苦笑したあと再び構える。その表情は真剣に中田だけを見つめる。
中田の第2投。
キィィィィン!!!!
甲高い金属音が響く。
直角定規みたいに曲がる中田のスライダーを息吹が体勢を崩しながらもなんとか当てた打球は、チップしてしゅるしゅるとバックネットに突き刺さる。
おそらく、遊び球はない。
いくら中田といえど、この投球は尋常ではない。極度の集中状態――いわゆる、ゾーンに入っているのだろう。ゾーンを保てるのは一流選手でもごく短時間のみ。ならば、ボール球なんかで貴重な時間を消費する愚は犯さないだろう。
3球目。
中田は大きく振りかぶって――――投げた。
ガキィィィィン!!!!
息吹の打球は中田の利き手側への鋭いライナーとなった。
(抜けた!)
誰もがそう思った。
あの投げ切った体勢から中田がグラブを出したところで間に合わない。
だが、このときの中田は未だゾーン状態を保っていた。
極度の集中状態にある彼女の思考回路は、ある結論を一瞬で導き出した。
即ち、
中田は迷わなかった。
ミシシッ……!
痛々しい音が響き渡る。
中田はとっさに出した右手で息吹のライナーを弾くと、前方に転がったボールを掴み倒れ込みながらキャッチャーに投げる。ホームはフォースアウト。キャッチャーが一塁に投げ、これもアウト。
123のホームゲッツー。
中田は1アウト満塁のピンチを無失点で切り抜けた。
しかし、その代償は大きかった。
「ぐ……っ! ああ……っ!!」
グラウンドにうずくまり、額に脂汗を流しながら苦悶の表情を浮かべる中田。
その元に、チームメイトたちが駆け寄る。
誰がどう見ても、中田はこれ以上投げられる状態ではなかった。
エース中田の怪我による途中離脱。
白熱した試合は思わぬ方向へと転んだ。