IFもうひとつの約束 〜もし1年生だけで全国を目指すことになったら〜   作:勘解由小路龍之介五郎左衛門十兵衛

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21. 大好き (梁幽館戦part8)

「嘘、でしょ……」

 

思わず、芳乃は崩れ落ちそうになる。

 

中田の代わりに四番に入った大杉によるホームラン。

これにより、スコアは3-4。梁幽館に大きな大きな1点が追加されてしまった。

 

ここに来て詠深の疲労が祟った。

アウトローを狙った筈のストレートは真ん中高めに浮いてしまった。ただでさえストレートが走ってなかった中での失投。並のバッターならまだしも、打撃力で梁幽館のベンチ入りを勝ち取るほどのバッターに通用する球ではなかった。

 

珠姫のリードは悪くない。相手の四番はあの球(カーブ)に手を出す気配がなかった。あの球(カーブ)は変化量が大きいぶんストライクに入りづらい。ボール先行でこれ以上カウントを悪くしないために、比較的コントロールしやすいストレートを要求するのは間違っていない。

 

悪いのは、自分の采配だ。

芳乃はそう歯噛みする。

 

(継投ミス……! あの球(カーブ)の調子がいいからって、ヨミちゃんに無理をさせすぎた。もうとっくに体力の限界だったんだ……!)

 

芳乃はタイムをかけ、内野陣がマウンドに集まる。

詠深はマウンド上でしょんぼりと肩を落とす。

 

「ごめん、みんな。打たれちゃって……」

「ううん。悪いのは私。ヨミちゃんに無理させちゃった。ここまでよく投げてくれたよ」

「ピッチャー交代、だよね?」

「うん……息吹ちゃん、お願いできる?」

 

芳乃がそう言うと、息吹は額に汗を流す。

 

「こ、この状況で私って、本気で言ってるの?」

「ごめん、息吹ちゃん。でも、ここは息吹ちゃんしかいないの」

「し、仕方ないわね……。やれるだけやってみるわ」

 

ピッチャー交代。

マウンドには息吹が立ち、詠深は入れ替わるように三塁に入る。

 

息吹は審判に許可を貰い15球の投球練習をする。この大会では救援登板時のマウンドでの投球練習は8球までとされているが、事情があるときは審判の判断で延長することもできる。今回は先程まで守備についておりブルペンで投げられていない息吹が急遽登板ということで、少し多めの投球練習の時間がもらえたのだ。

 

肩を作るのに必要な球数はピッチャーによって異なり、2〜3球で作れると豪語する投手もいれば、かなりの球数を投げなくては調子がでない投手もいる。

息吹はいろいろなフォームを試しながら最低でも20球は投げたいタイプだったが、あまり贅沢は言えない。15球の許可を貰えただけマシだ。

 

投球練習が終わり、試合再開。

打席には五番バッターの笠原が立つ。

珠姫の要求は――――

 

(アウトローのボール球。これは……)

 

強気なリードが売りの珠姫が、初球にボール球を要求することは少ない。中田レベルの強打者が相手のときか、相手バッターの選球眼が著しく悪いときか――――あるいは何か別に意図がある場合のみ。

相手バッターの笠原はかなりの強打者ではあるが中田レベルというほどではなく、選球眼も普通にいい。なら、別に意図があるはず。

即ち――――

 

(私の肩を作るために、この打席を捨てるということね)

 

それは、かなりリスキーな策。

だが、中途半端な状態で梁幽館の五番に立ち向かうくらいなら、五番を歩かせてでも息吹の肩を作り、完璧な状態にしてから六番と勝負したほうがいいという判断だろう。

息吹はランナーをあまり苦にしない。息吹のことを完璧に理解したうえでの作戦といえる。

 

(これも、強気なリードってやつかしら?)

 

息吹は3球連続でアウトローにボール球を投げ、続く1球はインローのストライクゾーンに投げる。そしてカウント3-1から再びアウトローにボール球を投げ、フォアボール。結局、笠原は1球もバットを振ることはなかった。

 

これで2アウト1塁。

 

(肩はだいぶ温まってきたわ。相手バッターは大田さん。長打力が売りの選手だけど、ミート力はいまいちで調子の波が激しいタイプ。今日は当たってないし、失投さえしなければ私でも抑えられる……!)

 

息吹はアウトロー中心に全球ストレートを投げ、大田から三振を奪う。

リリーフとして見事な仕事を果たした。

 

 

***

 

 

7回表、新越谷の攻撃。

最終回で点差は1点。たかが1点、だが、あまりに絶望的な1点差だった。

 

片や、梁幽館側はピッチャー吉川が絶好調。守備に不安のあるファースト大杉から、守備(ディフェンス)に定評のある杉谷に交代し、1点を守りきる構え。

 

片や、新越谷は八番の下位打線から。芳乃はこの試合、全打席で凡退。次の打者である詠深が吉川からヒットを打てるとは思えない。

もし芳乃がこの打席で凡退すれば、ほぼ確実に2アウトで一番の有希に回ることになる。有希はいいバッターだが、最終回2アウトを初心者に任せるのは流石に荷が重すぎる。

 

(うちに延長戦を戦う体力はない。この回、最低でも2点以上欲しい。そうなると……私は絶対に凡退できない)

 

芳乃はそう覚悟を決め、バットスタンドからバットを抜こうとし……手が滑る。

 

(どうして。どうしてこんなに手が震えるの……? 緊張してる? こんなこと、今までなかったのに……!)

 

しかし、焦れば焦るほど手の震えは増す。

制御の効かない自分の手を見つめながら、芳乃ははっとあることに気づく。

 

(そっか。私が今まで試合であんまり緊張しなかったのは、矢面に立って戦ってなかったからなんだ。ずっと他人(ひと)任せにしてたんだ)

 

今日の梁幽館戦も、その前の影森戦もそうだ。

新越谷ナインはみんな緊張していたにも関わらず、芳乃はいつも通りだった。だから芳乃はみんな緊張をほぐすために気を配り、いろいろ声をかけたりした。それが自分の役割だと思っていた。

 

では、どうして芳乃だけが緊張しなかったのだろう。

その理由は、芳乃が冷静だからでも楽観的だからでもない。芳乃がこれまで選手として(、、、、、)戦ってきていなかったからだ。

 

芳乃は今まで、ベンチにいる時はもちろん、打席ですら他のチームメイトのことや戦術のことばかり考えていた。他のチームメイトをどう使って相手に勝つかばかり考え、自分の活躍で相手に勝とうとすることなんて殆ど考えていなかった。

 

これまで芳乃のそのやり方はうまくいっていた。

芳乃がサポートに徹することで、新越谷高校野球部は異常とも言えるスピードで急成長していった。

新越谷が梁幽館に対して善戦できているのも、芳乃の貢献による部分が大きい。

 

(だけど……)

 

いざ、他の誰でもない、自分自身が結果を出さなければいけない場面。

このときに至って、芳乃は初めて極度の緊張に襲われた。

 

(怖い……。もし私がヒットを打てなかったら高確率で敗北。私のせいで、みんなの夏が終わるかもしれない。そっか。みんなはこんな恐怖に立ち向かっていたから、緊張してたんだ)

 

「芳乃ちゃん」

 

ふと、声がした。

芳乃が振り返ると、希が心配そうにこちらを覗き込んできた。

芳乃はその真っ直ぐな瞳を直視できず、思わず視線を逸らす。

 

「……私、卑怯だよね。みんなとチームになったつもりだったけど、ほんとは違ってた。みんなにばっかり戦わせて、私は見てるだけ。だから、いざ自分が戦わなくちゃいけないってなったとき……卑怯者の手は震えちゃうの」

 

芳乃が心情を吐露すると、肩に優しく手が触れた。

 

「大丈夫。芳乃ちゃんの手が震えるのは、芳乃ちゃんが卑怯だからじゃなんかないよ。芳乃ちゃんが私たちと一緒に勝ちたいけん、私たちのことを大切な仲間やと思っとーけん、手が震えよんやなか?」

「でも……」

「芳乃ちゃんはちゃんと私たちの仲間だよ。芳乃ちゃんは誰よりも頑張っとーけん。練習時間のあいだ私たちの練習を見てくれとーぶん、帰ってから自主練しとーやろ? データ分析とか作戦とか、夜寝る間も惜しんでやってくれとーやろ? 私たちが勝つために必要なことを、芳乃ちゃんはたくさんやってくれとー。いま、新越谷が梁幽館と互角に戦えよんは、半分以上芳乃ちゃんのおかげやん!」

「希ちゃん、でも……」

 

それでも自分を認められずにいる芳乃の手を、希は両手でぎゅっと抱き寄せるように包み込む。

 

「私ね。私が入部したとき芳乃ちゃんが言った『全国を狙える』って言葉を信じてよかった。新越谷野球部に入ってよかった。昔の仲間に会うために全国を目指したいって言いよったけど、訂正するね。私、他の誰でもない。今の仲間と一緒に……芳乃ちゃんと一緒に全国に行きたい」

 

そう言うと、希は天使の微笑みを浮かべる。

 

「大好き」

 

芳乃の手の震えが止まった。

 

「……ありがと、希ちゃん」

 

芳乃はバットスタンドからバットを抜き取り、後ろを振り返る。と、チームメイトの生暖かい目線がこちらを包んでいた。

 

「おいおい希、こんな白昼堂々ベンチのど真ん中で愛の告白か?」

「こら稜、茶化さないの」

「こ、これが青春というやつですか!?」

「芳乃も隅におけないわね」

「タマちゃ〜ん、私もタマちゃんのこと大好きだよ〜」

 

その様子に、希が顔を真っ赤にする。

 

「こ、これはそんなんじゃなくて! よ、芳乃ちゃん、違うけんね! そんなことより早よ打席行かんと、審判の人に注意されるよ!」

「うん、そうだね。行ってくるよ」

 

芳乃は希に急かすように背中を押されて、打席へと向かった。

 

(まったく。みんなデリカシーがないんだから。でも、おかげで緊張はとけたかな)

 

芳乃はピッチャーに背中を向けるような極端なクローズドスタンスで打席に立つ。

すると、マウンドの吉川は少し驚いたような表情を見せる。

 

そう、これは息吹のバッティングフォーム。

息吹のために、芳乃が考案した構え。

それは息吹の身体に最適化されたものだったが……芳乃と息吹の骨格はほとんど同じ。つまり、理論上は芳乃も息吹と同じバッティングができる。

 

(といっても、私には息吹ちゃんみたいなセンスもパワーもないから、ホームランを打つのは難しいんだけどね。……でも、前のめりになってる外野の頭を越すくらいの球なら狙える)

 

吉川はこちらを訝しむように観察した後、キャッチャーのサインに頷く。そして、投じられた第一球は――――

 

(アウトコースのスライダー! 読み通り!)

 

正体不明の相手に対し、とりあえず投げるアウトコースの変化球。

これほど狙いやすい球はない。

相変わらず、吉川のピッチングは好調。スライダーのキレも凄まじい。だが……球種とコースの両方が分かっていたら、芳乃でも打てる!

 

アウトコースの球はインコースに比べて飛ばしづらいと言われる。ただし、遠心力を上手く利用することでパワーがなくても長打は打てる。それにもともと、クローズドスタンスはアウトコースの球を飛ばしやすい構え方だ。

 

(私は息吹ちゃんと違ってインコースが得意な訳じゃない。だからこのフォームで私が打てるのはアウトコースだけ。でも、相手は息吹ちゃんの印象が強くてインコースを攻められず、アウトローに逃げた。だから、これは私と息吹ちゃん、2人の勝利!)

 

カキーン!

 

快音と共にライト方向に飛んだ打球は、前のめりになっていたライトの頭を越え、外野を転々とする。

芳乃は鈍足を必死に走らせ、2塁まで到達する。

 

ライトオーバーのツーベースヒット。

芳乃が息を整えながらベンチを見ると、希が喜んでいるのが見えた。

 

(これが選手の見る景色……なのかな。さっきの打席、自分が打つことだけに集中できた気がする。人生で初めて打ったツーベース)

 

芳乃はふう、と息をつく。

 

(あとは選手を信じるだけ。勝っても負けても悔いはない。だけど……)

 

できることなら。

芳乃はセカンドベースから、ベンチの希を見つめた。

 

 

***

 

 

同点のランナーを得点圏に出してしまった吉川だったが、相変わらず好調な投球で九番詠深を三振、一番有希をピッチャーゴロに打ち取る。

 

そうして、2アウト2塁。

最後の打者になり得る打席に立ったのは、二番センター中村希。

 

(いつもベンチを振り返れば笑顔で応援してくれる芳乃ちゃんがいた。でも今日は正面に芳乃ちゃんがいる。これっぽっちも負ける気がせんね)

 

希はくすりと笑みを漏らす。

 

(私に長打はないと思われとーはず。鈍足の芳乃ちゃんでは単打でホームに戻ってこれない。つまり、私と勝負して打たれても失点するリスクはない。一発がある白菊ちゃんより、私の打席で勝負を決めたい……相手はそう考えるはず)

 

希はバットを構える。

吉川はキャッチャーのサインに頷き、ピッチングの体勢を整える。

 

(これまでの打席、私がヒットにしたんはぜんぶ変化球。相手には変化球打ちが得意なバッターやと思われとーはず。やったら、たぶん直球中心で攻めてくる。狙うんは私のパワーでも長打を狙えるコース。真ん中から内側のストレート)

 

吉川が左足をあげる。

希が右足をあげる。

 

(芳乃ちゃんの野球が正しいって全国に行って証明する。そのためには、こんなところで負けれんけんね。だから――――)

 

吉川が腕を振り下ろす。

希が足を踏みおろす。

 

(ここで打つしかなかろーもん……!)

 

快音。

 

インコースに投げ込まれた吉川のストレートは、希のバットによって跳ね返される。

 

(届け、この打球)

 

希が打球を見上げる。

吉川が打球を振り返る。

 

(届け、この想い)

 

希がゆっくりと走りだす。

吉川ががっくりと肩を落とす。

 

(届け――――)

 

打球が外野スタンドに落ちる。

歓声と悲鳴で球場が混ぜこぜになる。

 

逆転ツーランホームラン。

 

時間が止まったかのようなグラウンドの上で、希と芳乃だけが悠々とベースを周る。

 

(自分の意思で初めて長打を打てた気がする。これがホームラン、私だけの時間……芳乃ちゃんに)

 

希がベースを一周すると、先にホームインしていた芳乃が両手を広げて迎える。

 

「ないばっち!」

「芳乃ちゃんもないばっち!」

 

希は歓喜をぶつけるように、芳乃を抱きしめた。

 

5-4。

新越谷の逆転。

追いつ追われつの熱闘を見せる新越谷・梁幽館戦。

再び新越谷がリードし、試合は最終局面に移ろうとしていた。

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