IFもうひとつの約束 〜もし1年生だけで全国を目指すことになったら〜   作:勘解由小路龍之介五郎左衛門十兵衛

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30. 才能と経験(柳大川越戦part5)

「どうする、彩優美。最終回だが」

 

7回表のマウンドに向かう直前、柳大川越のキャッチャー・浅井が問いかける。

その内容はもちろん、この回をどう抑えるか、だ。

 

この回、柳大バッテリーには主に2つの選択肢がある。

1つはこの回を三者凡退に抑える。疲労から大野の球威も制球も落ちているが、新越谷の七〜九番なら問題ない。簡単に抑えられる。

だが、問題となるのはこの回の裏に柳大川越が得点できず延長となった場合だ。その場合、8回の先頭バッターは息吹から。0点で抑えるのは非常に難しい。

 

そして、もう1つの選択肢は――――

 

「どうせ延長になるわ。だったら、問題を先延ばしにせずここでリスクを取るべきよ。七番・八番を抑えて九〜二番を3人連続敬遠。2アウト満塁で藤田菫と勝負。私たちが勝つ可能性が高いのはおそらくこっちだわ」

「分かった」

 

菫は他の選手と比べるとスケールは劣るが、それでも堅実なバッティングが光る好打者だ。選球眼も悪くない。

2アウトとはいえ満塁の場面で勝負するのは怖いバッターである。

だが、それでも10回やって8回くらいは抑えられる自信が大野にはあった。

 

大野は七番の詠深、八番の白菊を簡単に三振に取ると、九番の有希を敬遠する。

 

(前の回の川口芳乃みたいに敬遠球三振してくることも予想してたけれど、何もしてこなかったわね。拍子抜けだけどありがたいわ)

 

そして息吹の打席。

キャッチャーの浅井が立ち上がると、やはり観客からブーイングが飛ぶ。

『どんだけ敬遠するの!』『ほんっと呼吸するように敬遠するよね!』『三度の飯より敬遠大好きかよ!』『これもう野球部じゃなくて敬遠部でしょ!』『正々堂々戦って!』

 

「ふん。丹羽有希を敬遠したのに川口息吹を敬遠しないわけないでしょ」

 

観客からの反発なんて想定内。大野は動揺することなく敬遠の1球目を投げる。が――――次の瞬間、予想外の出来事に目を丸くする。

 

なんと、1塁ランナーの有希が2塁に盗塁したのだ。

盗塁を予想していなかったバッテリーは反応することすらできず盗塁を許す。

 

(どうせ塁は全部埋めるのに盗塁なんてしてなんの意味が……? そんなのいくらでもすればいいけど。どうせランナーは刺せないんだし。……あっ!)

 

大野はある可能性に思い至り、思わず新越谷ベンチを見る。

すると、自信に満ちた笑みで芳乃がこちらを見ていた。

 

大野はタイムをかけ、キャッチャーの浅井を呼ぶ。

 

「どうした。どうせ一・二番を歩かせて満塁にするんだ。いくら盗塁されても関係ないはずだが」

 

マウンドにやって来た浅井が動揺する大野にそう語りかけるが、大野は悔しがるように肩を落とす。

 

「そうね。三盗までは」

「……? 三盗までって、三盗までしかないだろ」

「新越谷ベンチはこのままホームスチールさせるつもりよ」

「ホームスチール? 確かに理論上可能だが、そんなの成功する訳が……。……あっ!」

「気づいたみたいね。新越谷としては失敗してもいいのよ」

 

柳大川越としては、息吹の敬遠が成立するまではランナーをアウトにしたくない。

息吹への敬遠が成立する前にランナーがアウトになった場合、次の回は息吹の打席からとなってしまうからだ。

 

だが、そんな柳大川越の思惑は新越谷の奇策によって無情にも打ち砕かれる。

柳大川越は必ずランナーをアウトにしなければならない。

なぜなら、息吹の敬遠が成立するまでにあと3球投なければならない以上、相手は必ず三盗・ホームスチールを企図できるからだ。

 

新越谷としたら、ランナーがアウトになって作戦通り。万が一柳大川越に守備の乱れが起きてホームスチールが成功すればラッキー。

どっちに転んでも問題なし。

まさにノーリスク・ハイリターンの作戦である。

 

(申告敬遠が導入されてたら、こんなことにはならなかったのに……)

 

メジャーでは今年から導入された申告敬遠。

日本では導入が遅れ、プロ野球では来シーズンから、高校野球では今年の秋からの導入が検討されている。

申告敬遠をすれば即バッターに安全進塁権(という名の進塁義務)が与えられるため、今回のような新越谷の奇策は成立しなかったはずだ。

 

……とにかく、現行のルールでは申告敬遠がない以上、新越谷の作戦を防ぐ手立てはない。

ランナーをアウトにし、この回を終わらせるしかない。

 

「…………」

 

たった1つ。

たった1つだけ、新越谷の思惑を潰す方法がある。

 

それは、故意死球(インテンショナルヒットバイピッチ)

 

バッターの息吹に球をぶつけてしまえばたった1球で息吹の打席を終わらせることができる。

ぶつけた時点でボールデッドとなるためランナーの有希が盗塁を企図しようが関係ない。

これならば、柳大川越の狙い通り2アウト満塁で菫の打席に回すことができる。

 

だが――――大野はその考えを頭から振り払うように、ぶんぶんと首を振る。

 

(流石にそれはスポーツ選手として失格だわ)

 

大野は一瞬でもそれを考慮してしまった自分を恥じる。

 

野球規則8.02では故意死球の禁止が明記されている。明確にルール違反の行為だ。

しかし、いくら規則で禁止されていようと、ワザとぶつけたかどうかなど本人以外だれにも分からない。仮にここで息吹にデッドボールを与えても、退場などの重いペナルティが即座に与えられることはおそらくないだろう。尤も、観客からは全打席敬遠の比ではないほどバッシングされるだろうし、審判からも警告されるかもしれないが。

 

勝つためならなんでもやる。どんなバッシングも受け入れる。

大野はそう覚悟していた。だが、それはあくまでルールの範疇での話だ。

大したペナルティがないからといって、ルール違反を犯してまで勝ちたいとは思わない。そんなことが許されてしまったら、もはやそれはスポーツとはいえない。ルールの範囲で戦うからスポーツなのだ。その前提だけは忘れてはならない。

 

タイムが解け、プレイ再開とともに大野はセカンドに牽制球を投げる。

有希は牽制に反応できずそのままアウト。

 

新越谷の思惑通り、七回表は終了し、次の回は息吹の打席から始まることとなる。

 

(……まったく。川口芳乃もいい性格してるわね。私がなりふり構わずぶつけてくる可能性を考えなかったわけじゃないでしょうに)

 

大野は苦笑しながらベンチに戻る。

 

 

***

 

 

7回裏、柳大川越の攻撃は三者凡退に終わった。

相変わらず詠深のピッチングは支配的。スピードガンの数字こそ多少落ちてはいるが、球の迫力は衰えていない。集中力も途切れていないらしく、甘い球もほとんどない。

 

そして、延長8回。

大野は覚悟を決めて、マウンドに立つ。

 

まずは息吹を敬遠。

そして次の希も敬遠。

 

これは事前にキャッチャーの浅井と打ち合わせて決めておいたことだ。

 

もはや大野には希を打ち取れるだけの余力はない。

だったら、相手がバントを失敗する可能性に賭ける。

 

バントの成功率はだいたい8割程度だと言われている。

柳大川越の守備力の高さを考えれば、もう少し低く見積もって7割程度か。

成功率7割のバントを2回連続で成功させる確率はおよそ5割。

つまり、息吹と希を連続敬遠し新越谷がバントを試みてきた場合、柳大川越は半分の確率で失点する。

 

だが、逆に言えば半分の確率でこの回を凌ぐことができる、とも言える。

もはや希を抑えるだけの体力が残っていない大野にとって、その半分の生存確率はこれ以上ない魅力だった。

 

バッターの菫が立つと、バントの構えを見せる。

 

(バントを隠すつもりはない?……それとも、バスターでもするつもりかしら。どっちみち、柳大川越(うち)の作戦は決まってるわ)

 

新越谷に対する柳大川越の守備シフトはバント対策のオールプレス。

投手の投球と同時にファーストとサードが猛チャージをかけ、セカンドとショートがそれぞれファースト・サードのカバーに向かい、センターがセカンドカバーに入る。

バントに対しては絶大な防御力を発揮する反面、バスターを仕掛けられたら一気に大量失点の可能性もあるリスキーな守備シフトだ。

だが、一点を争うこの試合、大量失点のリスクを取ってでも無失点で抑えられる可能性が高い方を選ぶ。

 

(投げるのはインコース高めのストレート。長打リスクが高い球だけど、今まで低め中心の配球だったぶん相手も意表をつかれるはず。バントしてくるのかバスターでくるのか、この球で相手の出方を伺うわ)

 

大野は残った体力を振り絞り、渾身のストレートを相手の胸元に投げ込む。

菫がバントした打球はバットの根元に当たりバックネットに突き刺さる。

 

ファール。

 

大野の投球開始とほぼ同時に三塁に走っていた息吹はスピードを緩め、二塁に戻る。

 

(バスターじゃなくてバントしに来たわね。フォースプレーのバントが難しい場面で躊躇なくバントしてくるってことは、新越谷(向こう)ベンチはよっぽど藤田菫のバント技術と川口息吹の走塁技術を信じているみたいね。実際、バントはファールだったけど、川口息吹のスタートは完璧だった。これ以上ないと言っていいほどの飛び出し。盗塁するつもりだったんじゃないかってくらいベストタイミングだったわ。でも……)

 

大野は川口息吹の走塁に違和感を感じる。

 

(あまりにも完璧すぎなかったかしら……?)

 

川口息吹は観察眼に優れている。

もしかしたら、こちらの牽制の際のフォームの違いもある程度盗まれているのかもしれない。

だが……仮にフォームを盗まれていたとしても、ウエストされる可能性だってあった筈だ。

それなのに、まるでその可能性など一切考えてないかのような好スタート。

あれがウエストなら息吹は刺されていたはずだ。その可能性を考慮していなかったのか?

ギャンブル走塁の可能性もあるが、この大事な場面でそんな不確実なことをしてくるとも思えない。

 

(もしかして……ショートのせい?)

 

大野は記憶を辿り、ある仮説に至った。

 

柳大川越ではオールプレスの守備シフトを実行する際、その起点はショートのかけ声から始めるようにしている。

ショートのかけ声と同時に、他の選手が動き出すのだ。

だけどそのかけ声が――――ほんの少しだけ、通常より早かったような気がする。

ショートのかけ声が早くなれば、他の内野手が動きはじめるのも本来より早くなる。

すると、ランナーの息吹は野手の動きを見て大野の投球内容を予想できてしまう。

 

(川口息吹が内野手の動きを見てスタートしたのだとしたら納得がいく。1・3塁のチャージにセカンド・ショートのカバー。ゾーンに投げるときの動き。そう瞬時に判断してスタートすることは、川口息吹ほどのセンスがあれば可能なはず。だったら――)

 

大野はタイムをかけ、内野手を集める。

先ほどの息吹の走塁に関して気づいたことを伝え、ある対策を手短に説明する。

 

(さて、うまくいくかしら)

 

プレイ再開。

大野は再び、バントの構えを見せる菫と18.44メートルごしに対峙する。

大野はキャッチャー浅井のサインに頷く。

一瞬の間の後、ショートのかけ声と同時に、内野手は各自オールプレスの体制に移動を開始する。

それを見て、息吹が走り始める。

その一瞬後、大野がボールを投げる――――しかし、本塁ではなく二塁の方向に。

 

牽制だ。

 

息吹は咄嗟に帰塁しようとするがもう遅い。一瞬だけ一塁方向に動くふりをしてすぐに二塁にUターンして戻ってきたセカンドが大野の牽制球を捕球し、二塁ベースに伸ばした息吹の手をタッチする。

 

息吹の牽制死。

 

(川口息吹はずば抜けた走塁センスを持っている。だけど経験が浅い。いくらセンスがあっても……いえ、センスがあるからこそ、知らない場面でもセンスを過信してチョンボを犯してしまう。こんな拙い偽装はみっちり守備走塁練習をしている強豪校ならそう引っかからないものだけど、やっぱり推測通りね)

 

新越谷は前回の練習試合のときと比べて打撃が飛躍的に成長している。

しかし一方で守備の練度はそこまで上がっていない。

この夏を勝ち上がるために守備を切り捨てて打撃に特化した練習メニューを組んだのだろう。そしておそらく、走塁練習の時間もそこまで取られてないはずだ。

 

(まあ、打てて守れて走れるチームづくりなんて、1年生だけのチームには無理だわな。新越谷(向こう)だってこれくらいのミスは計算のうちでしょ)

 

とにかく、0アウト1・2塁のピンチをオールプレス偽装の牽制によって脱した大野は、三番菫・四番珠姫を連続で打ち取り、延長八回を無失点で切り抜けることができたのだった。

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