IFもうひとつの約束 〜もし1年生だけで全国を目指すことになったら〜   作:勘解由小路龍之介五郎左衛門十兵衛

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31. 私たちのエース(柳大川越戦part6)

八回裏。

柳大川越の攻撃。球場を敵に回している柳大川越を応援する声は少なく、蝉の鳴き声がよく響く。

 

大野は目元に濡れタオルをかけてベンチでぐったりとしていた。

体力は限界に近かった。もともと試合が延長やタイブレークまでもつれ込んでも投げ切る作戦だった。だが、想定以上に疲労が蓄積している。

 

1点もやれない緊張感。

ただでさえ強力な新越谷打線である。徹底的に弱点をつくことでなんとか0点に抑えてはいるが、プレッシャーは計り知れない。

そんな中で投げれば、普通よりも体力を消費するのは当然だ。

 

「大丈夫スか、大野さん」

 

と、真上から1年の大島の心配そうな声が降ってきた。

大野はタオルを目に被せたまま、息を粗く答える。

 

「流石に疲れるわ。牽制アウト取れたのはいいけど、もうあんなピンチはこりごりよ。行けてもう1〜2回ね。あんた達いい加減さっさと点取ってエースを楽にしなさい」

「はいス!……あ、でも六回のチャンス潰したのは大野さんスからね」

「……それもそうね」

 

大野は力なく笑う。

と、そんな大野の態度に何かを感じたのか、大島の声がいっそう不安そうな響きになる。

 

「本当に大丈夫スか大野さん。こんな軽口叩いてもゲンコツぐりぐりしてこないなんて」

「バカね、こんな衆人環視の中でそんなことしたら暴力事件になるわ。去年の新越谷みたいにね」

「あはは、それもそうスね。じゃあ大野さんが手を出せない今のうちにいっぱいからかっておくス」

「そうね。試合が終わったら2人っきりでたっぷり可愛がってあげるから覚悟しなさい」

「じょ、冗談スよ。だから暴力反対ス」

「あら。この私が可愛がってあげるって言ってるのに何が不満なのかしら?」

 

大野が笑いかけると、大島はぽつぽつと言う。

 

「……不満じゃないスよ。大野さんにはこれからもずっと、手厳しい指導をしてほしいス」

「そうね。試合に勝てば、まだ夏は続くわ。その間は嫌というほど指導しなくちゃね。留々は手のかかる後輩だもの」

 

大野は顔から濡れタオルをはずし、空を見上げる。

青い、青い空。白く輝く太陽。毎日の練習で嫌になるほど見上げた景色。

だけどなぜだか、やけに感傷的に感じた。

 

 

***

 

 

柳大川越の8回の攻撃はまたも三者凡退に終わる。

しかし、詠深も流石に疲れが出てきたのか、圧倒的なピッチングに翳りが見えている。

実際、ゲーム序盤はまるでバットに擦りすらしなかった詠深の球が、下位打線でも何度か当てられるくらいにはなっていた。

 

次回の柳大川越の打線は1番から。

ここを耐えれば勝てるチャンスはある。

 

そんな希望を抱きながら、大野は9回表のマウンドに向かった。

 

この回の新越谷は五番打者の稜から。

この試合、大野は未だ2本しかヒットを許していないが、そのうち1本が4回に稜に打たれた2ベースヒットだ。

稜はフリースインガータイプで打率こそそこまで高くないが油断はできない。

 

大野は外角中心に慎重な投球をするも、甘く入った三球目を痛打されライト前ヒットとなる。

 

(危なかった。外角ギリギリの球のはずがど真ん中にいってしまった。ホームランになってもおかしくなかったけどシングル止まりだったのは不幸中の幸いね。それにしても、私の生命線であるコントロールが狂うなんて……。視界もボヤけてきたし、この回までかしら。ここを抑えて裏で得点する。柳大川越(うち)が勝つシナリオはもうこれしかないわね)

 

そんなことを考えていると、次のバッターである六番芳乃が打席に立つ。

 

(また嫌なバッターが続くわね。ま、川口芳乃はどうせ打っても単打どまり。0アウト1・2塁にはしたくないけど、武田詠深や初心者組にはまともなバントなんてできないでしょうし、最悪打たれてもいいわ)

 

そう割り切り、細かいコントロールは気にせずストライクゾーンで勝負する。

芳乃は2球目をセカンドゴロにしたものの、その間に稜が2塁に進塁したため1アウト2塁となる。

 

(ふぅ……なんとか抑えたわね。あとは七番の武田詠深と八番の大村白菊。簡単なバッターだわ)

 

2人の攻略法は単純明快。

 

(まずは武田詠深ね。多少コースが甘くなってもいいから腕を強く振って緩急を使えば面白いくらい空振ってくれる)

 

大野はその攻略法を意識しながら詠深を3球三振に抑え、2アウト。

バッターボックスに立つ白菊と対峙する。

 

(次に大村白菊。こっちは武田詠深とは逆で、球威は弱くなっていいから制球重視。アウトコースのバットがぎりぎり届かない距離に投げれば簡単に空振ってくれる)

 

大野は霞む目を擦りながらも、指先に神経を集中させアウトコースに球を投げる。

 

(よし、完璧。このコースはバットが届かな――――えっ!?)

 

大野は目を疑った。

ボヤける視界の向こうでバッターの白菊がホームベース寄りに踏み込んできたのだ。

 

(どうして!? 今まで大村白菊はバッターボックスの内側ぎりぎりに立っていた筈。それなのに踏み込んだらバッターボックスから足が出てアウトに――――……っ!)

 

ことここに至って、大野は白菊の立ち位置がいつもと違うことに気づいた。

ただでさえ疲労が溜まっていた大野は、油断もあって集中力を欠いていた。

だから、白菊がいつもよりベースから少し離れて立っていたことに気づかなかったのである。

 

そして、立ち位置の変更によって、今までバッターボックスぎりぎり内側に立っていた白菊にはなかった、『踏み込むためのスペース』が生まれていた。

それによって、本来なら『バットが届かない』絶妙な距離に投げたはずの大野の球は、『踏み込めばバットが届く』コースの棒球へと変貌していた。

 

グワラゴワキィィィン……ッッッ!!!

 

狙い澄ました一閃。

 

鋭い打球は真っ直ぐに伸び――――ライトスタンドに突き刺さった。

強烈な弾丸ライナー。

 

試合の均衡はついに破られた。

 

 

***

 

 

(やられた……わね)

 

白菊の打球を見送りながら、マウンド上で大野はがっくりと肩を落とした。

 

思えば、白菊を詠深の後ろに置いたのも、それまで馬鹿の一つ覚えみたいにアウトコースのボール球に手を出して空振っていたのも、この打席のための布石だったのかもしれない。

 

『弱点であるアウトコースの選球眼の悪さが露呈し、扇風機である詠深のさらに後ろにまで下げられた、パワーだけが取り柄の初心者』

 

大野にそのような意識を植え付け、終盤の勝負どころで油断したところを打つ。

おそらく、それが芳乃の策略だったのだろう。

 

(結局、川口芳乃の手のひらで踊らされていただけだったわけね)

 

大野は自嘲気味な笑みを浮かべる。

 

勝つため。勝つためだけに、自分出せるの限界の力を振り絞り、頭が擦り切れるほど策を練り、それでも最後の油断に足を掬われた。

せめて自分の全力の球を打たれたのなら、まだ納得できたかもしれない。だが、あんな気の抜けた球を。最後の夏なのに。悔やむに悔やみきれない。

 

歯を食いしばる大野を無視するように、観客席からは新越谷を祝福する万雷の拍手喝采が鳴り響く。

 

(そりゃ、観客(あんた)達は嬉しいでしょうね。にっくき敵役(ヒール)が正義の新越谷(ヒロイン)に打ちのめされて。ざまぁみろって思ってるんでしょうよ……!)

 

自業自得だ。

観客に嫌われることを承知で、大野は敬遠策を決意したのだ。

 

(でも……)

 

大野はキッと前を向く。

 

(私たちだって負けられないの! 嫌われたっていい! 勝たないと……そうじゃないと、私の3年間が報われないじゃない!)

 

まだ2点差。負けた訳じゃない。

新越谷のエース・詠深だって、大野ほどじゃないにせよ疲れは見えている。逆転のチャンスは十分ある。

 

(ここを抑えたら、上位打線から。2点差ならまだ致命傷じゃないわ……!)

 

そうして迎えた九番丹羽有希の打席。

大野の第一球。

 

(あ……っ!)

 

リリースの瞬間、首筋に悪寒が走った。

すっぽ抜け。

大野の投じた球は左打者の頭部に飛び――――ヘルメットに弾かれる。

 

デッドボール。

 

当たる直前に有希が避けきれなかったものの身を屈めたため、ボールはヘルメットに掠っただけでダメージは殆どなかったが、念のため臨時代走に白菊が入る。

 

その様子を見て、観客席からはこれまでの比ではない罵声が飛ぶ。

 

『敬遠の次はデッドボール!?』『負けそうだからって今度はぶつけて相手を潰す気!?』『新越谷は9人しかいないんだよ!』『もういい加減大野マウンド降りて! 朝倉のピッチングを見せてよ!』

 

大野は深くため息を吐きつつ、頭を抑える。

 

(ダメね。気持ちを入れ直したはずだったのに、集中できてなかった。これじゃ、もう……)

 

そのとき、大野は柳大川越ベンチから選手がマウンドに駆け寄ってくるのを視界の端に捉えた。

大野はその2年生ピッチャーの気配を背中に感じると、顔を背けてぶっきらぼうに問うた。

 

「何しに来たのよ、朝倉」

「何しに来たと思います? 大野さん」

「……ピッチャー交代ね」

「いえ、伝令です」

 

そう言われて大野が振り返ると、確かに朝倉の手にはグローブがはめられてなかった。

朝倉は大野の目を真っ直ぐに見た。

 

「監督とベンチメンバー全員の総意を伝えに来ました。川口息吹と勝負しろ、と」

「……正気? まだ2点差。武田詠深だって疲れが見えてきてるし、裏の攻撃は上位打線から。ここを抑えれば逆転の可能性だって僅かながらある。まだ捨てる試合じゃないわ」

「捨ててなんていません」

「だったら尚更、ここは敬遠……。どうしても勝負するならエースのあんたが――――」

 

大野が弱々しくそう言いかけると、それを遮るように朝倉が力強く言った。

 

「私たちのエースは大野さんです」

 

朝倉は言葉を続ける。

 

「柳大川越がここまで勝ち残ったのは、柳大川越の一丸守備のおかげ。そしてそのチームの中心にあったのは、私じゃなくて大野さんのピッチングです。今年の柳大川越は大野さんのチームなんです。その大野さんの投球が川口息吹にどれだけ通用するか見たい……それが私たちの気持ちです」

「馬鹿ね。そんな分の悪い賭けに乗るなんて……」

「分の悪い賭けって言うなら、そんなの最初からですよ。あの強打の新越谷相手に投手戦を挑む……そんな無謀な作戦を考えるのはきっと全国広しと言えども柳大川越(うち)くらいですよ。でも、その作戦のおかげで延長まで互角に戦えてる。私が投げたら無理でした。大野さんのピッチングだからできたんです。私は……大野さんなら、奇跡を起こせるって信じてます」

「……ふん、仕方ないわね。玉砕覚悟で無茶してあげる。まったく、あんまり後輩に慕われるのも困りものだわ」

 

大野は悪態をつきながらも、その笑みには活力が満ちていた。

 

朝倉がベンチに戻り、試合が再開する。

2アウト1塁。打席には川口息吹。キャッチャーは座ったまま。

どうせ敬遠だろうとたかを括っていた観客たちは沸き立つ。

 

『やっと勝負するのね!』『いいぞー!』『もう試合諦めたんか?』『ぶつけるなよ!』『川口ホームランでいいぞ!』『えー。どうせなら全打席敬遠のほうが面白かったのに』

 

……一部勝手な意見も混じっているが。

 

(川口息吹は初球から狙い球を絞って打ってくるタイプの打者。きっと川口息吹は私が危険なインコースに投げてくるとは思わないはず。だったらそれを逆手にとって、アウトコースからインコースに曲がるスライダー。これを打たせる)

 

どうせ、自分にはもう息吹を三振に取れるだけの余力はない。だったら、この一球で仕留める。

大野は今残っている全ての力を込めて、インコースへ渾身のスライダーを投げた。

コースも球威もキレも完璧。大野のこれまでの野球人生で最高のピッチングだった。

 

キン――――ッ!

 

甲高い金属音が響く。

打球は高く飛んでいき――――センター前にぽとりと落ちる。

引っ張り警戒のシフトが仇となった、どん詰まりのポテンヒットだった。

 

「……ふん。せっかく打ち取った当たりだったのに、打ち取れないのが私らしいわ。画竜点睛を欠くってやつね」

 

とはいえ、県内屈指のホームランアーチストである川口息吹をシングルヒットに留めただけ、自分にしては上出来か。

大野は晴れ晴れとした表情で苦笑を漏らす。

 

「……大野さん」

 

ベンチから朝倉がやってきた。その手にはグローブをはめている。

 

「今度こそ交代ね」

「大野さん。お疲れ様でした」

 

朝倉が頭を下げると、大野は大きなため息を漏らす。

 

「あーもう! ほんっとーっに、疲れたわ! 朝倉(あんた)たち化け物に張り合って努力してきたけど所詮これが私の限界よ! 初心者にホームランを打たれて、名誉挽回するつもりで投げた渾身の球は川口息吹にヒットにされて……」

「尊敬してます。大野さん」

「……バカね。あんたは私みたいな選手とは才能が全然違うんだから。尊敬するならもっと別の選手にしなさい」

「1年半、大野さんを見てここまで来ました。大野さんの価値は、大野さんを見て育った私の投球で証明してみせます」

「……勝手にすれば」

 

大野はとぼとぼとベンチに戻る。

いつもは、マウンドを降りるのが嫌だった。特に打たれた日には。だが、今日だけはそんな感情が1ミリも湧いてこなかった。

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